
昨晩は、先生が仰るとおり、友遠方より来るあり、の会でした。
また、口では言えない満足があり、終わりに際してはまったく、
人知らずしてうらみず、でした。
私もまた、先生の口から繰り出される言葉によって、まだ眠っ
ている、さまざまな余白を喚起されて、精神を耕す喜びをおぼえました。(福西)
以下は、夕べにお越しいただいた方からの感想です。
1 Acta est fabula.
2 Amicitia sal vitae.
3 Alea jacta est.
4 Ars longa vita brevis.
5 Aurea mediocritas.
6 Calamitas virtutis occasio est.
7 Cultura animi philosophia est.
8 Homo homini lupus.
9 Homo sum.
10 Mors certa, hora incerta.
11 Post nubila Phoebus.
12 Scientia est potentia.
13 Sit tibi terra levis.
14 Tu fui, ego eris.
15 Vox populi vox dei.
本日夜8時から、ラテン語のゆうべを催します。
単語レベルのお話から、短い含蓄のあるセンテンスをご紹介したいと思っています。
なにかひとつでも、心に響くラテン語と出会っていただけたらと願っています。
2年生の勉強はとても重要です。しかし、1年生の問題にあいまいな理解を残していては、勉強が重く、しんどいものです。昨年以来、中学1年生の問題集を徹底的に解いてきました。間違えるたびに、辞書を引いていちいち確認してきました。それが功を奏したのでしょうか、今は、二年生の問題集を複数仕上げています。自分で選んだ問題集なので薄い本を選んでも、厚めのものを選んでも自由です。各自が自分でノルマを決め、それを授業時間内にこなしていきます。私は自習を見て回り、きりのよいところで赤ペンで採点してきます。そして、あいまいにしていると、後々問題になる間違いについては(1年の復習をしたことにより、この手の間違いが激減)、辞書を実際に引いて、辞書の例文にマークをさせています。きのうは、授業の見学者もこられ、活気溢れるクラスとなりました。
昨日は、昨日でたいへんでしたが、前回の復習のような趣でした。予定通り、4課進みました。1時間20分の授業にしては、超ハイペースです。第三変化名詞のバリエーション。動詞では受動態がお目見えしました。作文は、自宅からメールで送って頂いています。よい復習の時間となります。1冊教科書が終わってから、まとめて取り組んで頂いても結構です、ということを申し上げました。ラテン語を日本語に直す課題をこなすだけでも、相当時間を取られると思いますので。ここ2,3回を乗り越えたら、あとは楽です。>受講生のみなさん
水曜日は、2節分進みました。このペースだとあと20回で「老年について」を読み終えることができます。去年の今頃は、初級文法をご一緒に勉強していましたので、それを春に終えてすぐ、キケローに挑戦するという選択肢は、一見無謀のようですが、今から見ると、正しかったと思います。同じ事は、他の言語では難しいのではないでしょうか。14回の初級文法を終えて、いきなりその国の言語でかかれた最高の古典作品を読んでいくということは、ふつうありえません。が、ラテン語では、それができます。少なくとも、ここ「山の学校」では!
キケローの「老年について」を読んでいます。
30、31節を読みました。クセノポーン、ホメーロスなど、ギリシアの古典作品への言及が効果を上げています。
”10人のアイアースより、10人のネストールがいれば、すぐにもトロイアは滅ぼせる”というアガメムノンの確信は、武勇の徳より、老人の知恵を賛美した表現として、うまい引用だと思いました。
火曜日小学生クラスでは冬学期は作文が中心になります。
自分で考えたことを文章にして記述するということは、できるだけ早い時期に始めておくのが良いというのは、わざわざ書くほどのことではないかも知れません。
理由はこれも蛇足のような気もしますが、自分の意見をしっかり持つとか思考力を鍛えるとかいった当然期待されるであろう学習成果に加えて、考えたことを単に「しゃべる」ことと、紙に「書く」ことは随分違うことだ、しかしその「方法」は同じだ、ということを知ってもらうためでもあります。
私自身は思考したことを「書く」ことはわりと上手く出来ていると自分では思っているのですが、筋道だてて論理的に解りやすく「しゃべる」のは苦手で、そういう意味では山の学校に来ている子供たちのほうが圧倒的に「しゃべり上手」なのであります。
しかしながら、その子供たちが書いた作文を読むと、おしゃべりでは素晴らしく展開されていた話の筋があっちに行ったりこっちに行ったりで、なかなか上手いこと行きません。
会話はキャッチボールであり、相手の存在がかならず必要であるのに対して、作文は良くも悪くも「自分の意見を自分だけで書く・主張する」わけなので、一人キャッチボールと言うか、そういうスタンスの違いもあるかも知れません。
しかし、もっと大事なことは、会話では「これは伝えたい」という思いがあるのに、作文ではそれがないということです。だから何を書いたらいいのか解らない、という事態になってしまうんでないか、と思うのです。
読んだ文章がつまらなかったり良くわからなかったりしたら、それを作文にしても良いわけです。「これはつまらない、なんでかというと…」でも良いのです。そこは「おしゃべり」の要領です。しゃべるように書いたらいいのです。そうすればもっと肩の力を抜いて文章が書けます。読んで面白い文章にもなります。自分が書いたものへの自信にもつながると思います。
あとは、できれば「せんせ、聞いて聞いて」ではなくて、「せんせ、これ書いたから読んで読んで」という風に、もちろん他の生徒も含めて、おのおのの作文の輪読会のようなものが出来たら一番良いのですが、どうも恥ずかしいという気持ちのほうが先立つのは致し方ないことかもしれません。
キケローの『老年について』を読んでいます。次の一文から、「老人による若者への教育」というモチーフが展開していきます。
Quid enim est jucundius senectute stipata studiis juventutis? 若者の熱意に取り囲まれた老年ほど喜ばしいものがあろうか。(28節)
nagumoです。中学生英語の代打授業です。>Fujita先生
Mくん持参の教科書を62ページから67ページまでやりました。
anyとsomeの違い、eachとeveryの違い、語尾のsに注意、ということを重点的に説明しました。
一週間の曜日を正しいスペルで全部書けるように、と言っておきましたので、来週確認してあげてください。
訳は確かに意訳に走ることが多いので、訳したあと日本語訳と英語原文をかならず対照して、不要な箇所、また原文で省略されている箇所などを探してチェックするよう指示しておきました。
どうもあけましておめでとうございます。
火曜日ことばのnagumoです。今日は小学生クラスで書初めをしました。
聞いてみると最近の小学校では書初めもしないそうで、毎年のように冬休みの宿題といえば書初めと思っていた僕とは(年の)ギャップも感じましたが、僕も久しぶりにまともに紙に向かうことになり、下手になったなアという感じもしました。
普通の楷書体より少し崩した字体(行書までいかない)で書こうと思ったのですが、
例えば草かんむりなど、真ん中を離して書いたら、「何それ、くさかんむりちゃうの?」というふうに、
いつもと違う書き方に戸惑っていたようです。
ほんとは一人一作品にしたかったのですが、いかんせん量が多いので時間内に終わらず、
小学生4人の合作ということになりました。
たった一時間ちょいしか練習しませんでしたが、結構見事に書けていると思います。
字は性格が現れるというか…(笑)
また来週は通常授業に戻りますので、最後の学期、頑張っていきましょう。
3学期1日目の帰りのシーンを1枚とってみました。

「歩いての送り迎え」ですが、毎日が遠足(?)みたいに見えるでしょう?
子どもたちに久しぶりに会え、気持ちが弾みました。
明日も、あさっても、このお山を上がり下りしにきてね!
福西@かずです。
前回はお休みが多くて、低・高2クラスともマンツーマンでした。

(上が2年生のHちゃん。下が6年生のJ君)
それぞれの今日のがんばり記録です。
年始めの授業は、ストーブをたきながら、とてもゆったりと時間が流れていきました。
今日はお相手が一人なので、私はお母さん役になりきろうと思い、鉛筆の動きから眼を離さないでいることができました。少しずつ段を上っていく問題を、共に味わうのも、なかなか楽しいことですね。
宇梶先生についてもらっていたHちゃんも、最後見た表情は、はかどった様子で
した。背伸びして、今日の分を付けて帰っていきました。

『君の好きなことは何? ぼくの好きなことは出会いです(笑)』
講師:青木信也(滋賀医科大学4回生)
『青春ライブ授業!』の感想
Q.青木先生の好きなことは「出会いです」(笑)
というお話でしたが、あなたの好きなことは
ずばり、何ですか?
1月の予定をお知らせします。
次回の青春ライブ授業のお知らせ:
とき 1/14(金) pm 7:00~8:30
場所 北白川幼稚園
対象 中学・高校生・一般(無料)
講師 福西 亮馬(山の学校講師)
題名 『児童書から教わったこと』
昨日のラテン語のクラスでは、マルティアリスの寸鉄詩を読んできましたが、ついに最後まで読み切りました。教科書は、
マールティアーリス詩選 M.V. マールティアーリス 藤井 昇
を使いました。読み切った感想をうかがうと、「マルティアリスの詩は現代で言えば波田陽区(はたようく)の切れ味がありますね!」とのことで、なるほどうまいなぁと感じました。世相を「斬る」鋭さが面白いです。彼の詩の中ではお医者さんがだいぶ斬られています。。。
来週から、セネカを読みます。教科書は大学書林の対訳書を使います。
12月からスタートしたラテン語初級文法ですが、昨日で3回目。教科書でいえば、4課分を一気に終えました。(これで、4/3/4のペース)。次回も4課進みます。これでも、時間は余っていました。私のHPからDLしたページを身ながら補足説明をしました。
PS
ラテン語に興味のある方は、月末の「ラテン語のゆうべ」にお越し下さい。
昨日、冬休み明けの再会となりました。新しく一人入会され活気づきました。全員で同じ課題に取り組むのではなく、各自が異なったメニューをこなしていきます。自分の思った以上に基礎に戻ったレベルのドリルを地味に根気強くやっていくことが、のちのちの実力アップの基盤となります。
Exempla docent, non jubent.(模範は教える。命令しない。)
新年明けましておめでとうございます。聞くところに寄れば、今年でいよいよ日本人の平均年齢が50歳に達するらしいのですが、私が子どもの頃の感覚からすれば、70歳の人も50~60歳のようですし、世の中全体を見渡しても、みんなそれぞれの年齢から10ずつ引けば、色々な意味にで「納得」できる気がします。30歳で無職というカテゴリにはいる若者を憂慮する声もあるようですが(私もそうでしたが)、私の計算では20歳の成人式を迎えたばかりと言うことで。
世代間でいろいろ教えたりすることは大事だと思う一方、今は未曾有の時代に突入していると考えるなら、若者から年配者が学ぶケースも必要でしょうし、もちろんその逆もまた真なりではあります。文部省ブランドの教育に何か変革を期待するより、一番確実でかつ一番肝心なことは、「自分で自分を変えよう!」ということに尽きます。それは、老いも若きも、です。
自分で自分を「模範」に近づける、「理想」に近づける、「夢の実現」に近づける、そんな一歩一歩を歩んでいく。誰に命令されるわけでなく、強いて言えば、自分で自分に命令する。それをせずに、まわりにだけあれこれ「命令」しても、それは教育ではありません。命令の仕方をマニュアル化するのはもっとも教育の道からかけ離れているでしょう。
教育とは、先生だけが行うものではなく、私たち、一人一人の生きる姿が、他の者にとって、手本となり、生きる希望となるのでしょう。私の考えでは、誰もが人生という山登りをする登山者であり、それは椅子取りゲームとは本質的に違うのです。山道を行き交う人が自然に声を掛け合い、挨拶するように、私たちは、一歩一歩目の前の道を登っていきたいと思います。すでに先人のつけてくれた山道、さらには山そのものの存在に感謝しつつ。本年もどうぞ宜しくお願いします。
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山の学校代表
山下太郎