山下 育子

レイチェル・カーソン(米国の海洋生物学者でありベストセラー作家)は、『センス・オブ・ワンダー』という本の中で次のように書き記しています。

『わたしは、子どもにとっても、どのようにして子どもを教育すべきか頭をなやませている親にとっても、「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではないと固く信じています。子どもたちがであう事実のひとつひとつが、やがて知識や知恵を生み出す種子だとしたら、さまざまな情緒や豊かな感受性はこの種子をはぐくむ肥沃な土壌です。幼い子ども時代はこの土壌を耕すときです。』

子どもの頃にこの自然を感じ取る心を養い、またそれを仲間と共有する経験を重ねれば、将来、仮に心のバランスを崩しそうになったときにも、再び元気に一歩を踏み出していくことができるのではないかと思います。

昔、「たまごっち」というおもちゃが流行りました。このおもちゃを与えてもらった子どもは、一生懸命人工の “子ども”の世話をし大切に育てます。ところが、そのうちどうしても世話ができなくなる時がやって来て、残念ながらたまごっちは死んでしまいます。とても悲しく初めは涙が出てくるほどですが、子どもはやがて電源をリセットするともう一度「命のやり直し」ができることに気づきます。「リセットできる命」。ここが、私としては何とも受け入れられないところでした。身近な昆虫であるアリやトンボを、手のひらに包み、大切に思うばかりに羽が取れたり動かなくなってしまったような経験、また買っている犬や猫の死からたった一つしかない命の尊さを身をもって経験することの方が、自然に生かされている私たちにとっては遙かに大切なことだと思います。

「しぜん」のクラスでは、上に引用しましたレイチェル・カーソンの言っている、情緒や感性である土壌を耕すべく、五感や感性を育むことを大切にしたひとときを過ごすようにしてきました。

この1 年のクラスを振り返るとき、四季が刻々と変化するお山の自然の中で、目で見て、手で触れて、空気のにおいや水の流れ、土の感触を感じながら、自然の中の美しいもの、不思議なものの存在に気づき、仲間とその喜びを分かち合うことができたように思います。

「しぜん」のクラスを通し、私がいつも嬉しく感じたことは、どの子も“しぜんのめがね”を持っていること,すなわち、自然の中に何かを見つけ楽しむ心のゆとりを持ち、それを子どもたち同士が一緒になって楽しむ心をもっていることでした。

山を登ってクラスにやってくる途中、子どもたちは木の実や土つきのコケ、草や葉っぱなどを見つけては、毎回お土産のように持ってきてくれました。そうした子どもたちの感動のプレゼントを前にし、みんなでその子のお話を聞くことからクラスの時間が始まっていきました。

来年度春学期からも、自然の中に身を置くことの大切さを意識し、子どもたちとセンス・オブ・ワンダーを共有する時間を大切にしたいと考えています。
(2005.2)