『一粒のドロップ―大文字登山』

例年3月中旬に、つき組園児が行っていました卒園記念の大文字登山を、今年度から11月下旬ないし12月上旬に行うこととなりました。その理由は、この3月、天候不良のため2度延期して、3度目の挑戦も失敗に終わり、ついに実現できないまま卒園式を迎えた、苦い経験があったからです。

12月3日、卒園記念というには少し時期尚早の感もありますが、これまでの園生活を通じて蓄えてきた脚力のほどを試そうということで、つきぐみ園児は大文字山めざして、元気いっぱい9時半に園を出発しました。

大文字山への道は2通りあります。遠回りの銀閣寺からの道と、北白川仕伏町からの近道と。当然、北白川からの道をとるわけですが、そのためには麓の韓国中学校の校庭を通してもらわねばなりません。事前に学校には了解を得てありますが、園児たちの通過時刻はちょうど生徒さんたちの授業時間中です。

あらかじめ先生から聞かされていたためでしょうか、それまでワイワイと賑やかだった園児たち、校庭に近づくとひとりでにピタッと声をひそめ、校庭に一歩足を踏み入れるや、抜き足、差し足、忍び足、といった調子で粛々と通り過ぎたのには、さすがつき組さんと思わせられました。

大文字の山道は、幼稚園の山道を歩きなれている子どもたちには、さほど苦痛とも思われず、上の方から降りてきた大人の人の笑顔に出会うたび、 「こんにちは」 と元気よく声を掛け合う余裕さえ見せて、日頃のトレーニングの成果がじゅうぶん窺えました。

頂上に近づいた頃、「先生、いっぺん、休もうな。もう、体力の限界や」 と言った子どもがいます。 
「本当?」 
「言うただけや」 
ませた言葉とは裏腹に、はちきれそうな笑顔です。どこかで聞き覚えた言葉を、このあたりで一度使って見たかったのかも知れません。 

さいごの難関、勾配のきつい心臓破りの長い石段を登りきったときには、さすがに 「まだかあ」 と悲鳴をあげる子もいましたが、しばらくカーブを描いたゆるやかな階段を上り詰めて、お大師さんのお堂前の広場への道へ出た途端、パノラマ写真のように広がる京都市街を一望にした子どもたちは、多少の疲れも吹っ飛んだかのように、街に向かって思わず喚声を上げていました。

京都の街並みをバックに、記念のパノラマ写真を撮り終えますと、いよいよドロップの配給です。 「頂上についたらドロップがもらえる」 と、お兄ちゃんから聞いていたので、”大文字山イコールドロップ”の期待で、数日前から楽しみにしていたというKちゃん、お待ちかねの一瞬です。

飽食の時代に、タッタひとつぶのドロップがこれほど待ち望まれるとは、まことに信じ難いことですが、お兄ちゃんは小学生の今もなお、努力のすえ頂上を極めたときの、あのドロップの味が忘れられなかったのでしょう。Kちゃんにとっても、また、いっしょに登ったつき組の全員にとっても、一生忘れることの出来ない思い出の味となったのではないでしょうか。 

山道は、登りよりもむしろ降りのほうに気を使います。降りるときに意外に急坂だったことに気づかされることもあります。慎重に山道を降りきると、再び、韓国中学校の校庭です。行きと同じように、粛々、粛々と校庭を横切ろうとしましたら、ちょうど休憩時間だったのか、キャッチボールをしていた数人の学生さんが、ボールを投げ、バットを振っていました。

そばを通るのは危ないなと思った瞬間、こちらに気のついた学生さんたちがさっと身を引いて、園児たちの通過を静かにじっと見送ってくれたのです。園児たちも、こころの中で、とても温かいものを感じたことと思います。

園には、出発してから2時間半経った、ちょうど12時に帰着しました。早速食べたお弁当のおいしかったこと。当然お腹も空いたことでしょうが、何よりも、幼児にとっては見上げるようなあの大文字山を踏破してきた達成感が、いっそうお弁当の味を引き立ててくれたものと思われます。

かつて万歩計で測ったことがありますが、いちばん遠い一乗寺方面の園児ですと、いちど幼稚園の山へ上がって降りて、大文字山へ登って降りて、また幼稚園の山の上がり降りをして一乗寺まで帰り着くのに、6キロ(1里半)の道のりを歩いたことになります。

結果の数字だけを見ますと大変に思われますが、子どもたちの中で一人の落伍者もなく、それどころか、送りの続きに、公園ではいつもと変わらず遊びまわり走りまわる余裕さえ残しているのです。

3年間で約660日、日々の絶え間ない歩みの積み重ねを通して得た脚力、精神力、そして、この日の大文字山登山で得た感動、それらが小学校へ行っても、さらには将来社会人となっても、大きな自信となって生き続けてくれるようにと願って止みません。

それにしても、ほとんど天候に左右されないことともに、頂上から、紅葉の美しい周囲の山なみを眺めることの出来る晩秋のころに、大文字山登山の時期を移して、本当に良かったとしみじみそう思ったことでした。

山下一郎「遺稿集」より

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