『反抗の歯が生えた』

お母さん方のお好きな子どものタイプに、素直な子どもというのがあります。反対にお嫌いな子どもの代表は、とうぜん、反抗する子どもでしょう。お母さんにとって、素直な子は良い子で、反抗する子は悪い子ということです。ところで、「素直な子良い子は、やがて反抗する。反抗する悪い子は、やがて素直になる」といったらどうでしょう。「そんな馬鹿な!」とお叱りをこうむるかも知れません。

しかし、そうなっている場合が多いのもまた、否めない事実です。わが子を、何をしても可愛い可愛いで受け入れてきた揺籃期は、親にとっても子にとっても、心をゆりかごでゆすりゆすられているような、ほのぼのとした楽しい時期だったかも知れません。しかし、2才を過ぎる頃ともなりますと、第1反抗期という形での厄介な問題が、大なり小なりどの子にも出てまいります

健ちゃんのお母さんの述懐
これは、今はすでに卒園児で、かつて3才児から通ってきていた健ちゃんのお母さんの述懐です。健ちゃんが、入園前の2才半頃のある日、ママといっしょにデパ-トへお出かけすることになりました。ママは健ちゃんの着替えのために普段着を脱がせようとしましたが、いつもならママのなすがままに任せていた健ちゃんはその日に限って、「ぼく、する-」といい出しました。

ママは、大して気にも止めずに、「いいの、いいの。急ぐからママがしてあげるわね」となおも脱がせようとしました。すると健ちゃんは、「いや、いやっ。ぼく、するうっ!」と身悶えしながら、ママの手を、なんどもなんども激しく叩いて払いのけようとしました。そこでようやく、ママも容易でないことの成り行きに気づきました。わが子からこのような頑強な抵抗にあったのは、初めてのことですから。

「ママのばかっ!」
「きっとこれが反抗というものだわ。ここで今、しっかり芽を摘んでおかなくっちゃ」日頃はおだやかなママが、これまで、どんないたずらをしたときにも見せたことのない恐い顔つきで健ちゃんを睨みながら、「だめといったら、だめなの。ママのいうことがどうしてきけないの?」そういって、ママは有無を言わせず着せ替えてしまいました。「ママのばかっ!」

健ちゃんの叫び声にカッとなったママは、思わず健ちゃんのほっぺたをピシャリとぶってしまいました。泣き叫ぶ健ちゃんの声を耳にしながら、ママは今まで経験したことのない、何とも空しい後味の悪い思いでいました。しかし、じつは、健ちゃんの受けたショックは、ママから叩かれたほっぺの痛みよりももっと大きかったのです。

昨日までは、「はいはいができた、立っちができた、一歩歩けた」、と、ぼくがつぎつぎ新しい変化を見せるたびに、ママを始め周囲の大人の人達は、こぼれるような笑顔と拍手で迎えてくれたのに、どうして今日に限ってママは恐い顔をしてるんだろう?

健ちゃんの自立
おそらく健ちゃんにしてみれば、「まあ、ひとりでしたいの。ひとりで出来るの。お兄ちゃんになったのね。えらいわね」と、ママから満面に笑みをたたえてほめてもらえると思ったのに、反対に叩かれてしまったのは、どういうわけなんだろう?健ちゃんには、まったく理解のできないことでした。

「あの子が、『ぼく、する』といったとき、たとえ少々時間がかかっても、じっと見守っていてやれば、あの子が思いあまって『ばかっ!』ていうこともなかったでしょうし、わたしも叩くようなことをしなくてすんだでしょう。

涙でぐちょぐちょになりながら、わたしを睨みつけていたときのあの子の顔は、今も脳裏にしっかりと焼きついています。その後も何かあるたびにあの顔が浮かんできまして、わたしの子育てのいいブレ-キになってくれてるんです」ということでした。

多かれ少なかれ、こうした経験はどなたもお持ちのことと思います。ただ、健ちゃんのお母さんのように、そのときの反省を今もこころのブレ-キとして持ちつづけておられるということは、なかなかできないことだと思います。 

反抗の歯が生えた
ところで、健ちゃんが「ぼく、する!」と強く主張したのは、じつは「反抗の歯が生えた」ことを意味しているのです。いいかえれば、「ぼく、自己主張できるようになったよ」と宣言したのと同じことであります。つまり、第1反抗期としてのこころの成長の、具体的な表われなのだといっていいでしょう。

どうも、反抗期といいますと、反抗という言葉のひびきのゆえに、何となく不安感や畏怖感をお持ちになりがちですが、これを、「第1自己主張期」とでも置きかえてみますと、この時期を少しも恐がられることはないのでないでしょうか。

この時期は、形の上の成長にたとえれば、初めて歯が1本生えたのと同じことなのですから、むしろ、「きょうは、こころの成長の1本目の歯が生えた目出たい日だから、お赤飯でも炊いて祝ってやりましょう」くらいのゆとりをもって受け止めれば、反抗の芽、すなわち自己主張の芽は、すくすくと順調に伸びていくものと思われます。

本当は反抗でない
一つ一つの反抗を、落ちついて吟味して見ますと、本当は反抗でないということが多々あります。本人には、反抗する気はまったくないのです。ただ、知りたい、試してみたい、やってみたいという気持ちを実行に移したとき、大人から見ればきわめて常識外れのことが多いので、素直に受け入れてもらえずジレンマに陥っているのです。

この時期の子どもは、自己主張と好奇心の固まりです。「何で何で?」「どうして、どうして?」という言葉が乱発されるのは、極めて自然な成長の証しなのです。芽生えてきた自己主張をどのように活かしてやるか?、泉のように湧き出るさまざまな好奇心をどのように伸ばしてやるか?せっかく訪れた絶好のチャンスであります。これを活かさない手はありません。

「反抗する」=自己主張するようになったということは、実に素晴らしいこととして受けとめていきたいものです。

山下一郎「遺稿集」より

関連記事: