September 30, 2004

本日のラテン語クイズ

第1変化名詞は鋭意製作中…。

Q.( )の中の活用を考えてください。

第2変化名詞

Posted by at 08:29 PM | Comments (0) | TrackBack

September 29, 2004

昨日の授業

福西@数の世界です。

昨日は合同式のおさらいと、
連立合同式(中国剰余定理)をメインにしました。

クイズ
「5で割ると2あまり、
 7で割ると3あまり、
 11で割ると7あまる
 数は?」

問題を、合同式に翻訳すると…

x≡2 mod 5
x≡3 mod 7
x≡7 mod 11

素直に計算すると、

 13x≡256 mod 385

となってしまい、ちょっとこれを解くのが、また一苦労だったのですが…。
A君、何度か、ぬか喜びを経験したあとも、あきらめずに(私が途中
あきらめかけたところ…)
「お、割れましたよ! でました」
と、その答えを教えてくれました。

  x≡-158≡227 mod 385

実際、合同式で解いたことのメリットは、
「何で割ると何あまり…」という題意を満たすような数を、
一つだけでなく、すべて尽くせる点にあります。つまり普遍的です。

 x=227に、385や38500を足した数、612、38727も、
 5で割ると、2あまり、
 7で割ると、3あまり、
 11で割ると、7あまります。すごいでしょう?

連立の合同式が、「解を持たない」場合のこととか、「解があれば
それが唯一である」こととかにも踏み込もうかと思ったのですが、
とりあえず、「法が互いに素である」場合だけに限って、このように
遊んでみました。

来週は、ガウスの記号です。

Posted by at 02:31 PM | Comments (0) | TrackBack

本日のラテン語クイズ

Q.次の( )の活用形を考えてください。

第1変化動詞

Posted by at 01:37 PM | Comments (0) | TrackBack

September 28, 2004

9月28日(火) / 小学生しぜんクラス   山下育子

 テーマ  『道ばたのさんぽ 路地/公園へ』


今日は、1年生のAちゃんが、“すすき”を持ってきてくれました。

s-DSCN5891.jpg  s-DSCN5898.jpg
すすきの上を、“あきあかね”が飛ぶ風景が思い浮かびます。学校の行き帰りにも、さまざまな植物,生き物に出会うことができます。

はじめに、紙面に描いた絵の中の虫,植物,鳥などをさがし出し、「家のまわりのどの辺にいるかな?」「この絵の季節はいつかな?」など話をしながら、知っているものを色エンピツで塗りつぶしていきました。
s-DSCN5932.jpg  s-DSCN5933.jpg  

そして、今日のしぜんクラスはお山を下り、お家の生け垣や白川通り歩道の街路樹の植え込みを観察しながら、上終公園まででかけて行きました。道ばたを歩いて、春にいたつばめの話をしたり、タンポポのロゼットの形,種を見ていると、みんなの友達や地域の人にたくさん出会いました。

s-DSCN5909.jpg s-DSCN5899.jpg
タンポポのロゼット           ヤブガラシ(セスジスズメガの大好物)

s-DSCN5925.jpg s-DSCN5920.jpg
四つ葉のクローバー見つけた!  ないかなないかな四つ葉クローバー

s-DSCN5905.jpg  s-DSCN5910.jpg
エノコログサ                スズカケノキ

スズカケノキは、「わたしの木」という感じの長生きの大きな木。これもたった1つの種から生まれたのです。6年生のMちゃんとあっちとこっちから木をはさんだら、ようやく手が届くほどの大きさでした。いったいいつからここにあったのでしょう。私の小さな頃にもここに確かにありました。スズカケの実が落ちる頃、カエデの葉が紅く紅葉する頃、また遊びにいきましょう。今は夜、公園ではきっと虫の大合唱が聞こえていることでしょう。

Posted by at 09:39 PM | Comments (3) | TrackBack

今後の予定(あくまで予定)

少し気が早いですが、高校生・日本語の読み書きの今後の予定を。
秋学期は以前お知らせした通りプラトンと小論文の基礎を行います。
冬学期以降は、

<冬学期:古文の読解と実践小論文 または 現代文の読解と実践小論文>
[古文の読解の場合・テクスト候補(どれかひとつ)]
菅原孝標女(西下経一校註)『更級日記』岩波文庫
作者不詳(大槻修校註)『堤中納言物語』岩波文庫
久松潜一・久保田淳校註『建礼門院右京大夫集―付平家公達草紙』岩波文庫
鴨長明(市古貞次校註)『新訂 方丈記』岩波文庫
新井白石(松村明校註)『折たく柴の記』岩波文庫
※毎回の授業でかなりの予習が必要。たぶん14回では一冊終わらない。
[現代文の読解の場合]
毎回異なった文章を読み、多様な文章に対する正確な読解を行う。
テクストはコピー配布。予習は必要なし。
※歴史や思想ものに偏る可能性あり。
[実践小論文]
秋学期に習得した小論文の基本を使った応用編。

<番外2005年春学期:漢文の読解と現代文に関する総合的対策Ⅰ>
[漢文の読解]
小川環樹・西田太一郎『漢文入門』岩波書店(岩波全書)?
小川環樹訳注『老子』中公文庫?
金谷治訳注『荘子(1-4)』岩波文庫?
※まだ未定です。
[現代文に関する総合的対策Ⅰ]
読解と要約作成・小論文の仕上げと「味読」

2005年夏学期・冬学期は「現代文に関する総合的対策Ⅱ」と「古典に関する総合的対策Ⅰ&Ⅱ」を予定しています。
初めての方は、そのつど希望に沿うよう進度調整を行います。

Posted by at 08:00 PM | Comments (3) | TrackBack

宇梶先生のクラス

福西です。
先週、先々週と、宇梶先生のクラス(ことば・中学年)では、
「新美南吉童話大全」を使っているそうです。
これは選集ですが300ページ以上あって、貫禄があります。
(このシリーズにはあと宮沢賢治があります)

niimi.jpg
(講談社super文庫)

絵本だと、一つ一つの話が独立していますが、選集(全集)
のメリットは、ひとつ読んだら、すぐに次のタイトルが目に
入って、ついつい「あ、これも…」となる点です。

ここに、実際S君も食いついて、「もっと読みたい」となった
そうです。いい読書のきっかけだなと思います。

宇梶先生は、S君が動物が出てくる話が好きだという点
にも配慮して、たとえば最初に読まれた「決闘」という話は、
二人の小学生が自分の犬のことを作文に書いて発表する
うちにけんかになって、お互いの犬を決闘させようというこ
とになったのだけれど、肝心の犬同士は友達だった、という
オチです。

二人で一つの本を読み合う、それで一時間が取れるという
のは、実にシンプルでいい授業でしょう。

Posted by at 06:56 PM | Comments (0) | TrackBack

本日のラテン語クイズ

「sum(すむ)づくし」ですが…。

Posted by at 01:46 PM | Comments (0) | TrackBack

「数の世界」のクラスで思うこと

福西@高校・数の世界です。

『道具力』──あるいはすっぱいぶどうの経験──

            1

 「ぼくの日本における最大の夢は、日本に数学コンテストを根付かせること」というピーター・フランクルの話や、数学オリンピックのことを知ったのは、「数の世界」に来てくれている、A 君を通じてでした。
 A 君は高校1年生です。その話を聞くと、学校ではクラブで、友達と数学オリンピックの問題を解き合っているそうです。そこで、私も遠隔からですが、山の学校の授業で付き合ってみようと考えたのでした。

 それまでの私は、お恥ずかしい話ですが、高校時代からの偏見をそのまま引きずっていました。数学オリンピック、と聞いたときの、当時の印象を思い出すと、学校の授業についていくのが精一杯だった私は、自分の能力不足を思い知らされるのが嫌だったので、こう言ってのけていたのでした。

「そんなものを解けたからって、一体どうなるんだ」と。

 本式の国際数学オリンピック(IMO)の制限時間は9時間。6問を解きます。私たちがクラスで解いているのは、日本の、それもまた予選問題なのですが、私のようなアマチュアには、その予選の1問にでも、1週間かかって解けたら「万歳」が出てしまいます。アイデアがひらめいて解けることは、正直、嬉しいです。(ちなみに予選は3時間12問と、ちょっとせわしないですが)。そしてそこで試されるのは、道具を使う力よりも、作り出す力だと、つくづく思います。私はこれを、『道具力』と呼びたいと思います。ちょっと定義しておきます。

「道具力とは、定理を証明するために、途中の補題を作り出せる力のことである」

つまり、道具を使いこなす力ではなくて、作り出す力のための定義です。「必要は発明の母」と言いますが、数学オリンピックの問題には、まさにそのような力が試されます。

 数学でいう『道具』とは、定理を証明する準備となる、「補題」(complement とか、lemma とかいうもの)のことですが、まずひらめいた事柄を、確かだとする補題を作り、それを鍵にして、定理を証明します。 補題ができ上がれば、あとはそれを問題に応用するだけなので、勝ったも同然なのですが、その補題に、過去の数学者が作った既成品の定理を利用することも考えられます。もちろん、それでもいいのです。気付くことが大事だからです。しかし、もし知らなくても、自分でそれに類することを作り出して、前に進める自力はもっと大事ですし、根本にあります。それが1問に何時間も用意されている理由です。
 自前の補題が問題に通用しないようだったら改良する。または別のアイデアから、別の補題を作る。そうした試行錯誤の中に喜びを感じ取る、というのが、私が数学オリンピックの問題を掴んだ時の感覚です。(こう言うと偉そうですが、実際の私はほとんど解けません)

 素手でゴリゴリとやっているうちに、解ける問題もあります。しかし解けるかどうか分からない問題は、未だ新しい道具が人類の脳みそに不足しているから、未解決なのだ、と思いながら、頭を悩ませるところが、「解けるかどうか分からない」問題の醍醐味です。
 あたかも未知の問題として目に映るような問題に挑戦すること。そして人の道具を借りるよりも、自分で必要を感じて生み出した道具を使って、前進すること。
 つまり、真に将来の未解決な問題を解く時の練習をしているのです。あるいは、「解けたからって、どうなるんだ」などという私の古い印象は、ぶどうを前にしたひがみでしかないのです。

            2

 ところで昔、私は、「似顔絵」というものが、肌色の絵の具がなければ描けないものだと、強く思っていました。幼稚園の頃の話です。そして、「どうしたの?」と、先生がやってきて、パレットの上に橙と白を混ぜると、知っているあの肌色が、みるみると浮かんでくることに感動を覚えました。

 私はこの「混色の原理」を自分の物にしたくて、「どうして肌色になるのか」としつこく聞いて回った覚えがあります。質問された側は、どうしてと言われてもそうなるのだから、と思ったことでしょう。
 今あの時の私が聞きたかったことを翻訳すると、その疑問は、肌色に限らず、「どんな色でも、同じようにしたら作り出せるのか」ということだったのです。たとえば茶色は、幼稚園児にとって最初から絵の具の色として用意された、おなじみの色ですが、もしなくても、橙と黒から作り出すことができます。しかしそれを知らなくても、「混ぜれば何とかなる」ことを知っていれば、試行錯誤のうちにはいずれ、その組み合わせに気付くでしょう。私はその「組み合わせ」に夢中になる物を感じました。

 これまで肌色やそれに類する色がなければ描けなかった世界が、ぐんと広がりました。幼稚園時代に肌色を伝授してくれた先生は、だから私の恩人です。桃色とか黄土色とか、いつも最初に「絵の具の色」として見る色が、なくても、今ある色からひねり出して、それを友達に教えることができました。そうすることで、それまで苦手だった(というか拘束に思えた)お絵かきの時間から、悠々自適の世界へと一歩抜け出したのでした。

 数学でいう知識、つまり数の論理的・構造的な事実もこれと同じなのです。過去の数学者によって確認され積み上げられたそれは、知識の「構造物」です。それは、それ自身の、ちゃんとした土台の上に立っているからこそ、そのように大きくなるのです。それがために、基礎的な部分を、絵の具でいうと十二色程度は知っておくことは、まず必要なことです。

 しかし、必要というのも程度の問題で、十二色よりも二四色、四八色…といって、二五六色最初から知っておかないと、解けないような問題は、本当の意味で解けないのではありません。
 必要とされる知識に近い知識を、はじめら持っていれば、確かにスマートに解けるでしょうが、そのことに問題の難しさが依存しているのではありません。知識を自作できるかどうかにかかっているのです。ちょっとしたロビンソン・クルーソーになれば、知識を学ぶことも、知識を発明することも、両方大事だと分かるはずです。

 しかし知識を発明するには、無人島に行くぐらいの、それなりの覚悟がないといけません(と私は思います)。その問題を解こうとするのは自分であって、それに関心のない人が、自分の代わりに道具を発明してくれることはないのだ、とそのように自分に言い聞かせている人が、こつこつと、作り出した道具は、どれも誇らしげに見えます。ぶどうの木を初めて見て、それが欲しいと思った最初に人間になって、色々なものを発明することは、とても楽しいことです。

 私は、知らないことが知識の真の限界ではないことを、痛切に感じます。反対に、「知らないから解けない」で止まってしまう自分が、少しずつ脱皮していくことは、苦しみながら楽しめる作業です。作り出せないから、その意味で解けないのだと思って、諦めない。そして少しずつ自在になれる。自分の思うように行かないことが、許容範囲になる。
 「知っていれば使う、なければ作る」この単純な行為の組み合わせで、問題を解決することは、何も数学に限ったことではありません。

 複雑な道具が現在の世の中を支える一方で、その道具自体を作る基礎力が次の世代、また次の世代へと受け継がれていかないと、世の中はどんなに努力しても、縮小再生産の道をたどることになりかねないでしょう。
 そのことを杞憂に吹き飛ばすために、教育はますます盛んになるべしです。作り出された道具を、次の世代にもたらすだけではなく、作り出す力を育てる点においても。

Posted by at 11:46 AM | Comments (1) | TrackBack

構造の研究(2)

ぼくは実際扱ったことがないので想像の域を出ないですが、
文学の文献学も、構造の研究をしているのかもしれませんね。


A+B=Cということが一般に認められるとして、

ある文学作品について、
1巻には、Cという文章が書かれている。
これは真か偽か?(原作者の言葉か?) 

という問題を提起します。

すると、これを証明するために、
2巻では、A
3巻ではB
ということが書かれていることを示します。

すると、A+B=C より、
Cが、作品の中に存在することは必然である、と。
(あとは、それが1巻の「そこ」にあることを示す作業があるわけですが)

Posted by at 11:39 AM | Comments (0) | TrackBack

構造の研究

福西です。高校・数の世界で扱っているテキスト
にある一文です。

Posted by at 11:17 AM | Comments (0) | TrackBack

September 27, 2004

7回目の感想

アンケートから抜粋です。

・コンピューターで、自分プログラミングして勉強道具を作るということは、素晴しいと思う。
──高1

・自分の好き(得意)なことと勉強を組み合わせて自分をかりたてて向上できるのがすごいと思った。
──高1

・興味を持っておられたコンピューターを駆使しての勉強がとても合理的で感心しました。
──保護者の方

・コンピューターというものの印象とは反対なのかもしれませんが"手作り"を一人一人がしていくことに尽きると思いました。
──保護者の方

・英語について(苦手だと答えた方)

Posted by at 08:13 PM | Comments (0) | TrackBack

The English and I

『青春ライブ授業!』 9月24日(金) pm7:00-8:30

"The English and I"という題でお送りしました。
(「英語の先にあるもの」でお伝えしていましたが、当日タイトルが変更しましたことをお詫びいたします)

講師は山の学校でも「中1英語の基本」「高校・英語の読み書き」を担当されている、藤田先生でした。

私の感想では、「英語と私とパソコン」という、その3つ目の隠れたキーワードに、講師の英語に対する「勉強ならぬ勉強」があったのだなと感じました。欧州を旅行した時のことも、スライドでお話していただきました。最後の質問の時間も大変有意義でした。内容については、後日レビューを出します。

さて、次回は
10月29日

を予定しています。

講師は、松本紀生 先生です。
昨年から2回、幼稚園を通して来ていただきましたが、今回は中学・高校生に向けてダイレクトなメッセージを送ってもらおうと、青春ライブにお招きしました。

ぜひ、この機会をお見逃しなく!

Posted by at 07:18 PM | Comments (1) | TrackBack

4択クイズ(2)

第2弾。第2変化名詞(若干形容詞)。

次の( )の中の活用を考えてください。

4 Arma  ( vir )que  cano.
 戦争と英雄を私は歌おう。

  (vir  viri  virum  viro )

5 Sunt  geminae  ( Somnus )  portae.
  眠りの双子の門がある。

  (Somnus  Somni  Somno  Somnum )

6 ( Fortunatus ) ambo!
 幸福なる両者よ!

 (Fortunati  Fortunatorum  Fortunatis  Fortunatos )

Posted by at 07:07 PM | Comments (0) | TrackBack

4択クイズ

福西です。
4択問題をためしに作ってみました。

( )の変化はどれでしょう?

1. ( sum )  pius Aeneas
 我こそは敬虔なるアエネアス。

 ( sum   es   est  sunt )

2. ( sum )  lacrimae  rerum.
 歴史に対する涙がある。

 ( est   erat  sum  sunt )

3. lucus  in  urbe  ( sum )  media_.
聖森が都の中央にあった。

 ( sum   est  erit  fuit )

Posted by at 06:16 PM | Comments (0) | TrackBack

September 23, 2004

金曜日のラテン語

金曜日のラテン語クラスでは、下のテキストを使ってローマ時代の諷刺詩を読んでいます。


マールティアーリス詩選
M.V. マールティアーリス , 藤井 昇

Posted by at 01:43 AM | Comments (2) | TrackBack

September 22, 2004

今日の授業

ラテン語の授業は今日も密度が濃いものでした。

最初は、「新ラテン文法」のおさらいです。関係代名詞(88ページ)と疑問文(102ページ)の練習問題を確認しました。その中に、「アエネイス」冒頭の Arma virumque cano, Trojae qui primus ab oris Italiam fato venit. があり、言葉の背景についてご説明しました。

この文の訳と簡単な背景については、→こちらをごらんください

続いて、キケローの『老年について』15節を読みました。老年が惨めだと思われている理由を4つあげ、その一つ一つについて、反論していきます。第一が、公の仕事から老年は人を遠ざける、と。

たしかに体力と若さを必要とする活動には不向きであっても、「肉体は弱っても精神で(animo)果たされるような、老人向きの仕事はない」ということにはならない、といいます。

そして、その例として、クイントゥス・マクシムス、ルーキウス・パウルス、ファブリキウス、クリウス、コルンカーニウスらの名を連ね、彼らが老年になって何もしなかったと言うつもりか?と問いかけます。

いや、とんでもない。彼らこそ、老年を迎えてなお「思慮(consilio)と権威で(auctoritate)国家を守った」面々である、と。

現代日本でも、必ずしも肉体の力を使わずとも、むしろ精神の力によって、生き生きと社会的貢献をされているお年寄りは少なくありません。そんなことを重ねて今日のテキストを読みました。

--
やましたたろう

Posted by at 11:06 PM | Comments (0) | TrackBack

好き嫌いが増える? ゆとり

福西です。「かず」のクラスで小学校の勉強を見る機会
がありますが、最近それについて感じることを書いてみました。

     *  *  *  *

 
「ゆとり」と「好き嫌い」

Posted by at 06:31 PM | Comments (0) | TrackBack

円順列のはなし

Pは簡単だと思ってなめていると、
ちょっとやっかいなのが、円卓の場合です。

 ○○
○  ○
 ○○

円卓は端がないからです。

(1)もしこの椅子が、それぞれ形の凝った椅子だったとしましょう。
つまり「顔がある」場合です。
これに6人が座りにきました。

大事なのは、「最初に1人置いてみる」
ということです。

 ①②
●  ③
 ⑤④

上の座り方は、何通りでしょうか。

「椅子1に座る」
「椅子2に座る」
「椅子3に座る」
「椅子4に座る」
「椅子5に座る」
「椅子6に座る」

は、それぞれの意味の違いを尊重して、6通りあります。

となると、あとは椅子が一脚ずつ減っていくので、

6・5・4・3・2・1 通りです。

(2)しかし、もしこの椅子が、同じ椅子だったとしましょう。
つまりやっかいな、「顔がない」場合です。
さあ、さっきの6人がやってきましたよ。

大事なのは、「最初に1人置いてみる」
ということでしたね。

 ○○
●  ○ ←どれも同じ椅子
 ○○

上の座り方は、何通りでしょうか。

「椅子に座る」
「椅子に座る」
「椅子に座る」
「椅子に座る」
「椅子に座る」
「椅子に座る」

これは6通りでしょうか? いいえ、1通りですね。

ということは最初の人Aさんはいけにえで、いてもいなくてもいっしょ
という役目になります。

 ○○
●A ○ ←後の5人 B、C、D、E、Fさん
 ○○

しかし、いけにえのAさんから見て、「左」とか「右」とか、
座り方に「顔が付いてしまっている」ことに気付きますか?

そうです。Aさんが座った時点で、残りの椅子は、「顔のある椅子」になったのです。
ということは、5!で、

5・4・3・2・1 通りです。

最初のAさんの座り方が無視されて、6通り→1通りになったからです。
もう一度書きなおすと、

  6・5・4・3・2・1

Posted by at 06:24 PM | Comments (0) | TrackBack

September 21, 2004

順列・組み合わせのはなし

福西です。

この間、「数と自然」のクラスで今学校で順列と組み合わせについて
質問があったので、まとめておきます。

使う記号は、
!(階乗)
P (順列)
C (組み合わせ)   の三つです。

P はなじみやすいのに、どうして Cになるとあれほどワケが
分からなくなるのでしょうか…?

それは、
「顔があると迷わない」 P
「顔がないと迷う」   C

からです。顔がないほうが難しいのです。

数え間違いをしないためには、「同じ物を二度数えない」
という鉄則があります。

顔の区別があると、
「ジェシー、ジョーイ…あれ、ミシェルって言ったっけ?」
ミシェル「うん、最初に言った」
と、本人の口から「特別に」答えてくれますが、

顔の区別がないと、
「ラット、ラット …あれ、こいつはカウントしたっけ?」
「……」
と、どのラットも「同様に」答えてくれません。

C の「あの」分母は、二度数えた者を消すために、あるのです。

        5・4・3
5C3= 

Posted by at 01:52 PM | Comments (0) | TrackBack

おまけ(数と自然)

質問「絶対値は、役に立つの?」

 絶対値は、すでに中学で出ています。しかしほとんど定義だけ
 触って、つまり教科書のほんの少しの練習問題をしただけで、
 通過した過去の記憶になっているはずです。
 定義だけ見ていたら、確かに当たり前すぎて、砂をかむようで、
 練習する意欲がわきません。しかしそうやって、いつの間にか
 苦手になっている記号なのです。

 最大・最小問題がせっかく好きなのに、その式に | | が
 混じっているのを見た瞬間、「お手上げ」になるシーンが予想
 されたので、最初に絶対値を復習しました。それでも授業の分
 だけでは、全然練習量が足りなかったはずです。

 私自身、模試で絶対値を見たらもう「お手上げモード」の一人
 でした。しかし今では、これを「待ってましたモード」に切り
 替えることは(たとえ教科書の練習問題が少なくても)可能だっ
 たと思います。

 何のことはない、普段から| |を見た時に、外していれば良
 かったのです。普段| |を見かけないならば、自分から普通
 の関数に| |を付けてみれば良かったのです。その絶対値を
 またはずして、グラフをいくつも描いているうちに、x軸で折
 り返すこととか、自然と発見することがあって、友達になれる
 はずなのです。
 私が絶対値と友達になれなかったのは、自分から遊びに行かな
 かったからだと、今では思っています。
 ためしに、今からでも目に入る関数に、絶対値をつけてみてく
 ださい。それで予想もつかないグラフが描ければ、きっと面白
 く感じるはずです。

abs3.JPG

 実を求めるなら、絶対値は場合分けの練習になります。
 とりわけ不等式と組み合わせて、領域の「内部」か「外部」か
 を表現したい時に使います。
 またその先には、複素数の所でも、積分で面積や体積を求める
 所でも、絶対値は必ず顔を出してきます。

Posted by at 01:48 PM | Comments (1) | TrackBack

第4話(数と自然)

絶対値つき最大・最小問題

Posted by at 01:16 PM | Comments (0) | TrackBack

第3話(数と自然)

最大・最小値の定理

Posted by at 12:35 PM | Comments (0) | TrackBack

第2話(数と自然)

最大・最小
二次関数にまつわる本質的な問題です。

二次関数は、一般に y=ax^2+bx+c で表わされます。

a >0 下に凸 最小値問題
a <0 上に凸 最大値問題

aの符号にいつでも注意するくせをつけて、平方完成をします。

y=a{ x^2+2(b/2a)x }+ c

=a{ x^2+2(b/2a)x +(b/2a)^2 ー(b/2a)^2} +c

=a(x+b/2a)^2 + cー b^2/4a
~~~~~~~~~~

途中の計算で欲張らずに、上のように機械的にしましょう。

平方完成させた式で、2乗の部分が=0となるとき、

y=c- b^2/4a = Min or Max

a < 0 の時は、a(x+b/2a)^2 < 0という借金のおまけがないから、最大値です。
a > 0 の時は、a(x+b/2a)^2 > 0という貯金のおまけがないから、最小値です。

うんちく

Posted by at 12:35 PM | Comments (0) | TrackBack

第1話(数と自然)

絶対値は絶対負けない(負にならない)
 
 絶対値の定義 |x|≧0
               ={+x x≧0 …|x|=x≧0
                 {-x x≦0  …|x|=ーx≧0←負にならない工夫
                     ^^^^^^
                     ↑が大事!

 立ち止まったら、定義に戻ろう!
 
 一方、ルートの値が負になることもないので、
   √(x^2)={+x x≧0
        {-x x≦0
   
 よって、|x|=√(x^2) (≧0)

絶対値のある式は、1本の関数が2本になって、
必要な所だけをつなぎます。

あるいは、「折り返す」ということが本質です。

定数 y=|-3|
const.JPG

一次 y=|x-1|
1zi.JPG

二次 y=|x^2-3x+2|
2zi.JPG


絶対値が2つあると…うーん、「折り返す」技はちょっと使いづらいので、
普通に「場合わけ」して、考えましょう。

 y=|x|+|x-1|→y={-x  -x+1,  x<0
               { x -x+1,  0 ≦-x<1
               { x +x-1  x>1

abs1.JPG

Posted by at 10:43 AM | Comments (1) | TrackBack

数と自然(代理)

福西@「数と自然」の代理です。

「最大・最小の問題がもっと得意になりたい!」
というリクエストがあったので、最初の授業は、
次のような目標を立てました。


目標
「二次方程式」の
「絶対値」つきの
「最小・最大値」の問題を解けるようになること

Posted by at 10:30 AM | Comments (0) | TrackBack

September 18, 2004

ゲーム

福西@かず(高学年)です。

むかし、「棒たおし」(あるいは「棒とり」)に熱中したことはありませんか?

砂山に棒を立てて、砂を取り合う、あの遊びです。
(棒が倒れたら今までの努力が水の泡という…)

この前、授業の最後に、素因数分解を使って、
数でいう棒たおしをして遊びました。

以下は、A、B、Cの三人でした場合です。

soinsuu1.JPG

(1) 割り切る数の多そうな数を自分たちで決めます。この数を取った人が負けです。
  そして、何分間か猶予を与えて、素因数を○に埋めます。

soinsuu2.JPG

(2)ゲーム開始! 表にある数をいい、それを割り切る数も取れます(全部とらなくてもかまいません)。ただ、その合計がプラス点になります。

soinsuu3.JPG

(3)次の人は、表に残った数のうち、必ず一つ、言わなくてはいけません。(56だけが、マイナス点で、あとはプラス点です)

soinsuu4.JPG

(4)だんだん、取れる数が減ってきましたよ。

soinsuu5.JPG

(5)最後の56だけが、マイナス点です。

結局、A君は41-56=-15点
    Bさんは8点、
    C君は1点となりました。

次は、負けた人が、数をとる順番(2番目でも3番目でもかまいません)と、新しい数を宣言できます。

この例では、本当は56の素因数には、14もあったのですが、3人とも見落としていました。
もし14が見つかっていれば、A君は14が言えたのです。つまり、56をとらずにすんだわけです。

*このように、開始する前に、なるべく多くの素因数を見つけることが勝敗を握ります。
*ちなみに、間違った素因数をもし言ってしまったら、それはお手つきマイナス点で、
 また表にある別の数を言い直さなくてはなりません。


hyou.JPG
最後はこんなふうに、得点表を作って、平均の推移を考察しました。(ちょっとこじつけですが)

Posted by at 05:57 PM | Comments (1) | TrackBack

かず(高学年)9/9

福西@かず(高学年)です。

9/9

今日は、九九の表をカードで作って、
その対角線にある数に着目しました。

kuku.JPG

kuku2.JPG

とまあ、こんな感じでクイズをして、二乗の数に慣れてもらうことをしました。
(121、144、169、196,225ぐらいまでは、ぜひとも覚えてほしい数ですが…)
ちなみに、二乗の数に慣れておくと、予防注射みたいなもので、中学でルートを
習うころに風邪をひかなくてすみます。

さて、もし13の二乗を知らなかったとしても、12の二乗から、
計算できる方法があります。

100→121  21増える
121→144  23増える
144→ ?  

?の箇所は、つまり25増えているはずなので、
169であろう、という予測が立つわけです。

Posted by at 04:43 PM | Comments (1) | TrackBack

かず(高学年)9/1

福西@かず(高学年)です。

9/1

前回に、「平均とは、全部足すこと」
と言っていたMちゃんが、

「平均とは、全部足して人数で割ること」

とみんなの前で発表してくれたことが、記憶に残っています。
小学校でも習ったばかりだったので、そこで理解し直してくれたようです。

このように、定義を自力で(何も見ずに)言える
ことはとても大事だと思います。

「人数で」という表現は一般的ではありませんが、
「○○で割る」という後ろの言い回しが出てきた時点で、正解でしょう。

さて、今回は方眼紙に各自、好きなでこぼこの棒グラフを描いて
もらって、平均の高さに線を引く作業をしました。

すると、棒グラフの総面積は、

「平均」×(よこ)

であらわされます。これが今回のテーマです。

カーブのついた図形の面積は、計算できなくても、
長方形ならできるからです。
(単純ですが、定積分がつまりそんな操作です)

また、区間をいろいろ取ることで、平均値が変わることも
面白いテーマだと思ってやってみました。

 ○
○○○○○  ○
○○○○○○○○○○○○○○○○○○
←A→
←   B   →
←          C             →

高いデータを加えると、平均が上がり、低いデータを加えると
平均が下がるということは、当たり前ですが、やってみると
確かめられました。

また、
「平均値が、最大値と最小値の間に必ず存在すること」
というのも、当たり前ですが、分かることはすべて調べて
見るという態度で。

さらに、

4              ○
3              ○
2              ○
1○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○

さて、これの平均は? ときくと、「2と3」の間ぐらいに
線を引くのが、大体の直感ですが…

しかし、これの平均は1.15です。
ほとんど、1のすれすれに線を引いてみると、
ちょっとした驚きが味わえます。

好きに棒グラフを描かせると、どの生徒も一度はピラミッドを
描いていました。その平均を計算しようとすると、必然、
1+2+3+4+5…という和が出てきます。
これはまた面白いテーマで、

● =1

○●
●● =4=1+3

○○●
○○●
●●● =9=1+3+5

○○○●
○○○●
○○○●
●●●● =16=1+3+5+7

と、二乗が、奇数の和であらわされることを意味します。
次回はそれで遊ぼうと思います。

Posted by at 04:04 PM | Comments (1) | TrackBack

かず(高学年)8/26

福西@今度は、かず(高学年)です。
秋学期の最初の3回分を振り返っています。

8/26

画用紙から自由に切り取った20個の四角形の
「大きさ」を評価する方法を考えて、

(1)大きさの「はかり方」は、面積一つではないこと
(2)「平均」の幾何学的なイメージが面積であること

という、資料の整理と平均についてしました。

「何をもって四角形の大きさと言うのか」
という基準(こういうのをノルムと言います)は、
各人各様に定義することができます。

その中で、自然な概念が「面積」なのですが、ほかにも、

四辺の和、
最長の辺、
最短の辺、
対角線(の長い方 or 短い方)…

など、人間の考え付く限り、四角形にはいろいろな場所に定規が
当てられます。「人間は万物の尺度」です。

また、適当に切った紙の四角形なので、一辺が直線でないことも
大きな自由度を持っています。自分がどういう定規の当て方をす
るかで「曲がっている」ことへの扱いが変わってきます。

また、4.24・・・cmを、4とするか5とするかも、計り方にバリエー
ションを与えるでしょう。

これが現実問題であって、それに直面した自分が、
「どこをまっすぐと考えて定規を当てたか」
「どういう値をよしとするか」
という具体的な感覚は、六年生ごろから、ぜひ身につけてほしいと
私は考えます。(私がそういう教育を受けなかった反省によります)

このように、ある問題に、自分で「計り方」を導入することは、
かなり重要なことのはずなのですが、小学校のうちは反対に
「平均なら平均だけ」の計算しか、教えられていない気がします。
簡単に言えば、遊びを一から作りはじめるところまで、遊び込んで
いないように思います。
(そして小学生のうちに遊びをおあずけにされて、中高生で遊ぶ
お膳立てが揃った時には、もう遊ぶ興味を失っている中高生が、
いるとしたら、ここから出てくるように感じます)

ところで数学には、物の見方といったアイデアを、(「計り方」は
まさにそうですが)、式に書いて、人に説明できる強みがあります。

また、その「計り方」を変えると、問題(今は四角形の資料)の
「見え方」が変わるというのが面白い点なのです。

問題をある「計り方」で計れば、何がしかの結論が出てきます。
しかしそれは、面積で計ったのなら、「面積の意味で」、
最大値で計ったのなら、「最大値の意味で」、
言えることであって、それ以外の意味ではないことも、
計った本人が頭に留めておかなければなりません。

「一つの計り方は一つのことだけを計ることができる」

という常識の上に、それぞれの計り方が、それぞれの意味を持ちます。
この常識の土壌をなくせば、すべてが意味を失います。
「平均」もしかり、いつか習う「偏差」もしかりです。

本当に頭を動かさないといけないのは、「計り方を定義する」
ところであって、そこから問題をつかむこと、つまり一から
問題をはじめるという部分にです。

この「頭を動かすこと」を誰かが肩代わりして、たとえば先生が
先に黒板で与えておいて、「さあやってごらん」というのは、もちろん
生徒にすれば手を動かすことの習熟には効率的ですが、それだけに
努力するのは正しくはない。

計算はその意味を考えた後に(あるいは計算した後にそれが
再発見されるがゆえに)しているのだという感覚も、計算に
習熟するうちのどこかの時点で育っていかなければ、と考えます。

「面積」や「平均」を、あたかも一通りしかない物の計り方であるかのように
思わせられて、その代わりに計算ができるようになる。そんなトレードオフ
にならないように教える責任を、小学生がはじめて「面積」や「平均」といった
概念に触れる時に付き合う者としては、背負っているのだと自覚します。

Posted by at 02:42 PM | Comments (0) | TrackBack

かず(中学年)9/17

福西@かず中学年です。

s-SN310040.jpg

T君は、いつも膨大な問題集を、自転車に乗せて
持ってきてくれるのですが、昨日はその中から、
色ぬり100マスと、魔方陣のパズルをしました。

その「色ぬり…」を見ていて、普通かと思ったら、やはり
T君でした。

グウスウなら赤、キスウならピンク、ソスウは黄色」

と、ぬり方に工夫が見られました。そこで
ソスウという言葉が、普通に出てくるところがスゴイ。

おかげで、いいさくらんぼ(の絵)が実りました。

おしまいにした「8クィーン問題」
というのはこんな感じです。

8queen.JPG

いきなりクィーン8人では難しいので、7人で挑戦。

5人ぐらいから急に難しくなって、ああでもないこうでもないと
しているうちに6人目が置けました。そして最後の7人目も。

「できたやん!」
T君も、うれしそう。

そこで、
「すごいなあ。本当は8人までおけるんやけど、7人でもすごいことや」

という言い方をしてしまったものだから、
俄然、T君の心にまた火をつけてしまいました(^^;)。

結局その日のうちに、彼は
8人目を置いて帰って行きました。拍手。

Posted by at 01:02 PM | Comments (1) | TrackBack

かず(中学年)9/14

福西@かず(中学年)です。

「たけやぶやけた」といえば、回文ですが、誰が名づけたか、
「回文数」
という物もあって、

kaibun1.JPG

こんなかんじで。
これでまた、T君とオリンピックをしました。
参加者は…。

29 48 77 78 79 98 99 の、七人。

それでは、いちについて…よーい、どん!


kaibun2.JPG

というわけでした。
あとで計算まちがいがあることに気付いたのですが、実は98は、
もっとすごいんです。
どこまでいけるのか、興味がある人は、ぜひやってみてください。

Posted by at 12:08 PM | Comments (0) | TrackBack

A君の定理

福西です。

今、高校一年生の数学では、ちょうど順列・組み合わせを
していて、その発展に「二項定理」と「パスカルの三角形」
が登場しています。

A君が発見して、昨日さっそく持ってきてくれたことには、

Posted by at 10:31 AM | Comments (0) | TrackBack

死をどう見るか

昨日のラテン語のクラスでは、キケローを読みました。死は不幸(malum)である、というテーゼに対し、それは誰にとってそうなのか、生きている人に取ってか、それとも死んだ人に取ってか、という問いが出され、テーゼを提出した者は、どちらにとってもそうである、と返答します。もしそうなら、今から1万年前に死んだ人は、私たちより遙かに不幸な人たちである、となります。なぜなら死んでから今までずっと不幸に苦しみ続けているからです。とまあ、ある意味で実証不可能な言葉のやりとりが続くのですが、表現の細かなところで含蓄があり、私自身もう一度しっかり復習したいと思いました。以上、感想まで。

山下太郎

Posted by at 09:46 AM | Comments (1) | TrackBack

September 17, 2004

昨日の授業

福西@「数の世界」です。

教科書は「数学オリンピック教室」(野口廣/著)
というものを使っています。

昨日の授業は、合同式をしました。
高校生で習うことはありませんが、A君にとっては
いざという時の、ドラえもんの道具になりそうなので…。

(ちなみにA君は、数学Laboというクラブに入っていて、
数学オリンピックの問題を解くことに興味があります)

合同式の練習問題として、

1 5x+3y=50 を満たす自然数の組をすべて求めよ。
2 5x+3y=61 を満たす自然数の組をすべて求めよ。
3 38x+105=2 を満たす整数の組(x,y)を3つ求めよ。
4 40C20を41 で割ったあまりを求めよ。

をしました。4はオリンピックの実際の問題。
さて、これ以外の場合でもやってみて、自信をつけておき
ましょう。

宿題 30C15を31で割ったあまりを求めよ。
    40C30を41で割ったあまりを求めよ。

Posted by at 09:58 PM | Comments (0) | TrackBack

September 16, 2004

山頂に旗を立てよう

宇梶先生とラテン語の勉強会をしています。テキストは「新ラテン文法」ですが、来週いよいよ最後の練習問題を扱います。ラテン語の場合、文法書を一冊仕上げることはとても意味があります。山頂に旗を立てて、いっしょに壮大な景色を満喫しましょう。>宇梶先生

Posted by at 05:53 PM | Comments (1) | TrackBack

ギリシア・ローマ名言集より

昨日ラテン語の授業であつかった dabit deus his quoque finem.(神はこれら の苦難にも終わりを与えるだろう)について。「ギリシア・ローマ名言集」10 8ページに掲載されていました。著者は、イギリスでケネス・ドーヴァー先生か ら聞いたというこのアエネイスのせりふにまつわるエピソードを紹介しています。 その内容は名言の力を余すところなく語るものであり、感動します。
Posted by at 10:30 AM | Comments (0) | TrackBack

September 13, 2004

「ワクワクしぜん教室」をふりかえって   山下 育子

「ワクワクしぜん教室」  /山の学校  しぜんクラス主催

  日 時  8月24日(火)   行き先  比叡平~池の谷薬草園~大文字山三角点(△466)~送り火火床~銀閣寺

*   *   *   *

 「ワクワクしぜん教室」は、山の学校小学生の夏休イベントとして今年で2年目となりました。
午前3時に雨があがったお陰で、幼稚園の麓での集合時間午前8時50分から、リュックを背負った小学生とそのお父さま,お母さまがつぎつぎと集まって来られました。
思い返せば、昨年の瓜生山コースを歩いたときも、前日より雨が降り続いていたにもかかわらず、スタートする時間が近づくにつれ不思議と雨があがり、森の中を歩いている数時間だけは少しも濡れることなく、まるで、自然の懐に迎え入れられたような時間だったことを思い出します。

集合のあと、みんなで最寄りの別当町バス停から、ひとまず大津市比叡平行の京阪バスに乗り込み、終点をめざし出発です。比叡平は市内より高台にあるだけに、バスを下車したときはとても涼しく、まるで信州にきたかのように爽やかな気候でした。

 10分ほど歩き、北山杉が林立する道を通過して、如意ケ嶽にある「池の谷地蔵尊」の境内に薬草園はありました。6000坪に600種類の薬樹,薬草,ハーブコーナーがあり、お地蔵さんを守っておられる尼さんが快くお迎えくださいました。そして、周辺を先導しつつ、さまざまな薬草を観察しながら説明を続けられました。驚いたことは、「キョウチクトウ」や「トリカブト」「ムラサキケマン」など、一般的に毒があるとされる木や草が薬草であったということです。お尋ねをすると、なるほど、「処方する量によって、薬にもなりますよ。」と言うことでした。また、私たちのごく身近にある「ハコベ」「オオバコ」なども薬草となるそうです。結局、自然植物は大方が薬草になり得るということでしょう。

s-DSCN5453.jpg s-DSCN5454.jpg
 実際に見学した薬草と薬効をあげますと、

<植物名> <薬用部位> <薬効>
アジサイ 花と葉 解熱剤
イブキジャコウソウ 全草 咳,痰,風邪,頭痛
ウイキョウ 果実 健胃,去痰
エゾリンドウ 根,根茎 食欲不振,胃酸過多,消化不良
カキドオシ 全草 糖尿病,水虫
カラスビシャク 球茎 健胃,鎮吐,鎮咳,去痰
カレンボク 全㈱ 抗ガン作用,抗白血病
カンアオイ 根茎,根 咳止め ギフチョウが好き
ゲンノショウコ 全草 下痢止め,健胃,冷え性高血圧予防
ステビア 甘味料
タラノキ 樹皮,根皮 糖尿病,腎臓病,胃潰瘍
チョロギ 塊茎 打撲
トウキ 貧血症,腹痛,月経不順,生理痛
トチュウ 樹皮 強精,強壮,鎮痛薬茎をちぎるとねばる
トリカブト 塊根 鎮痛,強心,利尿
ノリウツギ 樹皮,根 疥癬,女性の洗髪料,マラリア
ハナイカダ A.葉,果実 A 痢疾,血便,胃痛 
  B.根 B.咳,月経不順
ハブソウ 種子,葉 緩下,健胃剤
ヘクソカヅラ 果実 あかぎれ,ひび,しもやけ
ボタン 根皮 解熱,鎮痛,消炎,浄血薬
ホップ A.果穂 A.健胃,鎮静
  B.ホップ線 B.利尿,健胃鎮静
メグスリノキ 樹皮,小枝 目薬
ワサビ 根茎 リウマチ,神経痛,防腐,殺菌
マムシグサ 球茎 サポニンを含み、嘔吐,下痢,腹痛


*採取時期は、一般には根や根茎はその地上部が枯れる頃、種子や果実は完熟した頃,葉は夏もっ とも繁茂する頃、花や全草は開花寸前の頃がよいとされている。
*薬草には毒性の強いもの、増量すると有毒作用を示すものも多くあり、日頃利用しているもの以外は、専門家に相談する。
*採取にあたっては、薬草に似た毒草が多くあり、注意する。


-------

 ビールの原料になるホップなどを見ながら、敷地内の谷へ下りていき、水の流れのある湿地には、“ワサビ”がたくさんできていました。小学生が中に入って、何本かを採ってそれぞれの手に渡してくれたので、そのワサビの茎を少しかじってみると、とても新鮮なワサビの香りがしました。

園内のスタート地点に戻ってくると、地蔵尊の方がお茶やジュースをご用意していて下さり、皆で有り難く頂戴して薬草園をあとにしました。
s-DSCN5471.jpg  
約30分ほど、北山杉やシダ類の茂る山道を歩き、大文字三角点の頂上466mに到着しました。そこは平坦な場所で、南側に景気が開け、山科方面が眺められます。そこで、お弁当を広げることに決定!
食後、しばらく休憩をしている時、銀閣寺方面から来た方が近づいてこられ、『今、あっちに不思議なものがありましたよ?』と教えて下さったので、急いでかけつけてみると、白く粉をふいたような小さなモノが、宙をフワフワと浮いているのが見えました。
「あれ、一体なんやろ?」と、暫くみんなで首をかしげながら見つめていると、どうやらそれは、木の上の方から、目に見えないくらいの糸状のものにぶら下がって、フワフワと風もないのにゆらめいているようでした。その『不思議な生き物』は、後でSちゃんのお母さまが調べて下さり、『セミヤドリガ』の終齢幼虫であることがわかりました。(この画像は最終的に葉の上に載せたものです)
s-セミヤドリガ画像.jpg
幼虫は、主にヒグラシに寄生して成長し、終齢幼虫になってしばらくするとセミから離れ、口から吐く糸でまゆをつくってさなぎになる準備をするそうです。結局、木の枝にくっついていたところが、まゆの糸が長く伸びて、高い木の上から糸の先にぶら下がって揺れ動いていたのだと想像できました。

s-DSCN5480.jpg s-DSCN5487.jpg s-DSCN5485.jpg

 最後に、用意していた登頂記念プレートに全員で名前と絵を書き込み、りょうま先生に高い木の枝にくくりつけてもらいました。記念写真を撮影した後、大の字の方面に向かって再スタートです。
途中、雑木林の片隅でたくさんの“きのこ”に出会いました。
「こんなきのこがあったぁー!」と、子どもたちは見つけるのがとても上手です。きのこ探しをしながら歩くとキリがないほどで、いろんな形,いろんな色,毒きのこではないかな?など、名前を知りたくなります。きのこハンドブックで、「きっと、これだね。」というものがいくつかありました。
結局、Mちゃんが見つけたのは“オオホウライタケ”、Yくんのは“サクラシメジ”、Kくんは“ドクヤマドリ”でした。

s-DSCN5488.jpgs-DSCN5493.jpg

そうこうしながら林を抜け出ると、途端に視界が開け、いよいよ京都の街や周囲の山々が一望できる場所に出ました。「すごい見晴らし!」「あーよかったー」と、一歩一歩自分の足をたよりに歩いてきたごほうびのパノラマ風景が目の前にありました。
s-DSCN5499.jpg 「あれが御所やね」、「吉田山かな」、「幼稚園の方が見えるね」。普段は滅多に見られない高い場所からの景色を堪能しながら、また下りていきました。
途中、Kくんは、これまた珍しく、柄がなく、直接木から傘が何枚も生えている、びっくりするような赤い色をした、きのこを発見しました。本で見ても「マンネンタケ」や「カンゾウタケ」のようでもなくて、名前が結局不明です。

s-DSCN5496.jpg

その後、「千人塚」では、きれいな石を見つけたり、どんどん下山していく途中、風化した花崗岩の岩肌がむき出しになった所とその下に溜まった白川砂を観察しました。「花崗岩の中の石英はガラスの材料になるよ。」とKくん。
麓では、1億年以上も前にできたチャート地層を(下左)、銀閣寺境内入り口の石畳では、むかし、マグマが入ってきたときの熱で焼かれてできた泥岩のきん青石ホルンフェルスを(下右)観察し、銀閣寺をあとにして解散場所へと向かいました。
s-DSCN5502.jpg  s-DSCN5503.jpg
 大文字山には、山科方面,蹴上方面,鹿ケ谷方面へ下りる等のさまざまな登山コースがあり、植物,昆虫,石を観察しながらハイキングができるとても身近なよい場所です。今回の「しぜん教室」は、約5時間の行程でしたが、何より天候に恵まれて、自然の中を歩く楽しみを大勢で共有できたことを大変嬉しく思いました。
参加後、1年生のGくんが送ってくれた絵入りのお手紙です。
s-tanaka_go.jpg

Posted by at 10:00 AM | Comments (0) | TrackBack

September 11, 2004

偉大な精神

Great spirits have always encountered violent opposition from mediocre minds. Albert Einstein 「偉大な精神の持ち主は常に、凡庸な心の持ち主から激しい反発を受けてきた。」

日本の教育は、平等を重んじている点で、恐らく一定の成果を収めていると思われますが、他方で時代をリードする真の意味でのエリートを育てることがお留守になっているとい思います。これからは「異端の時代」であり、「哲学」を持った若者が未来を創造する(invent the future)ことを期待します。山の学校の使命は、アインシュタインの言う great spirits を守り、育てることにある、と考えています。

Posted by at 06:17 PM | Comments (0) | TrackBack

祝教科書完走

ラテン語の勉強を始めた人にとって、一冊の教科書を最後までやりとげることが一つの大切なゴールになります。昨日の授業で1冊の教科書が無事最後まで終わりました。私も感慨無量です。英語と違い、教科書を1冊終えることの意味は圧倒的に大きく、完走すると視界がぐーんと広くなります。

Posted by at 09:27 AM | Comments (0) | TrackBack

中学英語の授業メモ

29 ページの READ を音読。

全員自分の辞書で単語を引く。dis- もひく。dis-cover と分解すると、隠れていたものの覆いを取る=発見する、という意味を discover できる。「トリビアや~」と生徒喜ぶ。

大きい辞書だと dis- で始まる単語はたくさん出ている。小さい辞書だと、disagree など少数の例しかない。例が精選されているともいえる。逆に高校生用の辞書を持っていた Manami ちゃんは、dis (冥界の王)が dis- と独立して記されていることに強い関心を抱く。こういう道草は重要。

次に、visit の意味はみな知っていたが、「訪問者」のつづりは -er で終わると思っていた模様。ヨーイ、ドンで visit の語尾に何が付くのか、競争で辞書を引く。-or で終わのか、じゃあ doctor と同じだねと Saki ちゃん。ほかに類例は?と聞くと、先週のテキストに actor (俳優)があったと、Mana ちゃん。actor をひきながら、actress (女優)を探し当てた Manami ちゃん。

学校の授業だと、よそ見は御法度かもしれないが、辞書を友達と一緒にひくとき、様々な発見を共有できる楽しみがある。キョロキョロあちこち探検した方が断然面白い。

--
山下太郎

Posted by at 09:09 AM | Comments (0) | TrackBack

September 05, 2004

アインシュタインの英語

先週のライブ授業で扱った資料その2です。


From the standpoint of daily life, there is one thing we do know: (ア)that man is here for the sake of other men---above all for those upon whose smile and well-being our own happiness depends, and also for the countless unknown souls with whose fate we are connected by a bond of sympathy. Many times a day I realize how much my own outer and inner life is built upon the labours of my fellow-men, both living and dead, and how earnestly I must exert myself in order to give in return as much as I have received. My peace of mind is often troubled by the depressing sense that I have borrowed too heavily from the work of other men.

日常生活の視点から見て、私たちがはっきりと知っていることが一つある。(  ア  )。とりわけ、その人のほほえみと幸せの上に私たち自身の幸福が基づいている人々のために。また、その人の運命に私たちが共感の絆で結びつけられている無数の人々のために。一日に何度も私は認識する、自分の外面と内面の生活が同胞――生きている者も死んでいる者も――の労働の上に成り立っていることを。そして、自分が受け取ったのと同じだけをお返しできるようどれだけ熱心に自分を奮い立たせなければならないかを。私の心の平安はしばしば乱される、自分自身が他人の労働にあまりにも多くの借りがあるという(  イ  )な気分によって。

Posted by at 07:12 PM | Comments (0) | TrackBack

September 04, 2004

英語って

英語の勉強についてのちょっとした思い出話を自分の blog で書きました。リンク先はこちらです

Posted by at 02:44 PM | Comments (0) | TrackBack

去年の「かず」クラス

福西です。
ファイルの中に、去年の風景を見つけました。
なつかしいです。

(2003/12/4)

Posted by at 02:17 PM | Comments (0) | TrackBack

September 03, 2004

中2数の基本(2)

福西です。
「中2・数の基本」の下村先生の代理の
授業記録です。

秋学期1週目は、

相殺 ←なんと読みますか?

によって、連立方程式を解くこと(学校でしっかりと教えてもらって
いるようで、ほとんどおさらいですみました)と、文章題をしました。

前回、生徒に同じ問題を配ったら、解く時間にばらつきが
出てしまったので、その反省として今回は練習問題を
別々に用意しました。(幸い二人と、少人数だからできました)

O.M.ちゃんには文章から連立方程式を抽出もらうことをしてもらい、
その発展として未知数が3つの場合をしました。

またK.M.ちゃんには、生の連立方程式をごりごり解いてもらい、
発展として、式をグラフ化してもらいました。

O.M.ちゃんには、
5円と10円と50円を組み合わせて、易しい問題から徐々に難しいパターンに
触れてもらいました。そして、

最後に…

Posted by at 09:30 PM | Comments (0) | TrackBack

中2数の基本

福西です。
「中2・数の基本」の
下村先生の代理の授業記録です。

一次関数を集中的にしています。

春学期
最終週 一次関数のグラフを書く

秋学期
1週目 連立方程式の解き方
2週目 夏休みの宿題
3週目 文章題

一次関数のグラフを書くコツは、

一、
イの一番に
y=ax+b
と書くべし!

二、
条件を
2つ
そろえるべし!

(1) 点(3,6)と(6,9)を通る
(2) 点(3,6)を通り、傾き1
(3) 点(3,6)を通り、y切片が3

これらの文章を、「うへ」と思うのではなくて、
「やった! ヒントが2つも隠されているゾ!」
と思って、飛びついてください。

(1)~(3)のどれも、
a,bという「2つの未知数」を決定するための
条件を2つまで教えてくれています。

それのおかげで、直線が一本引けるのです。
(ちなみに a=傾き、b=y切片 です)

本質的なケースは(1)の場合で、
「y=ax+bとおくべし!」
というのは、

(3,6)→    6=3a+b
(6,9)→  - ) 9=6a+b
       

Posted by at 08:03 PM | Comments (0) | TrackBack

百マスの割り算はないの?

福西です。

がんばって、「百マスの割り算」を作ってみました。
それは、どんなものかというと…

こんなんです。

÷ 25 36 15 26 31 34 13 22 16 29
 |

Posted by at 07:44 PM | Comments (0) | TrackBack

算数オリンピック?

福西です。
山の学校が始まって、2週間目。

かず(小学3,4年生)のクラスの
初回は、
「百マスの割り算バージョン」を作って、
なぜ割り算バージョンがないのかを
実際に体験してみました。というのも、

「よく割り切れる数」
「いつも割り切れない数」(素数)←Tクンは覚えていました!
に気付くのが眼目で、その後に、
10~28の数を1~9で割って、
オリンピックをしました。(後述)

2回目の授業は
いきなりTクンの九九の朗唱から始まって、
あとはひたすらいつものように計算三昧でした。
+-×÷、小数、分数、( )の付いた「長~い」式を、
私のために3ページに綴ってくれました。

オリンピックというのは、
      ÷数
選手    1  2  3  4  5  6  7  8  9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28

で、よーい、どん!(割り切れたら○をつけ、その回数で競う)

さあ、だれが金メダルかな?

というものでした。

P.S.
来週の授業は、計算の中の法則性に
また着目して遊ぼうと思います。
Tクンがした計算に
49×23
48×24
というのがあたので、たとえば、
こういう問題が考えられます。

a×bの計算で、aを1減らした分、
bを1増やしていくと…

49×23=
48×24=  ふえる?
47×25=  へる?
(減) (増) 

さあ、みなさんは「ふえる」か「へる」か、
どちらだと予想しますか?

Posted by at 07:34 PM | Comments (0) | TrackBack

September 02, 2004

「美を求める心」

先週のライブ授業でお配りした資料に入れていたものです。空欄には何が入るでしょう。
全部同じ動詞が入ります。

・・・そういう姿を(     )能力は誰にでも備わり、そういう姿を求める心は誰にでもあるのです。ただ、この能力が、私たちにとって、どんなに貴重な能力であるか、また、この能力は、養い育てようとしなければ衰弱してしまうことを、知っている人は、少ないのです。今日のように、知識や学問が普及し、尊重されるようになると、人々は、物を(     )能力の方を、知らず知らずのうちに、おろそかにするようになるのです。物の性質を知ろうとする様になるのです。物の性質を知ろうとする知識や学問の道は、物の姿をいわば壊す行き方をするからです。例えば、ある花の性質を知るとは、どんな形の花弁が何枚あるか、雄しべ、雌しべはどんな構造をしているか、色素は何々か、という様に、物を部分に分けて、要素に分けていくやり方ですが、花の美しさを(     )時には、私たちは何時も花全体を一目で(     )のです。だから(     )ことなど易しいことだと思いこんでしまうのです。 一輪の花の美しさをよくよく(     )ということは難しいことだ。仮にそれは易しいことだとしても、人間の美しさ、立派さを(     )ことは、易しいことではありますまい。また、知識がどんなにあっても、優しい感情を持っていない人は、立派な人間だとは言われまい。そして、優しい感情を持つとは、物事をよく(     )心をもっている人ではありませんか。神経質で、物事にすぐ感じても、いらいらしている人がいる。そんな人は、優しい感情を持っていない場合が多いものです。そんな人は、美しい物の姿を正しく(     )心を持った人ではない。ただ、びくびくしているだけなのです。ですから、(     )ということも学ばなければならないのです。そして、偉大な芸術というものは、正しく、豊かに(     )ことを、人々にいつも教えているものなのです。
-- 山下太郎

答えは、一つ目が「感じる」で、残り全部が「感ずる」です。

Posted by at 10:22 PM | Comments (0) | TrackBack

俳句あれこれ

幼稚園で、昨年2学期に子どもたちが覚えた俳句を見直していました。次のようなものです。


静けさや 岩にしみいる 蝉の声  芭蕉
人は寝て 籠(かご)の松虫 啼(な)きいでぬ   子規
猫の子の ちょっと押さえる 木の葉かな  一茶
山はみな 蜜柑(みかん)の色の 黄になりて  芭蕉
柿食へば 鐘が鳴るなり 法隆寺  子規
行く秋や 手を広げたる 栗の毬(いが)  芭蕉
遠山に 夕日一筋 時雨(しぐれ)かな  蕪村
葱(ねぎ)白く 洗ひあげたる 寒さかな  芭蕉
初時雨 猿も小蓑(こみの)を 欲し気(げ)なり  芭蕉

秋にふさわしい、子どもたちもイメージできる俳句がないか、今探しているところです。俳句は、年齢を問わず愛唱できるものばかりです。小学生のことばのクラスでも、一郎先生が俳句を扱われています。私も一度代理で小学生のクラスを担当したとき、子どもたちに俳句を作ってもらいました。中学、高校生にとっても、俳句は新鮮な切り口なのかな、と思ったりします。宇梶先生のクラスでも、俳句をとりあげておられましたね。

昨今、言葉の音読の重要性が指摘されますが、私自身は、俳句に加え、漢文の素読を小学校三年生から高校三年生まで毎週日曜日の朝、続けました。すぐに役に立つ、とはいえませんが、大事な思い出になっています。

Posted by at 01:52 PM | Comments (0) | TrackBack

「老年について」

水曜日夜のラテン語のクラスでは、キケローの『老年について』を読んでいます。昨日は、13節でした。ここで印象に残った表現は、次の2つです。

1)Nec tamen omnes possunt esse Scipiones aut Maximi, ...
2)Est etiam quiete et pure atque eleganter actae aetatis placida ac lenis senectus, ...

1)は、「しかし、誰もが皆(omnes)スキピオーやマクシムスであることは可能ではない」
2)は、「一方、静かに (quiete)、純粋に (pure)、優雅に (eleganter) 過ごした年月からなる静かで (placida) 穏やかな (lenis) 老年も(senex)ある (est)。」

直訳はこのようになります。

スキピオー、マクシムスが複数形になっているのは、英語でも、a Newton が「ニュートンのような人」という意味で使われるのと同様に、可算名詞扱いされているわけです。

1)は軍人、政治家としての名誉が話題になっていて、その栄光を手にする者は限られている、という文脈です。それに対し、2)で示されるような老年は、心がけ次第で誰もが手にすることができるという主張になります。その模範(exemplum)として、プラトン、イソクラテスの名前が挙げられています。

岩波文庫の中務訳をご紹介しましょう。


・・・もっとも、皆が皆スキーピオーのような、あるいはマクシムスのような人物となって、都市を攻め落としたこと、陸に海に戦ったこと、戦争を指揮したこと、凱旋したこと、などの思い出にひたれるわけではない。しかしまた、静謐で穏やかな老年は、静かに清らかに優雅に送った人生からも得られるのだ。聞くところによると、プラトーンの老年がそのようなものであった。彼は八一歳の時、書きながら死んだ。イソクラテースの老年もそうだ。・・・

Posted by at 12:03 PM | Comments (0) | TrackBack