『ジーコの夢のスパイク』

1993年のJリーグ開幕の際、鹿島アントラーズの選手として、また、ブラジルサッカーの真髄を伝える指導者として招かれたジーコ選手は、2年後には同チームの監督となり、2003年からはオールジャパンチームの総監督として、現在も活躍を続けていますが、その彼が、選手として初めて日本を訪れたころに書いたエッセイに、つぎのような文章が見られます。

「8才の頃からサッカーに親しんできた私が、最初のスパイクを手にしたのは、13才のときでした。自分のスパイクを持つなんていうのは夢でした。だから、スパイクを貰ったときは、本当に嬉しかった。

真新しいスパイクを履いてみると、自分に不可能なプレーはないように思われました。私にとってスパイクは、魔法の靴だったのです。

しかし、私がサッカーの指導をするために辿り着いた異国ニッポンのロッカールームには、泥の付いたままのスパイクが、無造作に転がっているではありませんか。私は非常に悲しくなりました。そして、同時に怒りが込み上げてきたのです。

『来週までに、ここにあるスパイクを、みな磨いておきなさい』

 私はそう言った後、宝物のように大切に履きつづけてきた古いスパイクをカバンから取り出して、靴クリームで丁寧に磨き始めました。驚いたのは周りにいた選手たちです。まさか、私がスパイクを磨くとは思ってもいなかったのでしょう。つぎの週からは、彼らの磨きぬかれたスパイクで、どのボックスも輝いて見えました。

 私はサッカーで名声を得ることができました。でも今なお、スパイクをサッカーの心と思い、感謝の気持ちで磨くことに変わりはありません。そして、初めてスパイクを貰ったときの、あの感動を忘れることは出来ません。」

 ジーコ選手が世界的なプレイヤーとなり、監督となってからもなお、自らスパイクを磨くということは、常に“サッカーの心”を磨き続けることにほかなりません。スパイクを磨くところから、すでに彼のサッカーは始まっているといえましょう。

“汚れて泥だらけになったスパイクを、「物」として粗末に扱う日本の選手の姿勢からは、いくら技術だけ磨いても、本物のサッカーの「心」は育たない”

彼は、そう嘆き、悲しみ、そうした姿勢を真っ先に正すところから、日本選手への指導を始めたのです。

 2002年6月、日本で開催されたワールドカップで大活躍をした、ブラジルのリバウド選手も、NHKのインタビユ―に応えて、

「スパイクの先に、“魂を込める”」

といっております。

スパイクを泥々のままで平気な日本選手と、スパイクを「宝物」と思い、磨きに磨いてその先に「魂を込める」ブラジル選手と!

日本人が本来大切にしてきた心の問題を、海外の人から逆輸入された感を深くいたします。

ひるがえって、今の日本の生活は世の中不況とは言いながらも、巷に物はあふれ、人々は豊かさに慣れ切っています。

子どもたちも、むかしの子どもと比べて、物を大切にする心、感謝の気持ち、感動する喜びが、希薄になっているように思われます。

物を与えられた瞬間は、チラと喜びの表情を見せますが、それが、その子にとって生涯的な感動を与えてくれる宝物となり得ないということは、きわめて不幸なことと言えましょう。

戦前、戦後の物のない時代に育った子どもたちは、どの子もおもちゃは買ってもらうものではなく、自分で作るものと心得ておりました。木切れを拾ってきたり、使い古しの割り箸やかまぼこ板を母親から貰ったり、そのほか、素材となるものなら何でも集めてきて、それらを使って、自分で工夫したり、友達と相談しあったりして作り上げていたものです。

出来上がったものは、いまの既成の立派なおもちゃから見れば、まことに粗末なものでした。でも、それを手にした当時の子どもたちは、自分で作り上げた達成感に、強い感動を覚えていました。愛着も一入で、使い古すと補修したり、改良したりして、いつまでも大事に使っていました。

サッカーを始めた8才の頃から、石ころ混じりのグラウンドを、はだしで走り回っていたからこそ、ジーコ少年にとっては、最初のスパイクが宝物とも魔法の靴とも思えたのです。

泥々に汚れたら新しく買えばいい。-磨くことを忘れた現代の日本の若者!当然のことながらこの風潮は、幼い子どもたちにも受け継がれています。このときに当たって、

“わが子、わが孫へ、屋上屋を架す物の与え方をしてはいないだろうか?すべてを、物で解決しようとしてはいないだろうか?”

“本当の親ごころとは、本当の祖父母の愛情とは、物を豊富に与えるよりも、乏しさのなかに喜びを見出すことのできる逞しさを、どんな時代がきても対応できる芯の強さを、身につけておいてやることではないだろうか!“

今日の親御さんや祖父母の方々の、こうした反省!これもまた、子育ての上での大切な課題といえましょう。

山下一郎「遺稿集」より

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