「体育遊び研究所」主宰の安田祐治先生の記事が地元新聞に出ていました。この先生こそ、幼稚園で使っている可動式鉄棒の生みの親です。
タイトルは「樹上遊びで脳が育つ」というもので、子どもの外遊びについて、「危険を遠ざけるのが安全ではない。危険を認知し適切に対応する判断と処置能力を身につけることが安全なのである。」と述べておられます。まさに我が意を得たり、の思いがします。
直接山の学校とは関係ないようですが、同じことは学校で学ぶ勉強そのものについても言えるのではないでしょうか。
受動的な勉強は試験で点を取ることのみを目的とした場合、もっとも確実で安全ですが、本当の学力は、未知への対応能力に見出すことができるのではないかと。
真っ白な紙に自分のビジョンを描く能力は、子ども時代の遊びの中で育つような気がします。
「体育遊び研究所」主宰の安田祐治先生の記事が地元新聞に出ていました。この先生こそ、幼稚園で使っている可動式鉄棒の生みの親です。
タイトルは「樹上遊びで脳が育つ」というもので、子どもの外遊びについて、「危険を遠ざけるのが安全ではない。危険を認知し適切に対応する判断と処置能力を身につけることが安全なのである。」と述べておられます。まさに我が意を得たり、の思いがします。
直接山の学校とは関係ないようですが、同じことは学校で学ぶ勉強そのものについても言えるのではないでしょうか。
受動的な勉強は試験で点を取ることのみを目的とした場合、もっとも確実で安全ですが、本当の学力は、未知への対応能力に見出すことができるのではないかと。
真っ白な紙に自分のビジョンを描く能力は、子ども時代の遊びの中で育つような気がします。
ちょうど、この3学期の期間だけで最初から最後まで終えられた方から、次のご
感想を頂戴しました。謹んでご紹介させて頂きます。
ラテン語初級クラスを終えて12月から4ヶ月間、山の学校のラテン語クラス(初級)で山下先生にご指導いただいた者です。一学期でなんとか『ラテン語初歩』(田中利光著)を終えることができました。後に続く皆さんのために体験や感想を書くよう求められましたので、僭越ながら、今回の体験を少し述べたいと思います。
私は十数年前に大学院生であったときと、その後教員になってから2回、ラテン語を学ぼうとして、いずれも果たせませんでした。今回、山の学校で山下先生が直接教えてくださるということを知り、しかも、1月半ばで勤務先の授業が終り、1~3月は比較的自由な時間が多く取れるという事情もあって、千載一遇のチャンスとばかり申し込みました。
3度の失敗経験および独・仏語を学んだ際の経験から、たとえ浅くとも、短期間に文法の全体を終えることが何より大切だと思っていました。私の好きなペースで進んでよいとのことなので、やや無謀ながら、1回3課以上の予習をノルマとし、章末の和訳および羅訳の課題を準備していきました。
名詞・動詞・形容詞等の変化など、完全に覚えないと先へ進まないやりかたでは、また挫折するのが目に見えていました。ともかく前へ進み続けること、完全には覚えられなくとも、後ろは余り振り返らないことを方針としました。
およそ文法の全体が見渡せ、文章を読むときに、今文法のどのような事項が問題となっているのかが分かるようになることと、辞書が引けるようになることを、さし当たっての目標としました。そして4ヶ月、かなり忙しく走り続けましたが、何とか目標をぎりぎりの線でクリアーできたのではないかと思っています。
4月からは、キケロの作品をゆっくりと読みながら(1週間に数行読めればいいと思っています)、松平先生の『新ラテン文法』を使って苦手なところを少しづつ克服していこうと思っています。
なお、『ラテン語初歩』は、簡潔でとても学びよかったのですが、解説は余り詳しくないので、大西英文先生の『初めてのラテン語』や松平先生の『新ラテン文法』を適宜参照して補足しました。
以上、山下先生のご指導への感謝をこめて、50の手習いの報告といたします。
H.K.
これからキケローの作品 (De Senectute) に挑むわけですが、是非最後まで読み切りたいと思います。これまたじっくり味わいながら、また山頂を目指しましょう。
水曜日の夜8時10分からですが、我こそは!という同行者もぜひこの機会にご参加下さい。
ちょうど、この3学期の期間だけで最初から最後まで終えられた方から、次のご
感想を頂戴しました。謹んでご紹介させて頂きます。
ラテン語初級クラスを終えて12月から4ヶ月間、山の学校のラテン語クラス(初級)で山下先生にご指導いただいた者です。一学期でなんとか『ラテン語初歩』(田中利光著)を終えることができました。後に続く皆さんのために体験や感想を書くよう求められましたので、僭越ながら、今回の体験を少し述べたいと思います。
私は十数年前に大学院生であったときと、その後教員になってから2回、ラテン語を学ぼうとして、いずれも果たせませんでした。今回、山の学校で山下先生が直接教えてくださるということを知り、しかも、1月半ばで勤務先の授業が終り、1~3月は比較的自由な時間が多く取れるという事情もあって、千載一遇のチャンスとばかり申し込みました。
3度の失敗経験および独・仏語を学んだ際の経験から、たとえ浅くとも、短期間に文法の全体を終えることが何より大切だと思っていました。私の好きなペースで進んでよいとのことなので、やや無謀ながら、1回3課以上の予習をノルマとし、章末の和訳および羅訳の課題を準備していきました。
名詞・動詞・形容詞等の変化など、完全に覚えないと先へ進まないやりかたでは、また挫折するのが目に見えていました。ともかく前へ進み続けること、完全には覚えられなくとも、後ろは余り振り返らないことを方針としました。
およそ文法の全体が見渡せ、文章を読むときに、今文法のどのような事項が問題となっているのかが分かるようになることと、辞書が引けるようになることを、さし当たっての目標としました。そして4ヶ月、かなり忙しく走り続けましたが、何とか目標をぎりぎりの線でクリアーできたのではないかと思っています。
4月からは、キケロの作品をゆっくりと読みながら(1週間に数行読めればいいと思っています)、松平先生の『新ラテン文法』を使って苦手なところを少しづつ克服していこうと思っています。
なお、『ラテン語初歩』は、簡潔でとても学びよかったのですが、解説は余り詳しくないので、大西英文先生の『初めてのラテン語』や松平先生の『新ラテン文法』を適宜参照して補足しました。
以上、山下先生のご指導への感謝をこめて、50の手習いの報告といたします。
H.K.
これからキケローの作品 (De Senectute) に挑むわけですが、是非最後まで読み切りたいと思います。これまたじっくり味わいながら、また山頂を目指しましょう。
水曜日の夜8時10分からですが、我こそは!という同行者もぜひこの機会にご参加下さい。
一郎先生のクラスも、亮馬先生のクラスも今日が最終日。
小学生も、いつもより早く山に登ってきました。クラスが始まるまで、友達同士、遊具で遊ぶのです。
一郎先生は、俳句と本の読み聞かせ(どちらも私が子ども時代にたくさん学んだことですが)を中心に教えて下さっています。4月からは、低学年を担当して頂きます。
亮馬先生は、カプラルームで授業だったので、園長室から中身がよく聞こえておりました(笑)。
今日はなぜか手に菜の花を抱えてご登場。
菜の花や 月は東に 日は西に 蕪村
うぐいすの 鳴くや小さき 口あけて 蕪村
今日はこれらの俳句を低学年に教えて下さっていた模様。
だから、菜の花をもってこられたのですね。じゃあ、うぐいすは?ということで、授業の後半はなんと、山の奥まで子ども達とでかけました。
行く先は、「秘密の森」です。道すがらうぐいすの声を聞くためにです。
途中、Kei ちゃんが遅れてやってきました。
私が Kei ちゃんをつれて秘密の森まで行くと、本当にたくさんのうぐいすがないていました。
■ 「かず」の補習
あと、Shu くんと Junpei くんの「かず」の補習も今日はありました。二人は兄弟のように仲がよいのですが、前回は卒園式の前の日で、遅れてきた Shu くんは、いつもの場所に Junpei 君の靴がないので、今日はお休みだと勘違い。
いったん家に戻ったところ、じつはひねもすルームで授業だとわかって、もう一度お山に向かって登ってきました。
でも、ついたときにはすでに5時半。ちょうど入れ違いに Junpei 君は家に帰っていました。亮馬先生は、そこから Shu 君に勉強を個別に教えて下さったのですが、やはり二人一緒に教えてあげたかった、という心残りがありました。
そこで、補習。亮馬先生も子ども時代に校庭の砂の上で解こうと取り組んだ図形の問題があります。じつは、先週まで解けないままだったそうで、いつ見ても、腕組みして考え中の姿。
それが先週の授業の中で答えが見つかったそうです。しかし、子ども達には解き方は言わずに考えさせたのだ、と。
最終回の昨日も二人はウンウンうなってその問題を考え、ああでもないこうでもない、と相談しながらも、結局解き方はわからなかったそうです。
しかし、亮馬先生は正解を言わなかった。私はそれが正解だと思いました。
二人の子どもは家の都合で一人は遠くに引っ越します。
二人が一緒に勉強する日は昨日が最後でした。
しかし、子ども達の心には、ずっと解けないままの図形の問題が、山で学んだ楽しい思い出といっしょにいつまでも、心に残りつづけると思います。
Shu 君は、言ったそうです、「問題解けたら、この山に来るしな」と。
--
忘れぬよう、私が書かせてもらいました。時間があれば、亮馬先生、またフォロー
をお願いします。
一郎先生のクラスも、亮馬先生のクラスも今日が最終日。
小学生も、いつもより早く山に登ってきました。クラスが始まるまで、友達同士、遊具で遊ぶのです。
一郎先生は、俳句と本の読み聞かせ(どちらも私が子ども時代にたくさん学んだことですが)を中心に教えて下さっています。4月からは、低学年を担当して頂きます。
亮馬先生は、カプラルームで授業だったので、園長室から中身がよく聞こえておりました(笑)。
今日はなぜか手に菜の花を抱えてご登場。
菜の花や 月は東に 日は西に 蕪村
うぐいすの 鳴くや小さき 口あけて 蕪村
今日はこれらの俳句を低学年に教えて下さっていた模様。
だから、菜の花をもってこられたのですね。じゃあ、うぐいすは?ということで、授業の後半はなんと、山の奥まで子ども達とでかけました。
行く先は、「秘密の森」です。道すがらうぐいすの声を聞くためにです。
途中、Kei ちゃんが遅れてやってきました。
私が Kei ちゃんをつれて秘密の森まで行くと、本当にたくさんのうぐいすがないていました。
■ 「かず」の補習
あと、Shu くんと Junpei くんの「かず」の補習も今日はありました。二人は兄弟のように仲がよいのですが、前回は卒園式の前の日で、遅れてきた Shu くんは、いつもの場所に Junpei 君の靴がないので、今日はお休みだと勘違い。
いったん家に戻ったところ、じつはひねもすルームで授業だとわかって、もう一度お山に向かって登ってきました。
でも、ついたときにはすでに5時半。ちょうど入れ違いに Junpei 君は家に帰っていました。亮馬先生は、そこから Shu 君に勉強を個別に教えて下さったのですが、やはり二人一緒に教えてあげたかった、という心残りがありました。
そこで、補習。亮馬先生も子ども時代に校庭の砂の上で解こうと取り組んだ図形の問題があります。じつは、先週まで解けないままだったそうで、いつ見ても、腕組みして考え中の姿。
それが先週の授業の中で答えが見つかったそうです。しかし、子ども達には解き方は言わずに考えさせたのだ、と。
最終回の昨日も二人はウンウンうなってその問題を考え、ああでもないこうでもない、と相談しながらも、結局解き方はわからなかったそうです。
しかし、亮馬先生は正解を言わなかった。私はそれが正解だと思いました。
二人の子どもは家の都合で一人は遠くに引っ越します。
二人が一緒に勉強する日は昨日が最後でした。
しかし、子ども達の心には、ずっと解けないままの図形の問題が、山で学んだ楽しい思い出といっしょにいつまでも、心に残りつづけると思います。
Shu 君は、言ったそうです、「問題解けたら、この山に来るしな」と。
--
忘れぬよう、私が書かせてもらいました。時間があれば、亮馬先生、またフォロー
をお願いします。
「山の学校」には、学校や塾にはない、滋味豊かな多様な料理の味があります。これをいかに中学生、高校生の生徒に届けるかが今後の課題の一つだと思っています。
そこで、前回の説明会でも話題にも出たとおり、大学生・大学院生スタッフによる「リレー式の講義」(月2回)というのを4月~7月にかけて5回行うことを今検討しています。
中学生以上を対象とし(保護者の参加も可能)、日時は、基本的に第2,4木曜日、午後8時10分から9時半とします。(他の曜日は授業があるので)。
具体的には、次の日程を考えています。
第1回目:5月6日(木)
第2回目:5月20日(木)
第3回目:6月10日(木)
第4回目:6月24日(木)
第5回目:7月8日(木)
内容としては、
「今中学生・高校生に話しておきたいこと」(ここに各講師による副題がつきます)
を考えています。
「山の学校」には、学校や塾にはない、滋味豊かな多様な料理の味があります。これをいかに中学生、高校生の生徒に届けるかが今後の課題の一つだと思っています。
そこで、前回の説明会でも話題にも出たとおり、大学生・大学院生スタッフによる「リレー式の講義」(月2回)というのを4月~7月にかけて5回行うことを今検討しています。
中学生以上を対象とし(保護者の参加も可能)、日時は、基本的に第2,4木曜日、午後8時10分から9時半とします。(他の曜日は授業があるので)。
具体的には、次の日程を考えています。
第1回目:5月6日(木)
第2回目:5月20日(木)
第3回目:6月10日(木)
第4回目:6月24日(木)
第5回目:7月8日(木)
内容としては、
「今中学生・高校生に話しておきたいこと」(ここに各講師による副題がつきます)
を考えています。
3学期最終日なので、 surprise party に。教育、文化、芸術全般に話題が及ぶ形となりました。
新学期からも、ゆっくりとラテン語の勉強を味わっていきましょう、ということで意見が一致しました。
3学期最終日なので、 surprise party に。教育、文化、芸術全般に話題が及ぶ形となりました。
新学期からも、ゆっくりとラテン語の勉強を味わっていきましょう、ということで意見が一致しました。
福西(ことば・高学年)です。
今回も、古文の暗唱です。
疎水べりを歩きながら、方丈記の冒頭と、漢文を暗唱しました。
歩きながら、手をあげた人の暗唱を一人ずつ聞いていき、
言えたら、「合格」と言ってあげます。
ぼくのすることは、まあこれだけです。
方丈記の「行く河」が流れている京都で、「歩きながら暗唱したなあ」
という思い出を作る。そんな授業でした。(鴨川ではありませんが)
今日の暗唱は、次の二文。
行く河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。
よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、
久しくとどまりたる例なし。
年年歳歳 花 相似たり
歳歳年年 人 同じからず
方丈記は一目で「長い」と感じたらしく、どの子も敬遠しがちでした。
でも、「年年歳歳…」からクリアーすると、食欲(まさに食欲です)
が出てきて、「よっしゃ、次!」という流れができました。
でも、まだ方丈記はハードルが高かったらしく、その中間に、
前回の復習をあてました。
東風吹かば 匂ひ起こせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな
帰りなんいざ 田園まさに蕪れなんとす なんぞ帰らざる
やっぱり一回目と二回目は覚えがちがうようで、よく言えました。
あの微妙に記憶回路をくすぐるのが面白いようです。
これで合格が一つから三つに増え、そこで残した方丈記にも、
食欲が出たようです。方丈記は三つに切って「食べ」ました。
小学生が六人口々に、疎水に到着するまで、暗唱。暗唱。暗唱。
そして疎水べりでは、「行く川の水は…」。
散歩で行き交う人に、彼らの声はどんなふうに聞こえたのかなあ
とふと思いました。
「今度三年生の教室に入ってくるのが、今三年生の君
じゃないように…」というふうなことも話しながら、
みんなで疎水を見つめていました。
山の下に戻ってくる間もまたよくて、熱唱続きでした。
あれはまたもう一度したいです。
福西(ことば・高学年)です。
今回も、古文の暗唱です。
疎水べりを歩きながら、方丈記の冒頭と、漢文を暗唱しました。
歩きながら、手をあげた人の暗唱を一人ずつ聞いていき、
言えたら、「合格」と言ってあげます。
ぼくのすることは、まあこれだけです。
方丈記の「行く河」が流れている京都で、「歩きながら暗唱したなあ」
という思い出を作る。そんな授業でした。(鴨川ではありませんが)
今日の暗唱は、次の二文。
行く河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。
よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、
久しくとどまりたる例なし。
年年歳歳 花 相似たり
歳歳年年 人 同じからず
方丈記は一目で「長い」と感じたらしく、どの子も敬遠しがちでした。
でも、「年年歳歳…」からクリアーすると、食欲(まさに食欲です)
が出てきて、「よっしゃ、次!」という流れができました。
でも、まだ方丈記はハードルが高かったらしく、その中間に、
前回の復習をあてました。
東風吹かば 匂ひ起こせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな
帰りなんいざ 田園まさに蕪れなんとす なんぞ帰らざる
やっぱり一回目と二回目は覚えがちがうようで、よく言えました。
あの微妙に記憶回路をくすぐるのが面白いようです。
これで合格が一つから三つに増え、そこで残した方丈記にも、
食欲が出たようです。方丈記は三つに切って「食べ」ました。
小学生が六人口々に、疎水に到着するまで、暗唱。暗唱。暗唱。
そして疎水べりでは、「行く川の水は…」。
散歩で行き交う人に、彼らの声はどんなふうに聞こえたのかなあ
とふと思いました。
「今度三年生の教室に入ってくるのが、今三年生の君
じゃないように…」というふうなことも話しながら、
みんなで疎水を見つめていました。
山の下に戻ってくる間もまたよくて、熱唱続きでした。
あれはまたもう一度したいです。
今日は、小学生の「ひねもす」が最終日。
6人きてくれて、それぞれの「かぶと」を作りました。
様子は、こんな感じでした。


「おまえ武田信玄な!」
「いや、三国志のほうがええ!」

「イザ出陣!」
「敵将、ウチトッタリ~!」
今日は、小学生の「ひねもす」が最終日。
6人きてくれて、それぞれの「かぶと」を作りました。
様子は、こんな感じでした。


「おまえ武田信玄な!」
「いや、三国志のほうがええ!」

「イザ出陣!」
「敵将、ウチトッタリ~!」
先ほど、ラテン語通信講座第一期生の方に、48課の答案を返却しました。
あと1回でゴールですね。この方をはじめ、参加者の集中力と熱意、根気には脱帽です。
なお、ラテン語コースでは、教科書を終えたあとは、お好きな作家のラテン文(韻文、散文を問わず)
を講読します(料金はそのまま)。
今、水曜日クラスの参加者から出ているご希望では、キケローの『老年について』をとりあげて
ほしいとのことです。
先ほど、ラテン語通信講座第一期生の方に、48課の答案を返却しました。
あと1回でゴールですね。この方をはじめ、参加者の集中力と熱意、根気には脱帽です。
なお、ラテン語コースでは、教科書を終えたあとは、お好きな作家のラテン文(韻文、散文を問わず)
を講読します(料金はそのまま)。
今、水曜日クラスの参加者から出ているご希望では、キケローの『老年について』をとりあげて
ほしいとのことです。
nagumo先生の「ことば」高学年では、若山牧水の作品を扱う予定とのこと。
さっそくいただいたシラバスは、なかなか骨がありますね。
ファイルは、ここです。
nagumo先生の「ことば」高学年では、若山牧水の作品を扱う予定とのこと。
さっそくいただいたシラバスは、なかなか骨がありますね。
ファイルは、ここです。
最後の例文、Dixitque Deus: Fiat lux. Et facta est lux. (そして神は言っ
た。光あれ。すると光が生まれた。)は「聖書」の言葉ですね。
Fiat (フィーアト)はイタリアの車のメーカー名ですが、「・・・になる」と
いう意味の動詞 fio (フィーオー)の接続法・現在・三人称・単数の形です。
夢、願望、希望がかないますように、というニュアンスが込められた社名になっ
ています。実際には、何かイタリア語の頭文字をとった名称なのだそうですが、
同時にラテン語になっているところが憎いです。
--
山下太郎
最後の例文、Dixitque Deus: Fiat lux. Et facta est lux. (そして神は言っ
た。光あれ。すると光が生まれた。)は「聖書」の言葉ですね。
Fiat (フィーアト)はイタリアの車のメーカー名ですが、「・・・になる」と
いう意味の動詞 fio (フィーオー)の接続法・現在・三人称・単数の形です。
夢、願望、希望がかないますように、というニュアンスが込められた社名になっ
ています。実際には、何かイタリア語の頭文字をとった名称なのだそうですが、
同時にラテン語になっているところが憎いです。
--
山下太郎
福西(ことば)です。
この詩が、私の見ている理想です。
童冠 業を斉(ひと)しくし
閑かに詠じて以て帰る。
我れ其の静を愛し、
ごび交々揮う。
(時運、陶淵明)
いっしょに授業を受けている
元服前と元服後の若者同士が、
のびやかに詩を吟じつつ帰っていった。
わたしはその静けさを愛し、
寝ても覚めても思い焦がれる。
宮沢賢治ではないですが、
「…そんなクラスに、私はしたい。」
です。
福西(ことば)です。
この詩が、私の見ている理想です。
童冠 業を斉(ひと)しくし
閑かに詠じて以て帰る。
我れ其の静を愛し、
ごび交々揮う。
(時運、陶淵明)
いっしょに授業を受けている
元服前と元服後の若者同士が、
のびやかに詩を吟じつつ帰っていった。
わたしはその静けさを愛し、
寝ても覚めても思い焦がれる。
宮沢賢治ではないですが、
「…そんなクラスに、私はしたい。」
です。
福西です。
『数の基本』を展開するなら、「教科書を読むこと」
を考えています。
「ポテトチップスの袋で、数・国・理・社・英が網羅できる」
という冗談は、いつか友達としたことがありませんか?
さて、その数学に出てくる方程式ですが、英語ではequality
またequationといいます。
それで、理科ではニュートンの運動方程式
(Newton’s equation of motion) というものが登場します。
また社会では、ブラック・ショールズ方程式(将来の変動を
見越して大もうけする式、Black-Scholes equation)
なんていうものも耳に入ります。国語はよく国語そのものに
ついて、「人生は方程式のようには…云々」とつぶやいてい
ます。
では、方程式ってなんでしょう? ここではたと止まったら、
今までの饒舌をお詫びしないといけませね。
ここからでは、数学の中身に入りましょう。
「式」は小学校でもおなじみの言葉です。
でも、「方程」というと、ちんぷんかんぷんです。
しかし英語では方程式=equality(イコーリティー)
と言い、それは、「イコールのもの」という意味です。
「イコール」と言えばおなじみですね。
日常語でも使います。
つまり「方程式」と難しく聞こえるのは、実は単に
「イコール=のある式」のことを指すのです。
「方程式」と「等式」は「別物じゃないかな?」と思って、
頭の違うカテゴリーに入っているかもしれませんが、
実は一緒のものなのです。どちらも equalityの訳です。
「であるからして」、式中に「=」ではなくて、「>」がある式は、
不等式(inequality)なのです。(inは否定)
3x>2
などがそうです。
さて昔の日本人は、「=」を「は」と翻訳しました。
これはうまい語呂合わせで、たとえば
2x+3=9
の「=」を、「は」と言っても「イコール」と言っても、
意味は同じになります。
(この方程式のxもそうですね。xは、解(かい)と
言いますが、これはギリシア語のχ(カイ)→英語のx
ということの日本流です。しかも「解」は「解けた!」
を意味します。なので、意味と発音が一致しています)
数学とは、一つ一つの発見されたアイデア概念を、
積み重ね、体系付けられた一つの山脈です。
一足飛びにいこうとすると、せっかくの新しいアイデア
がつまづきの石となって、嫌になるのは必然です。
けれども(定石のように)一つずつアイデアを踏み
敷いていく、この面白さは言語に尽くせません。
となるとそうした山の中を、ちょっとついていけなくなった
とき、道に迷ったとき、矢印や、一人静かになって広げる
ガイドブックがほしくなります。それは、意外と身近にあり
ます。ランドセルやかばんの中に入っています。
教科書です。
参考書をたくさん買う必要はありません。
教科書を「もう一遍読む」ことです。
実は、たいていの人は、これを「見る」だけで「読んで」いない
のです。
そして「方程式とは=のある式だ」と気付かずに、「方程式」
という単元があって、それとなく通り過ぎていっているのです。
なまじ授業中で一回見ているだけに、もう一遍なんて「うへー」
となりそうな教科書ですが、けれどもよくよく通して「読んで」
みれば、ストーリーがあって、それを味わえるようになります。
わり算を習えば、小数の答が出てきます。同じわり算から、
分数が出てきます。その分数の後に、分数で定義される
「円周率:=円周/直径」が出てきます。
そして中学でマイナスの数を習います。このマイナスの数と
分数と知れば、方程式の世界をのぞくことができるんだ、
といったように。
このように、Aの次はB、Bの次はCとDの分かれ道(注:どちら
から登っても構いません)というように、教科書では小学校の
六年間、中学校の三年間、そして…と、山道が整備されていま
す(大文字山を登ったことのある人は、道が分かるようにいつも
整備されていることを思い浮かべてください)、実は教科書は、
見えない配慮でぎっしりと重たいのです。
となればただ数学には、登る人の根気が試されるだけです。
(「屋上屋を架す」と言います。参考書も悪いとは言いませんが、
それが教科書というガイドブックのためのガイドブックであること
を知ってください。『春秋』よりその注釈書『春秋左氏伝』の方が
面白いことは分かります。が、あまり深追いすると、数学ではなく
て参考書の山に埋もれ目標を失ってしまいます。)
教科書の配慮は、文字では書いてありません。数学は「数の学問」
ですから、文字ではなくて数字で、また記号や式で書かれている
のです。しかも、必要以上のことは書かないのが普通です。
式がすべて語ってくれるからです。
その難解さに打ちのめされることは多いでしょう。
ですが、理解したときの感動もまた大きいのです。
私は思います。
数学は式を読む「修行」が必要だと。
論語と同じで、「読書百遍、意おのずから通ず」は、本当です。
ただしこの百篇が、数学では実際手を動かすこと、書いてあることを
計算することにあたります。
そして数学と遭遇した最初は、教科書を「見て」手を動かさない、
つまり本当に「読む」ことはしないので、意味に気付く人が少ないのです。
書かれてあることを手計算で理解する。また理解したことと、
その前に理解したこととの間に必然がある。
「この前マイナスを習った。だから、次に方程式で答が
マイナスになっても、書けるんだ!」ということに、感動する人は、
最初学んだ人では、まずいないでしょう。
しかし、何度も挑戦した人、つまり教える側の人間は感動するのです。
一次方程式の解とは、実は有理数(正負の分数!)のこと
だと言われても、最初は目が点になるでしょう。
けれども教える側はさらに感動しているのです!
──しかしさあそこで、感動のない人に教えられたら……と、
私はちょびっと思います。
私は方程式や連立方程式が大好きな人間の一人です。
大学で学んだのは、「線形行列不等式」という、それの発展形でした。
私にはまだまだ教えたいことがたくさんあります。
ぜひ、教科書を持って来てください。
そして今まで見て気付かないでいるものを、一緒に気付きましょう。
この行間を知らず、数学を嫌いになることはないと思います。
実際数学の世界には、大きな天才がいて、その後に続く小さな
天才たちがいます。
そしてそれらのやり残した星の数ほどある仕事を一つずつ丁寧
に仕上げていく、秀才またアマチュアたちも。
彼らによって裾野が広がると、そこから再び天才が生まれてくる
──そうやって今も数学は地殻変動し続け、隆起する山脈である
こと、それを俯瞰鳥瞰した時の感動は、
言語に尽くせない、と私は感じています。
数学はまた情緒です。「レッツ・カンドー」です。
感動したものに人が好きになっていき、その結果、
成績もまた伸びるのが必然であると私は思います。
問題:一次方程式の「一次」とは、どういう意味があるのでしょう?
福西亮馬
福西です。
『数の基本』を展開するなら、「教科書を読むこと」
を考えています。
「ポテトチップスの袋で、数・国・理・社・英が網羅できる」
という冗談は、いつか友達としたことがありませんか?
さて、その数学に出てくる方程式ですが、英語ではequality
またequationといいます。
それで、理科ではニュートンの運動方程式
(Newton’s equation of motion) というものが登場します。
また社会では、ブラック・ショールズ方程式(将来の変動を
見越して大もうけする式、Black-Scholes equation)
なんていうものも耳に入ります。国語はよく国語そのものに
ついて、「人生は方程式のようには…云々」とつぶやいてい
ます。
では、方程式ってなんでしょう? ここではたと止まったら、
今までの饒舌をお詫びしないといけませね。
ここからでは、数学の中身に入りましょう。
「式」は小学校でもおなじみの言葉です。
でも、「方程」というと、ちんぷんかんぷんです。
しかし英語では方程式=equality(イコーリティー)
と言い、それは、「イコールのもの」という意味です。
「イコール」と言えばおなじみですね。
日常語でも使います。
つまり「方程式」と難しく聞こえるのは、実は単に
「イコール=のある式」のことを指すのです。
「方程式」と「等式」は「別物じゃないかな?」と思って、
頭の違うカテゴリーに入っているかもしれませんが、
実は一緒のものなのです。どちらも equalityの訳です。
「であるからして」、式中に「=」ではなくて、「>」がある式は、
不等式(inequality)なのです。(inは否定)
3x>2
などがそうです。
さて昔の日本人は、「=」を「は」と翻訳しました。
これはうまい語呂合わせで、たとえば
2x+3=9
の「=」を、「は」と言っても「イコール」と言っても、
意味は同じになります。
(この方程式のxもそうですね。xは、解(かい)と
言いますが、これはギリシア語のχ(カイ)→英語のx
ということの日本流です。しかも「解」は「解けた!」
を意味します。なので、意味と発音が一致しています)
数学とは、一つ一つの発見されたアイデア概念を、
積み重ね、体系付けられた一つの山脈です。
一足飛びにいこうとすると、せっかくの新しいアイデア
がつまづきの石となって、嫌になるのは必然です。
けれども(定石のように)一つずつアイデアを踏み
敷いていく、この面白さは言語に尽くせません。
となるとそうした山の中を、ちょっとついていけなくなった
とき、道に迷ったとき、矢印や、一人静かになって広げる
ガイドブックがほしくなります。それは、意外と身近にあり
ます。ランドセルやかばんの中に入っています。
教科書です。
参考書をたくさん買う必要はありません。
教科書を「もう一遍読む」ことです。
実は、たいていの人は、これを「見る」だけで「読んで」いない
のです。
そして「方程式とは=のある式だ」と気付かずに、「方程式」
という単元があって、それとなく通り過ぎていっているのです。
なまじ授業中で一回見ているだけに、もう一遍なんて「うへー」
となりそうな教科書ですが、けれどもよくよく通して「読んで」
みれば、ストーリーがあって、それを味わえるようになります。
わり算を習えば、小数の答が出てきます。同じわり算から、
分数が出てきます。その分数の後に、分数で定義される
「円周率:=円周/直径」が出てきます。
そして中学でマイナスの数を習います。このマイナスの数と
分数と知れば、方程式の世界をのぞくことができるんだ、
といったように。
このように、Aの次はB、Bの次はCとDの分かれ道(注:どちら
から登っても構いません)というように、教科書では小学校の
六年間、中学校の三年間、そして…と、山道が整備されていま
す(大文字山を登ったことのある人は、道が分かるようにいつも
整備されていることを思い浮かべてください)、実は教科書は、
見えない配慮でぎっしりと重たいのです。
となればただ数学には、登る人の根気が試されるだけです。
(「屋上屋を架す」と言います。参考書も悪いとは言いませんが、
それが教科書というガイドブックのためのガイドブックであること
を知ってください。『春秋』よりその注釈書『春秋左氏伝』の方が
面白いことは分かります。が、あまり深追いすると、数学ではなく
て参考書の山に埋もれ目標を失ってしまいます。)
教科書の配慮は、文字では書いてありません。数学は「数の学問」
ですから、文字ではなくて数字で、また記号や式で書かれている
のです。しかも、必要以上のことは書かないのが普通です。
式がすべて語ってくれるからです。
その難解さに打ちのめされることは多いでしょう。
ですが、理解したときの感動もまた大きいのです。
私は思います。
数学は式を読む「修行」が必要だと。
論語と同じで、「読書百遍、意おのずから通ず」は、本当です。
ただしこの百篇が、数学では実際手を動かすこと、書いてあることを
計算することにあたります。
そして数学と遭遇した最初は、教科書を「見て」手を動かさない、
つまり本当に「読む」ことはしないので、意味に気付く人が少ないのです。
書かれてあることを手計算で理解する。また理解したことと、
その前に理解したこととの間に必然がある。
「この前マイナスを習った。だから、次に方程式で答が
マイナスになっても、書けるんだ!」ということに、感動する人は、
最初学んだ人では、まずいないでしょう。
しかし、何度も挑戦した人、つまり教える側の人間は感動するのです。
一次方程式の解とは、実は有理数(正負の分数!)のこと
だと言われても、最初は目が点になるでしょう。
けれども教える側はさらに感動しているのです!
──しかしさあそこで、感動のない人に教えられたら……と、
私はちょびっと思います。
私は方程式や連立方程式が大好きな人間の一人です。
大学で学んだのは、「線形行列不等式」という、それの発展形でした。
私にはまだまだ教えたいことがたくさんあります。
ぜひ、教科書を持って来てください。
そして今まで見て気付かないでいるものを、一緒に気付きましょう。
この行間を知らず、数学を嫌いになることはないと思います。
実際数学の世界には、大きな天才がいて、その後に続く小さな
天才たちがいます。
そしてそれらのやり残した星の数ほどある仕事を一つずつ丁寧
に仕上げていく、秀才またアマチュアたちも。
彼らによって裾野が広がると、そこから再び天才が生まれてくる
──そうやって今も数学は地殻変動し続け、隆起する山脈である
こと、それを俯瞰鳥瞰した時の感動は、
言語に尽くせない、と私は感じています。
数学はまた情緒です。「レッツ・カンドー」です。
感動したものに人が好きになっていき、その結果、
成績もまた伸びるのが必然であると私は思います。
問題:一次方程式の「一次」とは、どういう意味があるのでしょう?
福西亮馬
『かずの一年』(作文)
福西亮馬
「たしざんとひきざん。
かけざんとわりざん。どれがすき?」
「うんと…わりざん」
「あ、あたしも。一ばんすき」
「ぼくも! わりざんが一ばんやんな!」
これは一年生の終わりごろ、夕まぐれの
会話だったことを覚えています。
わり算の「何が好き?」だったかと言うと、
わり切れたときの、鋭い喜びと、ついでそ
の後で知った、好きな女の子も好きだっ
たことです。
私もまた、「数学は情緒」(岡潔)だと感じます。
つまらない計算も、味わえば楽しいのです。た
とえばガウス(1777-1855)というすごい人が
いて、次のような計算をしています。
1/71=0.01408450704225352112676056338028169014…
一体いつまで続くのか、と思えるような数でも、
ガウスは飽かず眺めて、ここで手を止めてしまう
のが名残り惜しかったろうと思われます。
というのは、
1/71=0. 01408450704225352112676056338028169 014…
となっているからです。上をじっくり見てください。
「繰り返し」を起こしていることに気付くでしょう。
(これはわり切れないわり算ですが、わり切れない
ときも、このような独特の楽しみ方があるのです)
「無限軌道の上を走るようなものだから、面白くて
循環節が終っても残り惜しいほどに少年ガウスは
感じたのではなかろうか」
と、数学者の高木貞二は『近世数学史談』でこの
エピソードを紹介しています。これはガウスの、
少年時代の思い出なのです。
さて私の思い出に戻りますが、あの会話から何が
うかがえるかというと、わり算をすでに一年生で習っ
ていたことです。
今は二年生で習います。九九が二年生から始まる
からです。私は数学の色々な面白い話をするときに、
このかけ算(九九)を知らなければできないと感じる
ようになりました。
「かけると、意味が作れ、意味があると、話ができる」
からです。
たて×よこ=面積 (xy=F)
たて×よこ×たかさ=体積 (xyz=V)
たて×よこ×たかさ×じかん=(四次元)空間 (xyzt=S)
質量×加速度=力 (ma=f)
速さ×時間=距離 (vt=s)
力×距離=仕事 (fs=w)
などなど。話はかけてかけて組み合わせていくと、
どんどん膨らんでいきます。
福西亮馬
『かずの一年』(作文)
福西亮馬
「たしざんとひきざん。
かけざんとわりざん。どれがすき?」
「うんと…わりざん」
「あ、あたしも。一ばんすき」
「ぼくも! わりざんが一ばんやんな!」
これは一年生の終わりごろ、夕まぐれの
会話だったことを覚えています。
わり算の「何が好き?」だったかと言うと、
わり切れたときの、鋭い喜びと、ついでそ
の後で知った、好きな女の子も好きだっ
たことです。
私もまた、「数学は情緒」(岡潔)だと感じます。
つまらない計算も、味わえば楽しいのです。た
とえばガウス(1777-1855)というすごい人が
いて、次のような計算をしています。
1/71=0.01408450704225352112676056338028169014…
一体いつまで続くのか、と思えるような数でも、
ガウスは飽かず眺めて、ここで手を止めてしまう
のが名残り惜しかったろうと思われます。
というのは、
1/71=0. 01408450704225352112676056338028169 014…
となっているからです。上をじっくり見てください。
「繰り返し」を起こしていることに気付くでしょう。
(これはわり切れないわり算ですが、わり切れない
ときも、このような独特の楽しみ方があるのです)
「無限軌道の上を走るようなものだから、面白くて
循環節が終っても残り惜しいほどに少年ガウスは
感じたのではなかろうか」
と、数学者の高木貞二は『近世数学史談』でこの
エピソードを紹介しています。これはガウスの、
少年時代の思い出なのです。
さて私の思い出に戻りますが、あの会話から何が
うかがえるかというと、わり算をすでに一年生で習っ
ていたことです。
今は二年生で習います。九九が二年生から始まる
からです。私は数学の色々な面白い話をするときに、
このかけ算(九九)を知らなければできないと感じる
ようになりました。
「かけると、意味が作れ、意味があると、話ができる」
からです。
たて×よこ=面積 (xy=F)
たて×よこ×たかさ=体積 (xyz=V)
たて×よこ×たかさ×じかん=(四次元)空間 (xyzt=S)
質量×加速度=力 (ma=f)
速さ×時間=距離 (vt=s)
力×距離=仕事 (fs=w)
などなど。話はかけてかけて組み合わせていくと、
どんどん膨らんでいきます。
福西亮馬
福西(かず)です。

これは、一年前、小学生が計算力を身につける意味を
考えて描いた絵です。
そのことを代弁したのが、
吉田武さんの『虚数の情緒』という本の中の
以下の言葉でした。
福西(かず)です。

これは、一年前、小学生が計算力を身につける意味を
考えて描いた絵です。
そのことを代弁したのが、
吉田武さんの『虚数の情緒』という本の中の
以下の言葉でした。
福西(ことば)です。
漢文を読んでいたら、ホラティウス
を連想する句が出てきました。
「歳月人を待たず」です。
得歡当作楽 歓を得てはまさに楽しみを作すべし、
斗酒聚比鄰 斗酒、比隣(ひりん)を集む。
盛年不重来 盛年、重ねて来たらず
一日難再晨 一日、再び朝(あした)なり難し。
及時当勉勵 時に及んでまさに勉励すべし、
歳月不待人 歳月は人を待たず。
(雑歌、陶淵明)
うれしい時は、心ゆくまで楽しみ、
酒をたっぷり用意して近所の仲間と一緒に飲むがいい。
若い時は二度とはやって来ないし、
一日に二度目の朝はない。
楽しめる時には、せいぜい楽しもう。
「時」というのは人を待ってはくれないぞ。
「勉」というのが中国語では「楽しむ」という意味らしく、
勉励は「楽しみに励む」、従って、「カルペ・ディエム」
の本来の意味と似ているのを知って、驚きました。
carpe diem(一日を摘め)でも、
「まじめに生きよう」的な意味は、後からの解釈でしたね。
原文(ホラティウス、詩集Ⅰ・ⅩⅠ)
http://www.thelatinlibrary.com/horace/carm1.shtml
恋人に呼びかけている文脈で、「人生いちどきり、だから恋愛しよう」
というのがもともとなことから、
carpe diemと「歳月人を待たず」は、後の解釈のされ方も
似ていて、なんだか、不思議な一致を見たような感じがしました。
carpe diemの訳は、taro先生のHPにもありますね。
福西(ことば)です。
漢文を読んでいたら、ホラティウス
を連想する句が出てきました。
「歳月人を待たず」です。
得歡当作楽 歓を得てはまさに楽しみを作すべし、
斗酒聚比鄰 斗酒、比隣(ひりん)を集む。
盛年不重来 盛年、重ねて来たらず
一日難再晨 一日、再び朝(あした)なり難し。
及時当勉勵 時に及んでまさに勉励すべし、
歳月不待人 歳月は人を待たず。
(雑歌、陶淵明)
うれしい時は、心ゆくまで楽しみ、
酒をたっぷり用意して近所の仲間と一緒に飲むがいい。
若い時は二度とはやって来ないし、
一日に二度目の朝はない。
楽しめる時には、せいぜい楽しもう。
「時」というのは人を待ってはくれないぞ。
「勉」というのが中国語では「楽しむ」という意味らしく、
勉励は「楽しみに励む」、従って、「カルペ・ディエム」
の本来の意味と似ているのを知って、驚きました。
carpe diem(一日を摘め)でも、
「まじめに生きよう」的な意味は、後からの解釈でしたね。
原文(ホラティウス、詩集Ⅰ・ⅩⅠ)
http://www.thelatinlibrary.com/horace/carm1.shtml
恋人に呼びかけている文脈で、「人生いちどきり、だから恋愛しよう」
というのがもともとなことから、
carpe diemと「歳月人を待たず」は、後の解釈のされ方も
似ていて、なんだか、不思議な一致を見たような感じがしました。
carpe diemの訳は、taro先生のHPにもありますね。
入会金 :小学生 6,000円 中学生 8,000円 高校生・一般 10,000円
継続の方・休会されていた方は、入会金は不要となります。
入会金割引:ご家族で同時に入会される場合、入会金はお一人分(最年長の方の分)
のみとさせていただきます。
会費 :各学期、1クラスにつき、
小学生 24,000円 中学生 32,000円
高校生・一般 40,000円(プリント代含む)。
会費割引 :2科目受講時→1科目につき 4,000円減額(計8,000円減額)
3科目受講時→1科目につき 8,000円減額(計24,000円減額)
4科目受講時→1科目につき12,000円減額(計48,000円減額)
例)小学生の部で、「しぜん」と「ことば」(計2科目)を選択
→各24,000円、計48,000円のところ、計 40,000円となります。
入会金 :小学生 6,000円 中学生 8,000円 高校生・一般 10,000円
継続の方・休会されていた方は、入会金は不要となります。
入会金割引:ご家族で同時に入会される場合、入会金はお一人分(最年長の方の分)
のみとさせていただきます。
会費 :各学期、1クラスにつき、
小学生 24,000円 中学生 32,000円
高校生・一般 40,000円(プリント代含む)。
会費割引 :2科目受講時→1科目につき 4,000円減額(計8,000円減額)
3科目受講時→1科目につき 8,000円減額(計24,000円減額)
4科目受講時→1科目につき12,000円減額(計48,000円減額)
例)小学生の部で、「しぜん」と「ことば」(計2科目)を選択
→各24,000円、計48,000円のところ、計 40,000円となります。
(1)幼稚園(園長室)までお越しになる場合:
1. 3月20日の「説明会」にご出席の場合、その場でご用意する「入会申込書」
に必要事項をご記入の上、会費をお納め下さい。
2. 3月20日の「説明会」ご参加がご無理な場合、(1)3月22日~24日、
(2)4月5日以降に園長室にてお取り扱いさせていただきます。
※「入会申込書」は園にてご用意しています。
(2)幼稚園(園長室)までお越しになれない場合:
1. 「予備調査」にお返事下さった方には、「入会申込書」を郵送させて頂きます。
申込用紙に必要事項をご明記の上、郵送・FAXまたはe-mailにてお申し込み
下さい。
2. 会費につきましては、下記口座にお振り込み下さい(恐れ入りますが、振込み
手数料はご負担下さい)。
京都中央信用金庫 錦林(キンリン)支店 普通 2217927
名義:学校法人北白川学園 理事長山下太郎
※「継続」の方も、入会申込書のご提出をお忘れなきようお願い致します。
※入会の募集は各クラスとも定員に達するまで行うこととします(先着順)。
(1)幼稚園(園長室)までお越しになる場合:
1. 3月20日の「説明会」にご出席の場合、その場でご用意する「入会申込書」
に必要事項をご記入の上、会費をお納め下さい。
2. 3月20日の「説明会」ご参加がご無理な場合、(1)3月22日~24日、
(2)4月5日以降に園長室にてお取り扱いさせていただきます。
※「入会申込書」は園にてご用意しています。
(2)幼稚園(園長室)までお越しになれない場合:
1. 「予備調査」にお返事下さった方には、「入会申込書」を郵送させて頂きます。
申込用紙に必要事項をご明記の上、郵送・FAXまたはe-mailにてお申し込み
下さい。
2. 会費につきましては、下記口座にお振り込み下さい(恐れ入りますが、振込み
手数料はご負担下さい)。
京都中央信用金庫 錦林(キンリン)支店 普通 2217927
名義:学校法人北白川学園 理事長山下太郎
※「継続」の方も、入会申込書のご提出をお忘れなきようお願い致します。
※入会の募集は各クラスとも定員に達するまで行うこととします(先着順)。
(1) 新年度より、4月~7月の期間を「春学期」、8月~11月の期間を「秋学
期」、 12月~3月の期間を「冬学期」と呼ぶこととします。それぞれの学
期ごとに開講クラスと担当講師の見直しを行い、その都度事前に発表する
ことに致します。
(2) 年間を通じて、各々の学期ごとに14回の授業を行う予定です。
(3) 平成16年度「春学期」のスケジュールは下記の通りです。
火曜日クラス:4月6日~7月13日 水曜日クラス:4月7日~7月14日
木曜日クラス:4月8日~7月15日 金曜日クラス:4月9日~7月9日
(1) 新年度より、4月~7月の期間を「春学期」、8月~11月の期間を「秋学
期」、 12月~3月の期間を「冬学期」と呼ぶこととします。それぞれの学
期ごとに開講クラスと担当講師の見直しを行い、その都度事前に発表する
ことに致します。
(2) 年間を通じて、各々の学期ごとに14回の授業を行う予定です。
(3) 平成16年度「春学期」のスケジュールは下記の通りです。
火曜日クラス:4月6日~7月13日 水曜日クラス:4月7日~7月14日
木曜日クラス:4月8日~7月15日 金曜日クラス:4月9日~7月9日
福西(ことば)です。

きのうは低学年クラスでした。幼稚園のまねをして、
春の海 ひねもすのたり のたりかな 蕪村
を今日は暗唱し、それから、これまでの俳句(十二月~二月)
のおさらいをしました。
一つぶの 音にはじまる 時雨かな 柏翠(はくすい)
竹馬や うれしさ見える 高あるき 龍雨(りゅうう)
いかのぼり きのふの空の ありどころ 蕪村
隠れ家や 歯のない口で 福は内 一茶
寒月や くひつきさうな 鬼瓦 一茶
雀子や 走りなれたる 鬼瓦 鳴雪(めいせつ)
後半からは、自分たちの作品を一句ずつあげてきました。
富山はね 立山あるよ たのしいな 幸太郎
太陽は 沈むときれいな 星が出る 駿
窓はね 一寸開くと さぶいな 圭介
うちわはね 冬にすると 寒すぎる 祐介
正月 息吐いたらね 白けむり 遼亮
春にはね 入学式で かわいいな 泰生
朝はまぶしい
眠いのを 取ってくれるよ ありがとう 洋美
その後、梅が山の上でも下でも咲いているので、見に
行きました。それから部屋に戻ってきて、また自分
たちで俳句を作ってもらいました。
梅見の道中、五七五を指折り数えて、
「はやく(忘れないよう)に帰ろう!」
とある男の子が言ったことが、ほほえましかったです。
しだれ梅(何と言うのか知らない)の下に立つと、
「梅の香」というのは、本当にあるんだなと知りました。
福西(ことば)です。

きのうは低学年クラスでした。幼稚園のまねをして、
春の海 ひねもすのたり のたりかな 蕪村
を今日は暗唱し、それから、これまでの俳句(十二月~二月)
のおさらいをしました。
一つぶの 音にはじまる 時雨かな 柏翠(はくすい)
竹馬や うれしさ見える 高あるき 龍雨(りゅうう)
いかのぼり きのふの空の ありどころ 蕪村
隠れ家や 歯のない口で 福は内 一茶
寒月や くひつきさうな 鬼瓦 一茶
雀子や 走りなれたる 鬼瓦 鳴雪(めいせつ)
後半からは、自分たちの作品を一句ずつあげてきました。
富山はね 立山あるよ たのしいな 幸太郎
太陽は 沈むときれいな 星が出る 駿
窓はね 一寸開くと さぶいな 圭介
うちわはね 冬にすると 寒すぎる 祐介
正月 息吐いたらね 白けむり 遼亮
春にはね 入学式で かわいいな 泰生
朝はまぶしい
眠いのを 取ってくれるよ ありがとう 洋美
その後、梅が山の上でも下でも咲いているので、見に
行きました。それから部屋に戻ってきて、また自分
たちで俳句を作ってもらいました。
梅見の道中、五七五を指折り数えて、
「はやく(忘れないよう)に帰ろう!」
とある男の子が言ったことが、ほほえましかったです。
しだれ梅(何と言うのか知らない)の下に立つと、
「梅の香」というのは、本当にあるんだなと知りました。
福西(かず)です。
今日の高学年の二人は、
「変形合体」と「シンプル」というのが合言葉でした。
ロボットが複数で空中合体しているシーンは、
目に焼きついたことはありませんか?
あれ、もし変形しないでむりむり元の状態で合体
しようとすると、こわれますよね?
(合体するジョイントがないから)
今日は1/2というのと、1/3というのが最初、合体しました。
ジョイントは「6」です。
まず1/2から変形。
1×3
福西(かず)です。
今日の高学年の二人は、
「変形合体」と「シンプル」というのが合言葉でした。
ロボットが複数で空中合体しているシーンは、
目に焼きついたことはありませんか?
あれ、もし変形しないでむりむり元の状態で合体
しようとすると、こわれますよね?
(合体するジョイントがないから)
今日は1/2というのと、1/3というのが最初、合体しました。
ジョイントは「6」です。
まず1/2から変形。
1×3
** * SENSE OF WONDER !
「しぜん」だより 山下育子(しぜんクラス担当)
自然を思う―――
私たちは毎日どれくらいの自然を感じながら、二度と帰らない一瞬一瞬を過ごしているのでしょうか。
夜には月や星が私たちを照らし、その夜空を見上げて、遠く親の背で同じ月を見たことを思い出すふとした瞬間に、私たち大人も、傷つき疲れた心を癒してくれるものがすでに用意されていたことに感謝したい気持ちになります。そして、明日もまた必ず太陽は昇ってくれます。
また、多忙な日々、さまざまな試練が目前に立ちはだかり、生きている意味を問い直したくなるほどの日常に、小さなアリが黙々と自分より数倍大きな荷物をひたすら運ぶ姿を見つけた時、そこに自分と同じ魂を感じ、共感し、暫く時を忘れさせてくれる瞬間があるのは、自然を観る喜び以外の何ものでもありません。
また、人によっては花瓶に生けた花が、毎日少しずつ花びらを開かせ、香りをただよわせながら私たちに美しく語りかけてくれる様子を毎日楽しみにするのも、身近な自然を感じることに他ならないでしょう。
そして何より、「しぜんクラス」の子どもたちが、“宝物の石”“宝物の虫”を持ってきて得意げに話を交わしている時や、山の中で何かを見つけてワクワクした気持ちで自然と向かい合っている真剣な姿は、このクラスの子どもたちが最も輝いている瞬間に違いありません。
自然の中には私たちが生き物のひとつとして明日を生きるための、そして心身を癒してくれるためのエネルギーが蓄えられており、それを私たちは当然のように毎日享受して生きているのだと感じることができます。
そう思うと、子どもたちが、その生命力が溢れて心が輝いているはずの頃に、テレビ,ゲームの類に多くの時間を満たされがちで、言わば人工的な環境に心が浸され頭脳を不自然に動かすトレーニングに慣れてしまう一方、生身の人間との関わり、自然の偉大さを感じる心が成長しないまま大きくなることは、取り返しのつかない残念なことなのかも知れません。
私たち人間は、皆大いに自然の中を歩き、大人も子どもから多くを教えてもらい、不思議なものを見つけ、大人と子どもの枠を越えて自然を共有する気持ちを持ちたいものです。また、子どもたちにとっても、自然の感動をわかち合える大人の存在があって、その経験を思い出として心に刻んでいくことができるのでしょう。
「しぜんクラス」は、毎回時間が足りないくらいです。そんな中で、ささやかな自然であっても、目で見、手で触れ、風の音,空気のにおい,水の流れ,土の感触を忘れず、二度と戻らない自然の中に身を置く瞬間を大切にしたいと考えています。
** * SENSE OF WONDER !
「しぜん」だより 山下育子(しぜんクラス担当)
自然を思う―――
私たちは毎日どれくらいの自然を感じながら、二度と帰らない一瞬一瞬を過ごしているのでしょうか。
夜には月や星が私たちを照らし、その夜空を見上げて、遠く親の背で同じ月を見たことを思い出すふとした瞬間に、私たち大人も、傷つき疲れた心を癒してくれるものがすでに用意されていたことに感謝したい気持ちになります。そして、明日もまた必ず太陽は昇ってくれます。
また、多忙な日々、さまざまな試練が目前に立ちはだかり、生きている意味を問い直したくなるほどの日常に、小さなアリが黙々と自分より数倍大きな荷物をひたすら運ぶ姿を見つけた時、そこに自分と同じ魂を感じ、共感し、暫く時を忘れさせてくれる瞬間があるのは、自然を観る喜び以外の何ものでもありません。
また、人によっては花瓶に生けた花が、毎日少しずつ花びらを開かせ、香りをただよわせながら私たちに美しく語りかけてくれる様子を毎日楽しみにするのも、身近な自然を感じることに他ならないでしょう。
そして何より、「しぜんクラス」の子どもたちが、“宝物の石”“宝物の虫”を持ってきて得意げに話を交わしている時や、山の中で何かを見つけてワクワクした気持ちで自然と向かい合っている真剣な姿は、このクラスの子どもたちが最も輝いている瞬間に違いありません。
自然の中には私たちが生き物のひとつとして明日を生きるための、そして心身を癒してくれるためのエネルギーが蓄えられており、それを私たちは当然のように毎日享受して生きているのだと感じることができます。
そう思うと、子どもたちが、その生命力が溢れて心が輝いているはずの頃に、テレビ,ゲームの類に多くの時間を満たされがちで、言わば人工的な環境に心が浸され頭脳を不自然に動かすトレーニングに慣れてしまう一方、生身の人間との関わり、自然の偉大さを感じる心が成長しないまま大きくなることは、取り返しのつかない残念なことなのかも知れません。
私たち人間は、皆大いに自然の中を歩き、大人も子どもから多くを教えてもらい、不思議なものを見つけ、大人と子どもの枠を越えて自然を共有する気持ちを持ちたいものです。また、子どもたちにとっても、自然の感動をわかち合える大人の存在があって、その経験を思い出として心に刻んでいくことができるのでしょう。
「しぜんクラス」は、毎回時間が足りないくらいです。そんな中で、ささやかな自然であっても、目で見、手で触れ、風の音,空気のにおい,水の流れ,土の感触を忘れず、二度と戻らない自然の中に身を置く瞬間を大切にしたいと考えています。
福西亮馬(ことば、かず高学年担当)
京都は大学も多く、学問の町だと言われます。私はそれを大文字山の「大」の字から見下ろしたときに実感します。
私が数学を好きになれたのは、大学に入ってからのことです。これまでの勉強を見下ろして「あれはこっち」「それはあっち」と、有機的に位置づけられる思いがしたからです。しかし高校までは、息の上がる山道でした。好きではなくて、ただあきらめずについていく、という感じです。
私が高校の数学の先生に「何の科目が好きか」とたずねられて、上気して「数学が好きです」と答えたら、「君が?」と笑われたことを思い出します。あれは駄目だと思いますが、それでも、あきらめなかった原因は何かと振り返ると、それは小学生のころの思い出です。
自分からやる気を起こして解こうとした一題と、しばしばではないにせよ、母親に見てもらった宿題のことが思い当たります。
私には六年生の頃、図形の面積を求める問題で、「中学入試のだから」と、解けても解けなくても一向に構わず素通りした一題に、俄然やる気が出たことがあります。
そのころは放課後に「しっぽ取り」がはやっていて、私の好物の遊びでしたが、でもそれよりも、朝礼台の牢屋につかまっている間は、校庭の砂に、三時でも四時でも図を描いて解こうとしていた覚えがあります。
別に受験するわけでなし、ただその興味を内に絶やすまい、だれかに先を越されまいという思いに支えられて、西日を気にしながら、また解けたらどんなにかすごいだろうという気がして、家に帰っても、空に覚えたその図形を宝の地図か何かのようにしてうなっていたものです。
結局それは解けずじまいで、何日か経ってからまた思い立っては考え、やはり解けず、あとでたった一本の補助線を見つければ解けたのだということを知ったのです。今でもその時の残念さと健闘ぶりは胸に蘇り、また自分からやり出した、ほとんど初めての「冒険」だったと知るのでした。
さて次は、母が見てくれた宿題のことです。あれは忘れもしない、そろばんの宿題でした。夕飯の支度が始まる前だったか、母と二人で、小さなテーブルで向かい合って、でも私は目の前に本を立てて、手元が見えないようにし、パチパチ言わせながら、実は後ろの解答を写していたのでした。そして「できた!」と言いました。
私はそろばん塾に通っていたので、学校の宿題としてのそろばんは、いまさらという思いがしたので、すぐに済ませる力はあっても、やる気がなかったのです。それで策を弄して時間を潰していたのでした。
今思い出しても、あの瞬間は不思議です。私には自信があり、母には直感がありました。早い「おしまい」にピンと来た母は、すぐに嘘を糺し、叱りだし、目に涙を浮かべたこと、母が宿題をせっかく見てくれていたのに、自分は申し訳ないことをしたのだと思ったことです。
母との算数の思い出はもう一つあります。文章題で、母はxを使った解き方を教えようとし、私は「学校で習ってへんやり方はしたらあかん」とがんばったことでした。我ながら、小学生は恐るべき保守派だと思います。結局これは母が根負けして、「なら自分でやりよし。せっかく解けるように教えてるのに」と、それっきりになったのでした。
これは駄目なやり方の例で、母がxを使わない方法を十分に教えられなかったせいでもありますが、けれども、私の方もまた後になって、自分の頑固さを恥かしく思うので、それを思い出すたびに純化されて、宿題を見てくれた感謝だけが残りました。
結局中学に行っても、高校に行っても、大学に入るまで数学を嫌いにならなかった理由は、「孟母断機の戒め」ではないですが、こうした思い出の錦が断たれることをもったいなく感じたからでした。
私なりに今まで感じてきた勉強とは、次の二つです。一つは、自分で見つけた問題に情熱を持つこと。もう一つはその情熱を感謝に変えることです。
数学は古くからある学問なので、学校で習うことはいいも悪いもすでに道ができており、順番どおりにやりさえすれば、自力で理解できるようになっています。山に分け入って、登山道とそうでない道とは、だいたい人が歩きもし整備もされているので、迷わないのと同じです。
しかし「まだ習っていない」から「まだしなくてもいい」というのは、学問的態度ではありません。しようと思えば、いくらでも先へ進むことができるし、またそうした道が実は用意されていることにも気付いてほしいのです。
塾に、あるいはこの山の学校に通ったら「教えてもらえる」という気持ちがあっては駄目です。勉強はしてもらうのではなくて、するものだからです。私は五年生でも、六年生のことを自力で結び合わせ、中学生のことまで到達してくれるような人物を励ましたいのです。
リーマンはルジャンドルという人の書いた500ページ余りの数学書を、父親の目を「盗んで」、十代のときに読み通したといいます。それで父親がその子の天分を認め、牧師の家系でしたが、数学を学べる大学に行くことを許したといいます。
勉強は電気を消されたら、たちまち続けることはできません。そのように親の許しがなければ、できないものです。勉強はしてもいいと言われて、させてもらっているのです。
情熱と感謝、この二つの糸の縦横が、勉強という錦だと、私は思います。公園の砂場で、水道管の出現を口惜しいと思うくらい、とことん掘り抜く情熱がある一方で、晩には家に帰らなければなりません。家の人が心配するからです。授業中に勉強の仕方が分からないから聞く、ノートの取り方を工夫することなどは必要なことです。ですがそれだけでは十分なことではありません。
自分からやる気を出し、そして学ぶ環境を与えてもらっていることを子も知り、親もそのことを伝えられるような工夫が、何より小・中・高校生において勉強の要だと思います。
福西亮馬
福西亮馬(ことば、かず高学年担当)
京都は大学も多く、学問の町だと言われます。私はそれを大文字山の「大」の字から見下ろしたときに実感します。
私が数学を好きになれたのは、大学に入ってからのことです。これまでの勉強を見下ろして「あれはこっち」「それはあっち」と、有機的に位置づけられる思いがしたからです。しかし高校までは、息の上がる山道でした。好きではなくて、ただあきらめずについていく、という感じです。
私が高校の数学の先生に「何の科目が好きか」とたずねられて、上気して「数学が好きです」と答えたら、「君が?」と笑われたことを思い出します。あれは駄目だと思いますが、それでも、あきらめなかった原因は何かと振り返ると、それは小学生のころの思い出です。
自分からやる気を起こして解こうとした一題と、しばしばではないにせよ、母親に見てもらった宿題のことが思い当たります。
私には六年生の頃、図形の面積を求める問題で、「中学入試のだから」と、解けても解けなくても一向に構わず素通りした一題に、俄然やる気が出たことがあります。
そのころは放課後に「しっぽ取り」がはやっていて、私の好物の遊びでしたが、でもそれよりも、朝礼台の牢屋につかまっている間は、校庭の砂に、三時でも四時でも図を描いて解こうとしていた覚えがあります。
別に受験するわけでなし、ただその興味を内に絶やすまい、だれかに先を越されまいという思いに支えられて、西日を気にしながら、また解けたらどんなにかすごいだろうという気がして、家に帰っても、空に覚えたその図形を宝の地図か何かのようにしてうなっていたものです。
結局それは解けずじまいで、何日か経ってからまた思い立っては考え、やはり解けず、あとでたった一本の補助線を見つければ解けたのだということを知ったのです。今でもその時の残念さと健闘ぶりは胸に蘇り、また自分からやり出した、ほとんど初めての「冒険」だったと知るのでした。
さて次は、母が見てくれた宿題のことです。あれは忘れもしない、そろばんの宿題でした。夕飯の支度が始まる前だったか、母と二人で、小さなテーブルで向かい合って、でも私は目の前に本を立てて、手元が見えないようにし、パチパチ言わせながら、実は後ろの解答を写していたのでした。そして「できた!」と言いました。
私はそろばん塾に通っていたので、学校の宿題としてのそろばんは、いまさらという思いがしたので、すぐに済ませる力はあっても、やる気がなかったのです。それで策を弄して時間を潰していたのでした。
今思い出しても、あの瞬間は不思議です。私には自信があり、母には直感がありました。早い「おしまい」にピンと来た母は、すぐに嘘を糺し、叱りだし、目に涙を浮かべたこと、母が宿題をせっかく見てくれていたのに、自分は申し訳ないことをしたのだと思ったことです。
母との算数の思い出はもう一つあります。文章題で、母はxを使った解き方を教えようとし、私は「学校で習ってへんやり方はしたらあかん」とがんばったことでした。我ながら、小学生は恐るべき保守派だと思います。結局これは母が根負けして、「なら自分でやりよし。せっかく解けるように教えてるのに」と、それっきりになったのでした。
これは駄目なやり方の例で、母がxを使わない方法を十分に教えられなかったせいでもありますが、けれども、私の方もまた後になって、自分の頑固さを恥かしく思うので、それを思い出すたびに純化されて、宿題を見てくれた感謝だけが残りました。
結局中学に行っても、高校に行っても、大学に入るまで数学を嫌いにならなかった理由は、「孟母断機の戒め」ではないですが、こうした思い出の錦が断たれることをもったいなく感じたからでした。
私なりに今まで感じてきた勉強とは、次の二つです。一つは、自分で見つけた問題に情熱を持つこと。もう一つはその情熱を感謝に変えることです。
数学は古くからある学問なので、学校で習うことはいいも悪いもすでに道ができており、順番どおりにやりさえすれば、自力で理解できるようになっています。山に分け入って、登山道とそうでない道とは、だいたい人が歩きもし整備もされているので、迷わないのと同じです。
しかし「まだ習っていない」から「まだしなくてもいい」というのは、学問的態度ではありません。しようと思えば、いくらでも先へ進むことができるし、またそうした道が実は用意されていることにも気付いてほしいのです。
塾に、あるいはこの山の学校に通ったら「教えてもらえる」という気持ちがあっては駄目です。勉強はしてもらうのではなくて、するものだからです。私は五年生でも、六年生のことを自力で結び合わせ、中学生のことまで到達してくれるような人物を励ましたいのです。
リーマンはルジャンドルという人の書いた500ページ余りの数学書を、父親の目を「盗んで」、十代のときに読み通したといいます。それで父親がその子の天分を認め、牧師の家系でしたが、数学を学べる大学に行くことを許したといいます。
勉強は電気を消されたら、たちまち続けることはできません。そのように親の許しがなければ、できないものです。勉強はしてもいいと言われて、させてもらっているのです。
情熱と感謝、この二つの糸の縦横が、勉強という錦だと、私は思います。公園の砂場で、水道管の出現を口惜しいと思うくらい、とことん掘り抜く情熱がある一方で、晩には家に帰らなければなりません。家の人が心配するからです。授業中に勉強の仕方が分からないから聞く、ノートの取り方を工夫することなどは必要なことです。ですがそれだけでは十分なことではありません。
自分からやる気を出し、そして学ぶ環境を与えてもらっていることを子も知り、親もそのことを伝えられるような工夫が、何より小・中・高校生において勉強の要だと思います。
福西亮馬
金曜日4:00~5:30(月末)
スローな「むかし遊び」に、いっしょにはまろう!
1話「今日は『やまびこ』の日だぜ」の巻
A「ヒコーキって、いいよなあ…」
B「え?」
A「おれ、高いところからさ、紙ヒコーキ、うんと飛ばしてみたいなあ…」
(ジャングルジムが目に入り)
B「そんならさ。…ほら、あの上からは?」
A「でも、おれひとりってのもなあ…」
ため息。
C「ねえ、わたしこないだね、妹のようちえんで、竹馬作りにいったんの。それでね…」
A「ようちえん?」
C「うん。おやまの」
B「わたし竹馬って、見たことない。乗れる?」
C「うん。昨日そうそう、それでね、乗れるようになったの」
B「へえ…すごーい!」
D「なあなあ、おれ、うちで『けん玉』見つけたんやで」
B「え、できるん?」
D「…ん? うん、まあ…ね」
A「おれ、モシカメやったら知ってるし、見せたろか? あ、でも、おれ持ってへんかった
なあ、けん玉…」
D「なら、こんど持ってくるわ」
E「…そやなあ、ぼくも『こま』もしあったら、いま回したいなあ…」
B「こま、わたし、ようちえんでも回せた!」
E「…うん、だからぼく、一かいでも回せるようになりたいなあって、思って」
D「でも、こまやってるのなんか、見いひんよなあ」
B「ねえ、『カプラ』って知ってる? こないだ、そのようちえんで、してはったんやって」
C「あ! わたし、妹といっしょにしてきた」
A「おまえ…妹いて、えーなあ!」
B「カプラって、どんなん?」
C「口やと、ちょっと言いにくいかも…」
D「おれ、『ひねもす』やったら、知ってる。マジックハンドとかつくれんねん!」
A「おまえも、弟いてんなあ」
D「そう!」
B「わたしのとき、そんなん、なかったなあ…」
E「こんどまた、なんかで、しーひんのかなあ」
声(空に響いて)「A、B、C、D、E君よ…よ…」
全員「え?」
声「しかと聞いたぞ」
B(瓜生山の方を向いて)「あっちからするわ!」
C「しかもわたしの声にそっくりの!」
D「おれの声にもそっくり!」
声「その通り。おぬしたちに返しておるのはな、『やまびこ』なのじゃ」
全員「えー?」
やまびこ「さあ、今日からわしと、おぬしたちとの合言葉は、『やまびこ』じゃ。今日4時に、さっそくお山の幼稚園を目指すのじゃ。そこには新しい遊びが待っておる。一時間半なんぞ、あっという間にすぎる遊びがな…遊びがな…がな…」(と言ってかき消える)
全員(顔を見合わせて)「…ほんとなんかなあ?」
2話「まえは『やまびこ』の日だったぜ」の巻
A「おまえ、先週の金曜日、こーへんかったやろう?」
E「え…なにが?」
A「…って、もう。しゃーないやつやなあ」
D「あ~あ、せっかくおまえが楽しみにしてた○○で、遊んだっていうのに」
E「あ! そっか! 『やまびこ』があったんや…」
B「でも、まあ気にしない、気にしない」
C「また一ヵ月後、あるから」
E「がーん…」
D「でも、おれだって、うっかりするかもな」
A「そんなときはならさ、よし! こうしよう。『お山へ行こうぜ』って、みんなが言うことにしたら!」
やまびこ(さて、どんなことになるか…。これからのお楽しみじゃな。じゃが、やまびこならぬ、「やまび子」たちのために、ちょっとだけ紹介しておこう!)
○ 折り紙ヒコーキを飛ばそう! むかし遊びはいつだってシンプル。思い出すのは、「よっしゃ!」と「ああ~」という天と地ほどもちがう二つの気持ち。そのたびに何度もヒコーキをひろいに降りては、またジャングルジムを登って、期待に胸をふくらませたこと。そんな思い出とヒコーキを作りにおいで! さあ、どんな形のヒコーキなら飛ぶかな? 紙のかたさや折り方をいろいろ変えてみよう!
というわけじゃ。これから月末の金曜日は、
『やまびこ』の日!
そのときに、わしらの『やまび子』たちよ、お山の上で会おう…あおう…おう…。
金曜日4:00~5:30(月末)
スローな「むかし遊び」に、いっしょにはまろう!
1話「今日は『やまびこ』の日だぜ」の巻
A「ヒコーキって、いいよなあ…」
B「え?」
A「おれ、高いところからさ、紙ヒコーキ、うんと飛ばしてみたいなあ…」
(ジャングルジムが目に入り)
B「そんならさ。…ほら、あの上からは?」
A「でも、おれひとりってのもなあ…」
ため息。
C「ねえ、わたしこないだね、妹のようちえんで、竹馬作りにいったんの。それでね…」
A「ようちえん?」
C「うん。おやまの」
B「わたし竹馬って、見たことない。乗れる?」
C「うん。昨日そうそう、それでね、乗れるようになったの」
B「へえ…すごーい!」
D「なあなあ、おれ、うちで『けん玉』見つけたんやで」
B「え、できるん?」
D「…ん? うん、まあ…ね」
A「おれ、モシカメやったら知ってるし、見せたろか? あ、でも、おれ持ってへんかった
なあ、けん玉…」
D「なら、こんど持ってくるわ」
E「…そやなあ、ぼくも『こま』もしあったら、いま回したいなあ…」
B「こま、わたし、ようちえんでも回せた!」
E「…うん、だからぼく、一かいでも回せるようになりたいなあって、思って」
D「でも、こまやってるのなんか、見いひんよなあ」
B「ねえ、『カプラ』って知ってる? こないだ、そのようちえんで、してはったんやって」
C「あ! わたし、妹といっしょにしてきた」
A「おまえ…妹いて、えーなあ!」
B「カプラって、どんなん?」
C「口やと、ちょっと言いにくいかも…」
D「おれ、『ひねもす』やったら、知ってる。マジックハンドとかつくれんねん!」
A「おまえも、弟いてんなあ」
D「そう!」
B「わたしのとき、そんなん、なかったなあ…」
E「こんどまた、なんかで、しーひんのかなあ」
声(空に響いて)「A、B、C、D、E君よ…よ…」
全員「え?」
声「しかと聞いたぞ」
B(瓜生山の方を向いて)「あっちからするわ!」
C「しかもわたしの声にそっくりの!」
D「おれの声にもそっくり!」
声「その通り。おぬしたちに返しておるのはな、『やまびこ』なのじゃ」
全員「えー?」
やまびこ「さあ、今日からわしと、おぬしたちとの合言葉は、『やまびこ』じゃ。今日4時に、さっそくお山の幼稚園を目指すのじゃ。そこには新しい遊びが待っておる。一時間半なんぞ、あっという間にすぎる遊びがな…遊びがな…がな…」(と言ってかき消える)
全員(顔を見合わせて)「…ほんとなんかなあ?」
2話「まえは『やまびこ』の日だったぜ」の巻
A「おまえ、先週の金曜日、こーへんかったやろう?」
E「え…なにが?」
A「…って、もう。しゃーないやつやなあ」
D「あ~あ、せっかくおまえが楽しみにしてた○○で、遊んだっていうのに」
E「あ! そっか! 『やまびこ』があったんや…」
B「でも、まあ気にしない、気にしない」
C「また一ヵ月後、あるから」
E「がーん…」
D「でも、おれだって、うっかりするかもな」
A「そんなときはならさ、よし! こうしよう。『お山へ行こうぜ』って、みんなが言うことにしたら!」
やまびこ(さて、どんなことになるか…。これからのお楽しみじゃな。じゃが、やまびこならぬ、「やまび子」たちのために、ちょっとだけ紹介しておこう!)
○ 折り紙ヒコーキを飛ばそう! むかし遊びはいつだってシンプル。思い出すのは、「よっしゃ!」と「ああ~」という天と地ほどもちがう二つの気持ち。そのたびに何度もヒコーキをひろいに降りては、またジャングルジムを登って、期待に胸をふくらませたこと。そんな思い出とヒコーキを作りにおいで! さあ、どんな形のヒコーキなら飛ぶかな? 紙のかたさや折り方をいろいろ変えてみよう!
というわけじゃ。これから月末の金曜日は、
『やまびこ』の日!
そのときに、わしらの『やまび子』たちよ、お山の上で会おう…あおう…おう…。
──小校生の部──
『ことば』
日本語を読み書きする能力は、すべての勉強の基礎になります。時には読み聞かせを通して、時には作文の添削を通して、日本語を正確に理解し、表現する力を養います。漢字の書き取り、音読、暗唱も大切な学習ポイントです。低学年(1、2年生)と高学年(3~6年生)の2つのクラスに分かれて学習します。
『しぜん』
幼稚園のまわりは生きた教科書そのものです。あたりを見渡せば四季折々の花、樹木、昆虫がいっぱい見えてきます。子どもの弾んだ心に、仲間と一緒に五感を使って多くの自然の感動を刻み、生きる力をはぐくむのが目的です。
自然は動いていますので、学習予定表はありません。テーマを決め毎回がイベントです。「今日はなにがあるかな?」と、楽しみにして下さい。低学年(1、2年生)と高学年(3~6年生)の2つのクラスに分かれて学習します。
『かず』
計算力(正確に速く計算する力)をしっかり身に付けていただくためのクラスです。個々の力に応じたプリントを用意し、学校で勉強する内容を確実に習得できるように指導します。低学年(1、2年生)と高学年(3~6年生)の2つのクラスに分かれて学習します。
──中学生の部──
『英語』(各学年)
中学で習う英文法の大事さは、高校以上になってから痛感するものです。各学年で学ぶ必修文法事項を例文とともにしっかりと暗記し、日本語から英語に瞬間的に直せるようにトレーニングを重ねます。
『数の基本』(各学年)
中学校で習う数学の基礎が確実に身につくよう指導します。各自で学校の教科書をご持参ください。一人一人に合った勉強のメニューを決め、それに即して学習を進めていきます。各学年に分かれて学習します。
『数の世界』
数学には宇宙の未知を探るなどのさまざまな魅力があります。けれども小・中・高校生が学校で習うべき数学はそれと違って、体系づけられた既知のものです。しかしそこになお語るべき「古典」の魅力を知れば、どんなにか学校が大事なことを教えているか気付くでしょう。──ここでは、『数学が生まれる物語』(志賀浩二著)を使用します。丹念に通読し、質問ごとに立ち止まって、数学の興味を引き出します。
『日本語の読み書き』
片言の日本語は話せても、自分の意見を筋道たてて発表できない子どもたちが最近増えています。文学作品にかぎらず、さまざまなジャンルの日本文を読みながら、その大意を要約したり、その内容を口頭で他人にわかりやすく説明したり、自分の意見や感想を書いてもらうことで、作文能力と読解能力を鍛えます。
──高校生・一般の部──
『英語の読み書き』
俗に言う「英語の基本」とは中学時代に習う英語の知識を指していますが、それを今後の人生で生きた知識として活用できるかどうかは高校時代の勉強にかかっています。英文の内容を要約したり、それに対する自分の意見を英文で書いてもらったりします。ねらいは、英語の作文能力──和文英訳でなく自分の英文を書く力──と読解能力を鍛えることにあります。
『数と自然』
自然科学の論理的思考は、将来どのような分野に進む生徒にとっても必須のものと言えます。このクラスでは、数学を中心として論理的に思考し、ものごとを理解することの喜びを感じてもらうことを目標としています。また、物理、化学、生物といった自然科学のトピックの中から興味深いものを選び、最先端の科学に触れることの楽しさやそのための知識を身につけてもらいたいと考えています。
『日本語の読み書き』
幅広いジャンルの日本語を精読、多読します。将来の心の糧となる古典を読解することも含まれます。古今東西の作品を読みながらその普遍的価値を発見し、その成果を自ら文章によって表現、発表できるよう指導します。
『ラテン語』
西洋文化の源流としてのギリシア・ローマ文化は、ラテン語のおかげで現代に息づいているといって過言ではありません。英語アレルギーの方にとっても、欧米の言語のルーツがこんなにも日本人にとって親しみやすいものかと驚かれることでしょう。ラテン語に興味のある方はもちろん、なんとなく面白そうだと思う方も、ぜひご一緒にラテン語の勉強を始めましょう。高校生も歓迎します。
──小校生の部──
『ことば』
日本語を読み書きする能力は、すべての勉強の基礎になります。時には読み聞かせを通して、時には作文の添削を通して、日本語を正確に理解し、表現する力を養います。漢字の書き取り、音読、暗唱も大切な学習ポイントです。低学年(1、2年生)と高学年(3~6年生)の2つのクラスに分かれて学習します。
『しぜん』
幼稚園のまわりは生きた教科書そのものです。あたりを見渡せば四季折々の花、樹木、昆虫がいっぱい見えてきます。子どもの弾んだ心に、仲間と一緒に五感を使って多くの自然の感動を刻み、生きる力をはぐくむのが目的です。
自然は動いていますので、学習予定表はありません。テーマを決め毎回がイベントです。「今日はなにがあるかな?」と、楽しみにして下さい。低学年(1、2年生)と高学年(3~6年生)の2つのクラスに分かれて学習します。
『かず』
計算力(正確に速く計算する力)をしっかり身に付けていただくためのクラスです。個々の力に応じたプリントを用意し、学校で勉強する内容を確実に習得できるように指導します。低学年(1、2年生)と高学年(3~6年生)の2つのクラスに分かれて学習します。
──中学生の部──
『英語』(各学年)
中学で習う英文法の大事さは、高校以上になってから痛感するものです。各学年で学ぶ必修文法事項を例文とともにしっかりと暗記し、日本語から英語に瞬間的に直せるようにトレーニングを重ねます。
『数の基本』(各学年)
中学校で習う数学の基礎が確実に身につくよう指導します。各自で学校の教科書をご持参ください。一人一人に合った勉強のメニューを決め、それに即して学習を進めていきます。各学年に分かれて学習します。
『数の世界』
数学には宇宙の未知を探るなどのさまざまな魅力があります。けれども小・中・高校生が学校で習うべき数学はそれと違って、体系づけられた既知のものです。しかしそこになお語るべき「古典」の魅力を知れば、どんなにか学校が大事なことを教えているか気付くでしょう。──ここでは、『数学が生まれる物語』(志賀浩二著)を使用します。丹念に通読し、質問ごとに立ち止まって、数学の興味を引き出します。
『日本語の読み書き』
片言の日本語は話せても、自分の意見を筋道たてて発表できない子どもたちが最近増えています。文学作品にかぎらず、さまざまなジャンルの日本文を読みながら、その大意を要約したり、その内容を口頭で他人にわかりやすく説明したり、自分の意見や感想を書いてもらうことで、作文能力と読解能力を鍛えます。
──高校生・一般の部──
『英語の読み書き』
俗に言う「英語の基本」とは中学時代に習う英語の知識を指していますが、それを今後の人生で生きた知識として活用できるかどうかは高校時代の勉強にかかっています。英文の内容を要約したり、それに対する自分の意見を英文で書いてもらったりします。ねらいは、英語の作文能力──和文英訳でなく自分の英文を書く力──と読解能力を鍛えることにあります。
『数と自然』
自然科学の論理的思考は、将来どのような分野に進む生徒にとっても必須のものと言えます。このクラスでは、数学を中心として論理的に思考し、ものごとを理解することの喜びを感じてもらうことを目標としています。また、物理、化学、生物といった自然科学のトピックの中から興味深いものを選び、最先端の科学に触れることの楽しさやそのための知識を身につけてもらいたいと考えています。
『日本語の読み書き』
幅広いジャンルの日本語を精読、多読します。将来の心の糧となる古典を読解することも含まれます。古今東西の作品を読みながらその普遍的価値を発見し、その成果を自ら文章によって表現、発表できるよう指導します。
『ラテン語』
西洋文化の源流としてのギリシア・ローマ文化は、ラテン語のおかげで現代に息づいているといって過言ではありません。英語アレルギーの方にとっても、欧米の言語のルーツがこんなにも日本人にとって親しみやすいものかと驚かれることでしょう。ラテン語に興味のある方はもちろん、なんとなく面白そうだと思う方も、ぜひご一緒にラテン語の勉強を始めましょう。高校生も歓迎します。
――従来との変更点・「予備調査」のお願いについて――
(1)「やまびこクラブ」開設!
「ひねもす教室」、「カプラ教室」は、遊びの体験教室「やまびこクラブ」
(後述します)に統合します(参加費無料)。
ひねもす、カプラも含め、子どもたちが、とことん納得いくまで「遊び
込む」夢のようなイベントを月に一度、幼稚園のスタッフで企画し、運営
しますので、是非お誘い合わせの上ご参加下さい(対象は小学生――会員
以外のお子さんも奮ってご参加下さい。詳細は、毎回事前に発表します)
(2)「ことば」クラスを増設!
「ことば」クラスを低・高学年とも2クラスに増設をいたします(火曜
日と水曜日、午後4時10分~5時10分)。
また中学生の「英語」「数学」のクラスは、学年別に会員を募集します。
(3)予備調査」実施について
開講クラスとその曜日については、「予備調査」の結果をもとに最終的
に決めたいと思います。「新規」、「継続」の別を問わず、3月18日までに
ご提出下さいますようお願い致します(持参、郵送、FAX、電子メールの
別を問いません)。
3月20日の説明会にて、開講クラス・開講曜日について最終決定事項
を発表致します(この日の説明会に欠席された方には3月22日までに郵
送にて通知します。)
なお、予備調査は正式なお申し込みではありません。参加予定者数が一
定数に満たない場合、クラスの開講を見合わせる場合もあります。この点
をあらかじめお含み置き下さい。
――従来との変更点・「予備調査」のお願いについて――
(1)「やまびこクラブ」開設!
「ひねもす教室」、「カプラ教室」は、遊びの体験教室「やまびこクラブ」
(後述します)に統合します(参加費無料)。
ひねもす、カプラも含め、子どもたちが、とことん納得いくまで「遊び
込む」夢のようなイベントを月に一度、幼稚園のスタッフで企画し、運営
しますので、是非お誘い合わせの上ご参加下さい(対象は小学生――会員
以外のお子さんも奮ってご参加下さい。詳細は、毎回事前に発表します)
(2)「ことば」クラスを増設!
「ことば」クラスを低・高学年とも2クラスに増設をいたします(火曜
日と水曜日、午後4時10分~5時10分)。
また中学生の「英語」「数学」のクラスは、学年別に会員を募集します。
(3)予備調査」実施について
開講クラスとその曜日については、「予備調査」の結果をもとに最終的
に決めたいと思います。「新規」、「継続」の別を問わず、3月18日までに
ご提出下さいますようお願い致します(持参、郵送、FAX、電子メールの
別を問いません)。
3月20日の説明会にて、開講クラス・開講曜日について最終決定事項
を発表致します(この日の説明会に欠席された方には3月22日までに郵
送にて通知します。)
なお、予備調査は正式なお申し込みではありません。参加予定者数が一
定数に満たない場合、クラスの開講を見合わせる場合もあります。この点
をあらかじめお含み置き下さい。
入会説明会!
平成16年度「山の学校」春学期・会員募集中!
時:
第1回 3月13日(土)10:00-11:30
第2回 3月20日(土)14:00-15:30
場所:北白川幼稚園第3園舎
■ 新年度に向けて――講師のご紹介――
昨年4月にスタートした「山の学校」ですが、おかげさまで丸一年が経ちました。新年度は、次の二人の講師をお迎えし、心機一転、新しいスタートを切りたいと思います。
藤田先生(同志社大学文学部英文、新4回生)
Nagumo 先生(京都大学文学部西洋史、新3回生)
4月からは、よりきめ細かくクラス分けを行い(例えば、中学生の英語を学年別にする等)、多様なニーズにおこたえしていきたいと考えています。その趣旨で、後で述べさせて頂くような「クラス希望の予備調査」を実施致しますので、よろしくご協力頂きたく存じます(期間は3月10日~3月18日)。
入会説明会!
平成16年度「山の学校」春学期・会員募集中!
時:
第1回 3月13日(土)10:00-11:30
第2回 3月20日(土)14:00-15:30
場所:北白川幼稚園第3園舎
■ 新年度に向けて――講師のご紹介――
昨年4月にスタートした「山の学校」ですが、おかげさまで丸一年が経ちました。新年度は、次の二人の講師をお迎えし、心機一転、新しいスタートを切りたいと思います。
藤田先生(同志社大学文学部英文、新4回生)
Nagumo 先生(京都大学文学部西洋史、新3回生)
4月からは、よりきめ細かくクラス分けを行い(例えば、中学生の英語を学年別にする等)、多様なニーズにおこたえしていきたいと考えています。その趣旨で、後で述べさせて頂くような「クラス希望の予備調査」を実施致しますので、よろしくご協力頂きたく存じます(期間は3月10日~3月18日)。
ラテン語メーリングリストで教えて頂いた情報ですが、
「文理を越えた「ミニテスト」国府田隆夫 ――
というサイトは素晴らしいです。
このサイトを紹介して下さった DELPHICA さんに、次のお返事を差し上げました。
最後のPS. 以下は、このウェブログの上では、小声じゃなくて大きな声で皆さんに
お願いしたいところであります(汗)。
***
DELPHICA さん!このミニテストの試みというのは、本当に素晴らしい実践記録
ですね。学生がうらやましいです。でも、準備、採点、集計された国府田先生に
おかれては、本当に手間暇がかかったことと思います。このたび、その記録がDELPHICA
さんのサイトにアップされたことで、先生の試みに、また新しい命が吹き込まれ
たことと存じます。
ところで、私自身は高校時代前半までは理学部に行くつもりで勉強していたので
すが、いつの間にか文学部志望に変わりました。今のサイエンスの諸問題に関す
る図書について、そこに何が書いてあるか、何が議論されているかをフォローす
ることはできませんが、サイエンスの研究には今もあこがれを覚えます。(家庭
教師の先生が理学部の人で、中・高6年間「文学」の話ばかり教えてくれました)。
大学で教えていた頃、自分自身の教養にはかなり偏りがあって、それに基づく話
を一年間ずっと聞かされる学生は気の毒だなあ(笑)と思ったこともありました
が、どの先生も皆、その点大なり小なり「偏り」はあるものでしょうから、でき
れば、複数の人たちでワイワイ議論できる部分は議論して、そういったところを
学生には聞いてもらえるとよいかと思ったりしておりました。
#キケローの『神々の本性について』などは、そういうたぐいの議論の見本です。
ということで、私の主催する「山の学校」では、このたびささやかな試みとして
ウェブログを立ち上げました(笑)。
http://www.kitashirakawa.jp/~taro/yama/
私の担当するラテン語のこぼれ話、亮馬先生の「かず」や「ことば」の話(※福
西君も元気で大活躍です>みなさん)、その他いろいろありますので、お時間の
あるときに一度冷やかしにご覧下さい。皆さんのコメントも頂戴でき、やがてコ
メンテーターが充実してくれば、ちょっとした「文理を越えた議論の試み」に発
展する可能性もあるかと期待しています。
なお、メーリングリストのメンバーの方で、私の「ラテン語通信講座」を受講の
方も、ぜひこのサイトをご覧になり、何かご質問やコメントを書き込んで頂けれ
ば幸いに存じます。
幼稚園は、三学期の生活発表会も終わり、ようやく一年が終わりに近づきました。
同時に立ち上げた「山の学校」も、様々な人のお力を得て、やがて無事一周年を
迎えることができそうです。
PS
最後に小声でお願いごとなのですが、現在「山の学校」では、小・中・高校生
(各クラス5人前後)相手に教えてくれる学生スタッフを募集中です。近隣にお
住まいの方で、興味のある方は、私宛に至急メールして下さい。
--
606-8273
京都市左京区北白川山ノ元町41
北白川幼稚園 / 山の学校
TEL 075-781-3200 / FAX 075-781-6073
山下太郎
http://www.kitashirakawa.jp
ラテン語メーリングリストで教えて頂いた情報ですが、
「文理を越えた「ミニテスト」国府田隆夫 ――
というサイトは素晴らしいです。
このサイトを紹介して下さった DELPHICA さんに、次のお返事を差し上げました。
最後のPS. 以下は、このウェブログの上では、小声じゃなくて大きな声で皆さんに
お願いしたいところであります(汗)。
***
DELPHICA さん!このミニテストの試みというのは、本当に素晴らしい実践記録
ですね。学生がうらやましいです。でも、準備、採点、集計された国府田先生に
おかれては、本当に手間暇がかかったことと思います。このたび、その記録がDELPHICA
さんのサイトにアップされたことで、先生の試みに、また新しい命が吹き込まれ
たことと存じます。
ところで、私自身は高校時代前半までは理学部に行くつもりで勉強していたので
すが、いつの間にか文学部志望に変わりました。今のサイエンスの諸問題に関す
る図書について、そこに何が書いてあるか、何が議論されているかをフォローす
ることはできませんが、サイエンスの研究には今もあこがれを覚えます。(家庭
教師の先生が理学部の人で、中・高6年間「文学」の話ばかり教えてくれました)。
大学で教えていた頃、自分自身の教養にはかなり偏りがあって、それに基づく話
を一年間ずっと聞かされる学生は気の毒だなあ(笑)と思ったこともありました
が、どの先生も皆、その点大なり小なり「偏り」はあるものでしょうから、でき
れば、複数の人たちでワイワイ議論できる部分は議論して、そういったところを
学生には聞いてもらえるとよいかと思ったりしておりました。
#キケローの『神々の本性について』などは、そういうたぐいの議論の見本です。
ということで、私の主催する「山の学校」では、このたびささやかな試みとして
ウェブログを立ち上げました(笑)。
http://www.kitashirakawa.jp/~taro/yama/
私の担当するラテン語のこぼれ話、亮馬先生の「かず」や「ことば」の話(※福
西君も元気で大活躍です>みなさん)、その他いろいろありますので、お時間の
あるときに一度冷やかしにご覧下さい。皆さんのコメントも頂戴でき、やがてコ
メンテーターが充実してくれば、ちょっとした「文理を越えた議論の試み」に発
展する可能性もあるかと期待しています。
なお、メーリングリストのメンバーの方で、私の「ラテン語通信講座」を受講の
方も、ぜひこのサイトをご覧になり、何かご質問やコメントを書き込んで頂けれ
ば幸いに存じます。
幼稚園は、三学期の生活発表会も終わり、ようやく一年が終わりに近づきました。
同時に立ち上げた「山の学校」も、様々な人のお力を得て、やがて無事一周年を
迎えることができそうです。
PS
最後に小声でお願いごとなのですが、現在「山の学校」では、小・中・高校生
(各クラス5人前後)相手に教えてくれる学生スタッフを募集中です。近隣にお
住まいの方で、興味のある方は、私宛に至急メールして下さい。
--
606-8273
京都市左京区北白川山ノ元町41
北白川幼稚園 / 山の学校
TEL 075-781-3200 / FAX 075-781-6073
山下太郎
http://www.kitashirakawa.jp
福西(ことばクラス)です。

先週の「ことば」(高学年)では、梅と桃がモチーフでした。
梅には、大宰府に左遷された菅原道真の話をし、桃には陶淵明
の桃源郷の話をしました。(その日の紙芝居はもちろん、『花さか
じいさん』でした。)
さて、今回は二つの文を暗唱しました。まるで吸い取り紙のように
覚えてくれて、この意欲、なかなか暗唱も捨てたものではないです。
爽やかな寺小屋みたいでした。
東風吹かば 匂ひおこせよ梅の花 主なしとて 春を忘るな 道真
(春な忘れそ)
帰去来兮 田園将蕪 胡不帰 陶淵明
(かえりなんいざ、でんえんまさにあれなんとす。なんぞかえらざる)
それまでがいちおう和歌をしていたので、漢文は人気ないかな?
と思ったら、意外や意外、積極的に声にしてくれます。わりと渋め
好みかもしれません、このクラス。
そのようなわけで最近は漢文も読み出しています。
ところで、
山滌余靄
(山はもやに洗われ)
という個所をはじめて目にしたとき、ちょうど今の季節かなと思います。比叡
や大文字のことが浮かんだのがきっかけで、私は漢文が好きになりました。
漢文はまだまだ未開拓ですが、トンネルを掘る楽しみが少し見えてきたよう
に思います。
「靄に洗われている」という表現には、山はちがっても、中国も日本もなく伝
わってくる感情がありますね。それで(ああ、あの様子のことだ)と、心の中
で何度かつぶやいているとふと、このように感じたことのあるのは、何も私
一人ではないと気付きました。
そして、同じく感じた古人先達のことがふと思い浮かんだのです。私はその
ことで、ついうれしくなりました。漢文を学びながら日本人が見えたからです。
それまでの私と漢文との関係は、「漢文」と「私」という一対一(マンツーマン)
状態でした。中学・高校で漢文の授業があるのは、「その書かれている事柄
が大事だから」だろうと個人的に思っていたくらいです。しかし今振り返ると、
「漢文」が今も教えられていることの原動力は、「日本人の情がわくから」で
はないかと思います。
「あのときのあれを、こう表現するんだなあ」──このしみじみ然とする一致、
共感を、おそらく日本の古人は返り点でも打ちながら、空間を超えて重ねて
きたのでしょう。そのことを時間を超えて思いながら、再び漢文の作品を紐解
くにつれ、私と漢文との関係は、「漢文」と「日本の古人」と「私」というように
広がっていきました。
漢文そのものの楽しみを 聞こえるメロディーとするなら、それに付随するも
の、共感し暗唱し書き写してきた日本人の心の履歴を知る愉しみこそは、
聞こえないものです。これが聞こえて、私はついうれしくなったのです。
「帰りなんいざ、田園まさに蕪(あ)れなんとす、何ぞ帰らざる」にしても、その
言葉で慰められてきた人の心が、今では地層になっている。それで、噛みし
めるたびに何とも言えず情がわくのだと思います。
福西亮馬
福西(ことばクラス)です。

先週の「ことば」(高学年)では、梅と桃がモチーフでした。
梅には、大宰府に左遷された菅原道真の話をし、桃には陶淵明
の桃源郷の話をしました。(その日の紙芝居はもちろん、『花さか
じいさん』でした。)
さて、今回は二つの文を暗唱しました。まるで吸い取り紙のように
覚えてくれて、この意欲、なかなか暗唱も捨てたものではないです。
爽やかな寺小屋みたいでした。
東風吹かば 匂ひおこせよ梅の花 主なしとて 春を忘るな 道真
(春な忘れそ)
帰去来兮 田園将蕪 胡不帰 陶淵明
(かえりなんいざ、でんえんまさにあれなんとす。なんぞかえらざる)
それまでがいちおう和歌をしていたので、漢文は人気ないかな?
と思ったら、意外や意外、積極的に声にしてくれます。わりと渋め
好みかもしれません、このクラス。
そのようなわけで最近は漢文も読み出しています。
ところで、
山滌余靄
(山はもやに洗われ)
という個所をはじめて目にしたとき、ちょうど今の季節かなと思います。比叡
や大文字のことが浮かんだのがきっかけで、私は漢文が好きになりました。
漢文はまだまだ未開拓ですが、トンネルを掘る楽しみが少し見えてきたよう
に思います。
「靄に洗われている」という表現には、山はちがっても、中国も日本もなく伝
わってくる感情がありますね。それで(ああ、あの様子のことだ)と、心の中
で何度かつぶやいているとふと、このように感じたことのあるのは、何も私
一人ではないと気付きました。
そして、同じく感じた古人先達のことがふと思い浮かんだのです。私はその
ことで、ついうれしくなりました。漢文を学びながら日本人が見えたからです。
それまでの私と漢文との関係は、「漢文」と「私」という一対一(マンツーマン)
状態でした。中学・高校で漢文の授業があるのは、「その書かれている事柄
が大事だから」だろうと個人的に思っていたくらいです。しかし今振り返ると、
「漢文」が今も教えられていることの原動力は、「日本人の情がわくから」で
はないかと思います。
「あのときのあれを、こう表現するんだなあ」──このしみじみ然とする一致、
共感を、おそらく日本の古人は返り点でも打ちながら、空間を超えて重ねて
きたのでしょう。そのことを時間を超えて思いながら、再び漢文の作品を紐解
くにつれ、私と漢文との関係は、「漢文」と「日本の古人」と「私」というように
広がっていきました。
漢文そのものの楽しみを 聞こえるメロディーとするなら、それに付随するも
の、共感し暗唱し書き写してきた日本人の心の履歴を知る愉しみこそは、
聞こえないものです。これが聞こえて、私はついうれしくなったのです。
「帰りなんいざ、田園まさに蕪(あ)れなんとす、何ぞ帰らざる」にしても、その
言葉で慰められてきた人の心が、今では地層になっている。それで、噛みし
めるたびに何とも言えず情がわくのだと思います。
福西亮馬
ipsum (中性・単数・主格)の形を見て、車のイプサムと同じですか?と質問さ
れましたが、ご名答です。車の名前にラテン語は多く使われていますね。みなさ
ん、どれだけご存じでしょうか?
練習問題の文章からは、tribuo (分配する)から contribute (貢献する)、
debeo (・・・すべきである)から、debt (借金)といった英単語との関連を
話題にしました。
ipsum (中性・単数・主格)の形を見て、車のイプサムと同じですか?と質問さ
れましたが、ご名答です。車の名前にラテン語は多く使われていますね。みなさ
ん、どれだけご存じでしょうか?
練習問題の文章からは、tribuo (分配する)から contribute (貢献する)、
debeo (・・・すべきである)から、debt (借金)といった英単語との関連を
話題にしました。
福西(かず)です。
今は高学年に「分数」を教えています。
分数は
1/2=1÷2
なので、実はもう1、2年生で習っています。
でも分数の難しいところは、この1つの「計算」だった
ものを、1つの「数」と思うところです。
でもその壁を頑張って乗り越えれば、
1/2+1/3や、1/3×3/2といった「高次」な計算ができる
ようになります。
さて、分数は小数でも表すことができて、
1/2=1÷2=0.5
ほら、分数を習ってなくても、小数(と割算)を知っていたら、
やっぱりもう習っているのです。
このように、分数までの積み重ねは、ちゃんと与えられていて、
分数が嫌いになるような難しさは、分数そのものには含まれて
いません。
では結局何が分数を嫌いにさせるかというと、それは分数と分数
の間にある「計算方法」ということになります。
それに勝ちぐせをつけてもらうには、どうすればいいか?
うーん、悩みます。
今のところ、ドリルを丁寧に付き合うことしか思い当たらないのですが…。
どうでしょう? 何かいい知恵ありますか?(>みなさん)
福西亮馬
ところで、分数の話ばかりになりますが、
分数は小数で表すと、
1/3=0. 3 3 3 3 3 3…
1/7=0. 142857 142857 142857…
となります。つまり分数は、「規則のある小数」という顔もあります。
規則があるということは面白いということで、
2/7=0.285714 285714...
3/7=0.428571 428571...
4/7=0.571428 571428...
5/7= ?
6/7= ?
さあ、「?」のところに、何も計算せずに言い当てることができますか?
そうです。1/7の時に出てきた、142857の六つの数字を、ずらして並
べているだけなのです。
こうした面白い規則のある分数ですが、このことを、四年生の男の子は
「くりかえし小数」と自分で名付けていました。
ということから、何が知ってほしいかというと、小数の世界が分数を
包含して「広い」ということです。
このことを、前回の授業で確認しました。
「なら、分数なんて考えないで、全部小数で考えてしまったら?」
というのが、今回の授業でした。
さあ、どうでしょうか?
福西亮馬
福西(かず)です。
今は高学年に「分数」を教えています。
分数は
1/2=1÷2
なので、実はもう1、2年生で習っています。
でも分数の難しいところは、この1つの「計算」だった
ものを、1つの「数」と思うところです。
でもその壁を頑張って乗り越えれば、
1/2+1/3や、1/3×3/2といった「高次」な計算ができる
ようになります。
さて、分数は小数でも表すことができて、
1/2=1÷2=0.5
ほら、分数を習ってなくても、小数(と割算)を知っていたら、
やっぱりもう習っているのです。
このように、分数までの積み重ねは、ちゃんと与えられていて、
分数が嫌いになるような難しさは、分数そのものには含まれて
いません。
では結局何が分数を嫌いにさせるかというと、それは分数と分数
の間にある「計算方法」ということになります。
それに勝ちぐせをつけてもらうには、どうすればいいか?
うーん、悩みます。
今のところ、ドリルを丁寧に付き合うことしか思い当たらないのですが…。
どうでしょう? 何かいい知恵ありますか?(>みなさん)
福西亮馬
ところで、分数の話ばかりになりますが、
分数は小数で表すと、
1/3=0. 3 3 3 3 3 3…
1/7=0. 142857 142857 142857…
となります。つまり分数は、「規則のある小数」という顔もあります。
規則があるということは面白いということで、
2/7=0.285714 285714...
3/7=0.428571 428571...
4/7=0.571428 571428...
5/7= ?
6/7= ?
さあ、「?」のところに、何も計算せずに言い当てることができますか?
そうです。1/7の時に出てきた、142857の六つの数字を、ずらして並
べているだけなのです。
こうした面白い規則のある分数ですが、このことを、四年生の男の子は
「くりかえし小数」と自分で名付けていました。
ということから、何が知ってほしいかというと、小数の世界が分数を
包含して「広い」ということです。
このことを、前回の授業で確認しました。
「なら、分数なんて考えないで、全部小数で考えてしまったら?」
というのが、今回の授業でした。
さあ、どうでしょうか?
福西亮馬
一般の方がラテン語を学習する環境をいかに整備していくか。下記の提案を京大の Nishii 君から
ちょうだいしました。私も常にこのような工夫の気持ちを大事にしていきたい、と思います。
以下引用です。
一般の方がラテン語を学習する環境をいかに整備していくか。下記の提案を京大の Nishii 君から
ちょうだいしました。私も常にこのような工夫の気持ちを大事にしていきたい、と思います。
以下引用です。
下記の質問を受けました。
1. 講座の期間の設定はあるのですか? 例えば受講し始めて途中でやめる場合は受講した月までの受講料振込みでいいのですか?
2. 実際の文章の音読も聞きたいのですが、テープ等で対応して頂けるのでしょうか?
3. ご推薦の“ラテン語初歩”を早速 ネット通販で申し込みましたが、 辞書のお奨めのものはあるでしょうか?
お問い合わせを有り難うございます。
1~3のご質問にお答えします。
1:通信講座につきましては、受講した月分の受講料振込で結構です。たとえば、4月からの受講をご希望の場合、3月末までに4月分5000円と入会金5000円を下記までお振り込み下さい。5月以降につきましても、前月末までにお振り込み下さい。
京都中央信用金庫 錦林(キンリン)支店 普通 2217927
名義:学校法人北白川学園 理事長山下太郎
原則として、1週間に1回の割合で答案をお送り頂き、それについて添削とコメントを添えて返信する、というスタイルを基本としますが、積極的にラテン語を学ぼうという姿勢から、ペースアップしていただく分には、料金内で対応させて頂きます(月4回のお返事と決めているわけではないということです)。ちなみに、「ラテン語初歩」は全部で50課ありますので、1週間に1課のペースですと、ほぼ一年かかります。
2:テープの対応について。これは今のところ考えていません。一つには、ラテン語の発音は、カナ表記でも伝達可能だと思われるからです。ラテン語は古代ローマの時代の言語であり、日本でおなじみの「ローマ字」式の発音どおりでよい、というのが事実です。
現代語をきちんと学んだご経験をお持ちの方にとって、このような私の言い方は物足りなく感じられるケースがほとんどなのですが、古典ラテン語を現代社会で発音するチャンスはまずないということと、当時の文献を辞書を使いながら読んで理解できればよい、という大半のニーズにとっては、カナ表記で我流(といっても、欧米人の発音より日本人のローマ字発音は、はるかに当時の発音に近い)で読まれても十分だ、と自信を持って頂ければと思います。
3:辞書につきましては、本当にたくさんの種類がございます。それぞれに個性があり、また、お値段も様々ですが、最初の内は研究社の「羅和辞典」があれば十分だと思います。これは例文が載っていませんが、初心者が知りたい情報がわかりやすく載っています。
教科書の勉強もある程度進み、羅和辞典もある程度使い込んできたら、何かラテン語-英語の辞書が欲しくなってくると思います。もし、英語以外にフランス語やドイツ語をご存じであれば、その選択肢はもっと広がりますし、ラテン語の意味を知ろうとして英語やフランス語、ドイツ語の意味で原文を理解しようと努力する中で、逆に英語等の現代語の語彙力も鍛えられるという副次的効果もございます。このあたりの情報は、インターネットで検索して頂いてもよろしいかと存じます。
ちなみに、私のまとめた情報としましては、
http://www.kitashirakawa.jp/~taro/latin0.html をご覧下さい。
お気づきかと思いますが、私自身のホームページに加え、http://www.kitashirakawa.jp/~taro/mt/ において、ラテン語に関する私自身の発見や言葉のエッセイを日々公開しています。よろしければ、そちらもご覧頂きながら、ラテン語への思いをかきたてていただければ、有り難く存じます。
では、また何か追加のご質問等ございましたら、ご遠慮なくお寄せ下さい。ご入会の件、宜しくご検討頂ければ幸いです。
--
Yamashita Taro
下記の質問を受けました。
1. 講座の期間の設定はあるのですか? 例えば受講し始めて途中でやめる場合は受講した月までの受講料振込みでいいのですか?
2. 実際の文章の音読も聞きたいのですが、テープ等で対応して頂けるのでしょうか?
3. ご推薦の“ラテン語初歩”を早速 ネット通販で申し込みましたが、 辞書のお奨めのものはあるでしょうか?
お問い合わせを有り難うございます。
1~3のご質問にお答えします。
1:通信講座につきましては、受講した月分の受講料振込で結構です。たとえば、4月からの受講をご希望の場合、3月末までに4月分5000円と入会金5000円を下記までお振り込み下さい。5月以降につきましても、前月末までにお振り込み下さい。
京都中央信用金庫 錦林(キンリン)支店 普通 2217927
名義:学校法人北白川学園 理事長山下太郎
原則として、1週間に1回の割合で答案をお送り頂き、それについて添削とコメントを添えて返信する、というスタイルを基本としますが、積極的にラテン語を学ぼうという姿勢から、ペースアップしていただく分には、料金内で対応させて頂きます(月4回のお返事と決めているわけではないということです)。ちなみに、「ラテン語初歩」は全部で50課ありますので、1週間に1課のペースですと、ほぼ一年かかります。
2:テープの対応について。これは今のところ考えていません。一つには、ラテン語の発音は、カナ表記でも伝達可能だと思われるからです。ラテン語は古代ローマの時代の言語であり、日本でおなじみの「ローマ字」式の発音どおりでよい、というのが事実です。
現代語をきちんと学んだご経験をお持ちの方にとって、このような私の言い方は物足りなく感じられるケースがほとんどなのですが、古典ラテン語を現代社会で発音するチャンスはまずないということと、当時の文献を辞書を使いながら読んで理解できればよい、という大半のニーズにとっては、カナ表記で我流(といっても、欧米人の発音より日本人のローマ字発音は、はるかに当時の発音に近い)で読まれても十分だ、と自信を持って頂ければと思います。
3:辞書につきましては、本当にたくさんの種類がございます。それぞれに個性があり、また、お値段も様々ですが、最初の内は研究社の「羅和辞典」があれば十分だと思います。これは例文が載っていませんが、初心者が知りたい情報がわかりやすく載っています。
教科書の勉強もある程度進み、羅和辞典もある程度使い込んできたら、何かラテン語-英語の辞書が欲しくなってくると思います。もし、英語以外にフランス語やドイツ語をご存じであれば、その選択肢はもっと広がりますし、ラテン語の意味を知ろうとして英語やフランス語、ドイツ語の意味で原文を理解しようと努力する中で、逆に英語等の現代語の語彙力も鍛えられるという副次的効果もございます。このあたりの情報は、インターネットで検索して頂いてもよろしいかと存じます。
ちなみに、私のまとめた情報としましては、
http://www.kitashirakawa.jp/~taro/latin0.html をご覧下さい。
お気づきかと思いますが、私自身のホームページに加え、http://www.kitashirakawa.jp/~taro/mt/ において、ラテン語に関する私自身の発見や言葉のエッセイを日々公開しています。よろしければ、そちらもご覧頂きながら、ラテン語への思いをかきたてていただければ、有り難く存じます。
では、また何か追加のご質問等ございましたら、ご遠慮なくお寄せ下さい。ご入会の件、宜しくご検討頂ければ幸いです。
--
Yamashita Taro
覚え書き:
文字をやや濃くしました (696969)。
修正すべき点:
エントリの白地バック(#F0F0F0)が途中でとぎれてしまう。
覚え書き:
文字をやや濃くしました (696969)。
修正すべき点:
エントリの白地バック(#F0F0F0)が途中でとぎれてしまう。
nagumo先生よりのご提案:
昨日も申しましたように、今のところは何か「日本の名作」とよばれるような文章を
読んで、その中に含まれる漢字や文法も含めて、日本語の豊かさ美しさを感じることの出来、
それが生徒さんの表現力や感受性に強い影響を与えて、
いつまでも思い出に残るようなものができたらいいかと考えています。
単純な読書感想文を書くのではなくて、読んだ文章を踏み台にして
オリジナルを創作するというようなものも時間に余裕があれば面白そうだなあと思い
ます。
--
私も賛成です。
nagumo先生よりのご提案:
昨日も申しましたように、今のところは何か「日本の名作」とよばれるような文章を
読んで、その中に含まれる漢字や文法も含めて、日本語の豊かさ美しさを感じることの出来、
それが生徒さんの表現力や感受性に強い影響を与えて、
いつまでも思い出に残るようなものができたらいいかと考えています。
単純な読書感想文を書くのではなくて、読んだ文章を踏み台にして
オリジナルを創作するというようなものも時間に余裕があれば面白そうだなあと思い
ます。
--
私も賛成です。
山の学校の説明会を来たる3月13日土曜日午前10時から行います。
新年度の変更点は、
1)中学の英語のクラスを学年別に3つに分ける点
2)カプラ教室、ひねもす教室を「体験教室」の名称で統合する点
追加があれば、またアップします。
山の学校の説明会を来たる3月13日土曜日午前10時から行います。
新年度の変更点は、
1)中学の英語のクラスを学年別に3つに分ける点
2)カプラ教室、ひねもす教室を「体験教室」の名称で統合する点
追加があれば、またアップします。