一人一人のドラマを見つめて

四月の入園式、始業式から半月ちょっと経ちました。どのお子さんにとっても「新しい」環境に慣れるために、毎日心の中で様々なドラマが繰り広げられていることと思います。

子どもたちは日々様々なサインを出しています。元気のサイン、弱気のサイン・・・。言葉によるもの、仕草によるもの・・・。涙はわかりやすいサインです。体調を崩すことも何かのサインかもしれません。

私はクラスの担任の先生に、一日の保育が終わった後で、子どもたちの顔を一人ずつ思い浮かべてください、と申しています。そのとき目に浮かぶ顔の表情はさまざまです。笑顔いっぱいのものもあれば、何か言いたげな表情もあります。「先生あのね」と言いたくて言い切れないとき、それは必ず表情に出ます。子どもが何かを言ってくるのを待つのではなく、このサインを見逃さないでください、とお願いしています。

さいわい、本園はクラスの先生だけでなく、送迎の先生や外遊びで関わる先生も含め、一人のお子さんを様々な先生が日々見つめています。放課後は、子どもたちの気になるサインついて、園の中で情報交換をし、どのように対応していくかを打ち合わせています。

一人の成長は皆の喜びにつながります。年少児のクラスで、一人のお子さんがお母さんと行ってきますができるようになったとき、それは他のお子さんにとっての喜びであり励みです。

涙顔のサインもやがて笑顔に変わるように、男の子にありがちな「手が出る」というサインも永遠にそのままではありません。涙顔の子どもも、手が出がちな子どもも、いずれ言葉で自分の気持ちを伝えることが出来るようになります。その成長をクラスの友だちは敏感に感じ取り、自分の成長の糧にします。

しかし、大多数の子どもたちは涙も流さず、手も出しません。では何も問題はなく、課題もないのでしょうか。どのお子さんも、親や先生、他のお友だちといった「周り」に訴えたい様々な思いがあります。その場合、冒頭で触れたように、微妙な形でサインを送ります。なぜ微妙な形なのかというと、得てして「遠慮」が含まれるためです。

先生は、このような子どもたちの「遠慮」の気持ちも含めて、クラス全体の心の動きを十分察知し、それがよりよい流れになるように調整する必要があります。

私自身、子どもたちのやりとりを見ていて、色々なケースに遭遇します。Aちゃんは親切心から教えてあげたのに、その言い方が強すぎたため相手のBちゃんが泣いてしまうケースはよくあります。その場合、なぜ相手が泣いたかをAちゃんに伝えます。Bちゃんが年長だと泣かないけれど、心で泣くことがあります。この微妙なケースを見逃さず、Aちゃんにはその優しさを認めた上、だからこそ相手には優しく伝えるよう声を掛けます。こうすればBちゃんも安心するでしょう。あえて言葉に出さなかった自分の言葉を先生にくみ取ってもらえたからです。

幼稚園は連休の後、いよいよ本格的に様々な活動が展開します。子どもたち同士が体と心を様々にぶつけ合い、高めあい、仲良くなるのはこれからです。一つ一つの出来事は、クラスが成長し、一つにまとまる機会ととらえ、園としては全身を目と耳にして、子どもたちの心の動きにピントを合わせたいと思っています。 (2009年4月 園長だより)

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