『山の学校で学んだこと』

幼稚園児だった時には一段一段一生懸命登っていたお山の幼稚園の最初の階段。高校を卒業し、大学に入ろうとしている今では一段飛ばしで登るようになりました。毎週水曜、夜の8時から始まる「数の世界」に中学3 年の終わりごろに通い始めてから3 年が過ぎました。「もう3 年」と感じるほど高校生の日々はあっという間に終わってしまいましたが、「まだ3年?」と感じるほど、数の世界に通い福西先生に教わることが自分にとって当たり前になり、なんだかずっと昔から行っていた気さえします。

通い始めた頃、そこには高1 の先輩が2 人いました。他の学年の人たちと一緒に勉強をすることがそれまでなかったので、「どんな授業になるんだろう」と期待する半面、「1つ学年が下の自分がついていけるのだろうか」という不安もありました。しかし、それは私の杞憂に終わりました。3人がそれぞれ自分のレベルに合わせた問題や興味のある問題を解き、それを他の2人に発表するという形式のとき、自分の解き方の間違いを指摘してもらったり、より分かりやすい簡単な解き方を教えてもらったりと、まるで先生が3人ついているような贅沢な気分になりました。逆に先輩の発表の時にはまだ自分の知らない公式や記号をスラスラと書いていく姿にただただ「すごい」と思い、果たして私も同じように問題を解けるようになるのだろうか、と1年後の自分に思いを馳せることもありました。全員が1つの問題に取り組むときには、解き方の方向性を決め、どうすれば答えに辿り着けるか考えを出し合い、初めて数学の問題について議論をするということを経験できました。

私が高校3年になり、先輩方は「数の世界」を卒業され、先生とのマンツーマンの授業となりました。私の通っている高校のコースは高3で大学の数学の授業を取ります。内容が難しいためわからなかったところ、難しい問題を持ち込むことが多くなりました。大学の数学を意識した問題集を使うこともありました。学校での数学の勉強には時間制限がつき物です。テストは当然のこと、宿題にしても授業中の演習問題にしても時間との闘いや焦りが常にありました。しかし、お山の学校にはそれがありません。1つ1つの問題を解くのに時間の縛りがなく、落ち着いて問題と向き合える、問題を考えることができるから、いつもだったら解けそうに無くてとばしてしまうような問題でも自力で解くことができました。解けた時の達成感、「時間をかければ自分でも解けるんだ」という自信から自然と出てくる笑顔は多分、自分の中で一番の笑顔になっているんじゃないかと思います。1回の講座の間に解けなくても、次回に持ち越しの宿題にすることもありました。3週ほど持ち越して、先生と2人で「うーん」と唸りながら頭をひねることもありました。「こういうやり方はどうだろう?あー行き詰るなぁ…。じゃぁこっちは? お、いけそう!」と試行錯誤を繰り返していると本当に時間が経つのが速く、8時から始めて気がつくともう9時、なんていうのは毎度のことです。あと30分、と思っているとそんなのはあっという間に過ぎていきました。

そして、お山の学校での学びの中で思うのは、高校や中学で習うことの大切さでした。学校で教わる公式や原理などをちゃんとおさえておかないと問題を解くことは難しいです。ただ、あくまでも学校で詰め込まれる知識というのは、道具とその使い方だと思うのです。その道具で何ができるのか、どんな場面で応用できるのかまで教えてくれるほどの時間はありません。科学の研究がどんどん進み、化学、物理、生物の授業内容は増えていくと思います。社会、歴史の教科書には当然毎年の出来事が書き加えられていきます。新しく教科が増えることもあるかもしれません。けれど、やることは増えても時間は決して増えません。だからこそお山の学校のようなところで、知識を使って何が出来るかをじっくり考える時間というのが大切で必要なのだと思います。

(2008 年3 月K.T.さん)