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高校生クラス 会員募集中。

(更新日:2018/03/05)

山の学校のクラス分けは便宜的なものです。「大学生・一般」クラスへの参加も歓迎します(ご相談下さい)。

「高校国語」

日本語を精読し議論するクラスです。教材は1つのまとまった日本語で書かれた作品です(翻訳を含む)。

・『西洋古典を読む』(対象:中学・高校生)
受講希望を受け次第開講。この機会をどうぞお見逃しなく!

水曜18:40~20:00 講師 福西亮馬

2018年4月からの内容(予定。受講生と相談して決めます)>
 このクラスでは、セネカ『心の平静について』を、英訳と日本語訳を併用して読みます。英訳は、『Seneca On the Shortness of Life』(C. D. N. Costa訳、Penguin Great Ideas、2005)、日本語訳は『人生の短さについて』(茂手木元蔵訳、岩波文庫)です。
 内容は、「もし何か(言葉の)薬をお持ちなら」ということで、セレヌスという人がセネカに不安を相談するところから始まります。「自分のこういうところが嫌で、くよくよするんです」と。今でいう「お悩み相談室」です。そこで、セネカが出した(言葉の)処方箋とは、「自分に信頼し、自分は正道を歩んでいると信ずる」(茂手木訳2.2)というものです。
 セネカは、セレヌスの症状に対して、「十分に健康でないのではなくて、十分に健康に慣れていないのだ」(茂手木訳2.1)と述べます。砕けて言い直すと、「あなたの精神は十分に健康です。それについて十分に自覚していないだけです」と。これには、セネカ『人生の短さについて』で展開される「人生は十分に長い」の逆説を連想します。いろいろなメディアを通じて、健康法やら勉強法やらで、「あれがないから」「これがないから」と不足を訴えられると、つい不安になってしまう現代人にとっても、十分にふさわしい切り口だと思います。ご興味を持たれた方のご参加をお待ちしています。
「西洋古典を読む」ブログ記事

<2017 年度の1年間で、下記の内容を扱いました。(過去の紹介文)>
 世の中には、「古典のことはよく分からない。読むのも訳するのも時間がかかる」と言う人と、「だからいい。なぜなら自分で立ち止まって考える時間が増えるか ら」と言葉を接ぐ人と、両方います。どちらも真実を言っており、前者は定説的で、後者は逆説的です。ビジネス書と違って、古典の文章はそれに注力した時間が長ければ長いほど、その人にとって、輝かしい価値を持ちます。打てば響くというわけです。そしていつしかその人の精神における不動の地位を得ます。クラシック(第一席)と呼ばれるゆえんです。

 西洋古典の最初のテキストは、セネカ『人生の短さについて』(茂手木元蔵訳、岩波文庫)を読みます。「曰く、人生は短い」という定説で始まり、次いで、「われわれは短い時間をもっているのではなく、実はその多くを浪費しているのである。人生は十分に 長く、その全体が有効に費やされるならば、もっとも偉大なことをも完成できるほど豊富に与えられている」という逆説で文章が展開します。このような論理 は、おそらく十代の若者の心を掴んで離さないでしょう。若いうちにこそ、学ぶ姿勢をはっとただされる、そんな名文だと思います。もとより古来より愛されて きたわけです。しかもそれほど長文ではありません。岩波文庫で50ページほどです。それを丸ごと味わって読みたいという人は、ぜひご参加ください。

・『東洋古典を読む』(対象:中学・高校生)
お申込みを受け次第、開講となります! お気軽にお問い合わせ下さい。

木曜18:40~20:00予定 講師 福西亮馬(予定)

 

 このクラスでは、『完訳 三国志』(羅貫中、小川環樹ら訳、岩波文庫)(全8巻)を通読します。黄巾党の乱から晋の成立まで、全120回に分けられています。1回ずつが講釈のよう に切りのいいところ、いわゆる「引き」によって構成されており、次がまた気になるという面白さです。私がみなさんと共有したいのは、テキスト(日本語訳) を読んで、英雄たちを再びよみがえらせる時間です。血湧き肉踊るような感情体験であり、過去の人物に発奮することです。プルタルコスのカエサル伝による と、カエサルはアレクサンドロス大王の像を見て、「彼は今の自分と同じ頃には世界を征服していた。なのに自分は……」と涙したと言います。三国志の英雄た ちの生き様もまた、それを愛好する人にとって、思いを同じくするところでしょう。

たとえば、正史(魏志)にある崔林は、「大器晩成」(の語源の一つ)として知られていますが、私は彼のことが大好きです。そのように「私はあの人が好き」「この人が好き」という人物を語ることは楽しいものでしょ う。ただそれが単なる同好のよしみにとどまらず、同じテキストを突き合わせて、すなわち「ソースをしっかり読んで」、あれこれ話し合えば、また違った角度 から興味を掘り起こせるでしょう。予備知識を総動員し、テキストに線をたくさん引きましょう。そして気に入った個所を写し取って愛蔵するなど、今から古典 の味に親しみましょう。

 「漢文」

『漢文入門』クラス(高校生〜一般)  木曜 15:40〜17:00 講師:陳 佑真
4月スタート! 受講生の関心に合わせてテキストを決めます。

漢文というのは一つの言語ですから、それで表されるのは決して堅苦しい、難しいお話ばかりではありません。「君 子は必ず其の独を慎むなり」(『大学』)、立派な人は誰も見ていないところでも人に見られているのと同じように威儀を正しているものだぞ、という、先生か ら言われたらうんざりしそうな言葉も漢文ですし、「螢無くして鄰家の壁を鑿ち遍(つ)くすも、甚(なん)ぞ東墻は人の窺うを許さざる」(『牡丹亭還魂 記』)、螢の光で苦学しようとしても螢が見つからないから隣のかわいい子の部屋の壁に穴をあけて灯りをとろうとしたけど覗かせてくれないよ、なんていうの も漢文なのです。

 古の賢者たちが人生の問題に正面から向き合って書いた文章を読解して自分の生き方に活かすもよし、おもしろおかしい滑稽話を読んで古の人たちと一 緒になって大笑いするもよし、ゴシップ記事を読んで古の人たちと一緒に眉をひそめるもよし。漢文の海からは、書かれたものの数だけの楽しみと思索が得られ ます。

 本講座では、受講者の皆様のご関心に合わせてテキストや方法を選びたいと思います。訓読のやり方、辞書の使い方から丁寧に学習のお手伝いを致しますので、全く漢文の勉強をしたことがない方も是非お越しくださればと願っております

 「高校英語」

『高校英語A』 水曜 18:40〜20:00 講師:浅野直樹
(・『高校英語B』 金曜 18:40〜20:00 講師:浅野直樹)
              ※B枠は休講中(2018年4月現在)

基本的には高校での学習進度に合わせて単語や文法事項の習得に励んでいます。少人数クラスですので、各学校にぴったりと密着した内容をすることができます。このように学校での学習を活用しつつ、必要に応じて範囲外の事柄も紹介して、総合的な英語の力を磨いています。

 

 「高校数学」

『高校数学A』 水曜 20:10〜21:30 講師:浅野直樹
『高校数学B 木曜 20:10〜21:30 講師:浅野直樹
『高校数学C』 金曜20:10〜21:30 講師:浅野直樹

 段々と複雑になってくる高校数学の内容を一歩ずつ進んでいきます。ごまかすことなく自分のわからないところはわからないとはっきりさせて、わかるところを増やしていきます。わからない、できないからといって怒られることは一切ありませんので、安心してご参加ください。

『数学が生まれる物語を読む』(対象:中学・高校生)
お申込みを受け次第、開講となります! お気軽にお問い合わせ下さい。

火曜18:40~20:00 担当 福西亮馬(予定)

二 十年も昔の話になります。私が大学一回生の時、「数学という学問を愛する人の目には、物事がこんなにも豊かなものとして映っているのか!」と、筆者の知的 土壌に強い憧れを覚える、そんな一冊の本に出会いました。それは『固有値問題30講』(志賀浩二、朝倉書店)でした。当時は何度読んでも理解できませんで したが、それにも関わらず、私がこの本に魅了された理由は、作者が数学について読者に語りかける時の、あの何とも言えない、まるで未来の大樹となる種に語 りかけるような、筆者の日本語の音色にあります。

このクラスでは、同じ著者の『数学が生まれる物語』(全6巻)(岩波書店)を読みます。 先 人たちによって育まれた「数学」の歴史の本です。第1巻は、自然数、小数、分数です。ペースは1回の授業で半章進む程度でしょう。42章全部を読み切りた いと思うならば、長旅を覚悟しなければなりません。また未知の内容に不安を覚えるかもしれません。あるいは高度な記号が初学者の理解を躓かせるかもしれま せん。それでも、そのような危険を冒してでも、数学の広い海に憧れ、船出したいという人は必ずいると思います。そのような人はぜひ、門を叩いてください。

(上記は抜粋になります。全文の内容は「こちら」をご覧ください)

 

 山の学校ゼミ『調査研究』(中・高・大学〜一般)

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金曜 17:10〜18:30(※) 講師:浅野直樹
※ 2018年4月現在、18:40〜20:00 で開講中。

興味のあるテーマを自分で設定し、そのことについて調べ、まとめます。文献収集や構成などのお手伝いをします。意欲的な中高生、論文やレポートを抱えた大学生、調べたいことがある一般の方をお待ちしております。
(←調査研究の発表会の様子)
受講生の感想(2015年2月)
「調査研究」ブログ記事

 

 

 山の学校ゼミ『歴史』

火曜 20:10〜21:30 講師:吉川弘晃(※現在開講しておりません。お問い合わせ下さい。)

高校レベルの基礎知識の定着を重視しながらも、教科書にとらわれない、政治・経済、地理、倫理、その他自然科学の知識を総動員して世界の動きを追えるような 力を世界の歴史に学ぶことで一緒に鍛えていきます。春学期は特定の地域・時代から、秋学期は普遍的なテーマ(歴史観や世界観)から、冬学期は生徒さんの希 望から、それぞれ1冊ずつ本を選び、それを読んで討論する授業を行います。 歴史を学びたいという方で、高校レベル の教科書を読む自信のある方ならば、誰でも歓迎します。  ●『山の学校ゼミ(歴史)』(旧クラス名:「歴史入門」)ブログ記事

 山の学校ゼミ『倫理』

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木曜 17:10〜18:30(※) 講師:浅野直樹
※ 2018年4月現在18:40〜20:00で開講中

高校の科目である「倫理」の内容に沿いつつ、参加者の興味や関心に応じて自由に議論するクラスです。教科書は濱井修、小寺聡、三森和哉『現代の倫理』(山川 出版社、2014)を予定しております。「倫理」に興味を持つのは大人になってからのこともあるでしょうし、高校生の間に興味を持ったとしても学校の制度 上選択できないこともあります。そのような方を対象として、先人の哲学や思想、現代的な課題について学び、考えていきたいです。
『山の学校ゼミ(倫理)』ブログ記事  ●受講生の感想(2015.02)

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2013年5月13日 | コメント/トラックバック(0) |

カテゴリー:クラス

高校数学の過去記事

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2010年8月15日 | コメント/トラックバック(0) |

カテゴリー:クラス

数の基本 / 数と自然

下村 昭彦
x=√5+1 / 2

これは、二次方程式x2-x-1=0 の解のうちの一つです。高校1年生で習う解の公式さえ知っていれば、誰でも解ける問題です。では、この数字の意味するモノは?

数学とは、数や式の意味を追求する学問です。この数字が何を意味するのか、この数式は何を意味するのか。そして、物事を数式で表すことでより理解を深めようとする学問です。

お見せした数には二つの意味があります。その一つは、フィボナッチ数列(1, 1, 2, 3, 5, 8, 13, 21,…と続く数列)のある項とその前の項の比の極限です。そして二つ目の意味は黄金比です。

今の学校教育では、残念ながらこの二次方程式の解き方を習う際に、この式が何を意味しているのか、ということを習うことはありません。しかし、フィボナッチ数列について考えるとき、黄金比について考えるとき、この方程式が解けなければその数の意味に辿り着くことができません。

計算練習ほど面白くないことはありませんが、計算力ほど数学について考える上で重要なこともありません。いくら面白いアイデアが生まれても、計算力がなければその考えを発展させることができないからです。

数学のクラスでは、数学のおもしろさや数式の意味を知ってもらうこと、そして自ら数学を学びたいと感じてもらうこと、を最終目標としています。

中学校2年のクラスでは、主に中学1年生の復習と授業の先取りをメインに行っています。中学の数学では文章題もさることながら、計算問題の練習が特に重要です。数学においては理解し、式を立てることこそがもっとも重要ですが、計算し解答まで導かなければ理解を活かすことができません。にもかかわらず、計算問題はおろそかになってしまいがちです。

そこで、このクラスでは計算問題にも力点を置き、文章題などの発展問題に進んだときにも計算でつまづいて数学を面白くないと感じることのないよう注意しています。また、わからないところがあれば理解できるまでとことんつきあっています。数学嫌いを防ぐには、数学を面白いと思ってもらうことこそが最も重要です。生徒に数学を面白いと思ってもらえるよう、工夫を重ねていきたいと考えています。

高校生のクラスでは、学校の範囲を超えてより発展的な内容に触れることを心がけています。現在の入試制度のもとでは、残念ながら教科書だけでは入試問題に対応することができません。

ですが、入試問題は現実的な社会的・工学的・理学的問題と密接に関わっていることが多いのです。数学的な問題が実際に生活の中で活かされていることを知ってもらえれば、数学を好きになってもらえるはずです。

また、思考ゲームとしての数学のおもしろさ、すなわち論理的思考法を習得してもらうことも目指しています。論理的思考は、文科系・理科系問わず、問題解決の際に必ず必要となる能力です。数学を通して、順序立てて物事を考える技術を身につけてもらいたいと考えています。

いつか、子どもたちが無限の地平にたどり着けるように。

(2004.7)

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2010年7月2日 | コメント/トラックバック(0) |

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数の基本 / 数と自然

下村 昭彦

x=√5+1 / 2

これは、二次方程式x2-x-1=0 の解のうちの一つです。高校1年生で習う解の公式さえ知っていれば、誰でも解ける問題です。では、この数字の意味するモノは?

数学とは、数や式の意味を追求する学問です。この数字が何を意味するのか、この数式は何を意味するのか。そして、物事を数式で表すことでより理解を深めようとする学問です。

お見せした数には二つの意味があります。その一つは、フィボナッチ数列(1, 1, 2, 3, 5, 8, 13, 21,…と続く数列)のある項とその前の項の比の極限です。そして二つ目の意味は黄金比です。

今の学校教育では、残念ながらこの二次方程式の解き方を習う際に、この式が何を意味しているのか、ということを習うことはありません。しかし、フィボナッチ数列について考えるとき、黄金比について考えるとき、この方程式が解けなければその数の意味に辿り着くことができません。

計算練習ほど面白くないことはありませんが、計算力ほど数学について考える上で重要なこともありません。いくら面白いアイデアが生まれても、計算力がなければその考えを発展させることができないからです。

数学のクラスでは、数学のおもしろさや数式の意味を知ってもらうこと、そして自ら数学を学びたいと感じてもらうこと、を最終目標としています。

中学校2年のクラスでは、主に中学1年生の復習と授業の先取りをメインに行っています。中学の数学では文章題もさることながら、計算問題の練習が特に重要です。数学においては理解し、式を立てることこそがもっとも重要ですが、計算し解答まで導かなければ理解を活かすことができません。にもかかわらず、計算問題はおろそかになってしまいがちです。

そこで、このクラスでは計算問題にも力点を置き、文章題などの発展問題に進んだときにも計算でつまづいて数学を面白くないと感じることのないよう注意しています。また、わからないところがあれば理解できるまでとことんつきあっています。数学嫌いを防ぐには、数学を面白いと思ってもらうことこそが最も重要です。生徒に数学を面白いと思ってもらえるよう、工夫を重ねていきたいと考えています。

高校生のクラスでは、学校の範囲を超えてより発展的な内容に触れることを心がけています。現在の入試制度のもとでは、残念ながら教科書だけでは入試問題に対応することができません。

ですが、入試問題は現実的な社会的・工学的・理学的問題と密接に関わっていることが多いのです。数学的な問題が実際に生活の中で活かされていることを知ってもらえれば、数学を好きになってもらえるはずです。

また、思考ゲームとしての数学のおもしろさ、すなわち論理的思考法を習得してもらうことも目指しています。論理的思考は、文科系・理科系問わず、問題解決の際に必ず必要となる能力です。数学を通して、順序立てて物事を考える技術を身につけてもらいたいと考えています。

いつか、子どもたちが無限の地平にたどり着けるように。
(2004.7)

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2010年7月2日 | コメント/トラックバック(0) |

カテゴリー:クラス

「道具力」─あるいはすっぱいぶどうの経験─

福西 亮馬

「ぼくの日本における最大の夢は、日本に数学コンテストを根付かせること」とは、数学者ピーター・フランクルの言葉です。私がその人物のことや、数学オリンピックのことを知ったのは、まさにA 君を通じてでした。

A 君は「数の世界」に来ている高校1年生ですが、学校のクラブで、友達と数学オリンピックの問題を解き合っているのだそうです。そこで、私も遅ればせながら、授業でその問題と付き合ってみようと考えたのでした。

それまでの私は数学オリンピックと聞くと、お恥ずかしい話ですが、高校時代の偏見をそのまま引きずっていました。今だから懺悔を込めて告白すると、当時は数学の授業についていくのが精一杯だった私は、いつもこう言って(避けて)いたのでした。

「そんなもの、解けたからって…」と。

だからどうなるんだと言いたいわけですが、しかしこれは、ぶどうに届かないから「あれはすっぱいんだ」と言う、きつねにそっくりな話なのでした。

さて、私たちが実際にクラスで扱っているのは、本式の国際数学オリンピックの方ではなくて、日本の予選の問題です。それでも、1問解けると「万歳」が出てしまいます。自分のひらめいたアイデアで解けると、本当に嬉しいです。そして「ある力」が試されるなあと、つくづく思います。

私はこれを『道具力』と呼びたいと思います。

ちょっと定義しておきますと、「道具力とは、補題を作り出せる力のことである」(ここで補題とは、定理を証明するために準備する別の定理のこと)

手順としては、まず問題の姿かたちから、何かをひらめきます。そのひらめいた事柄を、「確かだ」とするのが、補題です。それを鍵にして、定理を証明するのですが、補題さえでき上がってしまえば、あとは応用するだけなので、「勝ったも同然」です。逆に、補題なしでは、竹を手で切るような、手計算をするはめになります。

数学オリンピックでは、本式であれば、「9時間で6問」という、かなりたっぷり目の枠が用意されていますが、それは、計算のためではなくて、計算をしないですむ補題を作るためにあります。

その補題に、もちろん過去の数学者が作った定理を利用することも考えられます。それもアリです。ただ、それを知っていようといまいと、どのみち自分の頭から似たものを作り出せるので一緒だ、と思える、ここが大きな差となるポイントです。

もし自分で一から作り出す自信がなければ、たまたま道具があったから解けたにすぎません。ないなら調達して(その中には自作も含まれる)困難を克服することは、普遍的な力での勝負なのです。

それはまた真に将来の未解決な問題を解くための練習にもなります。

**

これは私の幼稚園時代のつたない話ですが、「似顔絵」というものは、肌色の絵の具がなければ描けないのだと、強く思い込んでいました。

ある日、「どうしたの?」と、先生がやってきて、パレットの上に橙と白を混ぜ、知っているあの肌色が、みるみると浮かんでくることに感動を覚えました。私はこの「混色の原理」を自分の物にしたくて、「どうして肌色になるのか」としつこく聞いて回った覚えがあります。質問された側は、どうしてと言われてもそうなるのだから、と思ったことでしょう。

今あの時の私が聞きたかったことを翻訳すると、その疑問は、肌色に限らず、「どんな色でも、同じようにしたら作り出せるのか」ということだったのです。たとえば茶色は、幼稚園児にとっては絵の具箱にある、おなじみの色ですが、もしなくても、橙と黒から作り出すことができます。

またそれを知らなくても、「混ぜれば何とかなる」ことを知っていれば、試行錯誤するうちに、その組み合わせに気付くでしょう。私は実際、その「組み合わせ」に夢中になる物を感じました。

これまで肌色やそれに類する色がなければ描けなかった世界が、ぐんと広がりました。桃色や黄土色は、「絵の具箱」になくても、いつでも今ある色からひねり出して、それを友達に教えることができました。そうすることで、それまで苦手だったお絵かきから、悠々自適の世界へと一歩抜け出したのでした。

同様に、私は知らないことが知識の真の限界ではないことを、痛切に感じます。反対に、「知らないから解けない」で止まってしまっていた自分が、少しずつ脱皮していくことは、苦しくもあり楽しくもあります。道具があることを知らないからではなく、作り出せないから、その意味で解けないのだとするならば、諦めなくてもいい。

こつこつと道具を工夫して、少しずつ自在になれるのならば、自分の思うように行かないことでも、そのうちに許容範囲として見られる。

「知っていれば使う、なければ作る」この単純な行為の組み合わせで、問題を解決することは、何も数学に限った話ではありません。

複雑な道具が現在の世の中を支える一方で、その道具自体を作る基礎力が次の世代、また次の世代へと受け継がれていかないと、世の中はどんなに努力しても、縮小再生産の道をたどることになりかねません。

そのことを杞憂に吹き飛ばすために、教育はますます盛んになるべしです。作り出された道具を、次の世代にもたらすだけではなく、作り出す力を育てる点でも。
(2004.10)

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2010年7月2日 | コメント/トラックバック(0) |

カテゴリー:クラス

かずの世界 (高校生)

福西 亮馬

高校数学には数Ⅰ、数Ⅱと範囲がありますが、数Ⅰとは一体何でしょうか? 数Ⅱとは? 数Ⅲとは? それはどんな内容を含めば、そう呼ばれるのでしょうか? 明確な説明ができる高校生はおそらくいないでしょう。ただし、聞いてみると、「二次方程式は数Ⅰで、でも解と係数の関係は数Ⅱで習って、そして微分は数Ⅲの範囲で、確率は…」と並べることはできます。けれどもそのせいで、数学がとても細分化された学問だと思ってはいないでしょうか? もしそうだとしたら、間違いです。

こうした誤解は、自分で手を動かさない人によく見られます。この問題は微分でなければ解けない、とか、方程式の問題だから、微分とは無関係だというような理解の仕方で留まっているのです。しかし自分で問題を作り出したことのある人は、別個と思っていた二つの物が「つながっているのだ」と認識することがよくあるでしょう。そうした喜びは、自分で何かを自分で発見しようという人でなければ得られません。

習ったことについては、なおさら、自分で導けなければならないでしょう。そしてn=2 の場合を習ったのなら、n=3 でも 4 でも拡張できるはずです。またn を無限にまで動かしてみれば、どうなるでしょうか。それを人に教えられるようなぐらい、自分で何か一つの定理を探してみれば、数学はもっと自由だと感じられるでしょう。今手を動かしてみることを、数学が拒む理由はありません。とにかく自分が「ここ」と思ったところを、深く掘り抜いてみることが大事です。

さて「幾何学に王道なし」という言葉がありますが、高校の数学に話を限定すれば、実は王道が備わっています。それは、学校で習う数学、教科書です。けれども大学生になるまでにその価値に気付くことは困難です。その困難を自分の手で切り開いてもうらことを、このクラスでは目的の一つにしています。あるときは計算に終始するでしょう、あるときは概念を聞く話になるでしょう、けれども一番大事にしていることは、「帰納すること」です。

学校の授業時間では、習いたての定理をいくつものパターンの問題に適用する、つまり演繹が主になります。一時間でたくさんの問題を解ければ、それだけ基礎が定着していると分かります。ふつう塾で言う学校の補いとは、この練習の充全をさします。しかし学校の補いといえば、もう一つあります。それは演繹とは反対に、いくつものパターンから出発して、自分なりに定理を発見すること、つまり帰納することです。帰納とは、つまり「自分で考えること」です。一つの定理を導くために、泥臭くても手を動かし、考え続けることです。

演繹では考える瞬発力、帰納ではその持久力が伸びます。両方あって両方とも意味があります。ただ学校の勉強では、後者がカリキュラムの都合でどうしても不足し、そこで自分の時間──妨げられざる、切り刻まれざる──で補う必要が生じます。けれどもめいめいそのことを自覚して、勉強に取り組んでいる高校生の集まりがどれだけあるでしょうか。「君たちもガウスのように始めたまえ。すぐに自分がガウスではないことがわかるだろうが、それでもよい。とにかくガウスのように始めたまえ」と、数学者ヴェイユは言いました。「自分のアイデアを持ってはじめよ」という意味です。アイデアには帰納が必要です。しばしば具体的、個別的な物を計算から出発し、帰納するうちに生じます。

オイラーの著書に通暁し尊敬しながらも、それに頼らずに自分の知力で、正十七角形の作図法を発見した、あの若き日のガウスの経験を、高校生たちに私もさせてやりたいと思います。私がこのクラスで主張することは、結局は一つです。「帰納と演繹を交互にしなさい。とりわけ帰納には倍の時間を割きなさい」と。学校で知識を得ることをないがしろにせず、かといってそれだけに終始しない、他の考えを受け入れ、自ら考えることもできる、そうした知性の発掘が、このクラスの課題です。
(2005.2)

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2010年7月2日 | コメント/トラックバック(0) |

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数と自然 (高校生)

下村 昭彦

x=√5+1 / 2

これは、二次方程式x2-x-1=0 の解のうちの一つです。高校1年生で習う解の公式さえ知っていれば、誰でも解ける問題です。では、この数字の意味するモノは?

数学とは、数や式の意味を追求する学問です。この数字が何を意味するのか、この数式は何を意味するのか。そして、物事を数式で表すことでより理解を深めようとする学問です。

お見せした数には二つの意味があります。その一つは、フィボナッチ数列(1, 1, 2, 3, 5, 8, 13, 21, …と続く数列)のある項とその前の項の比の極限です。そして二つ目の意味は黄金比です。

今の学校教育では、残念ながらこの二次方程式の解き方を習う際に、この式が何を意味しているのか、ということを習うことはありません。しかし、フィボナッチ数列について考えるとき、黄金比について考えるとき、この方程式が解けなければその数の意味に辿り着くことができません。

計算練習ほど面白くないことはありませんが、計算力ほど数学について考える上で重要なこともありません。いくら面白いアイデアが生まれても、計算力がなければその考えを発展させることができないからです。

数学のクラスでは、数学のおもしろさや数式の意味を知ってもらうこと、そして自ら数学を学びたいと感じてもらうこと、を最終目標としています。

高校生のクラスでは、学校の範囲を超えてより発展的な内容に触れることを心がけています。現在の入試制度のもとでは、残念ながら教科書だけでは入試問題に対応することができません。

ですが、入試問題は現実的な社会的・工学的・理学的問題と密接に関わっていることが多いのです。数学的な問題が実際に生活の中で活かされていることを知ってもらえれば、数学を好きになってもらえるはずです。

また、思考ゲームとしての数学のおもしろさ、すなわち論理的思考法を習得してもらうことも目指しています。論理的思考は、文科系・理科系問わず、問題解決の際に必ず必要となる能力です。数学を通して、順序立てて物事を考える技術を身につけてもらいたいと考えています。
(2005.2)

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2010年7月2日 | コメント/トラックバック(0) |

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数と自然

高校2 年生のクラスでは、学校の授業のペースにあわせて問題演習を行い、より深く理解することに主眼を置いて授業を行っています。

2 年生で習う数学の範囲には「図形と方程式」や「式と証明」、「微分法・積分法」など単元な分野が多数含まれています。また、センター試験で得点源となりうる「数列」や「指数関数・対数関数」などの分野もあり、ひとつとしておろそかできる単元がありません。

したがって、日々の授業の中でしっかり定着させる必要があり、毎回の授業の中で演習、解説の繰り返しを行い得点とする力をつけていっています。さらに、高 1 の内容についての復習を行っており、まずはセンター試験レベルの問題を確実に解けるよう繰り返し演習を行っています。
(2005.11)

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2010年7月2日 | コメント/トラックバック(0) |

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