福西です。
『数の基本』を展開するなら、「教科書を読むこと」
を考えています。
「ポテトチップスの袋で、数・国・理・社・英が網羅できる」
という冗談は、いつか友達としたことがありませんか?
さて、その数学に出てくる方程式ですが、英語ではequality
またequationといいます。
それで、理科ではニュートンの運動方程式
(Newton’s equation of motion) というものが登場します。
また社会では、ブラック・ショールズ方程式(将来の変動を
見越して大もうけする式、Black-Scholes equation)
なんていうものも耳に入ります。国語はよく国語そのものに
ついて、「人生は方程式のようには…云々」とつぶやいてい
ます。
では、方程式ってなんでしょう? ここではたと止まったら、
今までの饒舌をお詫びしないといけませね。
ここからでは、数学の中身に入りましょう。
「式」は小学校でもおなじみの言葉です。
でも、「方程」というと、ちんぷんかんぷんです。
しかし英語では方程式=equality(イコーリティー)
と言い、それは、「イコールのもの」という意味です。
「イコール」と言えばおなじみですね。
日常語でも使います。
つまり「方程式」と難しく聞こえるのは、実は単に
「イコール=のある式」のことを指すのです。
「方程式」と「等式」は「別物じゃないかな?」と思って、
頭の違うカテゴリーに入っているかもしれませんが、
実は一緒のものなのです。どちらも equalityの訳です。
「であるからして」、式中に「=」ではなくて、「>」がある式は、
不等式(inequality)なのです。(inは否定)
3x>2
などがそうです。
さて昔の日本人は、「=」を「は」と翻訳しました。
これはうまい語呂合わせで、たとえば
2x+3=9
の「=」を、「は」と言っても「イコール」と言っても、
意味は同じになります。
(この方程式のxもそうですね。xは、解(かい)と
言いますが、これはギリシア語のχ(カイ)→英語のx
ということの日本流です。しかも「解」は「解けた!」
を意味します。なので、意味と発音が一致しています)
数学とは、一つ一つの発見されたアイデア概念を、
積み重ね、体系付けられた一つの山脈です。
一足飛びにいこうとすると、せっかくの新しいアイデア
がつまづきの石となって、嫌になるのは必然です。
けれども(定石のように)一つずつアイデアを踏み
敷いていく、この面白さは言語に尽くせません。
となるとそうした山の中を、ちょっとついていけなくなった
とき、道に迷ったとき、矢印や、一人静かになって広げる
ガイドブックがほしくなります。それは、意外と身近にあり
ます。ランドセルやかばんの中に入っています。
教科書です。
参考書をたくさん買う必要はありません。
教科書を「もう一遍読む」ことです。
実は、たいていの人は、これを「見る」だけで「読んで」いない
のです。
そして「方程式とは=のある式だ」と気付かずに、「方程式」
という単元があって、それとなく通り過ぎていっているのです。
なまじ授業中で一回見ているだけに、もう一遍なんて「うへー」
となりそうな教科書ですが、けれどもよくよく通して「読んで」
みれば、ストーリーがあって、それを味わえるようになります。
わり算を習えば、小数の答が出てきます。同じわり算から、
分数が出てきます。その分数の後に、分数で定義される
「円周率:=円周/直径」が出てきます。
そして中学でマイナスの数を習います。このマイナスの数と
分数と知れば、方程式の世界をのぞくことができるんだ、
といったように。
このように、Aの次はB、Bの次はCとDの分かれ道(注:どちら
から登っても構いません)というように、教科書では小学校の
六年間、中学校の三年間、そして…と、山道が整備されていま
す(大文字山を登ったことのある人は、道が分かるようにいつも
整備されていることを思い浮かべてください)、実は教科書は、
見えない配慮でぎっしりと重たいのです。
となればただ数学には、登る人の根気が試されるだけです。
(「屋上屋を架す」と言います。参考書も悪いとは言いませんが、
それが教科書というガイドブックのためのガイドブックであること
を知ってください。『春秋』よりその注釈書『春秋左氏伝』の方が
面白いことは分かります。が、あまり深追いすると、数学ではなく
て参考書の山に埋もれ目標を失ってしまいます。)
教科書の配慮は、文字では書いてありません。数学は「数の学問」
ですから、文字ではなくて数字で、また記号や式で書かれている
のです。しかも、必要以上のことは書かないのが普通です。
式がすべて語ってくれるからです。
その難解さに打ちのめされることは多いでしょう。
ですが、理解したときの感動もまた大きいのです。
私は思います。
数学は式を読む「修行」が必要だと。
論語と同じで、「読書百遍、意おのずから通ず」は、本当です。
ただしこの百篇が、数学では実際手を動かすこと、書いてあることを
計算することにあたります。
そして数学と遭遇した最初は、教科書を「見て」手を動かさない、
つまり本当に「読む」ことはしないので、意味に気付く人が少ないのです。
書かれてあることを手計算で理解する。また理解したことと、
その前に理解したこととの間に必然がある。
「この前マイナスを習った。だから、次に方程式で答が
マイナスになっても、書けるんだ!」ということに、感動する人は、
最初学んだ人では、まずいないでしょう。
しかし、何度も挑戦した人、つまり教える側の人間は感動するのです。
一次方程式の解とは、実は有理数(正負の分数!)のこと
だと言われても、最初は目が点になるでしょう。
けれども教える側はさらに感動しているのです!
──しかしさあそこで、感動のない人に教えられたら……と、
私はちょびっと思います。
私は方程式や連立方程式が大好きな人間の一人です。
大学で学んだのは、「線形行列不等式」という、それの発展形でした。
私にはまだまだ教えたいことがたくさんあります。
ぜひ、教科書を持って来てください。
そして今まで見て気付かないでいるものを、一緒に気付きましょう。
この行間を知らず、数学を嫌いになることはないと思います。
実際数学の世界には、大きな天才がいて、その後に続く小さな
天才たちがいます。
そしてそれらのやり残した星の数ほどある仕事を一つずつ丁寧
に仕上げていく、秀才またアマチュアたちも。
彼らによって裾野が広がると、そこから再び天才が生まれてくる
──そうやって今も数学は地殻変動し続け、隆起する山脈である
こと、それを俯瞰鳥瞰した時の感動は、
言語に尽くせない、と私は感じています。
数学はまた情緒です。「レッツ・カンドー」です。
感動したものに人が好きになっていき、その結果、
成績もまた伸びるのが必然であると私は思います。
問題:一次方程式の「一次」とは、どういう意味があるのでしょう?
福西亮馬