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6~7月イベントのご案内 ―― 7月は「将棋道場トーナメント」開催

2018年6月〜7月のイベントをご案内致します(2018/06/12更新)。会員に限らずどなたもご参加頂けます(いずれも無料です。)。 定員がございますので必ずお申し込み下さい(※)。 ※申し込み後のキャンセルも必ずご連絡下さい。 ※事前にお申し込みの無い方、また、対象外の方は、当日お越しになってもご参加頂けません。

英語特講
6/18(月)18:40~20:00
7/9(月)18:40~20:00

対象:中学・高校生
場所:山の学校教室
担当:山下あや
*それぞれの生徒に応じた問題を用意し、時間内でひたすら問題を解き続けてもらいます。それぞれの答案の採点をその場でしながらコメントしていきます。
*事前にお申し込み下さい。

 

何でも勉強相談会
 6/25(月)18:30~21:30
 7/30(月)18:30~21:30

対象:中学・高校生
場所:山の学校教室
担当:浅野直樹・浅野望
*講師が勉強や進路の相談などを幅広く受け付けます。事前にお申し込み下さい。

将棋道場「トーナメント大会」
 7/9(月)16:00~18:00

対象:小学生
場所:山の学校教室
座主:中谷勇哉
定員:15名先着
*トーナメント形式のオープン戦です。詰将棋の問題をみんなで考えたり指し手について学び合う時間もあります。

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2018年6月13日 | コメント/トラックバック(0) |

カテゴリー:イベント

そうだ、ラテン語やろう!――今なぜラテン語なのか

山びこ通信2017年度春学期号(2017.06.27発行)より、巻頭文をご紹介します。

そうだ、ラテン語やろう!――今なぜラテン語なのか

山の学校代表 山下太郎

 私はこのたび縁あってラテン語の作品(キケローの「スキーピオーの夢」)の注釈書を書きました1 。専門書ではなく、初学者向けの独習書です。「ラテン語講習会」 2 の教材を元にしたもので、初級文法を終えた人を念頭に置いた丁寧な解説を心がけています。原文の一字一句すべての単語に文法的説明を施し、文脈に即した訳語と逐語訳を添えました。以下、この本を書いたねらいと、なぜ今ラテン語か?ということについて、思うところを述べます。
 「ラテン語」と聞くと、「難しい」というイメージをもつ人が多いようです。英語が苦手な人にとって、英米人が「苦手」と告白するラテン語は、きっと英語の何倍も難しいのだろうと想像するのは自然なことです。しかし、それぞれの言語をまったくのゼロからスタートした場合、ラテン語の発音は基本的にローマ字読みでよいので、英語よりもとっつきやすいのは事実です。

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「三つ子の魂」の行方──幼児教育と学校教育をめぐって

山びこ通信2018年度春学期号(2018.02.28発行)より、巻頭文をご紹介します。

「三つ子の魂」の行方−−幼児教育と学校教育をめぐって

山の学校代表 山下太郎

 英語で「子ども」をインファント(infant)と言いますが、原義に照らすと「言葉を話せない者」という意味になります。赤ちゃんもそうですが、言葉を自由に操れない小さな子どもたちは、大人に何かを訴えるとき、言葉より行動や態度で──泣いたりすねたり怒ったりして──様々なメッセージを送ります。発する言葉も字句通りに受け取れないケースが多々あります(「きらい」は「すき」の意味であったり)。周囲の大人が、そうした「声なき声」も含めた子どもの「心の声」に日頃から注意深く耳を傾け、彼らの「心そのもの」を理解しようと努めるかぎり、子どもたちは安心して自分の思いや考えを「言葉」に託して他者に伝えるようになります。

 この「安心」を子どもたちが幼児期に日常的に実感できるかどうか。これは子どもたち一人一人の人生にとっても、また子どもたちを受け入れる社会にとっても、大きな意味を持ちます。子ども同士の言葉のやり取りは、大人から見れば不完全で、しばしば誤解や争いに発展します。相互理解のためには、ときには大人が間に入ってそれぞれの「心の声」を「通訳」して双方に──ときには保護者に──伝える必要もあります。「過保護」でもなく「放置」でもなく、程よい頃合いを見計らって、程よい言葉を足したり引いたり、なぐさめたり、励ましたり。幼稚園の先生の仕事の一つは、そうした子どもたちの心を理解し、「通訳」をすることだと思います。

 幼少期に限らず、自分の思いや考えを心から共感してくれる大人に囲まれて育つかどうかは、小学校以上の学校教育においても、大きな意味を持つと考えられます。学校教育の基本は言葉を用いて行われます。授業も、友だちとの会話も、様々なクラスの活動も、言葉なしには成り立ちません。その言葉のやりとりに子どもたちが自信をもって臨むことが学びの基本ですが、その鍵を握るのが幼児教育であり、家庭での言葉のやりとりです。

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温故知新と西洋古典

山びこ通信2017年度秋学期号(2017.11.08発行)より、巻頭文をご紹介します。

温故知新と西洋古典

山の学校代表 山下太郎

 「古今東西」という言葉があるが、「東の今」を生きる日本人にとって、一番距離の遠いのが西洋の古典(クラシックス)である。ここで言うクラシックスは音楽のクラシック(西洋古典音楽)のことではない。クラシック音楽なら幼稚園の子どもでもピアノを習って親しんでいる。他方、西洋文明のバックボーンをなすクラシックス(西洋古典学)に我が国の教育は無関心を決め込み、子どもたちが学校教育で接する機会は皆無に近い。
 一例として、プラトンやキケロの翻訳を読み議論する機会が学校で用意される世の中になればと心から願う。これらは西洋の古典であると同時に、人類の古典でもある(音楽のクラシックがそうであるように)。それが難しいとしても、せめて国を代表する政治家を志す若者には、西洋古代の哲人たちが国家について何をどう考え、どう論じたか、学んでほしい。
 グローバル時代と言われて久しいが、我々はいまだ和魂洋才の呪縛から逃れることができずにいる(今は和魂の学びも怪しい)。古典は社会の常識を作る。戦後古典をなおざりにしてきた弊害が今の世相に表れ、前代未聞の非常識が連日のように新聞を賑わせている。西洋古典は世界の常識を形成する。日本は自国のことだけを考えてよいわけではない。地球の未来、人類の未来に責任を持つために、東洋の古典とともに西洋の古典を学ぶ必要がある。

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