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ロボット工作

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2010年7月31日 | コメント/トラックバック(0) |

カテゴリー:クラス

漢文クラス開設のお知らせ

山の学校では、秋学期より漢文クラスを開講いたします。一般会員はもちろん、高校生会員のご参加も歓迎いたします。開講に向けての準備期間を確保するため、受講希望の方はお早めに参加のご意志をお知らせ下さい。「講師の言葉」にありますように、「漢文講読」に関しましては、お読みになりたい作品名を挙げていただいても結構です。

講師:村田澪先生
京都大学文学研究科文献文化学専攻中国哲学史専修博士後期課程

開講クラス:
1「漢文入門」
基本的な構文や主要な助詞といった語法の習得を主とし、また原文の解釈を訓読という方法で示せるよう訓練する。テキストにはセンター試験に出題されるレベルの平易な短文を用いる。

2「漢文講読」
自分で辞書を引いて読解できる力を養うことを目標とし、内容に関するディスカッションも交えたい。テキストには陶淵明の詩文を用い、「桃花源記」といった散文作品から始める。

講師の言葉:
日本でよく親しまれていることから陶淵明を挙げましたが、受講される方の要望にできるだけお応えしたいと思います。歴史に興味があれば『史記』や『漢書』もいいでしょうし、文学がお好きであれば詩も読みたいと思います。そのほか、毎回少し時間をとって『論語』を一条ずつ解説したり、所謂「素読」をしてみるのも面白いかもしれません。

第一回目の授業について:

第一回目は受講生の方のレベルチェックと、参考書や辞書の使い方、最も基本的な構文の説明等をするつもりですので、予習は必要ありません。第二回目から課題文の予習をしてきていただきたいと思います。

「教科書」ですが、特定の教科書を使う予定はなく、こちらでコピーを用意してお渡ししようと思っております。ただ、予習の際に必要な辞書と参考書として以下のものをお薦めします。

戸川芳郎監修『全訳漢辞海』三省堂
小川環樹・西田太一郎『漢文入門』岩波書店

いずれも新刊書店ですぐに手に入るものです。後者は古書でもよく見かけます。
漢和辞典はすでにお持ちかもしれませんが、『漢辞海』には丁寧な語法解説がついているので、勉強に役立つだろうと思います。

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2010年7月17日 | コメント/トラックバック(0) |

カテゴリー:クラス

しぜんの過去記事

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2010年7月15日 | コメント/トラックバック(0) |

カテゴリー:クラス

山の学校の目指すもの――本物の勉強をしよう――

山の学校が大事にしていることが二つあります。一つ目は基本の重視、二つ目は応用の重視、です。なんだ、当たり前のことじゃないか、と思われるかもしれません。しかし、山の学校が大切にしているのは、「本当の」基本、「本当の」応用です。基礎が大切と言いながら、「先へ、先へ」進みたがる傾向が世の中にはあります。

山の学校ではしつこいくらい基本の復習を重視します。ここを大切にすることで自信がつき、勉強が俄然楽しくなるからです。たとえば、英語が苦手だという高校生は、中学一年生の勉強から確認すべきです。中一の英語は簡単ではありません。日本文だけを見て、間違いなく元の英文がすらすら書けるでしょうか。

「無知の知」という言葉があります。「わからない」、「できない」という意識のまま、多くの人はそこで止まってしまいます。やがて現実から目をそむけ、事実にふたをし、見て見ぬふりをする。つまり「無知の無知」を決め込みます。これでは勉強が面白くなりません。野球で言えばキャッチボールを大事にする。プロもキャッチボールをします。しかし、プロらしく、正確に。高校生は高校生らしく、中学の復習をやることで、ぐんぐんやる気と自信が回復します(すでに自信のある人はもっと、もっと)。

しかし、問題はその先にあります。「本物の応用力」を身につけてこそ、勉強は楽しくなるのです。ではその応用力とは何か。たとえば、音楽にせよ、絵画にせよ、本来、人間にとって何かを表現することは根元的な生きる喜びにつながります。それに対し、学校や塾で重視される「正解の決められた○×試験」は、誰がやっても同じ結果になることが期待されています。試験も大事ですが、100点満点の枠組みの中で自分を位置づけるだけで終わっていてはもったいない話です(じつは、「本当の基礎」の勉強を徹底することで、試験で困ることはなくなります)。

たとえば、国語や英語の授業を思い出してみてください。先生が黒板にかかれた模範解答は試験に出るという理由でせっせとノートに書き写しますが、自分の考えを文章によって表現したり、他人の前で発表したりする経験は、学校や塾ではほとんど経験することがないのではありませんか。

山の学校では、科目を問わず、文を書くこと、自分の意見を表現することを大切にしています。それが学びの楽しさの本質につながることであり、また、社会に出てから重視される力だからです。テーマに即して文章を書くとき、山の学校の先生は、単に生徒の答案を添削する立場ではありません。同じテーマについて、自分も同じ書き手、発言者として授業に参加し、意見を発表します。それぞれの参加者が互いの意見を尊重し、自分の意見を「磨きあげる」貴重なきっかけを得るのです(先生も、です)。あくまでも主役は自分ということになります。

「自分の」意見を表現するのですから、そこに正解はなく、最初はとまどうかもしれません。しかし、単なる感想を述べ合うのではありません。自分の意見に説得力をもたせるためには、なにより「論理的思考力」がものを言います。これを鍛えることは、基礎力の鍛錬と並び、たいへん大きな意味を持つと考えますが、これを磨く機会がほとんどないのが今の日本の実情です(スポーツで言えば実践形式の試合を経験しないようなもの)。

さて、じっくり本物の勉強に取り組みたい会員は、小・中・高校生にかぎりません。山の学校には大学生、一般社会人対象のクラスもあります。今年の四月から、ラテン語の文法、講読のクラスに加え、ギリシア語文法、古文、漢文の講読クラスもスタートしました。真摯な学びの前に、年齢は関係ないとつくづく思います。山の学校の具体的な取り組みについては、ブログにて日々情報発信していますので、興味をもたれた方はぜひ一度ご覧ください。

山の学校代表 山下太郎

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2010年7月14日 | コメントは受け付けていません。 |

カテゴリー:巻頭文

山の学校『かいが』クラス開講にあたって

■基本理念

1.こどもたちの好奇心・創作意欲にまかせ、表したい物事・表す素材と、心ゆくまで向き合う時間とする──「鉄は熱いうちに打て!」

例えば毎回、白い画用紙を提供し「はい、自由にすきなものを描きなさい」と言えば、それなりに教室らしきものが成立するのかもしれません。一定時間、同じ部屋で、互いの創作を見ながら刺激し合う事は、有意義でしょう。

しかし、好きに絵を描いたり、工作をしたりすることは、ものづくりの好きな子供なら、誰に言われるともなく教室外でそれを実践しているものです。それでも教室に志願して来るという事は、単純に「描く事、創造する事が好きだから」という理由の他、何らかの期待、好奇心を抱いているからであり、何よりも先生や友達、誰かが「見ていてくれる」という環境を無意識のうちに望むからだと思います。

「何かおもしろいこと」を期待する声に応え、みんなが時間を共有する事の意味を深められるようなクラスづくりを目指したいと思います。

そのためにまず、各々が抱いている興味や、教室で何をしたいか、どうして教室に来ようと思ったか、小学校の図画工作ではこれまでどのようなことをし、何が楽しかったか等々、一人一人の声を聞き、対話することからはじめます。

また、一年間の組立てや目標は事前に定めておきますが、それらに子供たちの意見や発想、「これがしたい!」という気持ちを重ね合わせながら、内容や時間配分の柔軟な調整を行うつもりです。「こうでなければならない」という考え方は、とたんに創作活動を面白くなくさせます。

「こうしてみよう」「ああしてみよう」「これをしてみたい」という、生徒の発想や熱意を大切にし、皆で一緒に教室を作っていきたいです。

また、とことん納得の行くまで取り組むことが許されている、そんな時間の流れている教室にしたいと思います。何の気負いもなく、夢中になれる。これこそが、こどもたち誰もが持っている最大の才能だと思うからです。熱い鉄を打ちまくって欲しいと思います。

2.こどもたちの好奇心を高め、発想を広げるための「きっかけ」をつくる。

素材、技法、こんな面白い事をした芸術家がいる等、新しい知識を得る事で、創作の幅は間違いなく広がっていくものです。教室では時々、具体例を見てもらったり、時に実演を伴いながら技法や手順の説明をしたりします。ただし、あくまでよき「ヒント」として留め、制作の幅を限定してしまうような「先入観」とならないように注意するつもりです。

例えば、ある制作が終わった後、互いに発表し、感想を述べ合い、その際に初めて作家の作品等、具体例を紹介するようにします。友達、他者の発想を知れば「今度はもう少しあんな風にしてみよう」と、新しいアイデアや、動機が生まれる事でしょう。同じ取り組みを幾度か繰り返してみることも、豊かな表現にとって必要なことです。

技法に関しては、「描くものと、描きつけられるものさえあれば、絵は描ける。」という自由な見方を失わないためにも、またそうした自由を獲得させるためにも「画材の持ち味」や「基礎的技法の仕組み」について理解することも大切です。まず、そのための色々な課題に挑戦してもらい、応用編となる自由制作へと繋げていけるような流れ、様々な引き出しから各々が発想し、工夫や実験を重ね、自ら学んでいく姿勢を大切にします。

3.描くことは「発見」すること

『かいが』では、山の学校の特徴的環境を生かし、身近な自然を観察する時間を大切にします。何かを「見て描く」という行為は、対象に想いを巡らせ、物事を捉えんとする積極的眼差しを養い、そこから色々な事柄を見出す経験です。このプロセスこそが大切であると考えます。

-ものごとを発見する
なかでも「自然」は絵画にとっての最良の先生です。山や空、草花や生き物の形態は、真理めいた美しさに満ちています。色や質感、形それ自体が、そのもののありようであり、生きざまであるからなのでしょう。そこには力強い「意思」があるようです。彼らから得られる無数の「発見」が感動を生み、そのまま描きたいという衝動に繋がるはずです。描く対象が人であるなら、その人の心をまでも見つめる事になるでしょう。描く事は、対象(の本質)を見出す事であり、さらには対象に愛着を見出す事でもあると感じるのです。

-素材を発見する
一方、描く事は、そのための素材と向き合うことでもあるので、それらとじっくり向き合い、持ち味を生かそうと試行錯誤する中でうまれる工夫や「発見」もあります。基本的には身近で素朴な材料を用いますが、本格的な水彩紙や、様々な動物毛の筆に触れ、新しい発見をしてもらうことも考えています。

-ともだち・じぶんを発見する
また、教室では「互評会」の時間を設け、大事にます。どれ一つとして自分とは同じではない、友達の絵の中に、新たな友達の一面を「発見」する事でしょう。それは、自分自身を発見する事でもあります。

そのように、各々が違った感性、「らしさ」を持っている事を認め合い、讃え合うことが何より肝心です。「芸術に答えはない」というのは、言い替えれば「無数に答えがある」ということです。無限の可能性の中からたった一つの答えを勝ち取る事の喜び、讃え合う事の喜びを、皆さんと共にしたいと思います。

創造する数だけの成功が生まれる、そんな意識を持って欲しい、臆する事なく表現することの力強さを知って欲しいです。或は既に、こどもたちは無意識にそれを知っているのだと思います。

だからこそ、その感覚を大切に守りたいと思います。各々が感性に目覚め、それらを存分に発揮する事が出来れば理想的です。感じる事で見出される真実を、どんどん作品に焼き付けていって欲しいと願っています。

■こどもたちに伝えたい事いろいろ

・「視点」を持つ事の面白さ

例えば、「一本の木を描きたい」と思ったとする。「さて、どんな風に描こうか・・・」と考えてみる。その木と出会った瞬間、「あ、いいなあ」と感じた瞬間に立ち止まり、無心に描き始めるのもよいだろう。

さらに、その木の「いいところ」をもっと知りたいと思うかもしれない。そんな時、きっと、もっとその木に近づいてみたり、裏へ回ってみたり、色々な場所から見てみたくなるだろう。

どこから見るか、どこまで近づいて見るか、どこまで遠ざかって見るか、それは全くの自由だ。決まりなんてない。「どう見るか」それを考える楽しさ。そして、出来上がった作品を互いに見せ合うときに発見する「違い」の面白さ。これを味わってほしい。

・「好きな色」を持つ事の嬉しさ
「このりんご、真っ赤っかで、おいしそうだなあ」
と思ったら、その赤を、こっそりと盗んでしまおう。それは、君だけの赤になる。

「この葉っぱのみどりは、鮮やかできれいだなあ」
と思ったら、そのみどりを、こっそりと盗んでしまおう。それは、君のみどりだ。

絵の具のチューブをしぼって、塗ったり、混ぜ合わせたりした時、
「あ、この色、素敵だな」と思ったら、それは、君の色だ。その色で、君の描きたい世界を染めてしまおう。もっとも、「すきな色」なんて、持たなくってもいいんだ。色々な、その時々に見た色、感じた色を、可愛がって、描けばいいんだ。

・「好きな画材」に出会う喜び
教室では出来るだけ様々な画材(水彩、アクリル、色鉛筆、コンテ等々)を体験してもらい、味わいを知ってもらいたい。その中でいつしか自分の気質に合った画材が見つかるかもしれない。

更なる表現を追求すべく、それらを積極的に使用して制作に取り組んでもらうのもよいだろう。画材の持ち味や、お気に入りを分かった後では、できるだけ生徒の要望に応え、必要とする画材を提供し、指導していきたい。

・観察、発見の喜び、何を描きたいかを考える楽しみ
物事を観察すればするほど、発見にはきりがなく、気づかなかった事に沢山気づき、そこには驚きや喜びがある。それはそのまま「描きたい」という衝動に直結する。自然の事象を観察する事を通して、感動はそこら中に満ちあふれていて、見いだす事が出来るのだということを体感して欲しい。(あるいは子供たちは既に、そのことをよく知っているのかもしれない。)

そこから、「そのものの、そのものらしさ」は何だろう、と考えたり、質感や形を発見したり、「そもそもどうしてこんな色かたちをしているのだろう」と考えたりすることで、そのものに対する興味や愛着が深まって行き、あらゆる分野へと関心が連鎖していく楽しみも知って欲しい。それを止めないで欲しい。

・気持ちは本当に絵に込める事ができる
家族や友達、大切な人、大好きな人に、見て喜んでもらいたい、プレゼントしたい、と考えて絵を描くときほど、筆が走り、楽しい充実した時間はないと思う。そして、そうした想いは、自ずと表現に磨きをかける事につながると思う。

また、優しく、優しく・・・と心で唱えながら描けば、優しい線やタッチになり、力強く、力強く・・・と心で唱えながら描けば、そのような表現となるのは本当である。

どんな風に描こうか・・・と思案する。このことは「技法の発明」に繋がると思う。やり方を考える事こそが楽しい。その時、ヒントとなるいくつかの基本的技法の引き出しがあれば、それを応用していく事が可能となり、これがまた楽しい。

■その他のねらいー『かいが』クラスのルール

・道具やものを大切にする。
・ともだちの感性を大切にする。
・時間を大切に、一生懸命たのしむ。

(文責 梁川健哲)

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2010年7月13日 | コメントは受け付けていません。 |

カテゴリー:クラス

「離れ」お目見え

離れの写真

離れの写真

従来の大人向けクラスに加え、イタリア語など新しいクラスもラインナップに加わります(>>詳細)。午前も午後早めのクラスもオープン。9月からのカリキュラム、スケジュールをご覧になりたい方は、お申し出ください。>>フォームメール

通称『離れ』は、現在の山の学校(母屋)の向かいにあり、名栗の木製アーチをくぐります。窓には、樫、桜、榎などの緑が一面に広がり、木々の合い間からは京都市街や西山が望めます。思わず翼を広げて飛んでゆきたくなるような景色のなか、そっと椅子に腰をおろし、夏ウグイスのさえずりや清けき葉ずれの音に耳を傾けていると、いつしか心静かにゆっくり呼吸していることにも気づかれるでしょう。母屋と同じくとても古い家屋に手を加え、この春、心地よいスペースにしあがりました。青い風を感じつつ、時を忘れて学んでいただくことができますように。(山下育子)

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2010年7月13日 | コメント/トラックバック(0) |

カテゴリー:その他

ことば

山下一郎

山の学校の“ことばの教室”がスタートを起こしてから、ほぼ3ヶ月経過しました。

53年間の園生活の経験はあるものの、小学生相手のことば指導──作文指導は全く初めてのことですので、何からどう手をつけたものかと戸惑いながらも、私が日頃日本語に対して抱いている思いと、長年の幼児との触れ合いから得たものとをミックスさせながら、学校でもなく、塾でもない、オリジナルなことば教室の創造に向けて、焦らずじっくりと取り組んで行こうと心がけて、今日に到りました。

作文教育の前にまず手掛けましたことは、友達の前でのお互いの口頭発表でした。口頭発表と作文との相関関係を意外に思われるかも知れませんが、人前で発表するということは、頭の中の原稿用紙に、伝えたいことを刻々と纏めながら綴って行く、かなり難度の高い作業でして、この原稿用紙のない作文は、原稿用紙に書く作文のように書き直しが効きません。

言い直しはできますが、かっこよくありませんから、誰しも避けたいところです。ですから初めは原稿用紙でいえば、ほんの2行か3行程度の発表に止まっておりました。しかし、自己紹介から始まって、自分の生い立ち、自分の名前の由来など、回を追うごとにお互いに打ち解けてきたせいもあってか、何回目かに行った、ご両親にはナイショで“お父さん、お母さんのステキなところを見つけてくる宿題”の発表の折りには、生き生きと得意げに、しかも、けっこう時間をかけて伝え合うことが出来ました。

こうして、鉛筆を持たない作文、口頭発表による作文のトレーニングを重ねる一方、話の読み聞かせ(初めの間は紙芝居の鑑賞)も毎回行ってきました。そのつど、あとで感想文を書いてもらっておりますが、これも、現段階では作文教育で求められる、細かい言い回しや“てにをは”などにはあまりこだわらず、話の内容をどれだけ的確に把握できたか、その内容を、ひとりひとりはどう受け止めたか、どう感じたか、といった観点に重きをおくことにしております。

文法にとらわれないためか、自由な発想で個性豊かに感想が述べられておりますので、どの生徒の感想文にも褒めるべき箇所が、必ず1、2箇所は見出せます。そこを称揚します。認められることは自信につながり、次のやる気にと発展します。

先ずは、書こう!書きたい!の気持ちを持ってもらうことが先決なのです。と同時に生徒達は、感想文をあとで書く必要もあって、話を聞くときは目を閉じて静かにこころを集中させながら、静寂の気配にひたっています。このような雰囲気を、現代の子ども達はどれだけ味わっているでしょうか。

一方“ことば遊び”と称して、学年ごとに押さえておいてほしい、漢字の読み書きなどを含めた国語の基礎的な問題点と、ゲーム感覚で楽しく取り組んでもらうため、毎回、各学年毎の問題の作成にも腐心しております。

だいたい以上が、“ことばの教室”のこれまでたどってきた主な経緯ですが、土砂降りの日も、遠足でくたびれたその日も、山道を勇んで駆け上がって来る生徒達の元気な姿に接しますたびに、また次の週への“お話選び”や“問題作り”に意欲を燃やしている今日この頃です。
(2003.7)

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2010年7月10日 | コメント/トラックバック(0) |

カテゴリー:クラス

ことばの風景

福西亮馬

『さんご』――さんごの物語

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2010年7月10日 | コメント/トラックバック(0) |

カテゴリー:クラス

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