「足腰を鍛え、日本語の美を教える北白川幼稚園」

以下ご紹介するのは、2004年に本園の教育活動を取材された北岡宏章先生(京都光華女子大学教授)のお書きになった文章です。先生のお許しを得て掲載させて頂きます。

「足腰を鍛え、日本語の美を教える北白川幼稚園」

お山の幼稚園

地元で「お山の幼稚園」として親しまれている京都の北白川幼稚園(山下太郎園長)は、東山三十六峰のひとつ、北白川山の頂にある。麓からの高さは三十メートル余りあり、素晴らしい眺望を誇るが、その坂は息が切れて、とても一気には上れない。ところが、先生に付き添われてすでに一キロもの道のりを歩いてきた園児たちが、手をつないだまま楽しそうに、いとも易々と上っていく。

生涯「保父」をもって任じた二代目園長

本園は、在野の思想家で文筆家であった、現園長の祖父英吉氏が、戦後まもなく、文教地区であるにもかかわらず幼稚園のなかった北白川の地で、地元の人たちの強い要請を受け、お寺の建物を借りて開設された。運営の実質的中心となったのは、英吉氏の長男一郎氏(後の二代目園長)であった。

氏は、父の始めた幼稚園を、ほんのしぱらくのつもりで手伝い始めたが、徐々に幼児教育の素晴らしさに魅せられ、ついにはこれこそ自分の天職と選び取り、以来 50年余を幼児教育に捧げてこられた。男性の保育者が極めて珍しく、そうした用語が普及するはるか以前から、自ら「保父」を名乗っておられたという。

通園が大切な教育の場

本圃の数ある特長の中から、二点を紹介する。一つは通園についてである。開園以来、園長や先生が手分けして子どもたちを地区ごとの集合場所に迎えに行き、遠い場合は三、四十分、約一キロの道を一緒に歩いて登園する。途中から合流する園児もいる。

今もこのやり方を続けている背景には、歩くことが人間らしさを作り出すという、一郎先生の教育哲学がある。たとえ雨が降ろうが寒かろうが、新入園児でも、母親の手を離れ、がんばって歩く。年長の子は、そんな年少児を励まし世話をする。我慢しがんばって歩くことで、子ども達は心身を鍛えられる。

先生は、子ども達のことぱに耳を傾け、四季の移り変わりや町の変化に目を向けさせ、あるいは物語を語って聞かせるなど、通園を大切な教育の手段として利用している。先頭を行く先生は、子どもたちを見守りながら、器用に後ろ向きに歩くのが伝統である。

俳句でことばの美しさを教える

もう一つの特長は、俳句によることぱの教育である。文筆家であった初代園長は、ことばの教育を重視したが、開園三年目から俳句を用い始め、それが今日まで園の伝統になっている。

年長組に入ると、朝の集まりの会でまず二分間正座をして黙想(園では「おねむり」と呼ぶ)をする。ざわざわしている子どもたちも、目をつむり姿勢を正して、麓の町から聞こえてくる物音にじっと耳を澄ます。忍耐力と集中力が養われる時間である。

それができるようになると、いよいよ俳句の出番である。ことばの美しさとリズムの面白さが感じ取れるよう、芭蕉や蕪村の句が用いられる。一つの句を、一区切りごとに、園長の後について復唱する。言葉の意味や情景説明し、全員が空でいえるようになるまで、毎日数回唱える。最初の句を全員が覚えるまでには一ヶ月もかかるが、慣れと興味の深まりとで徐々に早くなり、一学期も終わるころには、十日もかからず新しい句を全員が朗誦できるようになる。

子どもたちは、覚えた句を家で聞かせて誉められることの嬉しさで、いっそう集中して覚え、記憶のこつをつかむ。こうして、二学期になると、新しい句を翌日にはもう半数以上の子が覚えてしまい、競ってみなの前で自分が暗誦しようとする。そうこうするうちに、覚えた句をまねて、自分で句を作る子どもが現われる。その句を誉めて、みんなで朗誦すると、他の子ども達も負けじと自分の句を作り始める。こうした俳句の学習は、年長組の「特権」になっていて、より年少の子どもたちは、憧れの気持ちで待っているという。

昨年から運営を引き継いだ三代目の現園長は、ラテン語・ラテン文学の研究者で、京都工芸繊維大学の助教授を務めておられたが、父一郎氏の引退に伴い、幼稚園の経営に専念されることになった。夜間は卒園生や関係者、その他の希望者を対象に、真の学力と教養を培う場として「山の学校」を開かれており、特に成人向けのラテン語教室はユニークである。

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