福西@かずです。
1、2年生が九九に多少の興味を持ち始めているので、こんなのを作ってみました。

コツは、暗唱してから、まず一番好きな札を一つだけ生徒に聞き、それを意識してもらうことです。そしてまた一通り暗唱してから、「~は?」と、さっきの一番好きな札を思い出させます。覚えていたら、今度は好きな札を3つに増やします。その3つをランダムに聞いてあげて、言えそうだったらまた一通り暗唱してから再度チェック。それでも覚えているようだったら、好きな札を今度は6つに増やして、暗唱とチェックを繰り返します。こうやって最終的に好きな札を9つまで増やしていきます。
逆に、先生が「18は?」と答えの方を言って、それのある札(たとえば3×6)を答えさせることもできます。(めくって18と書かれていたら正解)

かず中学年で、3年生は今、
808
× 77
 ̄ ̄ ̄
のような計算を練習しています。
真ん中の0が落とし穴で、
808
× 77
 ̄ ̄ ̄
56
とした次に、千の位に5、百の位に6を書けばOKなのですが、たいていの子が、2回目の56(特に5)をどこに書いたらいいのか、鉛筆の先が迷っているので、それを見てあげなければなりません。ほっておくとずれてしまいます。
Nちゃんは、この点を克服するために、先週の宿題で、お母さんにマス目を書いてもらっていました。そのことが、私にとってもうれしかったです。
1年生のSちゃんが、ドリルを1冊終わりました。え? 先週も同じことを書いていたって? そうなんです。先週は「1冊目」で、今週は、「2冊目おめでとう!」なんです。
新しいドリルを渡したその週に、お家でほとんどやってきてくれて、あっという間に55ページが終わってしまいました。すごい。
福西@かずです。
1年生のSちゃんが、このGW中にはじめてのドリルを終えました。おめでとう!(ぜひ大きくなるときまで、お家で大事に保管しておいてほしいと思います)
今日のSちゃんはまた、2冊目のドリルを、17ページも進みました。すごいなあとしきりに感心。
それも、後になればなるほど難しくなっていったあの1冊目をがんばって乗り越えた後なので、急に軽く感じられたのではないかと思います。またそれが自信の一歩になっただろうと思います。
それにしても1、2年生の集中力はすごいです。1年生は5+8の繰り上がり、2年生は35+55の筆算、などの計算それ自体が、まだ楽しい時期なんですね。ぼくはもう当時の自分の感覚は覚えていませんが、でも新しいことを吸収するようで楽しかったんだろうなあと思います。(漢字も多分同じだろうと思います。
そういえば、M君も、文章題を読む速度が前より格段に早くなっていることに気付きました。M君のことだから、学校でも先生の話をしっかり聞いて、そのことで栄養をもらっているのだろうと思います。
前回のかずのクラスで、T君がまた100マイル問題を解きました。これで2問目です。
問題は、以下のようなものです。
問:
「次のダイヤルで開くマイル金庫がある。
3□□、15□□、26□□
ただしいずれも、3で割ると1あまり、4で割ると2余り、7で割ると3余り、11で割ると4余る数である。
正しいダイヤルをまわすごとに100マイル金庫から取り出せる。健闘を祈る」
さてT君が、「1つ目の答、あれは367やろ?」
と言っきたので、私と一緒に黒板で確かめてみると、
367÷3=122・・・1
367÷5= 71・・・2
367÷7= 52・・・3
367÷11=33・・・4
おお、おみごと~!合っていました。毎度のことながら、すごいなあと思いました。
福西です。
かず・数学のクラスも順調にスタートしています。
高校生の火曜日クラス
J君:学校で使っている教科書をジュンク堂で買って来て、それをしてもらっています。logの計算を、自分が得意であることを発見してくれたことが嬉しかったです。logaB=Cを、自分の頭の中で翻訳できて、思考回路が作られていくことが、楽しいと感じられることは何よりです。このまま教科書に沿って、自信をつけてもらおうと考えます。
A君:10日に受けてきたJMO(日本数学オリンピック)予選の報告をしてくれました。問題文を見せてもらい、いろいろと面白そうな話をしてくれました。A君が「これは、これを思いついたら解けるんですがね…」と私に説明しているところへ、J君が横に立って神妙に観察。見事A君のやり方が、答を弾き出すと、「おお、すごいやんか!」と、A君にもその問題にも感心しているような素振りを見せました。またJMOの次の日にあった模擬試験で、A君は数学ですこぶる点数がよかったのも見せてくれて、自分が「数学が好きなのが分かった気がする」と言っていたのが印象に残りました。
高校生の水曜日クラス
T君:彼は学校から数検2級を受けることになっていて、その過去問をしています。1年生なので、出題範囲に知らないところ(log、Σ、確率、ベクトル、微積)があるのがハンデです。といっても、知っていることに太鼓判を押してもらうのが検定なので、今知らないことは知らないで正直に受けて、それで受かればいいですし、受からなくても1回早かっただけなので、次は学校で習った後なので余裕で受かると思います。知っている範囲では確実に点が取れています。ついつい私の方が老婆心を起こして「ベクトルっていうのは…」とか、入れ知恵してしまっているところです。が、蛇足にも思えるので、とりあえず過去問を渡しておいて、知りたいという申し出のあったところだけを教えようかと考えています。
かず2~3年生
どの子も宿題を誇らしげに出してくれて、まる付けするのが大変でした。(自分達で順番をじゃんけんで決めていました)。この頃は何にしても純粋だと感じます。また、この前から決めた「日直」(起立、礼を言う係り)が気に入ってもらえています。
かず5~6年生
6年生がお休みで、5年生だけでしたが、こちらも宿題をしてきてくれていました。2学期のおさらいで、三角形の面積、平行四辺形の面積、分母が同じ分数の計算をしましたが、概して「ここは大丈夫」という手ごたえでした。
山下です。
中学1年生の数学はとても大事だと思います。ここでがんばるか、手を抜くかでその後6年間の学校生活の印象ががらっとかわるでしょう。数学はブロックを積み上げるようなものなので、基礎がぐらつくとその後の展開は推して知るべしです。具体的にどう勉強すればよいか、私の見解を以下にまとめます。
中学1年生の数学に、文字を式に直す問題がありますが、小学校の算数の知識が大きくものを言います。
たとえば、時速x と距離 y と時間が与えられている問題で、その時間のデータが分(40分)と示されている場合、単位の変換がわかっていないと正解は導けません。
速度、距離、時間の関係も小学校で既習事項です。中学では、これらの知識を組み合わせて新しい考え方に導く場となっています。
おそらく一人で勉強していて「40分は3分の2時間と変換しないといけない」ということに「はっ」と気づくのは難しいでしょう。
間違って、指摘されて「はっ」と気づく仕組みです。間違うためには、しっかり予習しておかないと「はっ」とする経験は味わえません。
一方、このように「はっ」と気づくもう一つの(より根本的な)前提として、単位の変換について反射的に計算ができる状態をつくっておかないといけません。
このような知識がしっかり定着している段階で、中学で学ぶ勉強が「理解」できるスタートラインにたったことになります。
この段階で必要なことは、「考える」より「覚える」ことです。上であげた中学校の練習問題についても、日頃から典型的な解法の手順を「暗記」できるまで繰り返し問題(教科書で十分)に当たらないとダメです。
この段階に達した生徒にとって、日頃の勉強を次のように工夫する必要があります。
1 学校で学ぶ教科書の問題を必ず予習する。
2 その際、できた問題とできなかった問題を区別しておく(問題に印を付ける)。
3 授業をしっかり聞く。ノートをきちんと取る。
4 家に帰り、2の段階でできなかった問題をもう一度やり直す。
5 それでもできなかった問題には、特別の印を問題番号につけ(◎など)、ノートを参照し、解法を暗記する。
4に絞ってできるまで時間をあけて問題をやり直す。
以上の手順は、日頃学校から家に帰ったら必ず行う習慣にする。
これを習慣にすれば試験前の勉強であわてることは何もないはずです。現実と理想は違うとはいえ、本来どう勉強を進めればよいかが、生徒たち、その親にとってあまりにばくぜんとしているように思われたので、思うところを書いてみました。
また、このことを子どもたちに実践させ、本当の習慣になるまで応援し続けることが山の学校の基本スタンスだと我々スタッフは認識しています。(ですね?>ALL)
山下です。
「やまびこ通信」に掲載された「かず」と題する記事です。
かず 福西亮馬
かずのクラスでは、それぞれの学年に応じて、数に対する感覚を身に付けることが課題になっています。それぞれの生徒に、その時点での階段があって、「ああ、今はここなんだなあ」と、昔自分がそこにいた時のことを振り返りながら、なつかしく接しています。
今、幼稚園では、小さなお子さんが親御さんに手を引かれて、石段を登って来る光景が見られます。たまに幼稚園の子どもたちが平気で駆け下りていく姿と混じる瞬間があって、ほほえましいです。あの時、「よいしょ、よいしょ」と後ろから一段ずつ見守ってしていた心配が、やがては一人で歩けるようになって、解消していることを、私たちは経験的に知っています。
勉強に関しても、中学生に上がった頃から、だんだんと親御さんの手を離れていきます。そしてこちらが勉強を見てあげようとしても、なかなか応じてくれなくなります。裏を返せば、それまでの小学生の6年間で、一緒に勉強を見てあげる必要があるのだと思います。
もし小学生の時に勉強を見てもらうという必要が満たされていたなら、案外、あとは一人で計画を立てて、勉強をしてくれるようになっていきます。それには親に見られるのが嫌という気持ちも含まれるでしょうが、むしろそれまでと同じように時間を割いて見てもらうのは、申し訳ないと思うからです。また自分ひとりでもできると思えるし、勉強に対して、(嫌でも)前みたいにするのが普通と思うようになってくるからです。
そのように予想を立てながら、私は今の小学生たちの勉強を見ています。勉強のことで、一緒に登ってあげることが、やがてはそれを一人で登れることの応援につながっているのだろうと信じています。
さて、1年生は本当に純粋な時期で、「引き算ができるようになった」「繰り上がりができるようになった」という一つ一つの階段を、まるで幼稚園の延長のようにしています。
この間、春学期から続けていたドリルが、どの生徒も一冊終わり、2冊目にかかっています。その2冊目を軽々とできるようになった自分を発見できるのが、何よりのご褒美です。そうした自信がつくことは大事なことだと感じます。
1年生のドリルの最初の最初のページを見ると、こいぬやチューリップの絵があります。これを見て、「かんちこちんや」と言えるようになった生徒は、これまでの自分と階段とを振り返って見下ろしているのだと思います。
そしてふと思い出した時に、それを登ってきたのが「一人ではない」ことを感じ取れる生徒は、中学生になってからも引き続き、その面影を背にして、勉強に対する姿勢を失わないのだろうと思います。
(2005.10)
今日の授業のメモ:(by 福西)
中3数学の代講をして、初めてN君と接する。
1.一次関数
2.二次方程式
3.平方根の計算
4.合同の証明
についてプリントを1枚ずつして、明日の学校の試験範囲を手伝う。
その日、4.は時間がないだろうと思っていたが、N君が意欲的にプリントをこなしていったので、全部やってしまうことができた。教える側の気持ちも、「答案にとりあえずだけれど、全部書いた」気持ちに似ている。
・最初にした一次関数は、本人ちょっとためらいがちに「忘れかけている」と言っていたが、
「最初にy=ax+bと唱える」
ということを思い出してくれた。これが一次関数では唯一無二の方針、というのは、一次関数 ⇔ y=ax+b だから。その呪文を唱えて、あとはヒントを2つ、問題文から探す。問題文が、回答者に意地悪をしているのではなくて、ヒントを2つくれているのだ、と思えれば楽勝。点(x1,y1),(x2,y2)を代入したり、傾きがすなわち=aだと知るなりして、2つヒントが出揃ったら、係数 a と b の値がわかる、というやり方を徐々に思い出してくれて、「これならできそう」と自信を回復してもらえたことが嬉しかった。(ここはやはり得点源なので、得失点差が大きい。彼の場合、それが得に変わったと思う)
・二次方程式 ax^2+bx+c=0は、問題なく。因数分解も淀みなくできている。下村先生がN君にスパークリングをつけてくれているからだ。解の公式も、私が黒板に書こうとするなり「それは、これです」と自分からプリントに書き出して、実際それを使えていたので、合格。
・平方根自体の問題も、一番厄介な「有理化」ができていたので、問題なし。
・残るは合同の証明。最後でしかし一番熱が入った。「よし、これがラスト」とプリントを置くと、それを押えたN君の手が、いやに力強かった。
「辺AB=ACを示せ」という問題に対して、「えーと…」とか言わずに、すぐに方針を「三角形の合同を示す」というように立てていた点、そのために二辺夾角やニ角夾辺を言う点は、しっかりと型ができているように思えた。そこまで持っていく途中は、多少遠回りをしているところもあったが、積み重ねている factor 自体は間違っていなかったこと、何よりその横顔が、自分で考えることを楽しんでいたことから、採点した。
Aを示すためにB,Bを示すためにC…となってくると、普通は「はあ…」とため息をつきたくなるものだが、N君はそうではなしに「あ、そうか」と弾んだ声で、「自分が何を示そうとしていたのか」、集中し記憶を持続させながら、答を追いかけていた。その日最後の問題を、ついに、「①,②,③より、△A≡△B」とまで追い詰めて、にっこりとしたN君。それまでにかかった時間が満足に変わった瞬間を、私も一緒になって味わえた。
福西@数の世界です。
秋学期は数学者を紹介しています。
先週は夭折した二人の数学者、ガロアとアーベル。
今週は数学者の Princeps、ガウスでした。

Johann Carl Friedrich Gauss
(1777-1855)
伝記
ガウスのような天才にもまた憧れや、目標とすべき人物があったことは、後世の人々を励ますかもしれない。彼はアルキメデスとニュートンとを敬愛した。そして彼自身もその同列に加わったのである。
「純粋数学が一番素晴らしく、応用数学はそれに比べると取るに足りない」と言いながらも、実に応用面でも大きな足跡を残している点は、まったくアルキメデスと共通している。彼は非常に器用であり、天文や測地、電磁気学の実験道具を自作して必要に供した。物事の抽象性を追いかける一方で、それを具体的にする力もあったのである。(研究者としては非常に理想的な人である)。自然、研究の裾野は、現実の世界から純粋の世界まで広がっていた。ガウスは当時の数学界では孤高の秀峰だった。
「どうやってそのような素晴らしい発見ができたのか?」と人に問われると、彼は決まってこう答えることにしていた。「それを思い続けることによって。もしそれをした人がいれば、私である必要はない」と。ニュートンもまた同じように言っていたのである。万有引力の発見を、あたかも「リンゴが落ちたから」とちまたで表現される時、彼は弁護した。「それはまったくの逆だ。リンゴが落ちたから重力が生じたのではないように、重力の発見は多大な精神の投入があったからだ」と。
終生語学に興味を持ち、若い頃はギリシア・ラテンの古典学と、数学とのどちらに道をとるかで迷っていたという。19歳のある朝、円周等分の方法(その一例として正十七角形の作図法)を思いついたことを天機に、数学に道をとった。その日より日記をつけ始める。いわゆるガウス日記である。その後24歳の若さで『整数論』を著した。その時の感慨が、整数論をして「数学の女王」とする所以なのかもしれない。
根っからの計算好きで若い頃から神童ぶりを謳われていた。その点ではオイラーに似ているが、決してオイラーのような多産型ではなかった。日記には非常に独創的な研究がぎっしりと詰め込まれているが、その成果については寡黙だった。誰が第一発見者かをめぐる論争から、彼は遠ざかった。それによって研究の時間が食い潰されることを恐れたからである。彼の使っていた印章には、実が二、三なった木の絵と、PAUCA SED MATURA(少ないが熟している)という文字とが刻まれていた。
書簡でのガウスは友人に対して「数学には妨げられざる、切り刻まれざる時間が必要である」と言っていた。天文台長、測地監督といった国に任された実務の合間を縫いながら、彼は数学をし続けた。ガウス日記で一箇所だけ、長々とした数式が次のような一言で中断されている箇所がある。「こんなくらいなら死んだほうがましだ」と。ちょうど楕円関数の研究に没頭しているさなかに、講義の時間に呼び出されたのである。ナポレオン時代のドイツの混迷や、妻の死、パトロンだったブラウンシュヴァイク公の死によって、彼は当時ますます非社交的になっていた。その時の彼には、研究こそが薬だったのだろう。彼は寸暇を惜しみ、死ぬまで数学をしていた。
ガウスは才に恵まれ、寿にも恵まれた。ゲッチンゲンの町を愛し、その町の名誉となることを誇りとし、終生そこにとどまった。彼の墓もまたゲッチンゲンにあり、墓碑には一語、人々の思いを込めて、
MATHEMATICORUM PRINCEPS (数学者の第一人者)
と刻まれている。
ガウスの残した言葉
「数学は科学の女王、数論は数学の女王」
「寡少なれど円熟なり」(PAUCA SED MATURA)
「数学の研究には何よりも妨げられざる、切り刻まれざる時間が必要である」
ガウスの仕事
ガウスはいつでも基本的なところから始め、そこから非常に深い結果がもたらされることを、寡黙にも喜んでいたのではないだろうかと思われる。その対象が深い内容を持っていればいるほど、発見をなかなか世に見せることをしなかった。それは一度完成したものの表面を磨くのに手間取っているというのではなく、自身の研究がいつまでも未完成で、真髄に達していないと感得されていたからであろう。彼は物事の奥深さにとらわれると、ますますそれに対する考察を長くせざるを得なかったのである。中にはこうした彼の研究態度に非難を寄せる人々もあったが、彼の印章はこう代弁するのみである。「Pauca sed matura」と。
参考文献
『近世数学史談』高木貞二
『数学をつくった人びと』E.T.ベル
福西です。
かずの高学年(5,6年生)が、新しく秋学期からスタートしています。
昨日は6年生2人と、はじめて見学に来られた5年生2人との4人で授業をしました。全員、こちらがもっと教えたくなるような、熱心な生徒ばかりです。一段、また一段と、のぼろうとしている人から、その手を預けてもらえるような役目は、本当に甲斐があります。授業が終わると、私にも「一緒にのぼった」という達成感があります。
同じ「かず」といっても、やはりそのクラスごとに個性(伝統?)があって、それぞれがよくなるように持って行けたらと思います。中級クラスでは「マイル通帳」があったり、授業を少し早く切り上げて、幼稚園のお庭で「おにごっこ」をしています。上級クラスではそういったおまけがない代わりに、1時間が純粋に勉強の時間で話ができる気がします。
私は、このクラスで勉強する時間は、もちろん1時間が理想ですが、そのうちの30分でも十分だというように構えています。黒板を書き写す1時間ではなくて、自分で手を動かす1時間だからです。それは30分でも価値があります。ですので、ドリルの30分をコアタイムとして、次のような形で授業をしようと考えています。
前半30分 ドリル
後半30分 補足説明(休憩もかねて)
今はドリルが楽しい様子なので、したいという所までそれをしている生徒たちの様子を見守っています。どこまでこの調子が続くかは神のみぞ知るですが、上に書いたような授業の形でバランスを取っていこうと考えています。
また、ドリルには、6年生だったら5年生の、5年生だったら4年生のもの(例の「5分間トレーニング」)を使っています。

これだと負荷が少なく、ついもう1ページしようという気になるみたいです。でも時々やり方の覚え間違いが発見できるので、いいです。算数を苦手だと思っている(あるいはそう親御さんがおっしゃっている)生徒さんは、結構これで自信と基礎が取り戻せます。
ここからはもう個別の感想なのですが、先週、今週と6年生の2人を見ていると、「今日はどこまでする?」と授業の最初に申し合わせて、実際そこまでやり遂げて帰る点がすごいと感心しています。また、今日たくさん進めば、来週も同じ分だけ進みたいという欲が出るらしくて(いいことです)、「宿題で先にしておく」というところに知恵が回るようです。来週分に下駄を2ページでも履かせておこうというわけです。
また、今日思ったより進まなければ、その気持ちを整理したいらしく、残りは宿題でして来ようというふうに、ドリルを通じて、勉強のペースができつつあります。
その2人の山の学校用の新しいノートには、
今日やった分:ドリル○~□
授業で何か先生が言っていたこと
宿題:ドリル○~□
が記録されています。毎週続けてくれると嬉しいです。最初私は、「ドリルには答を書き込んでいいから、ノートはいらないかもしれない」と言ったのですが、せっかく持ってきたノートです。彼女たちは自分で、そのノートに使い道を与えたのでした。私はそれを見て、いいと思いました。
たとえばみなさんは、下のような計算をどう解くでしょうか?
(□-3)×5=10
これもまたT君に驚いたことなのですが、私が( )の外し方を教えようとして、時間がかかってしまったところ、T君は後で私に説明してくれたのでした。
T 「×5は、÷5をすればいいんじゃないの?」
私 「と、いうのは?」
T 「×の反対は÷だから」
私 「ああ、そのやり方を知ってるのか」
T 「(□-3) = 2 としてから、
( )の中が2になるような□を考えたら、ね?」
私 「なるほど、次の問題もそれでできるなあ」
逆演算の考え方ができることに感心したのです。移行とか逆演算は、中学生でも「?」の人がいるのに、彼はそれが3年生でしっかりできているのでした。
T君はまた、問題を解いている間に、ひまをみつけて、自分で問題を作ることもします。そちらだけに流れると、基礎をあいまいにしてしまうというデメリットがありますが、うまく時間の中でバランスを取れば、教える側としては願ってもない傾向です。
問題を作るのは、当然それを解いてもらいたいからで、それには、「子ども」が「大人」に問題を出すという、逆転できる喜びがあります。たいていそのときに、大人(特に男の子の場合は父親)にかまってもらった子どもは、その大人への好感情がイメージとして数学の興味の上に灼きついて、数学が好きになっていくようです。少なくとも嫌いにはならないと思います。
遊びのように見える数字の羅列した計算問題には、二種類あって、頭を使ったのとそうでないのとがありますが、できればそのうちの頭を使って作られた問題については、大人の人はできるだけ付き合ってあげてほしいと思います。
(T君がせっせと問題を作っていた時に、「それ、誰に解いてもらうの?」と私が軽くたずねると、T君は健気にも、「自分で解くの」と答えました。私はそれで、私に解いてもらいたかったんだと気付いて、ぐっときたのでした)
なぜこの数字は3ではなくて4にしているのか──それは割り切れるようにするためだとか、+ではなくて×にしているのは──計算しやすいためだとか、出題者は実は意外に頭を使っています。遊びで集中するのと同じような時間を使っています。そして算数に限らず、問題を作って人に出したことを喜びとして覚えている人は、その科目については好感情を抱きます。
私もまた、T君の中にある「数学のいずみ」から湧き出してくるものを、大事に汲み取ってあげられたらと思います。それは義務感に駆られるせいではなくて、自身の経験を追体験するような気持ちになるからだと思います。
かず中級クラスのT君は3年生ですが、ドリル的な経験は十分にできているので、そろそろ別の何かを用意しなければと思っています。
欲を出せば、もちろん4年生、5年生のドリルが待っているのですが、どうせ同じ余力を使うならば、1年先のことをするよりも、と、彼の場合10年先、数学そのものへの興味を引き出す方が適切だろう、とりわけ整数への感性を磨くことが優先されるだろうと思って、問題集を作って渡しています。
今週は、
「2よりも大きい偶数(4,6,8…)は、2つの素数の和に分解できる(か?)」
という問題でした。たとえば次のような分解が考えられます。
4=2+2
6=3+3
8=3+5
10=3+7
問題はこの後、大きな偶数でも分解可能かどうかということです。100はどうでしょうか。1000は?10000は?
T君には「49999までの素数表」を渡して、その中であてはまる数を探してもらいました。T君はさきに6、8、10の分解で、3がよく出てくることに気付いて、とりあえず3を選び、もう一つの素数は、元の数より3小さい数が素数表にないかを探していました。100の場合は97、1000の場合は997と。なかなか賢いやり方だなあと思いました。
実際、97も997も素数で、
100=97+3
1000=997+3
と分解できます。では、
5000=?
T君の方法では残念ながら今回はうまくいかず、それでも結局、4957+43を自力で見つけていました。
こうした素数の問題は「ゴールドバッハの予想」といわれるもので、実際は予想でしかなく、いつでも二つの素数に分けられるかどうかは分かりません。ただ、それを「証明する」には専門知識がいるとしても、具体的な数で「確める」だけなら、小学生の手でも十分にできるということです。
実際、こうした小学生でもできることが、年齢が過ぎるにつれて、頭ではわかるようになるけれど、楽しいと感じるのが難しくなっていくのが一般的です。T君には「だからこそ」と思います。
<5000までの素数表>
2, 3, 5, 7, 11, 13, 17, 19, 23, 29, 31, 37, 41, 43, 47, 53, 59, 61, 67, 71, 73, 79, 83, 89, 97, 101, 103, 107, 109, 113, 127, 131, 137, 139, 149, 151, 157, 163, 167, 173, 179, 181, 191, 193, 197, 199, 211, 223, 227, 229, 233, 239, 241, 251, 257, 263, 269, 271, 277, 281, 283, 293, 307, 311, 313, 317, 331, 337, 347, 349, 353, 359, 367, 373, 379, 383, 389, 397, 401, 409, 419, 421, 431, 433, 439, 443, 449, 457, 461, 463, 467, 479, 487, 491, 499, 503, 509, 521, 523, 541, 547, 557, 563, 569, 571, 577, 587, 593, 599, 601, 607, 613, 617, 619, 631, 641, 643, 647, 653, 659, 661, 673, 677, 683, 691, 701, 709, 719, 727, 733, 739, 743, 751, 757, 761, 769, 773, 787, 797, 809, 811, 821, 823, 827, 829, 839, 853, 857, 859, 863, 877, 881, 883, 887, 907, 911, 919, 929, 937, 941, 947, 953, 967, 971, 977, 983, 991, 997, 1009, 1013, 1019, 1021, 1031, 1033, 1039, 1049, 1051, 1061, 1063, 1069, 1087, 1091, 1093, 1097, 1103, 1109, 1117, 1123, 1129, 1151, 1153, 1163, 1171, 1181, 1187, 1193, 1201, 1213, 1217, 1223, 1229, 1231, 1237, 1249, 1259, 1277, 1279, 1283, 1289, 1291, 1297, 1301, 1303, 1307, 1319, 1321, 1327, 1361, 1367, 1373, 1381, 1399, 1409, 1423, 1427, 1429, 1433, 1439, 1447, 1451, 1453, 1459, 1471, 1481, 1483, 1487, 1489, 1493, 1499, 1511, 1523, 1531, 1543, 1549, 1553, 1559, 1567, 1571, 1579, 1583, 1597, 1601, 1607, 1609, 1613, 1619, 1621, 1627, 1637, 1657, 1663, 1667, 1669, 1693, 1697, 1699, 1709, 1721, 1723, 1733, 1741, 1747, 1753, 1759, 1777, 1783, 1787, 1789, 1801, 1811, 1823, 1831, 1847, 1861, 1867, 1871, 1873, 1877, 1879, 1889, 1901, 1907, 1913, 1931, 1933, 1949, 1951, 1973, 1979, 1987, 1993, 1997, 1999, 2003, 2011, 2017, 2027, 2029, 2039, 2053, 2063, 2069, 2081, 2083, 2087, 2089, 2099, 2111, 2113, 2129, 2131, 2137, 2141, 2143, 2153, 2161, 2179, 2203, 2207, 2213, 2221, 2237, 2239, 2243, 2251, 2267, 2269, 2273, 2281, 2287, 2293, 2297, 2309, 2311, 2333, 2339, 2341, 2347, 2351, 2357, 2371, 2377, 2381, 2383, 2389, 2393, 2399, 2411, 2417, 2423, 2437, 2441, 2447, 2459, 2467, 2473, 2477, 2503, 2521, 2531, 2539, 2543, 2549, 2551, 2557, 2579, 2591, 2593, 2609, 2617, 2621, 2633, 2647, 2657, 2659, 2663, 2671, 2677, 2683, 2687, 2689, 2693, 2699, 2707, 2711, 2713, 2719, 2729, 2731, 2741, 2749, 2753, 2767, 2777, 2789, 2791, 2797, 2801, 2803, 2819, 2833, 2837, 2843, 2851, 2857, 2861, 2879, 2887, 2897, 2903, 2909, 2917, 2927, 2939, 2953, 2957, 2963, 2969, 2971, 2999, 3001, 3011, 3019, 3023, 3037, 3041, 3049, 3061, 3067, 3079, 3083, 3089, 3109, 3119, 3121, 3137, 3163, 3167, 3169, 3181, 3187, 3191, 3203, 3209, 3217, 3221, 3229, 3251, 3253, 3257, 3259, 3271, 3299, 3301, 3307, 3313, 3319, 3323, 3329, 3331, 3343, 3347, 3359, 3361, 3371, 3373, 3389, 3391, 3407, 3413, 3433, 3449, 3457, 3461, 3463, 3467, 3469, 3491, 3499, 3511, 3517, 3527, 3529, 3533, 3539, 3541, 3547, 3557, 3559, 3571, 3581, 3583, 3593, 3607, 3613, 3617, 3623, 3631, 3637, 3643, 3659, 3671, 3673, 3677, 3691, 3697, 3701, 3709, 3719, 3727, 3733, 3739, 3761, 3767, 3769, 3779, 3793, 3797, 3803, 3821, 3823, 3833, 3847, 3851, 3853, 3863, 3877, 3881, 3889, 3907, 3911, 3917, 3919, 3923, 3929, 3931, 3943, 3947, 3967, 3989, 4001, 4003, 4007, 4013, 4019, 4021, 4027, 4049, 4051, 4057, 4073, 4079, 4091, 4093, 4099, 4111, 4127, 4129, 4133, 4139, 4153, 4157, 4159, 4177, 4201, 4211, 4217, 4219, 4229, 4231, 4241, 4243, 4253, 4259, 4261, 4271, 4273, 4283, 4289, 4297, 4327, 4337, 4339, 4349, 4357, 4363, 4373, 4391, 4397, 4409, 4421, 4423, 4441, 4447, 4451, 4457, 4463, 4481, 4483, 4493, 4507, 4513, 4517, 4519, 4523, 4547, 4549, 4561, 4567, 4583, 4591, 4597, 4603, 4621, 4637, 4639, 4643, 4649, 4651, 4657, 4663, 4673, 4679, 4691, 4703, 4721, 4723, 4729, 4733, 4751, 4759, 4783, 4787, 4789, 4793, 4799, 4801, 4813, 4817, 4831, 4861, 4871, 4877, 4889, 4903, 4909, 4919, 4931, 4933, 4937, 4943, 4951, 4957, 4967, 4969, 4973, 4987, 4993, 4999,
このような表をじっと見ていると、ほかにも問題が生まれてくると思います。
たとえば私だったら、「1000ずつ、10000ずつ…の素数の個数の分布はどうなっているのだろうか?」ということが気になります。
・100までに素数は何個あるか? (25個)
・100ずつ区切ると、その区間の素数の個数はどうなっているのか? (101~200までは21個)
・1000ずつ区切ったり、10000ずつ区切ったり、区間の大きさを変えるとどうなるのか?
福西@かず中級です。
夏休みをはさんで、子どもたちとまた会えたことがうれしいです。
4人の生徒はそれぞれよくがんばってくれています。たとえばK君にスポットを当てると、
春学期から数えて実に8冊目のドリルに入りました。今では一財産築いたという感じです。今週は二桁の暗算でした。
55-24=31
62-35=27
K君はたまに「あってる?」と答を確認しに来るだけで、繰り下がりがあっても、暗算でとけるようになっていました。これは大きな前進です。彼を見ていると、スポーツで練習に励むように、ぎこちない動作を練習によって、当たり前の動作にしていく手続きを思い出します。
どの生徒もそれぞれに階段があります。のぼりつめた高さは違っても、一段一段の高さはみんな同じです。その一段をのぼる努力もみんな同じなのだろうと思います。
秋学期もこの調子で、気がついたら、「ここまで来ている」というようにしていきたいと思っています。
小2・3年のかずの様子です。前回、K君が「またあれやりたい」と言ったので、ちょっと1話シリーズで、がんばりグラフを復活させてみました。

プール:「位置について、ピー!」
そして楽しみに授業が始まるのを待っていたのですが、しかし、今日はそのK君があいにくのお休み。うーん残念。
と、思いきや、今日はもう一人、2年生のK君が新しく入ってきてくれたのでした。画面の最後でターンしているのが、そのK君です。初回からすごく乗ってくれて、そのがんばりに脱帽しました。今日お休みのK君といいライバルになる予感が。来週から、このクラスはすごいことになりそうです。実に楽しみ!
ちなみに新しいK君がしてくれていたドリルは、昨日1年生のR君がしてくれた物と同じです。ページまで同じだったのにはびっくり。(つまり、27ページもしてくれました)

ドリルの中のドリル 強くお奨め
ドリル選びには、私も迷いがあるのですが、最近、2年生に、2年生のドリルを渡すのに、抵抗を覚えてきています。なぜなら、その2年生というのは、1学期までの2年生だからです。そして同じ学年のドリルを渡されても、途中で「まだ習っていない」ところにぶつかって、ペースが落ちるのは目に見えています。そうなると、学校に代わって一から新しいことを教えなければならず、「ドリル」ではなくて、「授業」になってしまいます。むしろ2年生のドリルは、2年生になった人よりも、2年生だった人のためにあるのでは? とぶつぶつ考えています。
Rくん、ドリル1冊達成、おめでとう!

R君が達成した最初のドリル
このドリルは、いつか思い出になる時が来るまで、お家で大事にしまっておいてください。
R君のえらいところは、2つ。
まず、1冊目のドリルを、お家の宿題でやってきたことです。
そして授業で、2冊目のドリルを、なんと27ページも進んだことです。
「せんせい、みんなやってきたで~!」
しわが寄って年季の入ったドリルから、ぽろりと出てきたのは、先週渡しておいた、がんばり表でした。ドリルの残りのページと対応させて、「1ページやったら、1つずつ塗りや」と即席で作ってあげたものですが、それに色が全部塗ってありました。
「すごいねえ。じゃあ、次のドリルを買ってくるから! 待っときや!」
そう言って、ぴゅーっと丸山書店に行って、教室に飛びかえり、「買ってきたで!」と、ちょっともったいぶって、渡しました。(こうした演出は、大人の側からは必要だと思います)
それが、これです。

(実はM君も予約中)
このドリルは、実際、いいです。全部で54ページあるのですが、1ページがかなり軽いです。そして1時間だけで、R君はもう半分したことになります。おそらく、1冊目を登り終えて、一気に重荷が取れたせいでしょう。さくさくと進んでいました。そのうれしそうなことといったらありませんでした。
M君もT君も、U君も、今は辛抱してやってくれていると思いますが、1冊が終わったら、R君のような気持ちが味わえるからね。みんな応援してるからね~!
福西です。
そろそろ一冊終わりそうな生徒が出てきています。
終わりが薄くなってくると、意欲がわいてくるようです。
「さあ、あと10分」
「あと10分?」
「10分やって! はよやらな」←うれしい発言
「でも今やってるページができたら、もうええしな、それで今日は終わりに…」
「えー、これ全部やって帰りたい~。あとこんだけやもん」←14ページがあとちょっと、という発言
「家で全部できるかなあ」
「ぼく家でなあ、お父さんが帰ってくるまでの時間に、いつも見てるテレビを見ずにやろう」
「えっ! そんなふうに言ってくれるのって…うれしいなあ(涙)」
「やっぱりちょっとだけ、テレビ見たいけど…」
小学校1年生なので、ドリルに飽きてきたのではないかなあとこの前まで心配していたのですが、反対に彼らはまだ新鮮なようで安心しました。
ざっとクラスを見ると、手を使っている子が主流のようです。しかしじっくりとその子の成長に付き合っていると、いろいろと小さな発見があって、面白いです。私は男なので、授乳の感覚を知りませんが、多分そのような感覚なのだろうと思って、彼らと付き合っています。大人がついて見ているという時間は、その子の何かになっていると思えるので、ルーチンワークというよりは楽しみな感じです。
R君の数え方(繰り下がり)
12-7の場合
福西です。
昨日はうれしいことに…
Hちゃんが2冊目達成! おめでとう!
「おかあさんに、『2冊目終わりましたよ』なんて伝えんでいいしな。私が自分で言うんやから」と、Hちゃんに釘を刺されてしまった、私です。
ドリルはK君と同じです。Hちゃんが微妙に先に進んでいるので、「前にわたしが(お母さんと)宿題でしたところ」をK君に教える光景もあったり。つまり、自分が今度はお母さんの代わりをしているのでしょう。
「ほら、みてすご~い。今日だけで、あたらしいドリル、4ページも進んだわ」
と、さらにHちゃんの口から言葉が出るなんて…。とってもうれしいです、はい。
「あ…ぼくのも、そろそろおわりや」
残りのページを数えるK君も、続いて新しいドリルに突入しそうです。
T君の計算ドリルは短期間に集中したら早く終わるもので、T君の計算力だと、3日で終わると踏んでいます。今日は20ページ以上。まさに破竹の勢いです。マイルを荒稼ぎしていました。
今日はみんなはかどっているようなので、途中から競争することにしました。
すると、偶然ペースがみんな互角で、3人ともほぼ同時にゴール。K君が1位、T君とHちゃんが1~2分違いで2位でした。

「あぶないとこやった。ぎりぎりやったな」
と、K君が和やかにT君に話しかけているシーンは、写真に撮って残しておきたい気になりました。
福西です。
先週基礎テストをしましたが、その補充問題です。
さあ、25分でみんな解けますか?
(^2は2乗のこと)
1) x=(a+1)^2 , a<1のとき、√(x-4a)を aであらわせ。
2) |x+4|=5x を解け。
3) x^3+y^3+3xy-1を因数分解せよ。
4) 0<θ<90°のとき、2(cosθ)^2+cosθ-1=0を満たすcosθの値を求めよ。
答
1) -a+1 (a-1は間違い)
2) x=1 (x=-2/3も答えた人は間違い)
3) (x+y-1)(x^2+y^2+1-xy+y+x)
4) cosθ=1/2 (-1も答えた人は間違い。cosθ>0)
1)の問題が、ひっかかりやすいと思います。
√(z^2)=z ぶー
√(z^2)=|z| ○
絶対値を忘れないようにしましょう!
中学生のころには、絶対値を|2|=±2として習いましたが、あいまいでもあり、当たり前でもあり、とっつきにくかったと思います。しかし、高校生になれば、話は違います。
|z|=√(z^2)
つまり、「ルート」と「2乗」という、もはや知っているものから、絶対値を定義できるようになったのです。
福西@中3数学の代行です。
先週は「式の展開」と「因数分解」のところを、コツコツとやっていました。
そこで習う公式はどれも大事(だと思う)ですが、もしメリハリを出すとしたら、今後一番よく使うはずの
(x+a)^2 = x^2+2ax+a^2 (パパッと2a)
x^2-a^2 = (x+a)(x-a) (パパッと±)
の二つを一番使えるようになってほしいと思います。この二つの公式は、クロス項(上の式では2a、下の式では0)が意味深いので、単に「たすきがけの公式」x^2+(a+b)x+ab=(x+a)(x+b)が劣化した場合というのではなく、よく使う機会があります。
生徒の方はというと、「これさえできたらいいよ」などとずぼらな誘惑にはちっとも曲がらず、少しずつパターンの違った計算問題を、こつこつと解いてくれていました。文字が二つある時、たとえば(x+3y)^2=などになったときは、x^2+6x+9と、yを抜かすようなうっかりはありますが、それ以外は、見ているところ計算のいろはをマスターできているように思えます。(係数が分数になっても、単に通分に時間がかかるだけ、というところまで)
それで、たすきがけですが、とどのつまりは、
「かけてなんぼ、たしてなんぼになる二つの数は?」
ということなので、習うより慣れろで、経験を積むのがいいと思います。
問題 x^2-2x-3を因数分解せよ。
⇔
「かけて-3、足して-2になる二つの数は何?」
答-3と1
よって、(x- )(x- )にその答をうめて、(x+3)(x-1)が本当の答。
ここで、-3と1を得るコツは、足してなんぼ(ー2=a+b)から考えると、答が絞れないので、かけてなんぼ(-3=a×b)を先に注目して考えると、答が見つかりやすいことです。
ところでK.Mちゃんは、素因数分解の意味や、因数分解のたすきがけを、教科書の説明にアンダーラインを引いて一生懸命理解しようとしていて、彼女のそういうところがいつもすごいなあ、と感心します。授業ののっけから、「今日は、因数分解と、連立方程式の応用と、平方根のことを教えてほしい」と言ってきて、結局それらを納得行くまで聞いて、かえって行きました。
福西@数の世界です。
最近のテーマは、「相加平均≧相乗平均」と、「シュワルツの不等式」です。
中村文則の数学の小手技が元ネタで、大変重宝しています。(とりわけこのページの元リンク「数学の泉」での、「北海道数学コンテスト」の取り組みは出色)
不等式の証明は、高校の最初に式の展開を習えば、あとは予備知識なしで自分の頭をたよりにできるはずなのですが、どうしてか遅くに登場し、先生によってはあまり熱を込めずに終わります。たとえば、

見た目がパズルチックなため、「好きな人は好き、でも嫌いな人は嫌い」となりやすいので、学校とは別ルートで自分から慣れておく必要があると思ったのが、導入の動機です。等式が「代数」の分野と関係して大事なように、不等式は「関数」の分野に付随して重要な概念だということに後で気づいたのですが、かくいう私も不等式は高校時代苦手でした。
どこらへんがパズルチックかといえば、たとえば、2)から3)を証明してみると、

というかんじです。これを面白い、と思えたら、(ちょっとまだ遠いですが)、数学の「関数解析」という分野が好きになっていくと思います。
福西です。
高校生の三人組と、何をしたいか決めながら、クラス作りを進めています。今のところ、
J君は、数Ⅰのチャート式
A君は、ピーターフランクルの問題集
T君は、「お話」系のプリント
をしています。A君、T君にも、J君のように長期的に付き合えそうな物を探してこようと考えています。(A君にはピーターフランクル系、T君には、どんなのがいいかまだ思案中です)
J君
学校の範囲が数Ⅱに移ったところなので、数Ⅰの範囲が乾かないようにします。
チャート式の基本問題はいい問題が多いので、全部解いてもらいたいのですが、問題番号で「偶数か、奇数か?」を選んでもらって、それからまず手をつけてもらっています。(これは案外長続きするコツで、私は院試勉強の時に研究室で教えてもらいました)。問題のレベルも、J君にとって一番いい手ごたえだったようで、その点でちょっと安心しています。
A君
「ピーターフランクルの算数教室」という、実は小学校6年生も解ける問題集なのですが、高校生の今なら、大分発想の自由度が上っているはずなので、A君なら自分で道をつけるだろうと思って、そうしてみました。さっそく、sinやcos、sin^2+cos^2=1といった道具を持ち出して、たとえば「この図形の面積は、sin2Θと書けるのではないか?」とか、A君らしく関係式の予想を立てて、検証していました。その途中で、別の思いつきや、数式が派生してくると、そちらも確かめていました。(辞書を引くみたいに興味が移っていくようです)
将棋で言えば、J君が「定石」を、A君が「棋風」を編み出している、といったところです。
T君 不等式の話
いつからこういう事をしだすのか分かりませんが、「数学を読む」ということに、T君は挑戦しています。手を動かす=数式を読みながら、自分にはまだない概念を取得する練習です。お話なので、面白そうな物を選んで、期待はずれなら、違うお話に変える。分からないところは「今はまだ分からない」とある程度読み飛ばし、それでも分かりたいところは、私に聞いてもらっています。T君は、数式を追うことを、特にがんばっていて、ようやくシュワルツの不等式になじんできたようです。
不等式の証明は、「詰め将棋」を解くような感覚です。
福西です。こんな質問を受けました。
「小学2年生の文章題なのですが、足し算なのか、引き算なのか、掛け算なのか、割り算なのかがよく分らないようです。何かコツがあるのでしょうか? 問題数をこなせばできるようになるのでしょうか?」
これはおっしゃる通りです。私も「数をこなすこと」が第一だと考えます。ですので、あくまで「数をこなす」ための補助として、考えたことを書こうと思います。
まず、文章題は一見、+ー×÷の4択問題に思えますが、本当は「+かーか」の2択問題、あるいは「×か÷か」の2択問題に絞り直せると言えます。×の問題でーを選んだり、+の問題で÷を選ぶことはめったにないと「見切れる」からです。そこで、こんなふうにまとめてみました。
<方針>
文章題は、「ニュアンス」がゴール前です。その近道は、やはり場数を踏むことです。しかしアテ物では寄り道が多いので、次のルールを道しるべにしてください。●文中に、『より』を見かけたら、+かー。どちらのニュアンスかは、「線図をかけば」確かめられます。(線図をさぼるのは、慣れてから)
●文中に、『ずつ』を見かけたら、×か÷。どちらのニュアンスかは、「もう一度読めば」確かめられます。(図はかえって難しいので、おすすめはしない)
<注釈>
図をかくことは、最初のうちは大事です。
問題から、図がいつのまにかなくなるのは、それをかかなくてもいいのではなく、「次は自分でね」という誘導です。最初に図で苦労すれば、あとあとサボれるようになってきます。それは文章題にキーワードがあるからです。
文中の
「より多い」という言葉には、+
「より少ない」という言葉には、-
が対応するのがふつうです。これでとっさに判断することができるようになります。
たとえば
①「AさんはBさんより5つ多いです。Bさんは6つです。Aさんはいくつでしょう?」
という問題では、6+5=11ですね。しかし、ひねった問題だと、
②「AさんはBさんより5つ多いです。Aさんは6つです。Bさんはいくつでしょう?」
という問題になり、6-5=1が正解になります。ううん…という感じですね。でも、2通りやり方を覚えないといけないのかというと、実はそうではないのです。結局、線図をかけば両方通用するのです。
A
福西です。
1年生のR君のドリルを見ていて、なかなか名案かも? と思った方法です。(指を折らないで、足し算をする方法)
たとえば、「5+3=?」。
<第一段階>(20問程度)
(紙に書かれた)3の上で、指をトン・トン・トンと3回叩き、
「…6、7、8」
とつぶやきながら、答を出す。(このとき、3(数の小さい方)を基点にしないことがルールです。でも、それを教えるのは案外ムズカシイ)
<第二段階>(30問程度)
頭の中で「…6、7、8」とできるようになる。
<第三段階>(30問程度)
慣れてくると、じき面倒くさくなって、頭の中で
「5→8」までジャンプ(あるいはスライド)できるようになる。
これを、ドリルで運動神経を作るように繰り返す。
ちなみに、このジャンプ(つまり1度やったことは面倒くさくなること)が得意になって来ると、10にジャンプすることも早くおぼえられるでしょう。そして、5+6=、5+7=…になれば、スタート地点を「10」に設定し直して、そこから残りをジャンプ、と2段とびができるようになって来ると考えられます。(5⌒5⌒1、5⌒5⌒2…)
図解「5+3=?」
≡ /⑤/<ジャ~ンプ!
福西です。
K君、T君、Hちゃんのクラスも、新鮮でした。
やっぱり学友っていい物ですね。
さて、去年の壁の「がんばり表」は、「マイル通帳」に生まれ変わりました。2年前のJ君時代の物を復活させたのですが、今年もハマってくれたので、うれしかったです。(最初は、「前の方がいい」と言われそうで、ドキドキでしたが)

(去年6年生だったMちゃん用)
「これがあると、さんすうもできて、一挙両得だね」と、賢いことを言ってくれるT君。彼には、3年生の5分間ドリルを渡してあって(もちろん計算が得意なのを知ってて)、案の定ばりばり進んでいます。となりのHちゃんがとても気になるようで、それもほほえましいです。
K君は春休み中に渡しておいたドリルが、まだ30ページ近くあった「はず」なのに、やり終えて、渡しに来てくれました。丸付けするのが、「なんと長い列だ、疲れるワイ」とは、まるでファビウス家の行列を見ているようでした。このクラスの私はもう、アンキーセスな気持ちです(分かる人には分かる(笑))。もう私は、若いこれからの魂に火をつける役目を、喜んで引き受けようと思います!
そして、Hちゃんの様子がまた新鮮でした。お家で宿題をしてきてくれた分を、さっそく丸をつけました。気がついたら、そのドリルはあと10ページちょっと。もう少しで、1冊完成です! きのう、5ページもしたので、本当にあと少しです。Hちゃんは、予約している次のドリル(2年生と3年生)があって、それをすごく楽しみにしています。順番に渡してあげようと思います。2年生のドリルは、今日、お手紙と一緒に届けてあげる約束をしています。
福西です。かず1年生のクラスもにぎやかですね。
最後ちょっとだけのぞかせてもらいましたが、どんなちょっとの上達でもいっぱいほめてあげられるのが、幼稚園の「てつぼう」みたいだなあと感じました。ほめる方がうれしくなってきて、それにまた応えて来るので、時間が過ぎてても、1ページやり出し、また1ページをめくり出して…終わらない!(笑)
「そっか! いえでやってきたらいいんや」
「いえでやってもいいの? これ?」
「ええよ(笑)、そらあ、ええ!」
山の下のお母さんたちにも、「まだやりたい言ってはるので、ぜひお家でも見てあげてください。今が旬ですよ」と言うと、うれしそうに迎えられてました。手をつないで帰って行かれたその後も、きっと展開があったと思います。
いや、いい感じでした。くわしいコトはまた、下村先生、お願いします。
今日の高学年は、このドリルをしました。

授業はあと3回しかないので、最後に自信をつけて中学に上がってもらおうと、この上なく「薄い」ドリルを探していたのですが、どうも本屋さんでは手ごろなのが見つからず…。というわけで、「有るなら使う。無いなら作る」の精神で、こしらえたのが、この「虎の巻」。
9ページという、この上なく薄くて、やりがいのあるドリルです。青は『図形問題ぢゃ!』、赤は『単位量あたりの数ぢゃ!』、そして黒は『比の問題ぢゃ!』です。三つで免許皆伝ぢゃ。(もうおぬしらに伝えることは何も無い…)
今日の授業で、がんばれば1冊1時間でできてしまう、ということが判明し、ある子は「宿題にする」またある子は「これ終わるまで帰らへん」と言ってくれたのが、思いがけずうれしかったです。
福西です。
小林:学問が好きになるということは、たいへんなことだと思うけれども。
岡:人は極端になにかをやれば、必ず好きになるという性質をもっています。好きにならぬのがむしろ不思議です。好きでやるのじゃない、ただ試験目当てに勉強するというような仕方は、人本来の道じゃないから、むしろそのほうがむつかしい。
(小林秀雄・岡潔対談『人間の建設』より)
「好きでやるのじゃない」という箇所は、高校数学の場合、公式の暗記にあたるでしょう。またこれは私の場合ですが、「極端にやる」というのは、問題集を何度もすることの前に、公式を自分で導けるようになるまで白紙に挑戦してみることでした。しかしそれをするのは、だいたい試験前の勉強に火がついてきた時期だったので、焦って問題集に終始する方が多かったのですが。しかし、ノド元過ぎれば何とやらで、暗記に頼ったまま放置していた箇所は、結局、大学入試前になってから、もう一度苦手意識を感じざるをえませんでした。反対に、時間を自分で確保して、「そこまで」やってみたら、本立ちて道生ず、というのは真実で、実際にそれなりの恩恵はあったことを思い出します。
基礎となる公式を、天くだりに暗記するのではなくて、公式になるまでの道筋を、先人の知を、主体的にたどっていく作業は、きっと数学を好きになるきっかけが隠されていると思います。
学校でノートに写したことをもう一度家で自分で繰り返すことは、時には、問題集に挑戦するよりも負荷のかかるものです。しかしそれをした後で問題にあたれば、「これは、よく考えてある問題だなあ」と、導出したての定理が出てくるたびに、問題自体も面白くなります。そうした流れが、今後の授業展開のポイントだと考えています。考えることを楽しめるのが、数学の授業の本来だと思います。
福西です。今日もすごいなと思ったことを一つ。
5×5×5×5×5=? という計算を、電卓でしてもらおうと
思ったのですが、T君は自分で計算したかったらしく、まず、
5×5=25
25×5=…
とやりはじめました。
この後です! T君は何と言ったと思いますか?
「25×4は100でしょ。だから、100に25足して、125」
おお~! みなさん、おわかりになったでしょうか??
25×5を、25×(4+1)
と、分解したのです。T君は、かけ算の分配法則を知っているはずがないのに、それを自分で発見した点が、非常な驚きでした。
T君は、前から
25×4=100
24×5=120
ということを、知っているので、それを利用できる形に直そうとしての、帰結でした。
じゃあ、次の×5。
125×5=125×4=500←ここはでも、筆算でやっていました。
「だから500+125で、625。何や、楽勝や」(T君談)
625×5=625×4+625
=2500+625 (2500も筆算で出してました)
=3125
5×5×5×5×5=3125
「…正解」
それは、電卓の答と同じでした。
というわけで、次回することは、
かけ算の分配法則 (a+b)×c=ac+bc
です。(ちなみにT君は2年生です。6七も、5八も、九九ならみんな好きと言っていましたが…)
上の計算、625×5には、(500+125)×5という別解もあることを示唆しながら、分配法則を使えるようになろうと思います。
福西です。昨日は、
・sinΘ^2+cosΘ^2=1
・余弦定理(cosine formula)
・三角形の周長と内接円の関係式
・正弦定理(sine formula)

をしました。これらの定理は、どんなに時間がなくても、暗記ではなく、自分で導出できた思い出を持たなくてはいけません。
いつでも(たとえば試験中でも)導出できる、そういうソースとなる定理を一つ持っているだけで、そこから芋づる式に出てくる他の諸公式まで、自分のものにできます。そうすると、今まで暗記に依存していたせいでの苦手意識が吹き飛んで、体系的な理解・自信につながります。数学は極端にやれば、必ず楽しくなります。
証明には、A4のノートを用意し、一つの定理のために、わざわざ1ページを使うのがよいです。大学生はそうします。(たとえ余白があっても、それは一生に一回のことぐらいに思って、大胆に次のページを使いましょう。)

そしてくどいですが、導出は2回してください。何も見ずにできてはじめて、自分の定理になります。「自分の」というのは、昔誰かが考えた知の道筋を、「自分も再現し、共有できた」ということです。 苦労して導出できた公式は、試験や問題集でいざ使えるたびにちょっとした感動となります。
次回は、
・加法定理
・和→積の公式
・三角比から三角関数
を導出します。加法定理さえ自分で証明すれば、和→積の公式は本当に簡単な足し引き操作で、芋づる式に出てきます。ちゃんと一からやれば、苦手になることはありません。次回も楽しみましょう!
あと余談ですが、
ピタゴラスの定理 c^2=a^2+b^2
余弦定理 c^2=a^2+b^2ー2 a b cosC
ピタゴラスの定理は直角三角形だけに成り立ちます。余弦定理は、さらにそれを一般の三角形に対して拡張したものです。余弦定理は直角三角形にも、もちろん成り立ちます。その時、「ー2ab cosC」という修正項は 0になります。私はこういう拡張されたものを手に入れると、世界が広くなったように感じるのですが、どうでしょうか?
福西@数の世界です。
先週は「オイラーの多面体定理」と4次元のサイコロをイメージする話をしました。
今週はメビウスの輪をきってみました。

(ふぞろいのメビウスたち)
次元や空間という話が続いて、話がふくらみすぎてきた気配があるので、来週からはまた高校数学の基礎に戻ります。
ちょうど学校では三角関数を習っているそうなので、sinやcosが定義を見れば「ただの分数」であることや、sinΘ^2+cosΘ^2=1の公式にピタゴラスの定理が出てくるといったことを確認しながら、この前までしていた初等幾何のおさらいというか、sinやcosといった解析関数を使っても理解できるところに、数学の素晴らしさがある、といった内容をしていこうと思います。
福西@かずです。
山びこ通信の原稿とは別に、今何気に思っていることを書いてみた文章です。
「ひらめき=天才」という命題
昨年、日本の新体操陣営がアテネ・オリンピックで活躍しましたが、その影響で、体操クラブへの習いごと熱が高まっているというニュースを見たことがあります。
取材に応じたあるコーチが、淡々と言うには、近所から通う子どもも、選手育成コースの人も、練習内容はひたすら基本となる動作の繰り返しで、特別なプログラムをこなしているわけではありません、ということでした。
ああ、そうか。これがあの9.875という数字となるのだ。と、吊り輪で回っている体操選手の映像が、何か立体的に見える思いがしたのでした。
審査員が見ている技の美しさとは、つまり膨大な基本の蓄積であり、過去であり、いわば結晶なのです。演技の華やかさに目を奪われがちですが、それを作り出す原理は、蓄積された基本にあるのだと。蓄積されているものを見ることは稀だからこそ、驚きとなる、それが新体操なのだと、その時には思えたのでした。
数学にも、『数学オリンピック』 (1)というものがあります。そこには、何時間もかけて、ひらめいて問題を解く楽しみがあります。しかしこの「ひらめき」という言葉はなかなか曲者で、人によっては、特別視すると同時に敬遠してしまうでしょう。『ひらめきは天才のものだ。私は天才ではない。だから天才のことは、私にはできない』という結論を導いてしまうのです。(2)しかし前提を誤っていることには、あえて気付こうとはしません。
ひらめきとは、基本を思い出すことです。たとえば、解けると思っていたのに、なかなか解けない問題があるとします。うんうんうなっているうちに、ふと、基本にある定理や定義に立ち返って、再出発すると、なるほど、解けた、ということがよくあります。この「なるほど」が、ひらめきのことなのです。幾何学で必要な1本の補助線は、定理1つと等価です。それはすでにどこかに「書かれているもの」なのですが、最初に習った1回で、それを使えるようになったと心得てしまうのは、体操選手の大車輪を1回見て、自分もできると空想するのと同じです。泥臭いですが、何度も基本をおさらいして、ある日、補助線が「一度やったことのある定理」に見えた人は数学において強いですし、結局、数学を好きになっていきます。本当に基本問題に夢中になっていれば、「私にはひらめきがない」という口癖もおのずと消えていることでしょう。(福西亮馬)
(1) 数学オリンピックの目的は、それに参加した人が、自身の数学への好奇心を再確認し、参加した後は、数学それ自体に向かって行ってもらうことです。参加することに意義がある、というのはそういった意味です。数学オリンピックは、数学それ自身に対する窓です。ゴールではないです。
(2) ひらめきは決して天才のものではありません。なぜなら、外から与えられるのではなくて、内にあるべきものだからです。また、天才ということにしても、本当の天才は、内にあるものです。(内にあるものを外から与えられたと謙遜するのは、別のこととして善いとは思います)。
福西@かずです。
前回はお休みが多くて、低・高2クラスともマンツーマンでした。

(上が2年生のHちゃん。下が6年生のJ君)
それぞれの今日のがんばり記録です。
年始めの授業は、ストーブをたきながら、とてもゆったりと時間が流れていきました。
今日はお相手が一人なので、私はお母さん役になりきろうと思い、鉛筆の動きから眼を離さないでいることができました。少しずつ段を上っていく問題を、共に味わうのも、なかなか楽しいことですね。
宇梶先生についてもらっていたHちゃんも、最後見た表情は、はかどった様子で
した。背伸びして、今日の分を付けて帰っていきました。
福西@かず(高学年)です。
昨日はMちゃんがドリルを2冊突破。3冊目をがんばっています。
J君も2冊目。Y君も、1冊目のあと6ページまでこぎつけました。
グラフの模造紙は2枚目に突入。

パンパカパーン!
J君が今日、ドリルを1冊終えました。
おめでと~う!
(次は5年生から、6年生の物をするそうです)
Mちゃんは先を越されて、くやしそうだったとのこと。
次は、K君がそろそろ1冊終わりそうです!

(天辺にだって、とどきそう…)
だれだったかが、あの表、32まで「しか」目盛りあらへん
と言っていましたが…
そんなのはお安い御用です! 作ってあげるから!
福西@「数の世界」です。
高1のJ君が加わって、クラスがにぎやかになりました。
この前の授業は、解いた問題を「説明すること」に重点
をおいてしました。
青春ライブに来てくれている中3のT君も、冬学期から
参加することになっているので、ここが、研究室の「先取り」
の場所になればいいなあと、考えています。
(来年高1になって、数学オリンピックに出ようか考え中の
T君にとっては、今高1の先輩二人の姿は(うち一人は数学
オリンピックに実際出る)は非常にいい未来への刺激になる
と思います)
今日もドリルをがんばりました。「一冊やり終える」
ということに、ちょっと、希望のヒカリが見え出して
きているところです。
さあ、今はどうなっているでしょうか?

見てください! 左! 1・2年生も、「ぼくらもあれ(右)と
同じことがしたい!」ということで、先週、表ができました。
今日もまた、少し伸びたようです。
福西@かず(高学年)です。
今日はうれしい日です。さっそく、「やってきた」と、
自分でドリルを宿題にしてきた生徒がいました。
(自分が自分に宿題を課すことが、このクラスの最終目標!)

そして、「今日は、10分早く終わって、外で遊ぼうか?」
と提案したのですが、生徒たちには不評で、何だかいつ
の間にか、かき消されていることに私は気付きました(笑)。
それぞれがそれぞれの目標を立てて、たとえば自分で
「今日は何ページする」という願をかけて、それを達成
することの方を優先したのだなと分かりました。
いやあ、失敬! でも、ドリルをやりはじめて良かったです。
ということで、次は宇梶先生にバトンタッチ!
T君は毎週重たいかばんをして、チャレンジや問題集
を持ってきてくれます。今までは2、3ページをしていた
のですが、「もっとこれに力を入れてもいいのではないか」
と思い始めています。小学校の時に「やり遂げた」ドリルは
1冊あると、かなりの思い出になるからです。
(ただ、T君はすでに2年生の物で一冊やり遂げたドリルが
あるそうです)
4年生くらいの先取りをした方がいいのか、2年生の内容
をしたらいのか、もっと算数(というか数学に近いもの)で
遊んでいいのか、と、いろいろ私は思うところがあって、
お母さんにご相談したところ、実に心洗われる返答をいた
だきました。
「親ではない人で、(T君の)算数を好きという気持ち
を分かってくれる人がいてくれることが有難いです」
可能性のあるT君に、あれもこれもと思う際に、
非常に大事な指針をいただいた思いがします。
福西@かず(中学年)です。
今日はあみだくじを自作して、
A×B=B×A
が成り立つかどうかを調べました。
AとBのあみだを、そのままつなげたり、ひっくりかえしてつなげると、どうなるでしょうか?
ね? 一緒「じゃない」でしょう?
数っぽく表現すると、
A×B= (1 2 3) B×A= (1 2 3)
(1 3 2) (2 1 3)
普通の数の世界では、
AとBにどんな数を代入しても、A×B=B×Aとなるのですが、
=とはならない世界の中に、=となる世界があることを、いつか
行列あたりを勉強した時の、2度目の鈴の音(情緒)になって
くれたらいいなあと思ってやってみました。
そこでまたすごい話ですが、
T君はおもむろに
A+B=10
と書き始めて、
A+B+C=11
B+C=6
A+C=
「…もうわかった?」
とこちらに質問してきたのです。
T君が文字を使って式が書けることに驚きました。
思わず、
「A×B=?」
「25」
「じゃあ、B×Aは?」
「25」
「ほら、いっしょ!」
と、話を持っていってしまいました。
念のため、誤解がないようにドリルの件は補足すると、
ドリルだけをしたらいいというのではなくて、今まではど
ちらかというと

のような授業風景が私(福西)の場合は多かったので、
今回しっかりとドリルをやろう、思うことも大事だけれど、
ドリルも両方あって両方良くなる授業にしていこうと考
えています。(ちなみに写真は昨年の)
これがその表です。(名前はまだないです)

「かず」のクラスは木曜日ですが、彼らは火曜日の「ことば」の
クラスにも来ています。その彼らが、かずのクラスではない時
間帯(ドリルをやらない時間帯)に、あの壁を見たら、やる気が
湧くんじゃないかな? というのも、実は「狙って」います。
四国の二期作ではないですが、火曜と木曜に(家でやってきた分を)、
棒グラフに書き足せるのを楽しみに思う子も出てくるのではないかなあ、と。
(さあ、どうなるか)
福西@かず(高学年)です。
高学年のクラスでは、基礎には
「やっぱり、ドリルだ!」
ということを再確認して、相棒・宇梶先生と、この新兵
器(といっても昔からあるわけですが)の導入につい
て打ち合わせしたところ、
1 6年生だけど5年生のドリルを、
2 何種類か用意して、
3 子ども達自身に選ばせて、
4 それを1冊やりとげたという達成感を持たせる。
のが、いいだろうということになりました。
風邪も代わりに引いてあげることはできないのと同じ
ように、勉強も代わりにしてあげることはできません。
「自分が勉強している」ということが端的に分かるのが、
ドリルの世界で、(自分が)やった分だけが力に変換
される、ある意味分かりやすい世界です。
これがやっぱりないと、片手落ちですね。こういう世界
でも、努力することの価値もやはり伝えていかなけれ
ばならない。(でないと、「思いて学ばず」になってしまう)
なるほど大学で言う、「演習」をしているわけです。
それで、さっそく昨日からドリルがスタートしています。
昨日は宇梶先生がクラス担当でした。昔6年生だった頃に
5年生に戻って算数をしたことが、自分の中で意味があった
ことを手がかりして、5年生のドリルをやらせてみたところ、
その反応は自分のときと同じく、「当たり」だったようです。
(このあたりの子ども達の反応の、書き込みをお願いします>宇梶先生)
生徒たちは幸い、やる気が一人下がっていても、ほか
の二人が盛り上がっていて、それにつられてまた最初
の一人が盛り上がるということを繰り返しているムードです。
ですので、壁に今、生徒たちに作ってもらった表が、ドリルを
1単元(だいたい2ページ分)したら塗れる表が、はってあり
ます。これで、まあいちおう、同じ価値が、生徒同士の間には
生まれたことになります。(no pain no gainのバーチャルな
世界が作れたわけです)
それで、今各自の持っている三者三様のドリルは、どうやら
彼らにとっては、6年生になるまでも含めて、最初の「やり終
えたドリル」になるらしいです。宇梶先生も私も、その「思い
出作り」に参加しているのだと思うと、大切にしないとなあと
いう気持ちになります…。
ドリルと言うと、子ども達は飽きてしまうのか? という
と、むしろ、飢えているのかもしれない、というあたりの
白黒を見抜くのが、生徒にドリル(という球)を投げると
きの先生の選球眼ではないかと思います。
(いつもいつもドリルを敬遠する先生だったら、生徒自
身、バットを振って塁に出たいと思っている時とずれる
恐れがあります)
さてさて、だれが一番最初にドリルを宿題として自分から
「やってきた!」の産声を上げることになるのやら…。
福西@数の世界です。
昨日は合同式のおさらいと、
連立合同式(中国剰余定理)をメインにしました。
クイズ
「5で割ると2あまり、
7で割ると3あまり、
11で割ると7あまる
数は?」
問題を、合同式に翻訳すると…
x≡2 mod 5
x≡3 mod 7
x≡7 mod 11
素直に計算すると、
13x≡256 mod 385
となってしまい、ちょっとこれを解くのが、また一苦労だったのですが…。
A君、何度か、ぬか喜びを経験したあとも、あきらめずに(私が途中
あきらめかけたところ…)
「お、割れましたよ! でました」
と、その答えを教えてくれました。
x≡-158≡227 mod 385
実際、合同式で解いたことのメリットは、
「何で割ると何あまり…」という題意を満たすような数を、
一つだけでなく、すべて尽くせる点にあります。つまり普遍的です。
x=227に、385や38500を足した数、612、38727も、
5で割ると、2あまり、
7で割ると、3あまり、
11で割ると、7あまります。すごいでしょう?
連立の合同式が、「解を持たない」場合のこととか、「解があれば
それが唯一である」こととかにも踏み込もうかと思ったのですが、
とりあえず、「法が互いに素である」場合だけに限って、このように
遊んでみました。
来週は、ガウスの記号です。
福西@高校・数の世界です。
『道具力』──あるいはすっぱいぶどうの経験──
1
「ぼくの日本における最大の夢は、日本に数学コンテストを根付かせること」というピーター・フランクルの話や、数学オリンピックのことを知ったのは、「数の世界」に来てくれている、A 君を通じてでした。
A 君は高校1年生です。その話を聞くと、学校ではクラブで、友達と数学オリンピックの問題を解き合っているそうです。そこで、私も遠隔からですが、山の学校の授業で付き合ってみようと考えたのでした。
それまでの私は、お恥ずかしい話ですが、高校時代からの偏見をそのまま引きずっていました。数学オリンピック、と聞いたときの、当時の印象を思い出すと、学校の授業についていくのが精一杯だった私は、自分の能力不足を思い知らされるのが嫌だったので、こう言ってのけていたのでした。
「そんなものを解けたからって、一体どうなるんだ」と。
本式の国際数学オリンピック(IMO)の制限時間は9時間。6問を解きます。私たちがクラスで解いているのは、日本の、それもまた予選問題なのですが、私のようなアマチュアには、その予選の1問にでも、1週間かかって解けたら「万歳」が出てしまいます。アイデアがひらめいて解けることは、正直、嬉しいです。(ちなみに予選は3時間12問と、ちょっとせわしないですが)。そしてそこで試されるのは、道具を使う力よりも、作り出す力だと、つくづく思います。私はこれを、『道具力』と呼びたいと思います。ちょっと定義しておきます。
「道具力とは、定理を証明するために、途中の補題を作り出せる力のことである」
つまり、道具を使いこなす力ではなくて、作り出す力のための定義です。「必要は発明の母」と言いますが、数学オリンピックの問題には、まさにそのような力が試されます。
数学でいう『道具』とは、定理を証明する準備となる、「補題」(complement とか、lemma とかいうもの)のことですが、まずひらめいた事柄を、確かだとする補題を作り、それを鍵にして、定理を証明します。 補題ができ上がれば、あとはそれを問題に応用するだけなので、勝ったも同然なのですが、その補題に、過去の数学者が作った既成品の定理を利用することも考えられます。もちろん、それでもいいのです。気付くことが大事だからです。しかし、もし知らなくても、自分でそれに類することを作り出して、前に進める自力はもっと大事ですし、根本にあります。それが1問に何時間も用意されている理由です。
自前の補題が問題に通用しないようだったら改良する。または別のアイデアから、別の補題を作る。そうした試行錯誤の中に喜びを感じ取る、というのが、私が数学オリンピックの問題を掴んだ時の感覚です。(こう言うと偉そうですが、実際の私はほとんど解けません)
素手でゴリゴリとやっているうちに、解ける問題もあります。しかし解けるかどうか分からない問題は、未だ新しい道具が人類の脳みそに不足しているから、未解決なのだ、と思いながら、頭を悩ませるところが、「解けるかどうか分からない」問題の醍醐味です。
あたかも未知の問題として目に映るような問題に挑戦すること。そして人の道具を借りるよりも、自分で必要を感じて生み出した道具を使って、前進すること。
つまり、真に将来の未解決な問題を解く時の練習をしているのです。あるいは、「解けたからって、どうなるんだ」などという私の古い印象は、ぶどうを前にしたひがみでしかないのです。
2
ところで昔、私は、「似顔絵」というものが、肌色の絵の具がなければ描けないものだと、強く思っていました。幼稚園の頃の話です。そして、「どうしたの?」と、先生がやってきて、パレットの上に橙と白を混ぜると、知っているあの肌色が、みるみると浮かんでくることに感動を覚えました。
私はこの「混色の原理」を自分の物にしたくて、「どうして肌色になるのか」としつこく聞いて回った覚えがあります。質問された側は、どうしてと言われてもそうなるのだから、と思ったことでしょう。
今あの時の私が聞きたかったことを翻訳すると、その疑問は、肌色に限らず、「どんな色でも、同じようにしたら作り出せるのか」ということだったのです。たとえば茶色は、幼稚園児にとって最初から絵の具の色として用意された、おなじみの色ですが、もしなくても、橙と黒から作り出すことができます。しかしそれを知らなくても、「混ぜれば何とかなる」ことを知っていれば、試行錯誤のうちにはいずれ、その組み合わせに気付くでしょう。私はその「組み合わせ」に夢中になる物を感じました。
これまで肌色やそれに類する色がなければ描けなかった世界が、ぐんと広がりました。幼稚園時代に肌色を伝授してくれた先生は、だから私の恩人です。桃色とか黄土色とか、いつも最初に「絵の具の色」として見る色が、なくても、今ある色からひねり出して、それを友達に教えることができました。そうすることで、それまで苦手だった(というか拘束に思えた)お絵かきの時間から、悠々自適の世界へと一歩抜け出したのでした。
数学でいう知識、つまり数の論理的・構造的な事実もこれと同じなのです。過去の数学者によって確認され積み上げられたそれは、知識の「構造物」です。それは、それ自身の、ちゃんとした土台の上に立っているからこそ、そのように大きくなるのです。それがために、基礎的な部分を、絵の具でいうと十二色程度は知っておくことは、まず必要なことです。
しかし、必要というのも程度の問題で、十二色よりも二四色、四八色…といって、二五六色最初から知っておかないと、解けないような問題は、本当の意味で解けないのではありません。
必要とされる知識に近い知識を、はじめら持っていれば、確かにスマートに解けるでしょうが、そのことに問題の難しさが依存しているのではありません。知識を自作できるかどうかにかかっているのです。ちょっとしたロビンソン・クルーソーになれば、知識を学ぶことも、知識を発明することも、両方大事だと分かるはずです。
しかし知識を発明するには、無人島に行くぐらいの、それなりの覚悟がないといけません(と私は思います)。その問題を解こうとするのは自分であって、それに関心のない人が、自分の代わりに道具を発明してくれることはないのだ、とそのように自分に言い聞かせている人が、こつこつと、作り出した道具は、どれも誇らしげに見えます。ぶどうの木を初めて見て、それが欲しいと思った最初に人間になって、色々なものを発明することは、とても楽しいことです。
私は、知らないことが知識の真の限界ではないことを、痛切に感じます。反対に、「知らないから解けない」で止まってしまう自分が、少しずつ脱皮していくことは、苦しみながら楽しめる作業です。作り出せないから、その意味で解けないのだと思って、諦めない。そして少しずつ自在になれる。自分の思うように行かないことが、許容範囲になる。
「知っていれば使う、なければ作る」この単純な行為の組み合わせで、問題を解決することは、何も数学に限ったことではありません。
複雑な道具が現在の世の中を支える一方で、その道具自体を作る基礎力が次の世代、また次の世代へと受け継がれていかないと、世の中はどんなに努力しても、縮小再生産の道をたどることになりかねないでしょう。
そのことを杞憂に吹き飛ばすために、教育はますます盛んになるべしです。作り出された道具を、次の世代にもたらすだけではなく、作り出す力を育てる点においても。
ぼくは実際扱ったことがないので想像の域を出ないですが、
文学の文献学も、構造の研究をしているのかもしれませんね。
A+B=Cということが一般に認められるとして、
ある文学作品について、
1巻には、Cという文章が書かれている。
これは真か偽か?(原作者の言葉か?)
という問題を提起します。
すると、これを証明するために、
2巻では、A
3巻ではB
ということが書かれていることを示します。
すると、A+B=C より、
Cが、作品の中に存在することは必然である、と。
(あとは、それが1巻の「そこ」にあることを示す作業があるわけですが)
Pは簡単だと思ってなめていると、
ちょっとやっかいなのが、円卓の場合です。
○○
○ ○
○○
円卓は端がないからです。
(1)もしこの椅子が、それぞれ形の凝った椅子だったとしましょう。
つまり「顔がある」場合です。
これに6人が座りにきました。
大事なのは、「最初に1人置いてみる」
ということです。
①②
● ③
⑤④
上の座り方は、何通りでしょうか。
「椅子1に座る」
「椅子2に座る」
「椅子3に座る」
「椅子4に座る」
「椅子5に座る」
「椅子6に座る」
は、それぞれの意味の違いを尊重して、6通りあります。
となると、あとは椅子が一脚ずつ減っていくので、
6・5・4・3・2・1 通りです。
(2)しかし、もしこの椅子が、同じ椅子だったとしましょう。
つまりやっかいな、「顔がない」場合です。
さあ、さっきの6人がやってきましたよ。
大事なのは、「最初に1人置いてみる」
ということでしたね。
○○
● ○ ←どれも同じ椅子
○○
上の座り方は、何通りでしょうか。
「椅子に座る」
「椅子に座る」
「椅子に座る」
「椅子に座る」
「椅子に座る」
「椅子に座る」
これは6通りでしょうか? いいえ、1通りですね。
ということは最初の人Aさんはいけにえで、いてもいなくてもいっしょ
という役目になります。
○○
●A ○ ←後の5人 B、C、D、E、Fさん
○○
しかし、いけにえのAさんから見て、「左」とか「右」とか、
座り方に「顔が付いてしまっている」ことに気付きますか?
そうです。Aさんが座った時点で、残りの椅子は、「顔のある椅子」になったのです。
ということは、5!で、
5・4・3・2・1 通りです。
最初のAさんの座り方が無視されて、6通り→1通りになったからです。
もう一度書きなおすと、
6・5・4・3・2・1
福西です。
この間、「数と自然」のクラスで今学校で順列と組み合わせについて
質問があったので、まとめておきます。
使う記号は、
!(階乗)
P (順列)
C (組み合わせ) の三つです。
P はなじみやすいのに、どうして Cになるとあれほどワケが
分からなくなるのでしょうか…?
それは、
「顔があると迷わない」 P
「顔がないと迷う」 C
からです。顔がないほうが難しいのです。
数え間違いをしないためには、「同じ物を二度数えない」
という鉄則があります。
顔の区別があると、
「ジェシー、ジョーイ…あれ、ミシェルって言ったっけ?」
ミシェル「うん、最初に言った」
と、本人の口から「特別に」答えてくれますが、
顔の区別がないと、
「ラット、ラット …あれ、こいつはカウントしたっけ?」
「……」
と、どのラットも「同様に」答えてくれません。
C の「あの」分母は、二度数えた者を消すために、あるのです。
5・4・3
5C3=
質問「絶対値は、役に立つの?」
絶対値は、すでに中学で出ています。しかしほとんど定義だけ
触って、つまり教科書のほんの少しの練習問題をしただけで、
通過した過去の記憶になっているはずです。
定義だけ見ていたら、確かに当たり前すぎて、砂をかむようで、
練習する意欲がわきません。しかしそうやって、いつの間にか
苦手になっている記号なのです。
最大・最小問題がせっかく好きなのに、その式に | | が
混じっているのを見た瞬間、「お手上げ」になるシーンが予想
されたので、最初に絶対値を復習しました。それでも授業の分
だけでは、全然練習量が足りなかったはずです。
私自身、模試で絶対値を見たらもう「お手上げモード」の一人
でした。しかし今では、これを「待ってましたモード」に切り
替えることは(たとえ教科書の練習問題が少なくても)可能だっ
たと思います。
何のことはない、普段から| |を見た時に、外していれば良
かったのです。普段| |を見かけないならば、自分から普通
の関数に| |を付けてみれば良かったのです。その絶対値を
またはずして、グラフをいくつも描いているうちに、x軸で折
り返すこととか、自然と発見することがあって、友達になれる
はずなのです。
私が絶対値と友達になれなかったのは、自分から遊びに行かな
かったからだと、今では思っています。
ためしに、今からでも目に入る関数に、絶対値をつけてみてく
ださい。それで予想もつかないグラフが描ければ、きっと面白
く感じるはずです。
実を求めるなら、絶対値は場合分けの練習になります。
とりわけ不等式と組み合わせて、領域の「内部」か「外部」か
を表現したい時に使います。
またその先には、複素数の所でも、積分で面積や体積を求める
所でも、絶対値は必ず顔を出してきます。
最大・最小
二次関数にまつわる本質的な問題です。
二次関数は、一般に y=ax^2+bx+c で表わされます。
a >0 下に凸 最小値問題
a <0 上に凸 最大値問題
aの符号にいつでも注意するくせをつけて、平方完成をします。
y=a{ x^2+2(b/2a)x }+ c
=a{ x^2+2(b/2a)x +(b/2a)^2 ー(b/2a)^2} +c
=a(x+b/2a)^2 + cー b^2/4a
~~~~~~~~~~
途中の計算で欲張らずに、上のように機械的にしましょう。
平方完成させた式で、2乗の部分が=0となるとき、
y=c- b^2/4a = Min or Max
a < 0 の時は、a(x+b/2a)^2 < 0という借金のおまけがないから、最大値です。
a > 0 の時は、a(x+b/2a)^2 > 0という貯金のおまけがないから、最小値です。
うんちく
絶対値は絶対負けない(負にならない)
絶対値の定義 |x|≧0
={+x x≧0 …|x|=x≧0
{-x x≦0 …|x|=ーx≧0←負にならない工夫
^^^^^^
↑が大事!
立ち止まったら、定義に戻ろう!
一方、ルートの値が負になることもないので、
√(x^2)={+x x≧0
{-x x≦0
よって、|x|=√(x^2) (≧0)
絶対値のある式は、1本の関数が2本になって、
必要な所だけをつなぎます。
あるいは、「折り返す」ということが本質です。
定数 y=|-3|
一次 y=|x-1|
二次 y=|x^2-3x+2|
絶対値が2つあると…うーん、「折り返す」技はちょっと使いづらいので、
普通に「場合わけ」して、考えましょう。
y=|x|+|x-1|→y={-x -x+1, x<0
{ x -x+1, 0 ≦-x<1
{ x +x-1 x>1
福西@「数と自然」の代理です。
「最大・最小の問題がもっと得意になりたい!」
というリクエストがあったので、最初の授業は、
次のような目標を立てました。
目標
「二次方程式」の
「絶対値」つきの
「最小・最大値」の問題を解けるようになること
福西@かず(高学年)です。
むかし、「棒たおし」(あるいは「棒とり」)に熱中したことはありませんか?
砂山に棒を立てて、砂を取り合う、あの遊びです。
(棒が倒れたら今までの努力が水の泡という…)
この前、授業の最後に、素因数分解を使って、
数でいう棒たおしをして遊びました。
以下は、A、B、Cの三人でした場合です。
(1) 割り切る数の多そうな数を自分たちで決めます。この数を取った人が負けです。
そして、何分間か猶予を与えて、素因数を○に埋めます。
(2)ゲーム開始! 表にある数をいい、それを割り切る数も取れます(全部とらなくてもかまいません)。ただ、その合計がプラス点になります。
(3)次の人は、表に残った数のうち、必ず一つ、言わなくてはいけません。(56だけが、マイナス点で、あとはプラス点です)
(4)だんだん、取れる数が減ってきましたよ。
(5)最後の56だけが、マイナス点です。
結局、A君は41-56=-15点
Bさんは8点、
C君は1点となりました。
次は、負けた人が、数をとる順番(2番目でも3番目でもかまいません)と、新しい数を宣言できます。
この例では、本当は56の素因数には、14もあったのですが、3人とも見落としていました。
もし14が見つかっていれば、A君は14が言えたのです。つまり、56をとらずにすんだわけです。
*このように、開始する前に、なるべく多くの素因数を見つけることが勝敗を握ります。
*ちなみに、間違った素因数をもし言ってしまったら、それはお手つきマイナス点で、
また表にある別の数を言い直さなくてはなりません。
最後はこんなふうに、得点表を作って、平均の推移を考察しました。(ちょっとこじつけですが)
福西@かず(高学年)です。
9/9
今日は、九九の表をカードで作って、
その対角線にある数に着目しました。
とまあ、こんな感じでクイズをして、二乗の数に慣れてもらうことをしました。
(121、144、169、196,225ぐらいまでは、ぜひとも覚えてほしい数ですが…)
ちなみに、二乗の数に慣れておくと、予防注射みたいなもので、中学でルートを
習うころに風邪をひかなくてすみます。
さて、もし13の二乗を知らなかったとしても、12の二乗から、
計算できる方法があります。
100→121 21増える
121→144 23増える
144→ ?
?の箇所は、つまり25増えているはずなので、
169であろう、という予測が立つわけです。
福西@かず(高学年)です。
9/1
前回に、「平均とは、全部足すこと」
と言っていたMちゃんが、
「平均とは、全部足して人数で割ること」
とみんなの前で発表してくれたことが、記憶に残っています。
小学校でも習ったばかりだったので、そこで理解し直してくれたようです。
このように、定義を自力で(何も見ずに)言える
ことはとても大事だと思います。
「人数で」という表現は一般的ではありませんが、
「○○で割る」という後ろの言い回しが出てきた時点で、正解でしょう。
さて、今回は方眼紙に各自、好きなでこぼこの棒グラフを描いて
もらって、平均の高さに線を引く作業をしました。
すると、棒グラフの総面積は、
「平均」×(よこ)
であらわされます。これが今回のテーマです。
カーブのついた図形の面積は、計算できなくても、
長方形ならできるからです。
(単純ですが、定積分がつまりそんな操作です)
また、区間をいろいろ取ることで、平均値が変わることも
面白いテーマだと思ってやってみました。
○
○○○○○ ○
○○○○○○○○○○○○○○○○○○
←A→
← B →
← C →
高いデータを加えると、平均が上がり、低いデータを加えると
平均が下がるということは、当たり前ですが、やってみると
確かめられました。
また、
「平均値が、最大値と最小値の間に必ず存在すること」
というのも、当たり前ですが、分かることはすべて調べて
見るという態度で。
さらに、
4 ○
3 ○
2 ○
1○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○
さて、これの平均は? ときくと、「2と3」の間ぐらいに
線を引くのが、大体の直感ですが…
しかし、これの平均は1.15です。
ほとんど、1のすれすれに線を引いてみると、
ちょっとした驚きが味わえます。
好きに棒グラフを描かせると、どの生徒も一度はピラミッドを
描いていました。その平均を計算しようとすると、必然、
1+2+3+4+5…という和が出てきます。
これはまた面白いテーマで、
● =1
○●
●● =4=1+3
○○●
○○●
●●● =9=1+3+5
○○○●
○○○●
○○○●
●●●● =16=1+3+5+7
と、二乗が、奇数の和であらわされることを意味します。
次回はそれで遊ぼうと思います。
福西@今度は、かず(高学年)です。
秋学期の最初の3回分を振り返っています。
8/26
画用紙から自由に切り取った20個の四角形の
「大きさ」を評価する方法を考えて、
(1)大きさの「はかり方」は、面積一つではないこと
(2)「平均」の幾何学的なイメージが面積であること
という、資料の整理と平均についてしました。
「何をもって四角形の大きさと言うのか」
という基準(こういうのをノルムと言います)は、
各人各様に定義することができます。
その中で、自然な概念が「面積」なのですが、ほかにも、
四辺の和、
最長の辺、
最短の辺、
対角線(の長い方 or 短い方)…
など、人間の考え付く限り、四角形にはいろいろな場所に定規が
当てられます。「人間は万物の尺度」です。
また、適当に切った紙の四角形なので、一辺が直線でないことも
大きな自由度を持っています。自分がどういう定規の当て方をす
るかで「曲がっている」ことへの扱いが変わってきます。
また、4.24・・・cmを、4とするか5とするかも、計り方にバリエー
ションを与えるでしょう。
これが現実問題であって、それに直面した自分が、
「どこをまっすぐと考えて定規を当てたか」
「どういう値をよしとするか」
という具体的な感覚は、六年生ごろから、ぜひ身につけてほしいと
私は考えます。(私がそういう教育を受けなかった反省によります)
このように、ある問題に、自分で「計り方」を導入することは、
かなり重要なことのはずなのですが、小学校のうちは反対に
「平均なら平均だけ」の計算しか、教えられていない気がします。
簡単に言えば、遊びを一から作りはじめるところまで、遊び込んで
いないように思います。
(そして小学生のうちに遊びをおあずけにされて、中高生で遊ぶ
お膳立てが揃った時には、もう遊ぶ興味を失っている中高生が、
いるとしたら、ここから出てくるように感じます)
ところで数学には、物の見方といったアイデアを、(「計り方」は
まさにそうですが)、式に書いて、人に説明できる強みがあります。
また、その「計り方」を変えると、問題(今は四角形の資料)の
「見え方」が変わるというのが面白い点なのです。
問題をある「計り方」で計れば、何がしかの結論が出てきます。
しかしそれは、面積で計ったのなら、「面積の意味で」、
最大値で計ったのなら、「最大値の意味で」、
言えることであって、それ以外の意味ではないことも、
計った本人が頭に留めておかなければなりません。
「一つの計り方は一つのことだけを計ることができる」
という常識の上に、それぞれの計り方が、それぞれの意味を持ちます。
この常識の土壌をなくせば、すべてが意味を失います。
「平均」もしかり、いつか習う「偏差」もしかりです。
本当に頭を動かさないといけないのは、「計り方を定義する」
ところであって、そこから問題をつかむこと、つまり一から
問題をはじめるという部分にです。
この「頭を動かすこと」を誰かが肩代わりして、たとえば先生が
先に黒板で与えておいて、「さあやってごらん」というのは、もちろん
生徒にすれば手を動かすことの習熟には効率的ですが、それだけに
努力するのは正しくはない。
計算はその意味を考えた後に(あるいは計算した後にそれが
再発見されるがゆえに)しているのだという感覚も、計算に
習熟するうちのどこかの時点で育っていかなければ、と考えます。
「面積」や「平均」を、あたかも一通りしかない物の計り方であるかのように
思わせられて、その代わりに計算ができるようになる。そんなトレードオフ
にならないように教える責任を、小学生がはじめて「面積」や「平均」といった
概念に触れる時に付き合う者としては、背負っているのだと自覚します。
福西@かず中学年です。

T君は、いつも膨大な問題集を、自転車に乗せて
持ってきてくれるのですが、昨日はその中から、
色ぬり100マスと、魔方陣のパズルをしました。
その「色ぬり…」を見ていて、普通かと思ったら、やはり
T君でした。
「グウスウなら赤、キスウならピンク、ソスウは黄色」
と、ぬり方に工夫が見られました。そこで
ソスウという言葉が、普通に出てくるところがスゴイ。
おかげで、いいさくらんぼ(の絵)が実りました。
おしまいにした「8クィーン問題」
というのはこんな感じです。
いきなりクィーン8人では難しいので、7人で挑戦。
5人ぐらいから急に難しくなって、ああでもないこうでもないと
しているうちに6人目が置けました。そして最後の7人目も。
「できたやん!」
T君も、うれしそう。
そこで、
「すごいなあ。本当は8人までおけるんやけど、7人でもすごいことや」
という言い方をしてしまったものだから、
俄然、T君の心にまた火をつけてしまいました(^^;)。
結局その日のうちに、彼は
8人目を置いて帰って行きました。拍手。
福西@かず(中学年)です。
「たけやぶやけた」といえば、回文ですが、誰が名づけたか、
「回文数」
という物もあって、
こんなかんじで。
これでまた、T君とオリンピックをしました。
参加者は…。
29 48 77 78 79 98 99 の、七人。
それでは、いちについて…よーい、どん!
というわけでした。
あとで計算まちがいがあることに気付いたのですが、実は98は、
もっとすごいんです。
どこまでいけるのか、興味がある人は、ぜひやってみてください。
福西です。
今、高校一年生の数学では、ちょうど順列・組み合わせを
していて、その発展に「二項定理」と「パスカルの三角形」
が登場しています。
A君が発見して、昨日さっそく持ってきてくれたことには、
福西@「数の世界」です。
教科書は「数学オリンピック教室」(野口廣/著)
というものを使っています。
昨日の授業は、合同式をしました。
高校生で習うことはありませんが、A君にとっては
いざという時の、ドラえもんの道具になりそうなので…。
(ちなみにA君は、数学Laboというクラブに入っていて、
数学オリンピックの問題を解くことに興味があります)
合同式の練習問題として、
1 5x+3y=50 を満たす自然数の組をすべて求めよ。
2 5x+3y=61 を満たす自然数の組をすべて求めよ。
3 38x+105=2 を満たす整数の組(x,y)を3つ求めよ。
4 40C20を41 で割ったあまりを求めよ。
をしました。4はオリンピックの実際の問題。
さて、これ以外の場合でもやってみて、自信をつけておき
ましょう。
宿題 30C15を31で割ったあまりを求めよ。
40C30を41で割ったあまりを求めよ。
福西です。
「中2・数の基本」の下村先生の代理の
授業記録です。
秋学期1週目は、
相殺 ←なんと読みますか?
によって、連立方程式を解くこと(学校でしっかりと教えてもらって
いるようで、ほとんどおさらいですみました)と、文章題をしました。
前回、生徒に同じ問題を配ったら、解く時間にばらつきが
出てしまったので、その反省として今回は練習問題を
別々に用意しました。(幸い二人と、少人数だからできました)
O.M.ちゃんには文章から連立方程式を抽出もらうことをしてもらい、
その発展として未知数が3つの場合をしました。
またK.M.ちゃんには、生の連立方程式をごりごり解いてもらい、
発展として、式をグラフ化してもらいました。
O.M.ちゃんには、
5円と10円と50円を組み合わせて、易しい問題から徐々に難しいパターンに
触れてもらいました。そして、
最後に…
福西です。
「中2・数の基本」の
下村先生の代理の授業記録です。
一次関数を集中的にしています。
春学期
最終週 一次関数のグラフを書く
秋学期
1週目 連立方程式の解き方
2週目 夏休みの宿題
3週目 文章題
一次関数のグラフを書くコツは、
一、
イの一番に
y=ax+b
と書くべし!
二、
条件を
2つ
そろえるべし!
(1) 点(3,6)と(6,9)を通る
(2) 点(3,6)を通り、傾き1
(3) 点(3,6)を通り、y切片が3
これらの文章を、「うへ」と思うのではなくて、
「やった! ヒントが2つも隠されているゾ!」
と思って、飛びついてください。
(1)~(3)のどれも、
a,bという「2つの未知数」を決定するための
条件を2つまで教えてくれています。
それのおかげで、直線が一本引けるのです。
(ちなみに a=傾き、b=y切片 です)
本質的なケースは(1)の場合で、
「y=ax+bとおくべし!」
というのは、
(3,6)→ 6=3a+b
(6,9)→ - ) 9=6a+b
福西です。
がんばって、「百マスの割り算」を作ってみました。
それは、どんなものかというと…
こんなんです。
÷ 25 36 15 26 31 34 13 22 16 29
|
福西です。
山の学校が始まって、2週間目。
かず(小学3,4年生)のクラスの
初回は、
「百マスの割り算バージョン」を作って、
なぜ割り算バージョンがないのかを
実際に体験してみました。というのも、
「よく割り切れる数」
「いつも割り切れない数」(素数)←Tクンは覚えていました!
に気付くのが眼目で、その後に、
10~28の数を1~9で割って、
オリンピックをしました。(後述)
2回目の授業は
いきなりTクンの九九の朗唱から始まって、
あとはひたすらいつものように計算三昧でした。
+-×÷、小数、分数、( )の付いた「長~い」式を、
私のために3ページに綴ってくれました。
オリンピックというのは、
÷数
選手 1 2 3 4 5 6 7 8 9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
で、よーい、どん!(割り切れたら○をつけ、その回数で競う)
さあ、だれが金メダルかな?
というものでした。
P.S.
来週の授業は、計算の中の法則性に
また着目して遊ぼうと思います。
Tクンがした計算に
49×23
48×24
というのがあたので、たとえば、
こういう問題が考えられます。
a×bの計算で、aを1減らした分、
bを1増やしていくと…
49×23=
48×24= ふえる?
47×25= へる?
(減) (増)
さあ、みなさんは「ふえる」か「へる」か、
どちらだと予想しますか?
『数の基本(中2) / 数と自然(高校生)』
(木曜日8:10~9 :30 / 6:40~8:00)
_
/5 + 1
x =
福西です。
6/10のかずの授業でした、他の2つの議題についても、
どういう議論があったか、記録しておきます。
福西です。
6/10のかずの授業でした、他の2つの議題についても、
どういう議論があったか、記録しておきます。
福西です。今日は高学年の「かず」担当でした。
今日は、生徒3人にマーカーを握ってもらい、
ホワイトボードを回しながら、先生役をしてもら
いました。
議題は、
一、 なぜ、3/8÷3/4=3/8×4/3 になるの?
二、 0/5=0 でも、5/0=?
三、 1-2+3-4+5-6+7-8+9-… は、どんな数?
です。
しかしこの試みは、いきなり脱線。
まず最初の、
分数の割り算は、どうして「ひっくりかえす」の?
という議題ですが、「まだ割り算は習ってへん」
ということでした。すみません…。
ところがそのことが判明するまでに、これを自分
の知識で解こうとした生徒がいます。
分数の割り算は習っていないけれど…
3/8=3÷8 3/4=3÷4
3/8÷3/4
=0.375÷0.75 ←「小数の割り算」(習った)
=0.5 ←小数の答
=1/2 ←分数の答に変換
「できた!」
これはこれで、すごいですね。なぜなら知っていること
を駆使してくれたからです。
他の2つの議題については、何とか議論の恰好が
付きましたが、その後で、私は大事なことを学びました。
それは、「知っていることを絞り出した後は、知らない
ことを聞きやすいムードになっている」
ということです。
「学校で分からへん所ない?」と私が聞いたのは、授業が
残り5分になってからですが、生徒たちが、こちらが思うよ
りも意外とすんなりと、それぞれ不明に思っている所を言っ
てくれたことが、印象的でした。
「あんな先生、教えてほしいことがあるの。約分と通分って、
どう違うの?」
「約分は、どうして最小公倍数でやらないと、いけないんで
すか?」
「それ、私も知りたーい」
2つ目の疑問の意味は、
1 1
--- + --- = が、
4 6
6 3
なぜ --- としてはいけないのか? なぜ---- なのか?
24 12←最小公倍数
ということですが、しかしそれは「約分」ではなくて、「通分」
なのです。このことを質問した生徒は、自分の言おうとして
いることを
3 1 18 4 9 2
--- × --- = --- × --- ? --- × --- ?
4 6 24 24 12 12
と説明してくれましたが、ここで約分と通分が混ざっていることが
私にも分かりました。
このかけ算では「 /24? /12?」と、通分、つまり分母を
揃えることではなく、しなければならないのは、分子分母を消す、
つまり約分の方です。
上のように通分(もどき)のことをすると、答が遠くなってしまい
ますね。
「約分は ×のとき、通分は+のとき」
のものです。
こうしたあやふやな点を、ぎりぎり発見でき、また説明できたのが、
今回の大きな喜びです。この10分間のオーバータイムが最初から
実は「なくてはならない」のだと感じました。
そして、知識伝達型を反省して、議論型の授業を試みたのですが、
結局、知識を全く伝えることをしない授業では、同様に片手落ちだと
いうことに気付いたのでした。
むしろ議論と知識伝達との両方が、両方ともに意義を与えるのです。
議論において、既知の知識を他人に説明することで、より確実にした
生徒は、不確実な知識を内に感じた時、そのままにしておこうとはしな
いものです。それが今回、いつもだったら恥ずかしくて聞こうとしなかった
質問の形となったのだと感じます。
基礎があいまいな議論だけでは、未知の問題に対して頭から湯気が
出た状態のまま終わってしまいます。しかし、その後にさりげなく知識
の吸収というカタルシスがあることで、先の議論は、普通なら受動で
あるところの知識の吸収を、能動にする役割を果たしてくれるのだと
思います。
私にとって6/10の授業は、「知識の伝達」か「議論」かのペラペラの
裏返しではなく、両方を組み合わせたボリュームのある授業が作れ
ないかということを考えていた、大事な出発点のように思われるので、
ここに記しておきます。
福西です。今日は高学年の「かず」担当でした。
今日は、生徒3人にマーカーを握ってもらい、
ホワイトボードを回しながら、先生役をしてもら
いました。
議題は、
一、 なぜ、3/8÷3/4=3/8×4/3 になるの?
二、 0/5=0 でも、5/0=?
三、 1-2+3-4+5-6+7-8+9-… は、どんな数?
です。
しかしこの試みは、いきなり脱線。
まず最初の、
分数の割り算は、どうして「ひっくりかえす」の?
という議題ですが、「まだ割り算は習ってへん」
ということでした。すみません…。
ところがそのことが判明するまでに、これを自分
の知識で解こうとした生徒がいます。
分数の割り算は習っていないけれど…
3/8=3÷8 3/4=3÷4
3/8÷3/4
=0.375÷0.75 ←「小数の割り算」(習った)
=0.5 ←小数の答
=1/2 ←分数の答に変換
「できた!」
これはこれで、すごいですね。なぜなら知っていること
を駆使してくれたからです。
他の2つの議題については、何とか議論の恰好が
付きましたが、その後で、私は大事なことを学びました。
それは、「知っていることを絞り出した後は、知らない
ことを聞きやすいムードになっている」
ということです。
「学校で分からへん所ない?」と私が聞いたのは、授業が
残り5分になってからですが、生徒たちが、こちらが思うよ
りも意外とすんなりと、それぞれ不明に思っている所を言っ
てくれたことが、印象的でした。
「あんな先生、教えてほしいことがあるの。約分と通分って、
どう違うの?」
「約分は、どうして最小公倍数でやらないと、いけないんで
すか?」
「それ、私も知りたーい」
2つ目の疑問の意味は、
1 1
--- + --- = が、
4 6
6 3
なぜ --- としてはいけないのか? なぜ---- なのか?
24 12←最小公倍数
ということですが、しかしそれは「約分」ではなくて、「通分」
なのです。このことを質問した生徒は、自分の言おうとして
いることを
3 1 18 4 9 2
--- × --- = --- × --- ? --- × --- ?
4 6 24 24 12 12
と説明してくれましたが、ここで約分と通分が混ざっていることが
私にも分かりました。
このかけ算では「 /24? /12?」と、通分、つまり分母を
揃えることではなく、しなければならないのは、分子分母を消す、
つまり約分の方です。
上のように通分(もどき)のことをすると、答が遠くなってしまい
ますね。
「約分は ×のとき、通分は+のとき」
のものです。
こうしたあやふやな点を、ぎりぎり発見でき、また説明できたのが、
今回の大きな喜びです。この10分間のオーバータイムが最初から
実は「なくてはならない」のだと感じました。
そして、知識伝達型を反省して、議論型の授業を試みたのですが、
結局、知識を全く伝えることをしない授業では、同様に片手落ちだと
いうことに気付いたのでした。
むしろ議論と知識伝達との両方が、両方ともに意義を与えるのです。
議論において、既知の知識を他人に説明することで、より確実にした
生徒は、不確実な知識を内に感じた時、そのままにしておこうとはしな
いものです。それが今回、いつもだったら恥ずかしくて聞こうとしなかった
質問の形となったのだと感じます。
基礎があいまいな議論だけでは、未知の問題に対して頭から湯気が
出た状態のまま終わってしまいます。しかし、その後にさりげなく知識
の吸収というカタルシスがあることで、先の議論は、普通なら受動で
あるところの知識の吸収を、能動にする役割を果たしてくれるのだと
思います。
私にとって6/10の授業は、「知識の伝達」か「議論」かのペラペラの
裏返しではなく、両方を組み合わせたボリュームのある授業が作れ
ないかということを考えていた、大事な出発点のように思われるので、
ここに記しておきます。
福西@かずです。
今回は、九九の表で対角に並ぶ
1
4
9
16
…
という数がテーマでした。
用意するものは、厚紙。それに方眼をいれて、
「1×1」~「16×16」のトウフを作ります。
さあ、これでどんなふうに遊んでくれるかな?
T君が最初にやり出したのは、足し算でした。
1+4+9+16+…
を、1+4+9+16+25=55、36+64=100と、途中スタック
しながら、和が1000を超えるのがいつか確かめていました。
11×11=121
12×12=144
を計算した時、T君は144と121の間にも計算を入れて、
144-121=23
と、引き算を始めました。
足し算から脱線したように見えますが、T君はこの計算に
新しい興味を持って、それを自力で進めているうちに、
「2ずつ増えてる~」
と言い出しました。それは…
11×11=121
+23
12×12=144
+25
13×13=169
+27
14×14=196
という関係が(…23→25→27…)あることに気付いたのです!
途中がそうなら、その前後もそうに違いない!
「じゃあ、121の前からは、なんぼ増えて来たんかいな?」
T君の頭の中では、サッと
23-2=21
「21のはずだ!」
とひらめいて、
121-100
を計算すると、鮮やかに脳裏の数と一致。
すごいなあ。
「かけ算から面積へ」の橋渡しをするつもりだったのですが、
彼はその先へ行って、「数列の世界」にまでアプローチして
いた、というエピソードでした。
福西@かずです。
今回は、九九の表で対角に並ぶ
1
4
9
16
…
という数がテーマでした。
用意するものは、厚紙。それに方眼をいれて、
「1×1」~「16×16」のトウフを作ります。
さあ、これでどんなふうに遊んでくれるかな?
T君が最初にやり出したのは、足し算でした。
1+4+9+16+…
を、1+4+9+16+25=55、36+64=100と、途中スタック
しながら、和が1000を超えるのがいつか確かめていました。
11×11=121
12×12=144
を計算した時、T君は144と121の間にも計算を入れて、
144-121=23
と、引き算を始めました。
足し算から脱線したように見えますが、T君はこの計算に
新しい興味を持って、それを自力で進めているうちに、
「2ずつ増えてる~」
と言い出しました。それは…
11×11=121
+23
12×12=144
+25
13×13=169
+27
14×14=196
という関係が(…23→25→27…)あることに気付いたのです!
途中がそうなら、その前後もそうに違いない!
「じゃあ、121の前からは、なんぼ増えて来たんかいな?」
T君の頭の中では、サッと
23-2=21
「21のはずだ!」
とひらめいて、
121-100
を計算すると、鮮やかに脳裏の数と一致。
すごいなあ。
「かけ算から面積へ」の橋渡しをするつもりだったのですが、
彼はその先へ行って、「数列の世界」にまでアプローチして
いた、というエピソードでした。
火曜日は「しぜん」のクラスがありました。子どもたちは、山の階段を登りなが
ら、きょろきょろ捜し物をして登ってきます。部屋に着くと、必ず手には昆虫か、
植物が・・・。それが何か、図鑑で調べることからクラスはスタートします。
この日は、山の中へ探検に出かけました。途中で、巨大なナメクジを見つけたり、
アオダイショウを発見したり。特筆することは何もなくても、青空の下、山の緑
に包まれて、あたりをきょろきょろするだけでも、大切な思い出になると思いま
す。(私自身、この山の木登りをして小学生時代過ごしたことを思い出します)。
■ラテン語(水曜日)
キケローの「老年について」を原文で読んでいます。この日の読解は、「自然に
逆らうのは、ギガンテスの如く神々を相手に戦うことに他ならない」という箇所
から始まりました。ここでいう「自然」とは、老いの訪れと言い換えてもよいで
しょう。若い内から、自分の老いをどうすごすかをよく考えないといけないなぁ
(笑)と感じさせられることしきりです。
■かず(木曜日)
低学年の「かず」には二人のお客さんが参加しました。小学校1年のKちゃんは、
課題の本をほとんどすべてこなしてしまいました。あと10分あれば、1冊最後
の問題まで終わったでしょう。2年生のHちゃんも、お連れの友人に刺激されて、
文章題を頑張って解いていました。
■えいご(木曜日)
中二の英語は、仲良し3人組です。中1の復習と中2の予習の二本立て。英文の
音読(タイムも計る)を徹底的に。3人いると、互いに刺激しあうので、スリル
があります。中1の復習プリントは、9割以上できるのですが、やはり間違うと
ころは間違います。同じプリントをコピーし、もう一度一からやり直し。最後に
もう一枚、同じプリントを配ってだめ押し。われながら、しつこいやり方と思い
ますが、英語の勉強はしつこいくらい一つのことを繰り返すのが大事なのです。
火曜日は「しぜん」のクラスがありました。子どもたちは、山の階段を登りなが
ら、きょろきょろ捜し物をして登ってきます。部屋に着くと、必ず手には昆虫か、
植物が・・・。それが何か、図鑑で調べることからクラスはスタートします。
この日は、山の中へ探検に出かけました。途中で、巨大なナメクジを見つけたり、
アオダイショウを発見したり。特筆することは何もなくても、青空の下、山の緑
に包まれて、あたりをきょろきょろするだけでも、大切な思い出になると思いま
す。(私自身、この山の木登りをして小学生時代過ごしたことを思い出します)。
■ラテン語(水曜日)
キケローの「老年について」を原文で読んでいます。この日の読解は、「自然に
逆らうのは、ギガンテスの如く神々を相手に戦うことに他ならない」という箇所
から始まりました。ここでいう「自然」とは、老いの訪れと言い換えてもよいで
しょう。若い内から、自分の老いをどうすごすかをよく考えないといけないなぁ
(笑)と感じさせられることしきりです。
■かず(木曜日)
低学年の「かず」には二人のお客さんが参加しました。小学校1年のKちゃんは、
課題の本をほとんどすべてこなしてしまいました。あと10分あれば、1冊最後
の問題まで終わったでしょう。2年生のHちゃんも、お連れの友人に刺激されて、
文章題を頑張って解いていました。
■えいご(木曜日)
中二の英語は、仲良し3人組です。中1の復習と中2の予習の二本立て。英文の
音読(タイムも計る)を徹底的に。3人いると、互いに刺激しあうので、スリル
があります。中1の復習プリントは、9割以上できるのですが、やはり間違うと
ころは間違います。同じプリントをコピーし、もう一度一からやり直し。最後に
もう一枚、同じプリントを配ってだめ押し。われながら、しつこいやり方と思い
ますが、英語の勉強はしつこいくらい一つのことを繰り返すのが大事なのです。
福西@かず(高学年)です。
今日のテーマは分数の「約分」です。
8
---- はすぐに約分できます。
12
51
---- も、がんばれば何とか。
136
(Mちゃんは51を見たとき、5+1=「6」が、3で割れるから、
「3で割れる」と言ったのが白眉でした)
そこで問題。
221 45475
福西@かず(高学年)です。
今日のテーマは分数の「約分」です。
8
---- はすぐに約分できます。
12
51
---- も、がんばれば何とか。
136
(Mちゃんは51を見たとき、5+1=「6」が、3で割れるから、
「3で割れる」と言ったのが白眉でした)
そこで問題。
221 45475
福西(かず・中級)です。
小2年生では割り算の筆算は、まだ習っていない
のですが、クラスのT君は知っているので、その
「筆算のパワーアップ版」を伝授しました。
大学生や大人になるまで、T君が何回、筆算する
か分かりませんが、(きっと彼なら数え切れない
ほどすると思います)自分がこれまでに恩恵を
受けてきたテクニックです。
たとえば、ふつう…
123
____________
8) 984
8
=======
18
16
=======
24
24
========
0
とするところを、こうします。
123
____________
8) 984
12 ←9-8=1、18-16=2だけ書く
これで、おしまい。「余り」だけを書く
やり方です。
T君はこれを1時間集中して
「習熟」してくれました。
いや、すごい。途中で飽きなかった。
10000000000004÷7=?
という最終面のボスも倒してしまいました。
ちなみに5面まであって、5面とも
クリアした後、T君はこう言いました。
「来週は、最後のボスを最初にしような!
テンテン入れといてや!」
テンテンと言うのは…
142857 : 1428572
________________________________
7)1000000 : 0000004
↑「ここ」のことです。
興味は次に、「繰り返し」の出てくる
計算に移っていったようです。
福西(かず・中級)です。
小2年生では割り算の筆算は、まだ習っていない
のですが、クラスのT君は知っているので、その
「筆算のパワーアップ版」を伝授しました。
大学生や大人になるまで、T君が何回、筆算する
か分かりませんが、(きっと彼なら数え切れない
ほどすると思います)自分がこれまでに恩恵を
受けてきたテクニックです。
たとえば、ふつう…
123
____________
8) 984
8
=======
18
16
=======
24
24
========
0
とするところを、こうします。
123
____________
8) 984
12 ←9-8=1、18-16=2だけ書く
これで、おしまい。「余り」だけを書く
やり方です。
T君はこれを1時間集中して
「習熟」してくれました。
いや、すごい。途中で飽きなかった。
10000000000004÷7=?
という最終面のボスも倒してしまいました。
ちなみに5面まであって、5面とも
クリアした後、T君はこう言いました。
「来週は、最後のボスを最初にしような!
テンテン入れといてや!」
テンテンと言うのは…
142857 : 1428572
________________________________
7)1000000 : 0000004
↑「ここ」のことです。
興味は次に、「繰り返し」の出てくる
計算に移っていったようです。
福西です。
前回、生徒から教えてもらった『数のピラミッド』を
今日はしようと考えています。
数を書いたカードを並べて、ピラミッドを作り、その
上下段の間に自分なりの法則を定めます。
今日はこれを、ひねもす取り組みます。
どんな法則が出てくるでしょうか?
数学において、「いいな」と感じる点は、この「自分なりの法則」
というものを、人にも説明できて、またそれが誰にでも成り立つ
(共有できる)普遍性があることです。
「未来の~になる」人が、このクラスでの思い出を、将来の
思考の雛型にしてくれるような、クラスにしていきたいと考えています。
福西です。
前回、生徒から教えてもらった『数のピラミッド』を
今日はしようと考えています。
数を書いたカードを並べて、ピラミッドを作り、その
上下段の間に自分なりの法則を定めます。
今日はこれを、ひねもす取り組みます。
どんな法則が出てくるでしょうか?
数学において、「いいな」と感じる点は、この「自分なりの法則」
というものを、人にも説明できて、またそれが誰にでも成り立つ
(共有できる)普遍性があることです。
「未来の~になる」人が、このクラスでの思い出を、将来の
思考の雛型にしてくれるような、クラスにしていきたいと考えています。
福西です。
『数の基本』を展開するなら、「教科書を読むこと」
を考えています。
「ポテトチップスの袋で、数・国・理・社・英が網羅できる」
という冗談は、いつか友達としたことがありませんか?
さて、その数学に出てくる方程式ですが、英語ではequality
またequationといいます。
それで、理科ではニュートンの運動方程式
(Newton’s equation of motion) というものが登場します。
また社会では、ブラック・ショールズ方程式(将来の変動を
見越して大もうけする式、Black-Scholes equation)
なんていうものも耳に入ります。国語はよく国語そのものに
ついて、「人生は方程式のようには…云々」とつぶやいてい
ます。
では、方程式ってなんでしょう? ここではたと止まったら、
今までの饒舌をお詫びしないといけませね。
ここからでは、数学の中身に入りましょう。
「式」は小学校でもおなじみの言葉です。
でも、「方程」というと、ちんぷんかんぷんです。
しかし英語では方程式=equality(イコーリティー)
と言い、それは、「イコールのもの」という意味です。
「イコール」と言えばおなじみですね。
日常語でも使います。
つまり「方程式」と難しく聞こえるのは、実は単に
「イコール=のある式」のことを指すのです。
「方程式」と「等式」は「別物じゃないかな?」と思って、
頭の違うカテゴリーに入っているかもしれませんが、
実は一緒のものなのです。どちらも equalityの訳です。
「であるからして」、式中に「=」ではなくて、「>」がある式は、
不等式(inequality)なのです。(inは否定)
3x>2
などがそうです。
さて昔の日本人は、「=」を「は」と翻訳しました。
これはうまい語呂合わせで、たとえば
2x+3=9
の「=」を、「は」と言っても「イコール」と言っても、
意味は同じになります。
(この方程式のxもそうですね。xは、解(かい)と
言いますが、これはギリシア語のχ(カイ)→英語のx
ということの日本流です。しかも「解」は「解けた!」
を意味します。なので、意味と発音が一致しています)
数学とは、一つ一つの発見されたアイデア概念を、
積み重ね、体系付けられた一つの山脈です。
一足飛びにいこうとすると、せっかくの新しいアイデア
がつまづきの石となって、嫌になるのは必然です。
けれども(定石のように)一つずつアイデアを踏み
敷いていく、この面白さは言語に尽くせません。
となるとそうした山の中を、ちょっとついていけなくなった
とき、道に迷ったとき、矢印や、一人静かになって広げる
ガイドブックがほしくなります。それは、意外と身近にあり
ます。ランドセルやかばんの中に入っています。
教科書です。
参考書をたくさん買う必要はありません。
教科書を「もう一遍読む」ことです。
実は、たいていの人は、これを「見る」だけで「読んで」いない
のです。
そして「方程式とは=のある式だ」と気付かずに、「方程式」
という単元があって、それとなく通り過ぎていっているのです。
なまじ授業中で一回見ているだけに、もう一遍なんて「うへー」
となりそうな教科書ですが、けれどもよくよく通して「読んで」
みれば、ストーリーがあって、それを味わえるようになります。
わり算を習えば、小数の答が出てきます。同じわり算から、
分数が出てきます。その分数の後に、分数で定義される
「円周率:=円周/直径」が出てきます。
そして中学でマイナスの数を習います。このマイナスの数と
分数と知れば、方程式の世界をのぞくことができるんだ、
といったように。
このように、Aの次はB、Bの次はCとDの分かれ道(注:どちら
から登っても構いません)というように、教科書では小学校の
六年間、中学校の三年間、そして…と、山道が整備されていま
す(大文字山を登ったことのある人は、道が分かるようにいつも
整備されていることを思い浮かべてください)、実は教科書は、
見えない配慮でぎっしりと重たいのです。
となればただ数学には、登る人の根気が試されるだけです。
(「屋上屋を架す」と言います。参考書も悪いとは言いませんが、
それが教科書というガイドブックのためのガイドブックであること
を知ってください。『春秋』よりその注釈書『春秋左氏伝』の方が
面白いことは分かります。が、あまり深追いすると、数学ではなく
て参考書の山に埋もれ目標を失ってしまいます。)
教科書の配慮は、文字では書いてありません。数学は「数の学問」
ですから、文字ではなくて数字で、また記号や式で書かれている
のです。しかも、必要以上のことは書かないのが普通です。
式がすべて語ってくれるからです。
その難解さに打ちのめされることは多いでしょう。
ですが、理解したときの感動もまた大きいのです。
私は思います。
数学は式を読む「修行」が必要だと。
論語と同じで、「読書百遍、意おのずから通ず」は、本当です。
ただしこの百篇が、数学では実際手を動かすこと、書いてあることを
計算することにあたります。
そして数学と遭遇した最初は、教科書を「見て」手を動かさない、
つまり本当に「読む」ことはしないので、意味に気付く人が少ないのです。
書かれてあることを手計算で理解する。また理解したことと、
その前に理解したこととの間に必然がある。
「この前マイナスを習った。だから、次に方程式で答が
マイナスになっても、書けるんだ!」ということに、感動する人は、
最初学んだ人では、まずいないでしょう。
しかし、何度も挑戦した人、つまり教える側の人間は感動するのです。
一次方程式の解とは、実は有理数(正負の分数!)のこと
だと言われても、最初は目が点になるでしょう。
けれども教える側はさらに感動しているのです!
──しかしさあそこで、感動のない人に教えられたら……と、
私はちょびっと思います。
私は方程式や連立方程式が大好きな人間の一人です。
大学で学んだのは、「線形行列不等式」という、それの発展形でした。
私にはまだまだ教えたいことがたくさんあります。
ぜひ、教科書を持って来てください。
そして今まで見て気付かないでいるものを、一緒に気付きましょう。
この行間を知らず、数学を嫌いになることはないと思います。
実際数学の世界には、大きな天才がいて、その後に続く小さな
天才たちがいます。
そしてそれらのやり残した星の数ほどある仕事を一つずつ丁寧
に仕上げていく、秀才またアマチュアたちも。
彼らによって裾野が広がると、そこから再び天才が生まれてくる
──そうやって今も数学は地殻変動し続け、隆起する山脈である
こと、それを俯瞰鳥瞰した時の感動は、
言語に尽くせない、と私は感じています。
数学はまた情緒です。「レッツ・カンドー」です。
感動したものに人が好きになっていき、その結果、
成績もまた伸びるのが必然であると私は思います。
問題:一次方程式の「一次」とは、どういう意味があるのでしょう?
福西亮馬
福西です。
『数の基本』を展開するなら、「教科書を読むこと」
を考えています。
「ポテトチップスの袋で、数・国・理・社・英が網羅できる」
という冗談は、いつか友達としたことがありませんか?
さて、その数学に出てくる方程式ですが、英語ではequality
またequationといいます。
それで、理科ではニュートンの運動方程式
(Newton’s equation of motion) というものが登場します。
また社会では、ブラック・ショールズ方程式(将来の変動を
見越して大もうけする式、Black-Scholes equation)
なんていうものも耳に入ります。国語はよく国語そのものに
ついて、「人生は方程式のようには…云々」とつぶやいてい
ます。
では、方程式ってなんでしょう? ここではたと止まったら、
今までの饒舌をお詫びしないといけませね。
ここからでは、数学の中身に入りましょう。
「式」は小学校でもおなじみの言葉です。
でも、「方程」というと、ちんぷんかんぷんです。
しかし英語では方程式=equality(イコーリティー)
と言い、それは、「イコールのもの」という意味です。
「イコール」と言えばおなじみですね。
日常語でも使います。
つまり「方程式」と難しく聞こえるのは、実は単に
「イコール=のある式」のことを指すのです。
「方程式」と「等式」は「別物じゃないかな?」と思って、
頭の違うカテゴリーに入っているかもしれませんが、
実は一緒のものなのです。どちらも equalityの訳です。
「であるからして」、式中に「=」ではなくて、「>」がある式は、
不等式(inequality)なのです。(inは否定)
3x>2
などがそうです。
さて昔の日本人は、「=」を「は」と翻訳しました。
これはうまい語呂合わせで、たとえば
2x+3=9
の「=」を、「は」と言っても「イコール」と言っても、
意味は同じになります。
(この方程式のxもそうですね。xは、解(かい)と
言いますが、これはギリシア語のχ(カイ)→英語のx
ということの日本流です。しかも「解」は「解けた!」
を意味します。なので、意味と発音が一致しています)
数学とは、一つ一つの発見されたアイデア概念を、
積み重ね、体系付けられた一つの山脈です。
一足飛びにいこうとすると、せっかくの新しいアイデア
がつまづきの石となって、嫌になるのは必然です。
けれども(定石のように)一つずつアイデアを踏み
敷いていく、この面白さは言語に尽くせません。
となるとそうした山の中を、ちょっとついていけなくなった
とき、道に迷ったとき、矢印や、一人静かになって広げる
ガイドブックがほしくなります。それは、意外と身近にあり
ます。ランドセルやかばんの中に入っています。
教科書です。
参考書をたくさん買う必要はありません。
教科書を「もう一遍読む」ことです。
実は、たいていの人は、これを「見る」だけで「読んで」いない
のです。
そして「方程式とは=のある式だ」と気付かずに、「方程式」
という単元があって、それとなく通り過ぎていっているのです。
なまじ授業中で一回見ているだけに、もう一遍なんて「うへー」
となりそうな教科書ですが、けれどもよくよく通して「読んで」
みれば、ストーリーがあって、それを味わえるようになります。
わり算を習えば、小数の答が出てきます。同じわり算から、
分数が出てきます。その分数の後に、分数で定義される
「円周率:=円周/直径」が出てきます。
そして中学でマイナスの数を習います。このマイナスの数と
分数と知れば、方程式の世界をのぞくことができるんだ、
といったように。
このように、Aの次はB、Bの次はCとDの分かれ道(注:どちら
から登っても構いません)というように、教科書では小学校の
六年間、中学校の三年間、そして…と、山道が整備されていま
す(大文字山を登ったことのある人は、道が分かるようにいつも
整備されていることを思い浮かべてください)、実は教科書は、
見えない配慮でぎっしりと重たいのです。
となればただ数学には、登る人の根気が試されるだけです。
(「屋上屋を架す」と言います。参考書も悪いとは言いませんが、
それが教科書というガイドブックのためのガイドブックであること
を知ってください。『春秋』よりその注釈書『春秋左氏伝』の方が
面白いことは分かります。が、あまり深追いすると、数学ではなく
て参考書の山に埋もれ目標を失ってしまいます。)
教科書の配慮は、文字では書いてありません。数学は「数の学問」
ですから、文字ではなくて数字で、また記号や式で書かれている
のです。しかも、必要以上のことは書かないのが普通です。
式がすべて語ってくれるからです。
その難解さに打ちのめされることは多いでしょう。
ですが、理解したときの感動もまた大きいのです。
私は思います。
数学は式を読む「修行」が必要だと。
論語と同じで、「読書百遍、意おのずから通ず」は、本当です。
ただしこの百篇が、数学では実際手を動かすこと、書いてあることを
計算することにあたります。
そして数学と遭遇した最初は、教科書を「見て」手を動かさない、
つまり本当に「読む」ことはしないので、意味に気付く人が少ないのです。
書かれてあることを手計算で理解する。また理解したことと、
その前に理解したこととの間に必然がある。
「この前マイナスを習った。だから、次に方程式で答が
マイナスになっても、書けるんだ!」ということに、感動する人は、
最初学んだ人では、まずいないでしょう。
しかし、何度も挑戦した人、つまり教える側の人間は感動するのです。
一次方程式の解とは、実は有理数(正負の分数!)のこと
だと言われても、最初は目が点になるでしょう。
けれども教える側はさらに感動しているのです!
──しかしさあそこで、感動のない人に教えられたら……と、
私はちょびっと思います。
私は方程式や連立方程式が大好きな人間の一人です。
大学で学んだのは、「線形行列不等式」という、それの発展形でした。
私にはまだまだ教えたいことがたくさんあります。
ぜひ、教科書を持って来てください。
そして今まで見て気付かないでいるものを、一緒に気付きましょう。
この行間を知らず、数学を嫌いになることはないと思います。
実際数学の世界には、大きな天才がいて、その後に続く小さな
天才たちがいます。
そしてそれらのやり残した星の数ほどある仕事を一つずつ丁寧
に仕上げていく、秀才またアマチュアたちも。
彼らによって裾野が広がると、そこから再び天才が生まれてくる
──そうやって今も数学は地殻変動し続け、隆起する山脈である
こと、それを俯瞰鳥瞰した時の感動は、
言語に尽くせない、と私は感じています。
数学はまた情緒です。「レッツ・カンドー」です。
感動したものに人が好きになっていき、その結果、
成績もまた伸びるのが必然であると私は思います。
問題:一次方程式の「一次」とは、どういう意味があるのでしょう?
福西亮馬
『かずの一年』(作文)
福西亮馬
「たしざんとひきざん。
かけざんとわりざん。どれがすき?」
「うんと…わりざん」
「あ、あたしも。一ばんすき」
「ぼくも! わりざんが一ばんやんな!」
これは一年生の終わりごろ、夕まぐれの
会話だったことを覚えています。
わり算の「何が好き?」だったかと言うと、
わり切れたときの、鋭い喜びと、ついでそ
の後で知った、好きな女の子も好きだっ
たことです。
私もまた、「数学は情緒」(岡潔)だと感じます。
つまらない計算も、味わえば楽しいのです。た
とえばガウス(1777-1855)というすごい人が
いて、次のような計算をしています。
1/71=0.01408450704225352112676056338028169014…
一体いつまで続くのか、と思えるような数でも、
ガウスは飽かず眺めて、ここで手を止めてしまう
のが名残り惜しかったろうと思われます。
というのは、
1/71=0. 01408450704225352112676056338028169 014…
となっているからです。上をじっくり見てください。
「繰り返し」を起こしていることに気付くでしょう。
(これはわり切れないわり算ですが、わり切れない
ときも、このような独特の楽しみ方があるのです)
「無限軌道の上を走るようなものだから、面白くて
循環節が終っても残り惜しいほどに少年ガウスは
感じたのではなかろうか」
と、数学者の高木貞二は『近世数学史談』でこの
エピソードを紹介しています。これはガウスの、
少年時代の思い出なのです。
さて私の思い出に戻りますが、あの会話から何が
うかがえるかというと、わり算をすでに一年生で習っ
ていたことです。
今は二年生で習います。九九が二年生から始まる
からです。私は数学の色々な面白い話をするときに、
このかけ算(九九)を知らなければできないと感じる
ようになりました。
「かけると、意味が作れ、意味があると、話ができる」
からです。
たて×よこ=面積 (xy=F)
たて×よこ×たかさ=体積 (xyz=V)
たて×よこ×たかさ×じかん=(四次元)空間 (xyzt=S)
質量×加速度=力 (ma=f)
速さ×時間=距離 (vt=s)
力×距離=仕事 (fs=w)
などなど。話はかけてかけて組み合わせていくと、
どんどん膨らんでいきます。
福西亮馬
『かずの一年』(作文)
福西亮馬
「たしざんとひきざん。
かけざんとわりざん。どれがすき?」
「うんと…わりざん」
「あ、あたしも。一ばんすき」
「ぼくも! わりざんが一ばんやんな!」
これは一年生の終わりごろ、夕まぐれの
会話だったことを覚えています。
わり算の「何が好き?」だったかと言うと、
わり切れたときの、鋭い喜びと、ついでそ
の後で知った、好きな女の子も好きだっ
たことです。
私もまた、「数学は情緒」(岡潔)だと感じます。
つまらない計算も、味わえば楽しいのです。た
とえばガウス(1777-1855)というすごい人が
いて、次のような計算をしています。
1/71=0.01408450704225352112676056338028169014…
一体いつまで続くのか、と思えるような数でも、
ガウスは飽かず眺めて、ここで手を止めてしまう
のが名残り惜しかったろうと思われます。
というのは、
1/71=0. 01408450704225352112676056338028169 014…
となっているからです。上をじっくり見てください。
「繰り返し」を起こしていることに気付くでしょう。
(これはわり切れないわり算ですが、わり切れない
ときも、このような独特の楽しみ方があるのです)
「無限軌道の上を走るようなものだから、面白くて
循環節が終っても残り惜しいほどに少年ガウスは
感じたのではなかろうか」
と、数学者の高木貞二は『近世数学史談』でこの
エピソードを紹介しています。これはガウスの、
少年時代の思い出なのです。
さて私の思い出に戻りますが、あの会話から何が
うかがえるかというと、わり算をすでに一年生で習っ
ていたことです。
今は二年生で習います。九九が二年生から始まる
からです。私は数学の色々な面白い話をするときに、
このかけ算(九九)を知らなければできないと感じる
ようになりました。
「かけると、意味が作れ、意味があると、話ができる」
からです。
たて×よこ=面積 (xy=F)
たて×よこ×たかさ=体積 (xyz=V)
たて×よこ×たかさ×じかん=(四次元)空間 (xyzt=S)
質量×加速度=力 (ma=f)
速さ×時間=距離 (vt=s)
力×距離=仕事 (fs=w)
などなど。話はかけてかけて組み合わせていくと、
どんどん膨らんでいきます。
福西亮馬
福西(かず)です。

これは、一年前、小学生が計算力を身につける意味を
考えて描いた絵です。
そのことを代弁したのが、
吉田武さんの『虚数の情緒』という本の中の
以下の言葉でした。
福西(かず)です。

これは、一年前、小学生が計算力を身につける意味を
考えて描いた絵です。
そのことを代弁したのが、
吉田武さんの『虚数の情緒』という本の中の
以下の言葉でした。
福西(かず)です。
今日の高学年の二人は、
「変形合体」と「シンプル」というのが合言葉でした。
ロボットが複数で空中合体しているシーンは、
目に焼きついたことはありませんか?
あれ、もし変形しないでむりむり元の状態で合体
しようとすると、こわれますよね?
(合体するジョイントがないから)
今日は1/2というのと、1/3というのが最初、合体しました。
ジョイントは「6」です。
まず1/2から変形。
1×3
福西(かず)です。
今日の高学年の二人は、
「変形合体」と「シンプル」というのが合言葉でした。
ロボットが複数で空中合体しているシーンは、
目に焼きついたことはありませんか?
あれ、もし変形しないでむりむり元の状態で合体
しようとすると、こわれますよね?
(合体するジョイントがないから)
今日は1/2というのと、1/3というのが最初、合体しました。
ジョイントは「6」です。
まず1/2から変形。
1×3
福西亮馬(ことば、かず高学年担当)
京都は大学も多く、学問の町だと言われます。私はそれを大文字山の「大」の字から見下ろしたときに実感します。
私が数学を好きになれたのは、大学に入ってからのことです。これまでの勉強を見下ろして「あれはこっち」「それはあっち」と、有機的に位置づけられる思いがしたからです。しかし高校までは、息の上がる山道でした。好きではなくて、ただあきらめずについていく、という感じです。
私が高校の数学の先生に「何の科目が好きか」とたずねられて、上気して「数学が好きです」と答えたら、「君が?」と笑われたことを思い出します。あれは駄目だと思いますが、それでも、あきらめなかった原因は何かと振り返ると、それは小学生のころの思い出です。
自分からやる気を起こして解こうとした一題と、しばしばではないにせよ、母親に見てもらった宿題のことが思い当たります。
私には六年生の頃、図形の面積を求める問題で、「中学入試のだから」と、解けても解けなくても一向に構わず素通りした一題に、俄然やる気が出たことがあります。
そのころは放課後に「しっぽ取り」がはやっていて、私の好物の遊びでしたが、でもそれよりも、朝礼台の牢屋につかまっている間は、校庭の砂に、三時でも四時でも図を描いて解こうとしていた覚えがあります。
別に受験するわけでなし、ただその興味を内に絶やすまい、だれかに先を越されまいという思いに支えられて、西日を気にしながら、また解けたらどんなにかすごいだろうという気がして、家に帰っても、空に覚えたその図形を宝の地図か何かのようにしてうなっていたものです。
結局それは解けずじまいで、何日か経ってからまた思い立っては考え、やはり解けず、あとでたった一本の補助線を見つければ解けたのだということを知ったのです。今でもその時の残念さと健闘ぶりは胸に蘇り、また自分からやり出した、ほとんど初めての「冒険」だったと知るのでした。
さて次は、母が見てくれた宿題のことです。あれは忘れもしない、そろばんの宿題でした。夕飯の支度が始まる前だったか、母と二人で、小さなテーブルで向かい合って、でも私は目の前に本を立てて、手元が見えないようにし、パチパチ言わせながら、実は後ろの解答を写していたのでした。そして「できた!」と言いました。
私はそろばん塾に通っていたので、学校の宿題としてのそろばんは、いまさらという思いがしたので、すぐに済ませる力はあっても、やる気がなかったのです。それで策を弄して時間を潰していたのでした。
今思い出しても、あの瞬間は不思議です。私には自信があり、母には直感がありました。早い「おしまい」にピンと来た母は、すぐに嘘を糺し、叱りだし、目に涙を浮かべたこと、母が宿題をせっかく見てくれていたのに、自分は申し訳ないことをしたのだと思ったことです。
母との算数の思い出はもう一つあります。文章題で、母はxを使った解き方を教えようとし、私は「学校で習ってへんやり方はしたらあかん」とがんばったことでした。我ながら、小学生は恐るべき保守派だと思います。結局これは母が根負けして、「なら自分でやりよし。せっかく解けるように教えてるのに」と、それっきりになったのでした。
これは駄目なやり方の例で、母がxを使わない方法を十分に教えられなかったせいでもありますが、けれども、私の方もまた後になって、自分の頑固さを恥かしく思うので、それを思い出すたびに純化されて、宿題を見てくれた感謝だけが残りました。
結局中学に行っても、高校に行っても、大学に入るまで数学を嫌いにならなかった理由は、「孟母断機の戒め」ではないですが、こうした思い出の錦が断たれることをもったいなく感じたからでした。
私なりに今まで感じてきた勉強とは、次の二つです。一つは、自分で見つけた問題に情熱を持つこと。もう一つはその情熱を感謝に変えることです。
数学は古くからある学問なので、学校で習うことはいいも悪いもすでに道ができており、順番どおりにやりさえすれば、自力で理解できるようになっています。山に分け入って、登山道とそうでない道とは、だいたい人が歩きもし整備もされているので、迷わないのと同じです。
しかし「まだ習っていない」から「まだしなくてもいい」というのは、学問的態度ではありません。しようと思えば、いくらでも先へ進むことができるし、またそうした道が実は用意されていることにも気付いてほしいのです。
塾に、あるいはこの山の学校に通ったら「教えてもらえる」という気持ちがあっては駄目です。勉強はしてもらうのではなくて、するものだからです。私は五年生でも、六年生のことを自力で結び合わせ、中学生のことまで到達してくれるような人物を励ましたいのです。
リーマンはルジャンドルという人の書いた500ページ余りの数学書を、父親の目を「盗んで」、十代のときに読み通したといいます。それで父親がその子の天分を認め、牧師の家系でしたが、数学を学べる大学に行くことを許したといいます。
勉強は電気を消されたら、たちまち続けることはできません。そのように親の許しがなければ、できないものです。勉強はしてもいいと言われて、させてもらっているのです。
情熱と感謝、この二つの糸の縦横が、勉強という錦だと、私は思います。公園の砂場で、水道管の出現を口惜しいと思うくらい、とことん掘り抜く情熱がある一方で、晩には家に帰らなければなりません。家の人が心配するからです。授業中に勉強の仕方が分からないから聞く、ノートの取り方を工夫することなどは必要なことです。ですがそれだけでは十分なことではありません。
自分からやる気を出し、そして学ぶ環境を与えてもらっていることを子も知り、親もそのことを伝えられるような工夫が、何より小・中・高校生において勉強の要だと思います。
福西亮馬
福西亮馬(ことば、かず高学年担当)
京都は大学も多く、学問の町だと言われます。私はそれを大文字山の「大」の字から見下ろしたときに実感します。
私が数学を好きになれたのは、大学に入ってからのことです。これまでの勉強を見下ろして「あれはこっち」「それはあっち」と、有機的に位置づけられる思いがしたからです。しかし高校までは、息の上がる山道でした。好きではなくて、ただあきらめずについていく、という感じです。
私が高校の数学の先生に「何の科目が好きか」とたずねられて、上気して「数学が好きです」と答えたら、「君が?」と笑われたことを思い出します。あれは駄目だと思いますが、それでも、あきらめなかった原因は何かと振り返ると、それは小学生のころの思い出です。
自分からやる気を起こして解こうとした一題と、しばしばではないにせよ、母親に見てもらった宿題のことが思い当たります。
私には六年生の頃、図形の面積を求める問題で、「中学入試のだから」と、解けても解けなくても一向に構わず素通りした一題に、俄然やる気が出たことがあります。
そのころは放課後に「しっぽ取り」がはやっていて、私の好物の遊びでしたが、でもそれよりも、朝礼台の牢屋につかまっている間は、校庭の砂に、三時でも四時でも図を描いて解こうとしていた覚えがあります。
別に受験するわけでなし、ただその興味を内に絶やすまい、だれかに先を越されまいという思いに支えられて、西日を気にしながら、また解けたらどんなにかすごいだろうという気がして、家に帰っても、空に覚えたその図形を宝の地図か何かのようにしてうなっていたものです。
結局それは解けずじまいで、何日か経ってからまた思い立っては考え、やはり解けず、あとでたった一本の補助線を見つければ解けたのだということを知ったのです。今でもその時の残念さと健闘ぶりは胸に蘇り、また自分からやり出した、ほとんど初めての「冒険」だったと知るのでした。
さて次は、母が見てくれた宿題のことです。あれは忘れもしない、そろばんの宿題でした。夕飯の支度が始まる前だったか、母と二人で、小さなテーブルで向かい合って、でも私は目の前に本を立てて、手元が見えないようにし、パチパチ言わせながら、実は後ろの解答を写していたのでした。そして「できた!」と言いました。
私はそろばん塾に通っていたので、学校の宿題としてのそろばんは、いまさらという思いがしたので、すぐに済ませる力はあっても、やる気がなかったのです。それで策を弄して時間を潰していたのでした。
今思い出しても、あの瞬間は不思議です。私には自信があり、母には直感がありました。早い「おしまい」にピンと来た母は、すぐに嘘を糺し、叱りだし、目に涙を浮かべたこと、母が宿題をせっかく見てくれていたのに、自分は申し訳ないことをしたのだと思ったことです。
母との算数の思い出はもう一つあります。文章題で、母はxを使った解き方を教えようとし、私は「学校で習ってへんやり方はしたらあかん」とがんばったことでした。我ながら、小学生は恐るべき保守派だと思います。結局これは母が根負けして、「なら自分でやりよし。せっかく解けるように教えてるのに」と、それっきりになったのでした。
これは駄目なやり方の例で、母がxを使わない方法を十分に教えられなかったせいでもありますが、けれども、私の方もまた後になって、自分の頑固さを恥かしく思うので、それを思い出すたびに純化されて、宿題を見てくれた感謝だけが残りました。
結局中学に行っても、高校に行っても、大学に入るまで数学を嫌いにならなかった理由は、「孟母断機の戒め」ではないですが、こうした思い出の錦が断たれることをもったいなく感じたからでした。
私なりに今まで感じてきた勉強とは、次の二つです。一つは、自分で見つけた問題に情熱を持つこと。もう一つはその情熱を感謝に変えることです。
数学は古くからある学問なので、学校で習うことはいいも悪いもすでに道ができており、順番どおりにやりさえすれば、自力で理解できるようになっています。山に分け入って、登山道とそうでない道とは、だいたい人が歩きもし整備もされているので、迷わないのと同じです。
しかし「まだ習っていない」から「まだしなくてもいい」というのは、学問的態度ではありません。しようと思えば、いくらでも先へ進むことができるし、またそうした道が実は用意されていることにも気付いてほしいのです。
塾に、あるいはこの山の学校に通ったら「教えてもらえる」という気持ちがあっては駄目です。勉強はしてもらうのではなくて、するものだからです。私は五年生でも、六年生のことを自力で結び合わせ、中学生のことまで到達してくれるような人物を励ましたいのです。
リーマンはルジャンドルという人の書いた500ページ余りの数学書を、父親の目を「盗んで」、十代のときに読み通したといいます。それで父親がその子の天分を認め、牧師の家系でしたが、数学を学べる大学に行くことを許したといいます。
勉強は電気を消されたら、たちまち続けることはできません。そのように親の許しがなければ、できないものです。勉強はしてもいいと言われて、させてもらっているのです。
情熱と感謝、この二つの糸の縦横が、勉強という錦だと、私は思います。公園の砂場で、水道管の出現を口惜しいと思うくらい、とことん掘り抜く情熱がある一方で、晩には家に帰らなければなりません。家の人が心配するからです。授業中に勉強の仕方が分からないから聞く、ノートの取り方を工夫することなどは必要なことです。ですがそれだけでは十分なことではありません。
自分からやる気を出し、そして学ぶ環境を与えてもらっていることを子も知り、親もそのことを伝えられるような工夫が、何より小・中・高校生において勉強の要だと思います。
福西亮馬
福西(かず)です。
今は高学年に「分数」を教えています。
分数は
1/2=1÷2
なので、実はもう1、2年生で習っています。
でも分数の難しいところは、この1つの「計算」だった
ものを、1つの「数」と思うところです。
でもその壁を頑張って乗り越えれば、
1/2+1/3や、1/3×3/2といった「高次」な計算ができる
ようになります。
さて、分数は小数でも表すことができて、
1/2=1÷2=0.5
ほら、分数を習ってなくても、小数(と割算)を知っていたら、
やっぱりもう習っているのです。
このように、分数までの積み重ねは、ちゃんと与えられていて、
分数が嫌いになるような難しさは、分数そのものには含まれて
いません。
では結局何が分数を嫌いにさせるかというと、それは分数と分数
の間にある「計算方法」ということになります。
それに勝ちぐせをつけてもらうには、どうすればいいか?
うーん、悩みます。
今のところ、ドリルを丁寧に付き合うことしか思い当たらないのですが…。
どうでしょう? 何かいい知恵ありますか?(>みなさん)
福西亮馬
ところで、分数の話ばかりになりますが、
分数は小数で表すと、
1/3=0. 3 3 3 3 3 3…
1/7=0. 142857 142857 142857…
となります。つまり分数は、「規則のある小数」という顔もあります。
規則があるということは面白いということで、
2/7=0.285714 285714...
3/7=0.428571 428571...
4/7=0.571428 571428...
5/7= ?
6/7= ?
さあ、「?」のところに、何も計算せずに言い当てることができますか?
そうです。1/7の時に出てきた、142857の六つの数字を、ずらして並
べているだけなのです。
こうした面白い規則のある分数ですが、このことを、四年生の男の子は
「くりかえし小数」と自分で名付けていました。
ということから、何が知ってほしいかというと、小数の世界が分数を
包含して「広い」ということです。
このことを、前回の授業で確認しました。
「なら、分数なんて考えないで、全部小数で考えてしまったら?」
というのが、今回の授業でした。
さあ、どうでしょうか?
福西亮馬
福西(かず)です。
今は高学年に「分数」を教えています。
分数は
1/2=1÷2
なので、実はもう1、2年生で習っています。
でも分数の難しいところは、この1つの「計算」だった
ものを、1つの「数」と思うところです。
でもその壁を頑張って乗り越えれば、
1/2+1/3や、1/3×3/2といった「高次」な計算ができる
ようになります。
さて、分数は小数でも表すことができて、
1/2=1÷2=0.5
ほら、分数を習ってなくても、小数(と割算)を知っていたら、
やっぱりもう習っているのです。
このように、分数までの積み重ねは、ちゃんと与えられていて、
分数が嫌いになるような難しさは、分数そのものには含まれて
いません。
では結局何が分数を嫌いにさせるかというと、それは分数と分数
の間にある「計算方法」ということになります。
それに勝ちぐせをつけてもらうには、どうすればいいか?
うーん、悩みます。
今のところ、ドリルを丁寧に付き合うことしか思い当たらないのですが…。
どうでしょう? 何かいい知恵ありますか?(>みなさん)
福西亮馬
ところで、分数の話ばかりになりますが、
分数は小数で表すと、
1/3=0. 3 3 3 3 3 3…
1/7=0. 142857 142857 142857…
となります。つまり分数は、「規則のある小数」という顔もあります。
規則があるということは面白いということで、
2/7=0.285714 285714...
3/7=0.428571 428571...
4/7=0.571428 571428...
5/7= ?
6/7= ?
さあ、「?」のところに、何も計算せずに言い当てることができますか?
そうです。1/7の時に出てきた、142857の六つの数字を、ずらして並
べているだけなのです。
こうした面白い規則のある分数ですが、このことを、四年生の男の子は
「くりかえし小数」と自分で名付けていました。
ということから、何が知ってほしいかというと、小数の世界が分数を
包含して「広い」ということです。
このことを、前回の授業で確認しました。
「なら、分数なんて考えないで、全部小数で考えてしまったら?」
というのが、今回の授業でした。
さあ、どうでしょうか?
福西亮馬