福西 亮馬

京都は大学も多く、学問の町だと言われます。私はそれを大文字山の「大」の字から見下ろしたときに実感します。

私が数学を好きになれたのは、大学に入ってからのことです。これまでの勉強を見下ろして「あれはこっち」「それはあっち」と、有機的に位置づけられる思いがしたからです。しかし高校までは、息の上がる山道でした。好きではなくて、ただあきらめずについていく、という感じです。

私が高校の数学の先生に「何の科目が好きか」とたずねられて、上気して「数学が好きです」と答えたら、「君が?」と笑われたことを思い出します。あれは駄目だと思いますが、それでも、あきらめなかった原因は何かと振り返ると、それは小学生のころの思い出です。

自分からやる気を起こして解こうとした一題と、しばしばではないにせよ、母親に見てもらった宿題のことが思い当たります。

私には六年生の頃、図形の面積を求める問題で、「中学入試のだから」と、解けても解けなくても一向に構わず素通りした一題に、俄然やる気が出たことがあります。そのころは放課後に「しっぽ取り」がはやっていて、私の好物の遊びでしたが、でもそれよりも、朝礼台の牢屋につかまっている間は、校庭の砂に、三時でも四時でも図を描いて解こうとしていた覚えがあります。

別に受験するわけでなし、ただその興味を内に絶やすまい、だれかに先を越されまいという思いに支えられて、西日を気にしながら、また解けたらどんなにかすごいだろうという気がして、家に帰っても、空に覚えたその図形を宝の地図か何かのようにしてうなっていたものです。

結局それは解けずじまいで、何日か経ってからまた思い立っては考え、やはり解けず、あとでたった一本の補助線を見つければ解けたのだということを知ったのです。今でもその時の残念さと健闘ぶりは胸に蘇り、また自分からやり出した、ほとんど初めての「冒険」だったと知るのでした。

さて次は、母が見てくれた宿題のことです。あれは忘れもしない、そろばんの宿題でした。夕飯の支度が始まる前だったか、母と二人で、小さなテーブルで向かい合って、でも私は目の前に本を立てて、手元が見えないようにし、パチパチ言わせながら、実は後ろの解答を写していたのでした。そして「できた!」と言いました。

私はそろばん塾に通っていたので、学校の宿題としてのそろばんは、いまさらという思いがしたので、すぐに済ませる力はあっても、やる気がなかったのです。それで策を弄して時間を潰していたのでした。

今思い出しても、あの瞬間は不思議です。私には自信があり、母には直感がありました。早い「おしまい」にピンと来た母は、すぐに嘘を糺し、叱りだし、目に涙を浮かべたこと、母が宿題をせっかく見てくれていたのに、自分は申し訳ないことをしたのだと思ったことです。

母との算数の思い出はもう一つあります。文章題で、母はx を使った解き方を教えようとし、私は「学校で習ってへんやり方はしたらあかん」とがんばったことでした。我ながら、小学生は恐るべき保守派だと思います。結局これは母が根負けして、「なら自分でやりよし。せっかく解けるように教えてるのに」と、それっきりになったのでした。

これは駄目なやり方の例で、母がx を使わない方法を十分に教えられなかったせいでもありますが、けれども、私の方もまた後になって、自分の頑固さを恥かしく思うので、それを思い出すたびに純化されて、宿題を見てくれた感謝だけが残りました。

結局中学に行っても、高校に行っても、大学に入るまで数学を嫌いにならなかった理由は、「孟母断機の戒め」ではないですが、こうした思い出の錦が断たれることをもったいなく感じたからでした。

私なりに今まで感じてきた勉強とは、次の二つです。一つは、自分で見つけた問題に情熱を持つこと。もう一つはその情熱を感謝に変えることです。

数学は古くからある学問なので、学校で習うことはいいも悪いもすでに道ができており、順番どおりにやりさえすれば、自力で理解できるようになっています。山に分け入って、登山道とそうでない道とは、だいたい人が歩きもし整備もされているので、迷わないのと同じです。

しかし「まだ習っていない」から「まだしなくてもいい」というのは、学問的態度ではありません。しようと思えば、いくらでも先へ進むことができるし、またそうした道が実は用意されていることにも気付いてほしいのです。

塾に、あるいはこの山の学校に通ったら「教えてもらえる」という気持ちがあっては駄目です。勉強はしてもらうのではなくて、するものだからです。私は五年生でも、六年生のことを自力で結び合わせ、中学生のことまで到達してくれるような人物を励ましたいのです。

リーマンはルジャンドルという人の書いた数百ページの数学書を、父親の目を「盗んで」、十代のときに読み通したといいます。それで父親がその子の天分を認め、牧師の家系でしたが、数学を学べる大学に行くことを許したといいます。

勉強は電気を消されたら、たちまち続けることはできません。そのように親の許しがなければ、できないものです。勉強はしてもいいと言われて、させてもらっているのです。

情熱と感謝、この二つの糸の縦横が、勉強という錦だと、私は思います。公園の砂場で、水道管の出現を口惜しいと思うくらい、とことん掘り抜く情熱がある一方で、晩には家に帰らなければなりません。家の人が心配するからです。授業中に勉強の仕方が分からないから聞く、ノートの取り方を工夫することなどは必要なことです。ですがそれだけでは十分なことではありません。

自分からやる気を出し、そして学ぶ環境を与えてもらっていることを子も知り、親もそのことを伝えられるような工夫が、何より小・中・高校生において勉強の要だと思います。
(2004.3)