『すなおなこども―無理な注文―』

「けんちゃん、お向かいのお家まで、ちょっとお使いにいってくれない?」
「いや!」
「どうして?」
「いま、本読んでるもん。」
 よくある母子の会話です。そのつど、お母さんは、
(どうしてうちの子は、すなおでないんでしょう。)
 と、吐息をつかれます。たしかに、お母さんにしてみれば、親の頼んだことには即座に、しかも気持ちよく、笑顔で”はい”と応えてほしいのです。
 だが、よく考えてみますと、子どもの方にも、お母さんから注文を受ける直前までは、子どもとしての生活のリズムがありました。その流れにはお構いなく、お母さんのご都合だけで突如として”無理な注文”が出されたのです。
これが、もしも大人の世界でしたら、
「こちらの都合を無視して、何という失礼な!」
と、相手はこころの中できっとそう思うでしょう。
ですから、”いや”といった子どもの方が、その場の成り行きからは、むしろ”すなお”な対応であったと言えます。真にすなおということは、大人であれ子どもであれ、自分のありのままの心を偽らないことだからです。
“いや”と口に出して率直に表現できるうちは、この母子関係、心配はいらないでしよう。こわいのは、母子の間で”いや”という言葉さえ出し得ない状態に、子どもが追い込まれてしまったときです。

すなおらしさ
“いや”と言わざるを得ない状態に置かれて、”いや”と言えない子どもは、やがて、生きる知恵として、親に対して”すなおらしさ”を装い始めます。親は、
(やれやれ、これで一安心)
とほっとするのですが、しかし、子どもはしだいにその心の内側で、
「いつも自分勝手で、ぼくの気持ちやつごうを分かろうとしてくれない」
と、ひそかに親への反発の気持ちを溜め始めるのです。
なにか大きな事件を引き起こして、
「あんなに、すなおだった子が?」
 と周囲の人々が、一様に目を見張らされるのもこのためです。幼少期からの抑えられてきた”つけ”は、自己主張をあからさまに表現できる青少年期になって、突如として噴火するのです。
 では、先ほどの母と子の会話をどのように展開していったら、子どもの立場を生かし、かつ、子どものすなおさを引き出すことになるでしょう。
「けんちゃん、今、何してるの?」
「本、読んでるの。」
「そう、じゃあ区切りが付いたところでいいから、あとで、お使いにいってくれる?」
「うん、ちょっと待っててね、もうすぐして、ぜんぶ読めたらいくから。」
 子どもの人格を尊重し、子どもの生活のリズムを汲み取って、”はい”といえる状態に導く一寸したこころ配りが、子どもを真にすなおにさせるのです。
幼いころから、すなおに、思ったこと言いたいことを、どしどし親にぶっつけられる子ども、それを大きく胸を広げて、ゆったりと受け止めてあげられる親、その関係の中で、真に”すなおな子ども”が育つのではないでしょうか。

山下一郎「遺稿集」より

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