勉強?研究?…「学ぶこと」によせて
「勉強、好きなんだねえ」──誰かにこう言われた時、どう思うでしょうか。私は「変な奴だなあ」という言外の圧力を感じます。つまり、「勉強」とは学校で強制されるもの、分からなくて嫌なもの、時間がかかって苦しいものであり、そんなものが好きなんて変わった奴だなあ、…という憐れみのような感触です。
そんなとき、「ボクは『研究』が好きなんだよ」と返します。「研究」という言葉には、「強制」という響きがありません。時間がかかっていても、苦しいものではありません。むしろ、喜びに溢れたひとときです。「研究」という言葉を使うと大仰な感じですが、自分から好んで学ぶものはみな「研究」である、といってもよいでしょう。
しかし、小学校から大学に至るまで、基本はやはり「勉強=教えられること」だと思います。それは、その時は当人に価値が分からないものであっても、将来に開花するための貴重な布石だからです。好きな物ばかり食べていたら栄養が偏るように、好きなことのみを学んでいてもやはり知識のバランスが偏ります。身体が様々な栄養素によってバランスを保つように、知識もまたさまざまな要素によって組み合わさっているからです。Aという事象は、通常aが原因と考えられるが、実はbによっても、またcによっても説明できるのだ──そのような多様性に気づくことは、人間としての「生きる力」を付けるために不可欠ではないでしょうか。
私は「学ぶこと」が大好きです。いろんなことに手を出してきましたし、今でも手を出し続けています。そんな私には大書店や図書館は宝の山です。自分の専門分野の棚はもちろんですが、全然違う分野の本棚を眺めて歩き、時に目についたものを手に取ってみる。もちろん、分からないところだらけです。でも「何か新しいことに触れた」という喜びの記憶は、いつまでも残ります。それは決して無駄なことをしている時間ではありません。むしろ、それこそが「学び」の本質なのだと思います。
「山の学校」も、そのような「学ぶこと」の喜びを分かち合う場として成長していきます。ここから大樹のように「学び」が広がっていくことを願って。
* * *
この春学期から「山の学校」の講師(ラテン語入門)をさせていただいています。山下先生とは、私が同志社大学大学院の学生だった十年ほど前からのお付き合いで、今もラテン語の師としてご指導頂いています。
平日はサラリーマン、週末はキリスト教会(プロテスタント)の副牧師として働いています。詳しくは「山の学校Weblog」*1)にあるリンクからどうぞ!
前川 裕(まえかわ ゆたか)
はじめまして。小学1年生の「かず」、中学1年生の「英語」を担当している下村麻紀子と申します。
私は今大学で福祉を学んでいます。今、福祉の現場では体制にこだわらずに個々のニーズに応えていくことが必要とされています。制度は多くの人々に対していかに効率よく応えていくかのものです。しかし、このような考え方では福祉の目的を実現させることはできません。人は1つの共通のニードを持っていても1人1人が違う存在なのです。現場を生きる人にとっては当たり前のことですが、制度で個々に応えるにはやは限界があります。これは福祉だけではなく「学ぶこと」にも共通している部分が多く、今どのように学んでいくかは将来大きな違いになると思います。
私が担当している小学1年生、中学1年生は初めて会ったとき彼らもまだ新しい環境に入り込んだばかりでした。新しい学校、新しい教科書、新しい友達…。「新しい」すべてのことに対して大きな期待と不安を持っています。私の好きな言葉である「好きこそものの上手なれ」にあるように勉強でもスポーツでも遊びでも「好き」という気持ちは何事に対しても有効であるように思います。「好き」だと感じるには「興味」があればいいと思います。「どうしてだろう…?」この一つの思いだけで道はいくつにも無限大に広がっていきます。広げていくのは子ども達自身で、一人一人感じ方も道の広げ方も進んでいく道もまったく違います。
3月の時点で山下太郎先生とどのように授業を進めていくべきかお話させていただいた際、やはり英語に関しては「聞く」と「覚える」ということが重要だと確認しました。中学1年の英語は教えられたことを覚えることが先につなげる一番の方法だと思います。
覚えるには耳で感じ、手で書くことが大切です。いくら目で見ていても実際に手を動かさなければならないということはどの教科にも共通しています。耳で聞いたものを手で書いてつづりを確認し、覚える。わからないことは調べる。山下先生から事前に同じ事を教えていただいていた子どももいて、導入はすごくやりやすかったように感じました。さらに疑問に感じた単語は子ども同士誰が一番早いか競争しながら調べるという好奇心にすごく期待を感じました。
それは小学1年生にも言えることで、もう帰る時間になっているにもかかわらず「ここまでやる!」と言ってやりきるという子ども達の姿勢に私も応えていかなければ、と強く感じさせられました。新しいことを迷いながらも進んでいく子ども達に好奇心から「好き」と感じ、将来彼ら自身で道を広げていくサポートがしたいと思っています。
下村 麻紀子(しもむら まきこ)

四月から着任した新しい先生をお二人ご紹介します。
下村 麻紀子(しもむらまきこ)
同志社大学文学部2回生前川 裕(まえかわゆたか)
京都大学文学部卒業 同志社大学大学院神学研究科修了
前川裕先生は、「ラテン語・初級文法」担当です。お仕事のかたわら、週一回の授業を担当して頂いています。平日のお仕事とともに、週末には教会の牧師さんとしてのお務めも精力的にこなされています。前川先生の多岐にわたる研究や趣味の活動は書き出せばきりがなくなるほどですが、とくに「合唱」の腕前はプロ級で、参加なさっている合唱団は毎年コンクールで金賞、世界をまたにかけて演奏旅行に行かれます。
お二人とも大変明るく気さくな人柄で、情熱を持って教えてくださいますので、スタッフ一同さらにチームワークをよくし、「山の学校」の教育に力を入れていきたいと決意しているところです。
「山の学校」の勉強は、これまで幼稚園の部屋を借りて行ってきましたが、春休み期間中に工事を行い、午後に「山の学校」の教室として利用できる3つの部屋をご用意しました。あわせて保護者や生徒との面談も気軽にできる場所も確保しました。山の学校の電話番号は781-3215(みにいこ)です。
幼稚園の「ひねもす教室」で使っていた空き家を改修したもので、午前中は幼稚園の子どもたちも利用することができます。

「山の学校」は火曜日を例に取りますと、1日の参加者が、のべ30名を超え、3教室とも最終時間まで熱気で溢れています。体験授業や見学に来られる方もちょくちょく訪れていただき、ありがたいことだと思っています。
この建物は幼稚園児から一般社会人まで広く多くの人に愛される「山の教室」として、今後十二分に活用させていただきたく思っています。
「山の学校」の活動とは別に、小学校生活全般について、ご相談になりたいことなどがございましたら、いつでも面談のご希望はお受けいたしております。
新しいやまびこ通信が刷り上りました。
pdf形式でごらんになれます。山びこ通信7月号
内容は以下のとおりです。
1 7月のお知らせ
2 山の学校リニューアル
3 かず小1年
4 しぜんだより
5 ことば小2年
6 ラテン語初級入門
7 秋学期会員募集
8 「英語の基礎」クラス開講のお知らせ
先週の山びこクラブは、ダンボールを使いました。
みんな生き生きといい顔をしていました!

アルバムはこちらです。
次回は9月に予定しています。またみんなと会える日が楽しみです。
英文の速読力を身につけるためには,気に入ったテキストを何度も繰り返して読むことが大切です.高校や大学の授業では基本的に精読を行うわけですが,普通に予習した場合,1時間近くかける人が多いようです.
せっかく予習に時間をかけたなら,授業の直後に何度も読み返すとよいでしょう.例えば,300語の英文を音読してみると,遅い人でも3分あれば読めるはずです.これは実際に時計で計るとよいと思います.理由は,立ち止まったり,前に戻ったりしないからです.簡単なことのようですが,英文を立ち止まらずに読み下す経験をもつ人は少数派です.
何度も読み返したテキストなら(あるいは辞書等で不明な箇所をなくしたテキストなら)後戻りせずに音読なみに,あるいはそれ以上にすらすら読み通せるはずです.このスピードに慣れるために,日頃から徹底的に繰り返し読み,その際音読を併用することをお勧めするわけです.反復読みで理解が飛躍的に向上することはあっても,より難しくなることは決してありません.「読書百遍」の言葉は真実です.
高校や大学の授業では,1時間で300語程度の英文を読みますが,その英文が副読本の場合20~30ほどあって,授業では一年かけて勉強します.それに対し,もし音読以上の速さで英文を読む術を身につけたなら,一度で全体の意味がつかめなくても,数回読み返せば大体の英文の内容は見当がつくという揺るぎない自信が得られるでしょう.1つの英文を数回読み返し,数分で内容を把握できるようになれば,1冊の英文テキストは合計1時間ちょっとで読み通せる計算になります.
ちなみに,300語の読解に1時間かける場合は,1分あたり,5つの単語しか読めていないことになりますが,同じ英文を3分で読み通せば,100語読んだことになります.その差は歩く速度(時速5キロ)と高速道路を走る車の速度(時速100キロ)の差に匹敵します.
ついでに補足しますと,上記のテキストを音読してテープに吹き込んだとしましょう.何度も練習した上で,1課ずつ吹き込むことに成功したなら,60分(3分×20課)テープに全部の内容を収めることも可能です.とすれば,毎日教科書を開け,テープのスイッチを押すことにより,1時間で1冊の教科書を読み通すこともできるわけです.ネイティヴスピーカーの吹き込んだテープが別売してあれば,それを活用するのもよい方法です.
是非一度,教科書を広げ,声を出して1時間以内でその全体を読み通すことにチャレンジして下さい.音読ができるようになれば,黙読で読み通すことはいっそう簡単です.黙読とは,いわば心の声で読むことですが,口に出してなめらかに読めない箇所は,黙読でも読みにくい箇所のはずです.まずは,音読でスムーズに読む練習をして下さい.大学入試にせよ,各種検定試験にせよ,試験が近付き,「後1週間!」と青い顔をするか,「1日あれば教科書は数回読める!」と考えられるかの違いは,天と地ほどの開きがあります.
インターネットで海外の情報を積極的に取り入れるためにも,英文速読のテクニックは重要です.現代生活において車や電車の利用は不可欠であるように,この点はいくら強調してもし過ぎることはないでしょう.無論,道端に咲く花は歩いてこそ眺めることもできるように,辞書を引いて精読することが無価値であるはずはありません.私たちは時と場合に応じて,歩いたり車に乗ったりするように,英語の読解に際しても,様々な読み方を適切に使い分けられるように心掛けたいと思います.
今日の「ことば」のクラスでは、次の絵本を読もうと思っています。あと、こわーい紙芝居を一つ。いつもは、紙芝居2つと絵本1つ、それに子どもたちが家から持ってくる絵本を1つ、ないし2つ読んでいますが、今日は少し控えめにして、その分、みんなで感想を言い合ったりする時間を長く取ろうと思っています。
ゆっくりがいっぱい!
エリック カール Eric Carle くどう なおこ
簡単な紹介が Ikuko Diary に出ています。詳細は、今日から小学生会員にお持ち帰りいただきます。
宇梶です。
前半部分(675-681)の訳を提出いたします。ご指導のほど、よろしくお願いいたします。
[675-677]
in medio classis aeratas, Actia bella,
cernere erat, totumque instructo Marte videres
feruere Leucaten auroque effulgere fluctus.
【試訳】
「中央には青銅の艦隊、アクティウムの戦争を
見分けることができた。そこで見て取ることができるのは、戦闘態勢をとり沸き立つレウカーテと、黄金によって輝く波であった」。
【語釈】
videres:「見ることができるであろう」(imperf subj act 2nd sg)
totum(que):「すべて」→Leucate にかかる?
feruere:「沸き立つ」(pres inf act)
effulgere:「輝く」(pres inf act)
→Leucate が feruere し、fluctus が auro によって effulgere するのを videres する、という構文でしょうか。
[678-681]
hinc Augustus agens Italos in proelia Caesar
cum patribus populoque, penatibus et magnis dis,
stans celsa in puppi, geminas cui tempora flammas
laeta vomunt patriumque aperitur vertice sidus.
【試訳】
「こちらからはアウグストゥス・カエサルがイタリア軍を戦場へと導く。
元老院も人民も、祖国の守護神や偉大なる神々をも連れて、
高い船尾に立つと、そのこめかみは一対の炎を喜んで
吐き出す。父の星々が頭上に現れる」。
【語釈】
agens:「導く」(pres part masc nom sg)→主語は Augustus Caesar
stans:「立つ」(pres part masc nom sg)→主語は同上
cui:ここでは celsa ~ puppi を指す。
→cui tempora laeta:「その(船尾の)こめかみは喜んで」
patribus:「元老院」(でしょうか?Loebの英訳に従いました)
vertice:「頭上に」(masc abl sg)
いよいよアウグストゥスが出てきました。まるで歴史小説を読んでいるようです。
ちょっと鳥肌が立ちました。
今回は、新しい先生お二人にも寄稿いただき、内容的に盛りだくさんです。
#ryoma 先生、編集をご苦労さまでした。
なお、ブログで紹介していませんでしたが、4月から部屋もリニューアルされ、先生も生徒も、心機一転、勉学に勤しんでいるところです。このことについても、写真付きで紹介してあります。
会員には、明日以降お持ち帰りいただける手はずです。
英語の基礎学力診断テストを8月24日(水)に下記の要領で行います。
試験は中学校で学ぶ大切なポイントをもれなくチェックするものです。
試験終了後、個別に学習指導を行い、今後の英語の実力向上に必要な心構えや具体的な教材の選び方などについて、アドバイスします。
参加者は先着5名、学年不問といたします。参加ご希望の方は、電話でその旨ご連絡下さい。
記
日時:8月24日(水)午前10時~12時
場所:「山の学校」教室(電話:781-3215)幼稚園のすぐ下にあります。
費用:2,000円 ※特典:「山の学校」非会員の受験者で九月から「高校英語基礎クラス」に入会される場合、入会金は免除いたします。
内容:
(1)30分で英語の基本の確認テストを行います。
(2)続いて自習用のオリジナル問題集に取り組んでいただきます。
※この問題集は9月から始まる基礎クラスのテキストになります。
(3)この時間を利用し、私の方で確認テストの採点をし、採点ができ次第、その結果に基づく実力診断と、今後のアドバイスを個別に行います。
講師:山下太郎
英語は基本が大事です。人によって「基本」の定義はまちまちですが、本当の英語の基本とは、中学校で習う英文法を意味します。
具体的に言いますと、中学で習う例文(全部で200程度)については、どれも「瞬間的に」英語が口をついて出てこないと意味はありません。また、そのどれもが正確に英語で書けるまで練習する必要があります。
これは、ちょうどかけ算の九九のようなもので、うろ覚えではまったく意味がありません。「2(に)3(さん)が8!」と言っている状態で、どうして数学の問題が解けるのでしょうか?
ところが、実際に高校生や大学生に高校入試の英語の問題でテストをしてみると、中学レベルの知識が実にあいまいで、文法はおろか、綴りも発音も「我流」の人が大半です。そして、例外なしに「英語は苦手」と口にしています。やる気があっても、勉強の順序を間違えると、せっかくのやる気も空回りに終わります。
私は予備校で八年、大学で一二年英語を教えてきましたが、この手の悲喜劇を嫌と言うほど見てきました。しかし一方で、中学英語を一から勉強し直すことによって、彼らのどれだけ多くが生き生きと勉強に取り組み、どれだけ大きく自信を蘇らせるかも!
一般の塾や予備校の「基礎クラス」では、英文の「語彙」のレベルを落とすことで「基礎」と呼んでいるにすぎません。まさか、中学一年生の一学期の勉強から復習するなんて!
ところが、「英語が苦手!」と思っている生徒の大半は、中学一年生の一学期の勉強からボタンの掛け違いがおこっているのですから、そこから復習しないと挽回の見込みはゼロなのです。
高校生にとって中学英語の復習をすることは「ふりだしにもどる」ことではけっしてありません。中学時代には未知であった数多くの英単語をすでに見聞きしているはずであり、一見ばらばらになって、意味をなさなかった英単語の塊も、だんだん自力でわかるようになってきます。
少なくとも、辞書を引けば意味がとれるようになってきます(これは基礎力がないと無理)。また、学校の先生のきめ細かい説明も「なるほど!」とわかるようになってくるでしょう。
そうなると、勉強はがぜん面白くなり、やる気がどんどんわいてきます。その意味で、高校生にとって一から英語をやり直すことは、けっして回り道をすることではなく、実力向上の最短ルートをばく進することにほかならないのです。むしろ、プライドがじゃまし、実力以上の勉強をしたがることこそ、回り道なのではないでしょうか。
さて、前置きが長くなってしまいましたが、私は以上のような考え方から、「山の学校」の中に「英語を一から学びなおしたい」と考える高校生を対象とした「基礎クラス」を開設したいと思います。
「我こそは!」という方にご参加いただき、実力向上の喜びを分かち合いたいと願っています。入会ご希望の方は、電話でお気軽にご相談下さい(781-3215)。先着五名、学年不問とさせていただきます。
日時:平成17年度秋学期より。水曜日6時40分~8時
内容:高校での英語学習にも留意しつつ、実力向上の切り札となる「中学英語」の徹底的な復習を行う。
講師:山下太郎
英語を基礎から学ぶ大切さについて、以前書いた原稿に少し手をいれました。
英語がちょっと苦手な様子ですね。模擬試験の結果が悪くて落ち込んでいるとのこと。学校の勉強は試験範囲も決まっているから、試験前に集中的に勉強すればいいのですが、模擬試験となると話は別ですからね。大学入試のことを考えると気も滅入る・・・その気持ち、わかります。じゃあ、ちょっと息抜きに、「基礎力診断テスト」でもやってみてください。(問題省略)。「わかってそうで、答えが出なかった」という問題はありませんでしたか。つまり、それだけ体がなまっていたということです。
すこし厳しい言い方かもしれませんが、内容はごく平凡な高校受験レベルの問題です。本来は90%以上できなければ困る内容ですね。じゃあ、何に困るかと言えば、普段の学校の授業を理解する上で困るということです。先生も困るし、あなたも授業がわからなくなって困るのです。
結論は簡単です。まあ騙されたと思って、中学校で習った勉強のおさらいをしてください。たとえば、大学入試用の単語集を覚えようとがんばっても、中学時代に習ったことがデタラメだと、3日もたたないうちに勉強するのが嫌になってくるものです。勉強が続かないのは自分の根気がないためではありません。やり方に問題があるのです。
自分の実力に合った勉強を続ける限り、勉強は本来おもしろいはずです。だれにでもその人にとってふさわしいレベル、というものがあるのです。そのレベルの高い、低いはこの際問題ではありません。自分のレベルをしっかりと見定めることがなにより肝心なのですから。
受験英語を学ぶ上で中学英語を理解しておく必要性は、数学でいえば、かけ算の九九がいえるのに等しい、と私は思います。九九が苦手な人は、どんなに難しいことを授業で習っても、決して正解は出せないように、中学英語の理解が不十分であるとすれば、いくら辞書を引いても、単語をたくさん覚えようとしても、すべての努力が空回りに終わるのです。
国語でいえば、さしあたり漢字の読み書きです。しかし、さすがに九九を知らない高校生はいないように、国語でも、ひらがなしか知らない生徒はいないでしょう。ところが、英語はどうか?といえば、肝心の中学英語を十分に理解できている生徒は、私の見た所、100人中1人いれば多いくらいです。
よく「日本人は英語が苦手である」という話を聞かされます。今私がのべていることは、おそらく同じ事だと思うのですが、中学から6年間英語を学校で学んでも、なぜ多くの生徒は外国人に道案内すらできないのでしょうか。私のもっている中学2年生の教科書には、地図を見ながら道案内をする会話の文章が出てきます。
あなたはちゃんと学校で道案内の仕方を習っているのです。結局は試験前の一夜漬け程度のつきあいしかしないまま、覚えては忘れの繰り返しに終始し年齢だけ大人に近づいていく、というのが多くの生徒の現状ではないでしょうか。
一方、かけ算や漢字の読み書きの場合にはこういった問題は生じません。私たちは日常生活のあらゆる場面で、これらの知識を活用しながら生活を送っているからです。英語の場合は、今挙げた英会話の例を出すまでもなく、よほど意識して勉強を続けておかないと、すぐに習ったことを忘れてしまう、といった性格をもっています。
たしかに試験ではその気で勉強すれば、悪い点は取らずにすむのです。先生は出題範囲を前もって生徒に告げておくからです。訳なり、答えなりを一夜漬けで暗記すれば、何とか赤点は取らずにすむのです。でも、本当に力が付いてるって感じはしませんよね。
具体的には、本屋に行って、中学1年生用の問題集を買って解くことです。恐らく初めのうちは、今回の「基礎力診断テスト」と同じような点数を取るでしょう。私のデータでは、「英語が苦手!」と口にする高校生の場合、たいてい2問に1問は間違う勘定です。しかし、普段解いている大学受験の問題と違って、間違ったときの気分が全然違うことに気づいてください。
つまり、「あっしまった!」とか「そういえば、そうだったなあ!」という感じですね。大学入試用の問題だと、到底こういう気持ちにはなれないでしょう。たいていが4つから1つを選ぶ形式ですから、できてもマグレということもあるし、できなくても「どうでもいいや!」という投げ遣りな気持ちになるものです。こうして、自分の勉強の中身にだんだん責任が持てなくなっていくわけです。
また、大学受験の勉強では、覚えることがあまりにも多すぎて、なんだかコップで海の水をすくうような空しい気分になってきます。それに対し、中学英語の問題は、なんといっても、単語のレベルが限定されています。覚えるべき事柄は、単語ではなく、むしろ英語の基本的なルールです。例えば、「受動態=be 動詞プラス過去分詞」とかです。
このルールはどう数えてみても200あるかないかです。代表的な例文は、丸ごと暗記すればいいのです。1日20も覚えていけば、10日で終わる計算です。大学受験で問われる内容のすべてを網羅的に覚えようとすることは、たしかにコップで海の水をすくうようなものですが、中学英語の復習は、せいぜい風呂の水をコップでくみ出すような作業です。簡単なことでも、まじめにやっていますと、「これが本当の勉強だったのだな!」という気持ちがわいてきます。
英語を好きになるには、発音も馬鹿にしてはいけません。簡単な英語でも聞き取ることは難しいものです。できればテープを何度も聴いて耳を鍛えて下さい。発音に自信がもてないことは、日本語で言えば、漢字が音読できない気持ち悪さを味わうようなものです。英語の歌が好きなら、歌詞カードをヒントに勉強すると一石二鳥ですね。映画も最高の先生です。2~3回以上見ていると、話の流れは頭に入っているので、いちいち字幕は見なくなるものです。このとき初めて俳優のせりふに耳を傾けるようになります。聞き取れなかったところがわかったときは本当に嬉しいものです。
「英語は苦手、英語の勉強は嫌い」という人は少なくありません。やり方に問題があるだけです。基礎の復習をしながら、学校の試験の点数にこだわることはいったん忘れて、面白いと思える勉強の仕方を自分なりに見つけてほしいと思います。英語で日記をつけるとか、興味のあるジャンルの英語雑誌を手に入れるとか。
それでは、単語はどうすればいいのでしょう。単語を覚えることは、交差点の名前をひとつひとつ覚えるようなものだと思って下さい。しかし、車やバイクに乗る人は、毎日道路地図で交差点の名前を暗記しなければならないのでしょうか。必要なときに地図を広げればそれでいいのはないでしょうか。ふだんは普通に道路を走っていれば、やがて重要な名前は頭に入ってくるでしょう。要は、家の中に閉じこもっていないで、どんどん町に出ることです。普通に交通機関を利用し、普通に日常生活を送るなら、基本的な地名は自然と覚えられるはずだと思います。
あとはたくさん原文を読むことです。そうすれば、自然と必要な単語は頭に入ってくるものです。頭に入らないとすれば、難しすぎるテキストを読もうとするからです。英語の場合、標準的な入試レベルの英文の90パーセント以上は中学レベルの単語で構成されていますから、一見簡単すぎると思えるテキストを利用しても、英文を読むこつは身に付くのです。(この際、音読も有効。できれば英文を丸ごと暗記したいところ)。
とは言っても、受験英語の英文はそう簡単に読めるようにはなりません。根気よく辞書を引いて予習をする必要があるでしょう。まじめにとりくめば、うまく訳せずに1時間2時間があっと言う間に過ぎていくものです。しかし、時間がかかるということは、単語の知識が少ないためではなく、むしろ、文法の力、言い換えれば中学英語の理解が足りない結果である場合が多いものです。
受験生ならだれでも知っている単語の一つに stand という語があります。ふつう「立つ」という意味で使いますね。Stand up. と言えば、「立ちなさい」という意味になります。ところが、この単語には同時に「我慢する」という意味もあるのです。たとえば I can not stand it. といえば、「わたしはそれが我慢できない」と訳さなければなりません。もし「私はその中で立ち上がれない」とか訳したら、0点です。では私たちはやはり、このような細かな点まで含めて、しっかり単語や熟語を「暗記」していかないといけないのでしょうか。
私はそうは思いません。単語の知識に関しては、強制された勉強は効果が薄いと思います。また、中学英語の理解が単語の暗記の前に不可欠だと再三申してきたつもりです。これは具体的にどのようなことを意味するのでしょうか。例えば、中学1年の英語に戻りますと、前置詞のin の使い方を教えます。「学校で」といえば、in school となるわけです。今の例文ではinがなかったことに注目ください。今の間違いの訳自体を素直に英語に直せば、どうみてもin が必要になるでしょう。つまり、元の文は I can't stand (up) in it. となっていなければおかしいのです。
ということは、中学1年レベルの常識的な前置詞の使い方に慣れていれば、問題文のin の有無にもっと敏感になれると考えられるのです。あなたは単語の意味のひとつひとつを無理に覚えていかなくてもいいのです。ただ、いつもと様子が違うぞ、という感覚がピン!と鋭敏に働かないとだめなのです。何か変だぞ!という感覚が、すっと辞書に手を伸ばす原動力になるのです。
つまり、ありふれたstand という単語に「我慢する」という訳語を「自分の力で」見つけ出すためにも、中1で習う前置詞の復習は重要です。このような例はいくらでもあります。He runs a small restaurant. といえば、「彼は小さなレストランを経営する」と訳すのであって、けっして「彼は小さなレストランの中で走っている」とはなりません。
あなたは、何も中学校の英語の教科書が読めないわけではないのです。むしろ読めるから、その大切なポイントを無視する傾向があるのです。
最後に私の取って置きの勉強法を申し上げましょう。それは、「簡単な日本語を英語に直す練習」です。はじめは騙されたと思って、中学一年用のレベルに限定して、その英作文がすらすらできるまで繰り返してください。大学生でもすらすらできる学生は少ないものです。まして中3までの範囲で出題しますと、???が続出です。
わたしが重視するのは英作文としてみた中学英語ということなのです。これが縦横無尽に日本語から英語に直せるレベルに到達できてこそ、真の意味で中学英語をマスターした人と申し上げてよいでしょう。繰り返しますが、覚える例文は200です。
これは漢字の勉強と同じことです。漢字を「読む」練習も大切ですが、むしろ「書取り」の練習をした方が、短時間で効果があるということです。私も最近はワープロを使うので、実感することですが、読み方は知っていても、いざ書くとなると、正しく書けない漢字は案外多いものです。辞書を見ないで書ける漢字は、必ず読めるはずですね!
いつも言うことですが、英語は基本が大事です。中3ともなれば、とかく先へ先へと進みたくなりますが、あわてずじっくり基礎固めをしましょう。Slow and steady wins the race!
日本語から英語に直すドリルにもだいぶなれてきましたね。
福西です。
中途半端な所からで申し訳ありませんが、666行の途中から担当させて下さい。
666-7
/ hinc procul addit
Tartareas etiam sedes, alta ostia Ditis,
ここ(の絵模様)から離れて、
奈落の屋敷もまた加える、冥府の深い入口を、
668-9
et scelerum poenas, et te, Catilina, minaci
pendentem scopulo Furiarumque ora trementem,
罪に対する刑罰をも(加える)、汝もだ、カティリーナよ、張り出した
岩にぶら下がっている(汝)を、復讐の女神に対して怯えている(汝の)顔を、
et te 呼びかけ
minaci < minax張り出した、突き出た
670
secretosque pios, his dantem iura Catonem.
そして隔離された敬虔な人々を、ここに法を与えているカトーを(加える)。
secerno隔離する
pios < pius敬虔な人々(Boni amant bonum.のBoniと同じ用法)
his:この(敬虔な人々の描かれている)場所に
671-2
haec inter tumidi late maris ibat imago
aurea, sed fluctu spumabant caerula cano,
これらの(絵模様の)間に、広々と、膨らんだ海の黄金の姿が来る。
しかしそれは白い波によって、空色に泡立っている。
tumidi maris膨らんだ海のgen.
*海の描写→これから「アクティウムの海戦」を描き込もうとしている
? ibat こういう時の未完了過去の訳し方が分りません。
673-4
et circum argento clari delphines in orbem
aequora uerrebant caudis aestumque secabant.
そのまわりに輪になって、銀色に光るイルカたちが
海を掃き、尻尾で潮流を切っている。
argento clari:銀によって光っている
in orbem = in troops
cauda(coda)尻尾
*楽譜のコーダも曲の最後にあるから、そんな名前なのでしょうね。
よろしくお願いします。
その4です。
Eadem probamus, eadem reprehendimus.
「エアデム・プロバームス・エアデム・レプレヘンディムス」と読みます。
eadem は、「同じもの」を意味する指示代名詞 idem (イーデム)の中性・複数・対格です。
probamus は「是認する、認める」を意味する第一変化動詞 probo の能動相・現在・1人称・複数の形です。
reprehendimus は「非難する」を意味する第三変化動詞 reprehendo の能動相・現在・1人称・複数の形です。
「我々は同じものを是認し、同じものを非難する」という意味になります。
人間の定見のなさを指摘した一文です。
これも、セネカの『幸福な生活について』(De Vita Beata)の中に見られる表現です。
その3です。
Sanabimur, si separemur modo a coetu.
「サーナービムル・シー・セーパレームル・モド・アー・コエートゥー」と読みます。
sanabimur は、「健康、健全にする」を意味する第一変化動詞 sano の受動相・未来・1人称・複数の形です。
「我々は健康にされるだろう」という意味から、日本語としては「我々は健康になるだろう。」と訳せます。「心が健やかになるだろう」と解釈してもよいでしょう。
si は条件文を導く接続詞です。
separemur は、「分ける」を意味する第一変化動詞 separo の接続法・能動相・現在・1人称・複数の形です。
主文も従属文も「本時称(primary tenses)」に置かれています。
modo は「ただ、単に」(英語の only)を意味します。
a は奪格の名詞を支配し、「~から」という意味を示します。英語の from と同じ用法です。
coetu は「集団」を意味する第四変化名詞 coetus の単数・奪格です。
「我々は心が健やかでいられるだろう、ただ単に、集団から離れているだけで。」と訳せます。
これも、セネカの『幸福な生活について』(De Vita Beata)の中に見られる表現です。
その2です。
Animi bonum animus inveniat.
「アニミー・ボヌム・アニムス・インウェニアト」と読みます。
animi は「魂、心」を意味する animus の単数・属格で bonum にかかります。
bonum は「善」を意味する中性・単数・対格です。
animus はこの文の主語です。第二変化名詞・単数・主格になります。
inveniat は「見出す、発見する」を意味する第4変化動詞 invenio の接続法・能動相・現在・3人称・単数です。
この接続法は「命令・義務」のニュアンスを持ち、「見出すべきだ、見出すのがよい」と訳せます。
「魂の善良さは魂が見出すべきである。」
セネカの『幸福な生活について』(De Vita Beata)の中に見られる表現です。
金曜日のクラスではセネカを読んでいます。印象に残る表現をいくつかご紹介します。(いずれも、私の「ラテン語入門」のページに掲載したものです)。
Ergo exeundum ad libertatem est. 「エルゴー・エクセウンドゥム・アド・リーベルターテム・エスト」と読みます。 ergo は「それゆえ」という意味をもちます。 exeundum は「立ち去る、出発する」を意味する動詞 exeo の動形容詞で、中性・単数・主格です。 est とともに、非人称的表現をつくり、この場合 exeo は自動詞なので、「・・・すべき」の意味を持ちます。 ※他動詞の場合、「・・・されるべき」となります。 ad は対格を支配する前置詞で、「・・・に向かって」の意味を持ちます。 libertatem は「自由」を意味する第三変化名詞 libertas の単数・対格です。 「それゆえ、自由に向かって出発すべきである。」となります。 セネカの『幸福な生活について』(De Vita Beata)の中に見られる表現です。 exeo は、あるものから外に向かって出て行く、ということですが、この文脈ではvoluptas (快楽)やdolores (苦悩)といった domina (女主人)による隷属状態から脱出し、libertas (自由)に向かって突き進まないといけない、という意味になります。
6月から新しいメンバーをお迎えし、パワーアップしてがんばっています。
前回は、53節を読みました。vere ineunte (春が始まると)など、教科書の文法通りの表現が出てきて、よい復習ができました。
新しいメンバーの方は、1学期間で文法を終え、キケローの講読に合流されていますが、部分的に説明を補足するだけでじゅうぶん内容をこなしておられます。
考えてみれば、すごいことだと思います。
木曜日クラスでも、来週で初級文法が終わるようですね。これもすごいことで、2ヶ月と1週間というのは、「山の学校」の新記録ですね。
続きにセネカの「人生の短さについて」(De brevitate vitae) を読むと聞いていますが、問題なく読み進めることができるでしょう。
「ラテン語の夕べ」のご案内です。
第3回目
日時 7月8日(金) 午後8:00~9:30
場所 北白川幼稚園 >>地図
対象 ラテン語に関心のある方
講師 山下太郎
ラテン語は日常の中に息づいています。映画やCMで見かけたあの言葉、この言葉。ラテン語を語源とする英単語はたくさんあります。合唱をされている方は、歌詞そのものがラテン語ということもあるでしょう。できれば、歌詞を理解した上で歌いたいと思われるかもしれません。今回「山の学校」では「ラテン語の夕べ」と題し、ラテン語の魅力にふれていただくひとときをご用意致しました。教科書も、ノートも要りません。「ラテン語はおもしろい!」と言ってお帰り頂けることを何より願っています。この機会にどうぞお気軽にお越し下さい。
前回の感想はこちらです。>第2回の夕べ
青春ライブ授業!次回のご案内です。
第15回目
日時 7月15日 午後7:00~8:30
場所 北白川幼稚園>>地図
対象 中学生以上
演題 『なんで歴史を学ぶか』
講師 某(山の学校講師・京都大学文学部4回生)
青春ライブのバックナンバーはこちら(pdf)。ご参考までにどうぞ。
福西です。
そろそろ一冊終わりそうな生徒が出てきています。
終わりが薄くなってくると、意欲がわいてくるようです。
「さあ、あと10分」
「あと10分?」
「10分やって! はよやらな」←うれしい発言
「でも今やってるページができたら、もうええしな、それで今日は終わりに…」
「えー、これ全部やって帰りたい~。あとこんだけやもん」←14ページがあとちょっと、という発言
「家で全部できるかなあ」
「ぼく家でなあ、お父さんが帰ってくるまでの時間に、いつも見てるテレビを見ずにやろう」
「えっ! そんなふうに言ってくれるのって…うれしいなあ(涙)」
「やっぱりちょっとだけ、テレビ見たいけど…」
小学校1年生なので、ドリルに飽きてきたのではないかなあとこの前まで心配していたのですが、反対に彼らはまだ新鮮なようで安心しました。
ざっとクラスを見ると、手を使っている子が主流のようです。しかしじっくりとその子の成長に付き合っていると、いろいろと小さな発見があって、面白いです。私は男なので、授乳の感覚を知りませんが、多分そのような感覚なのだろうと思って、彼らと付き合っています。大人がついて見ているという時間は、その子の何かになっていると思えるので、ルーチンワークというよりは楽しみな感じです。
R君の数え方(繰り下がり)
12-7の場合
Aeneis8.642-58
福西です。後半分649-58をアップします。
649-51
illum indignanti similem similemque minanti
aspiceres, pontem auderet quia uellere Cocles
et fluuium uinclis innaret Cloelia ruptis.
まるで苛立っている者のような、まるで威嚇している者のような彼を(ポルセンナ王を)、
あなたは見るだろう、なぜなら、コクレスが橋を落さんとまさに敢行しているので、
クロエリアが鎖を壊してまさに川を泳がんとするとしているので。
similis+[dat](indignanti と minanti)
quiaなぜなら
aspiceres < aspicio見る sub.impf.2sg.
auderet < audeo敢えて行う sub.impf.3sg.
innaret < inno泳ぐ sub.impf.3sg.
接続法未完了:まさに~せんとするところ?
vinclis ruptis:絶対的奪格
652-3
in summo custos Tarpeiae Manlius arcis
stabat pro templo et Capitolia celsa tenebat,
タルペイアの城砦の頂上に、守り手であるマンリウスが
立って、神殿のために、高いカピトリウムを保っているところだった。
pro:前に? ために?
654
Romuleoque recens horrebat regia culmo.
(当時)新しい王宮はロムルスの藁で恐ろしかった(粗野で今ほど立派ではなかった)。
culmus屋根を葺くための藁
*同行が641の後ろにある説と、どちらがいいのでしょうね?
655-6
atque hic auratis uolitans argenteus anser
porticibus Gallos in limine adesse canebat;
そしてここで、金の廊下で銀のガチョウが飛びながら、
ガリア人が玄関に近付いたことを警告した。
657-8
Galli per dumos aderant arcemque tenebant
defensi tenebris et dono noctis opacae.
ガリア人は藪を通って近付き、城砦を取っているところだった。
闇すなわち小暗い夜の贈り物によって守られて。
Galli=defensi
et言い換え
あと70行ぐらいで8巻も終わりですね。
よろしくお願いします。
昨日のエントリーに補足します。「馬に嗅がるる・・」について、「嗅ぐ」ってどういうことでしょう?と子どもたちに尋ねたところ、「よもぎとか嗅ぐやん」と咄嗟に返事が返ってきました。ヨモギだんごを「しぜん」の時間に作ったときのことがよほど印象に残っていたのだなと思ったのでした。
今日は、新しい俳句を覚えました。
じっとして 馬に嗅がるる 蛙(かはず)かな 一茶
前のエントリーの補足です。「考える」は think です。この単語の派生語には、「考え」の thought がありますね。think の形容詞には thoughtful あるいはその逆の thoughtless があります。「思慮深い」、「思慮浅い」という意味です。辞書に全部書いてあります。中学用の辞書ならこの手の情報が芋づる式に手に入ります。基本単語の類義語、派生語の情報はもれなくのっています。私は英語以外の言語でもこのやり方で単語を増やしましたが、他の先生方もアドバイスがあれば教えてください。では。
単語集を覚えるのはありきたりなので、ちょっと違うやり方を紹介します。気に入ったノートを用意します。授業を受けたり、家で勉強していてこれは!と思った単語を順番に書いていくというやり方です。その単語から連想する別の単語も遠慮なく書いていきます。一つの授業中に10も20もかくようになれば、また、家での勉強中にもその派生語を調べたり、類義語を調べて書き加えたりすれば、一日に50から100の単語をランダムに書き続けることになります。1ヶ月で1000以上の単語をひたすらノートに書き出します。重要な単語は繰り返し顔を出すので、次第に覚えます。暗記するのではなく、意味を自分で調べ、記録するための単語帳のすすめです。
宇梶先生の記事をアップします。(アップしてくださったエントリは文字コードが異なるためか、文字化けしておりました。)
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宇梶です。遅くなりましたが、5月31日「ことば」(中学生)の授業(N先生の授業の代講)について報告させていただきます。
5月31日の中学生の「ことば」は、前回に引き続いて寺田寅彦氏の「わが中学時代の勉強法」という文章を読みました。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000042/files/1695_10185.html
この中で寺田氏は、「抜き書き」ということをしていたと告白しています。これはそれほど難しい話ではなく「教科書中の主要の点を抜き書きして、教科書の欄外などへそのまま書き抜いておく」ということです。他方、彼は「中学時代にあまりノートへしるすことはせなかった」のですが、それはノートと教科書とを同時に出してあわせ読むのが面倒だったからだそうです。
これに対し、生徒からは「ノートにきっちり書かないと内容を記憶できない」「授業の内容を理解するためには書くことが重要だ」という反論があり、そこから勉強法や暗記の仕方について話に花が咲きました。
僕は「記憶するということでは、書くことも必要だけど、音読も重要じゃないかな」と提案しました。中学生ぐらいになると、みんな恥ずかしいのか、授業中に先生から指されたりしない限りあまり音読はしないものです。でも、とりわけ国語や英語などは、実際に声を出して読むことでその文章が身体に染み渡るというところがあるので、恥ずかしがらずに音読するといいのではないかと思います。そう主張したら、Mさんは「私はいつも家で音読しているよ」とうれしそうに言ってくれました。
そのほか、板書の内容をどうまとめるかなど、一見些細なことのように思えながらも重要なノウハウについて話し合いました。みんなけっこういろんなことを考えているようです。
たまには軽い話を(笑)。山の学校のホームページについて、URL占いというのをやってみました。
結果は、次の通りです(^^)
※あまり深刻にならないで下さい。
http://www.kitashirakawa.jp/yama.html
このサイトの持つ性格は、理性・華麗といった言葉で象徴されます。
コンピュータ関連や芸術などの情報をあつかうのに向いています。
このURLの総合的な吉凶は以下の通りです。
信用と魅力の意味があり大吉です。目上からは信頼され、目下からは尊敬され順調に発展していく運勢です。
福西です。
昨日はうれしいことに…
Hちゃんが2冊目達成! おめでとう!
「おかあさんに、『2冊目終わりましたよ』なんて伝えんでいいしな。私が自分で言うんやから」と、Hちゃんに釘を刺されてしまった、私です。
ドリルはK君と同じです。Hちゃんが微妙に先に進んでいるので、「前にわたしが(お母さんと)宿題でしたところ」をK君に教える光景もあったり。つまり、自分が今度はお母さんの代わりをしているのでしょう。
「ほら、みてすご~い。今日だけで、あたらしいドリル、4ページも進んだわ」
と、さらにHちゃんの口から言葉が出るなんて…。とってもうれしいです、はい。
「あ…ぼくのも、そろそろおわりや」
残りのページを数えるK君も、続いて新しいドリルに突入しそうです。
T君の計算ドリルは短期間に集中したら早く終わるもので、T君の計算力だと、3日で終わると踏んでいます。今日は20ページ以上。まさに破竹の勢いです。マイルを荒稼ぎしていました。
今日はみんなはかどっているようなので、途中から競争することにしました。
すると、偶然ペースがみんな互角で、3人ともほぼ同時にゴール。K君が1位、T君とHちゃんが1~2分違いで2位でした。

「あぶないとこやった。ぎりぎりやったな」
と、K君が和やかにT君に話しかけているシーンは、写真に撮って残しておきたい気になりました。
昨日、中3生に今後のスケジュールについて、メモを書いて渡しました。
1) 1週間で3~4課進む。家で2課、山の教室で2課。2) 夏までに中1,2年の復習完了。
3) 秋から中3を集中して「仕上げる」。「中3英語ミニテスト」(全30課)
4) 夏休み中に、3)のうち、1学期で学習した内容を終えておく。
5) 「仕上げる」とは、「日本文」→「英文」をミスなく書けるようにすること。(どんな形式で出題されても正解できるために)
文法ばっかりでもたいくつする。モットーはよい刺激になる。アメリカの州、世界の都市や大学にはラテン語のモットーをもつものがすくなくない。そのよいコレクションはこちら。
ある程度ラテン語の勉強に親しんだ人向けに。
動詞の活用については、語尾変化の一覧だけを見て、任意の動詞の変化を自分で発音してみるとよい。
次のサイトがおすすめ。貞廣さんのページの「ラテン語規則動詞 未完了系 能動相」
授業の最初と最後に小テストをしています。「中1英語の復習」と題した試験です。10問あって、ぜんぶ日本語から英語に直すものです。これが意外にむずかしい。
?マークをぬかしても×ということで採点すると、胸がすかっとするくらい、間違いがぼろぼろでてきます。前置詞のつかいかた、冠詞の有無についても、こまかな点まで1つ1つ説明すると、「かゆいところにてがとどく」心地よさを覚えてくれるようで、あんがい、この復習テストは人気があります。
授業の最後には、リベンジテストをします。同じプリントをもう一度やるのです。生徒たちは、目の色をかえて、自分の間違えたところを復習します。すごい集中力です。そして、再テスト。ここがすごいな!と私がいつも感心するポイントなのですが、ほとんどの生徒がリベンジテストで満点かそれに近い点数をとります。おおいにほめ、気分をよくし、家路についてもらっています。
福西です。
8.626-641の後半部分をアップします。
盾の描写が続きます。
635-6
nec procul hinc Romam et raptas sine more Sabinas
consessu caueae, magnis Circensibus actis,
ここ(雌狼の彫刻部分)から離れず、ローマを、そして
劇場の集まりから、大キルクス祭から、
無法にも略奪されたサビーニーの女たちとを
Sabinas:f.(サビーニー人というより、その女たちを含意)
sine more:無法にも
637-8
addiderat, subitoque nouum consurgere bellum
Romulidis Tatioque seni Curibusque seueris.
加えていた。突然、ロムルスの子孫から、
また老いたタティウス治下の堅固なクレスの町から、
新しい戦争が起こることを(加える)。
consurgere:addideratの目的語
bellum:consurgereの対格主語
Cures f.pl.abl.クレス(町名)
severus 固い(サビーニーのクレスは山城なので)
Tatio :abl(統率者をあらわす)
639-41
post idem inter se posito certamine reges
armati Iouis ante aram paterasque tenentes
stabant et caesa iungebant foedera porca.
この後、同じ武装した王たちが、お互いに決闘を置いて、
ユピテルの祭壇の前へ杯を掲げながら、
立っているところだった。そして豚を屠って同盟を結んでいるところだった。
posito certamine 絶対的奪格:戦いが置かれて(休戦して)
caesa_ porca_ 絶対的奪格:豚が屠られて
よろしくお願いします。
福西です。
N先生の代理で二週続けてクラスに入らせてもらいました。
先週は『はだかの王様』を読んで、あらすじを書いてもらいました。
1年生のことばで、「人魚姫は、意外に知っているようで、知らない。なかなか筋が複雑ですよ」ということが話題にのぼったので、6年生でも試してみようかと思ったのでした。
高学年なので、もとにある小説を丸読みしました。本当は最初、人魚姫を読みたかったのですが、文庫本で50ページ近くあるので、うんと短いはだかの王様にかえたのでした。
知っているようで知らない話は、読むときは、なぞるような感じなので、案外面白いです。またあらすじを書いてもらうときも、前に知っていると組み立てやすいので、都合がいいと思いました。私が六年生だった頃はこんなに書けなかっただろうなあという感じで、たいていの生徒が書けていたので驚きました。読むと書くとは、やっぱり筋の先読みと筋の構築の練習になりますね。
かわって今週は『モモ』を読みました。
どろぼうにだまされていることに、子どもが気付いた、という先週からの連想です。
モモというと、私が六年生だった時にもやっぱり学級文庫の棚にあって、先生から「これはいい、これはいい」と言われながら、なかなか手に取らなかったせいで、知っているようで知らないその感じが、かえってすっぱいぶどうに変ってしまったという苦い経験があります。
なので、今回導入を失敗するとモモ嫌いに終わるかもしれないと思って、あらすじをまぶしながらデリケートにはじめたのですが、生徒の方から「モモ、早く読もう」と催促されたので、案ずるより産むが易し! やっぱり本そのものの秘めた力というか、内容を信じていいんだとこの時確認できて、うれしかったです。
今日読んだ箇所は、灰色の男がフージー氏をだます話でしたが、そこだけ読んで面白さが伝わるところが、ストーリーテラーのエンデのすごさだと感じました。それで、紙を用意していたのですが、読んでいるうちにあらすじを書いてもらう時間がなくなってしまいました。
K君が「今日読んだところはどこ?」と聞いてきたので、第六章のところだよと教えると、「へえ、こんだけしか読んでへんかったんか」と、妙ににやにやして、目次を見たり、表紙を眺めたりしていました。
「(表紙の)この絵って、どこなん?」
「それは…多分、時間の国やと思うよ」
「時計ばっかりのところやな」
「そこにマイスター・ホラっていう、時間をみんなに配ってくれる人がいてな…」
「あ、かめの絵がかいてある」
「そうそう、このかめにつれてってもらうんやけどな。後ろ向けに、ゆっくり歩けば歩くほど、時間の国に早く着けるんや。灰色の男たちっていうのは急いでるから、決してそこを通れへんでな。そういえば、浦島太郎もかめにつれられて、竜宮城に行くなあ」
とかなんとかしゃべっているうちに心なしか興味を持ってくれて、「借りていってもええか?」と言って持って帰りました。(私は、心の中でガッツポーズしました)
今日はちなみにK君とTちゃんだけでしたが、Tちゃんは何と、『はてしない物語』の方を読んだそうです。「お父さんが読んでみって言わはった」ということですが、本当に読んだというところがすごいと感じました。(それで、「モモ、早く読もう」と言ったのかなと思ったりします)
そこで、うっかりしていたのでした。K君がモモを「借りる」と言ったことに「いいよ!」と即答してしまったので、Tちゃんも、もしかしたら借りたかったのかもしれないという、そのことに気付きませんでした。もしそうだったとしたら、ごめんなさい。
明日すぐに確認します。