福西です。
昨日は『ラテン語のゆうべ』の第5回目でした。

回を重ねていくうちに、内容も、「ラテン語って何?」というところから、だんだんと推移して、「ラテンは知っている。ではどうやって読むのか?」というところまできたように思われました。
「ラテン語を読むために必要な物」についての説明がまずあって、次に、10の格言を使って、実際に文法に触れてみることがなされました。(いわば初級文法の体験授業のような時間でした)
1 Amicitia sal vitae.
2 Dum fata sinunt vivite laeti.
3 Miserum est arbitrio alterius vivere.
4 Nihil sine magno vita labore dedit mortalibus.
5 Nec possum tecum vivere, nec sine te.
6 Non scholae sed vitae discimus.
7 Pios et probos praemium vitae aeternae exspectabit.
8 Tu fui, ego eris.
9 Vive hodie.
10 Vive memor mortis.
訳す際、下に語彙の対照表が用意されていて、誰でも分かるところまで降りていける補足がなされていました。
たとえば、8の Tu fui, ego eris. で、
fui = I was
Tu = you,
eris = You will be
ego = I.
と語彙表を見れば分かり、(その際に山下先生が文法を説明される)、
「私はお前だった。お前は私になるだろう」とたどりつくことができました。
さらに、
「この文が墓石に刻まれていて、墓の中の人が通りがかりの人々に話しかけている、というようにイメージできるには、やはり人生の経験が必要です」
と、文法の+αとしての「年の功」を強調されていました。

上の格言には実は、共通のキーワードが隠されていて、それは「生vita」(あるいは死mors)ということでした。それから、「Vive memor mortis.(死を思って生きよ)と、まさに言っている、それが結論であるような文章を紹介します」と、先生ご自身の解釈の上に立って、(講読のクラスでどんなことをしているのかも兼ねて)、キケローの「老年について」74節を、持って来られました。
<テキスト> De Senectute 74.
① Non censet lugendam esse mortem, quam immortalitas consequatur.
② Iam sensus moriendi aliquis esse potest, isque ad exiguum tempus, praesertim seni;
③ post mortem quidem sensus aut optandus aut nullus est.
④ Sed hoc meditatum ab adulescentia debet esse mortem ut neglegamus, sine qua meditatione tranquillo animo esse nemo potest.
⑤ Moriendum enim certe est, et incertum an hoc ipso die.
⑥ Mortem igitur omnibus horis impendentem timens qui poterit animo consistere?
<対訳>
① 彼(エンニウス)は判断している、死は嘆き悲しむものではない、と。死の後には永遠の生命が続くのだから。
② すでに何か死の感覚というものが存在しうるが、それは短い時間のものでしかない。とりわけ老人にとっては。
③ じっさい、死の後にその感覚は待ち望むべきものであり、あるいはまったく存在しないものである。
④ だが、このことは若者の時代から、死を軽視するために、練習されるべきなのである。この練習がなければ誰も平静な心境でいられなくなるからである。
⑤ というのも、死ぬことは確実であるが、それが今日この日であるかは不確かであるから。
⑥ それゆえすべての瞬間に差し迫る死を恐れながら、一体誰が心の中で泰然としていられるだろうか。
(配布した資料には、この下にさらに一行ずつの詳細な解説が連ねてありました。それは六行の原文に対して、2ページにも渡っていました)

(紙端のメモはその時私の頭に浮かんだことです)
私は、①の immortalitas consequatur.という表現が一番印象に残りました。
生の完成こそが、死の後に続く永遠の生命であり、一個のテーマを完成させる時間は、一生だけで十分あるはずで、人々が恐れているのは、そのテーマが完成されないこととしての死なのである、という思考が脳裏を駆け巡りました。また「永遠の生命」とは、immortalitasの訳出であり、山下先生の解説を見ると、「immortalitas(不死、不滅、不朽、永遠の生命、不朽の名声、人の心に生き続けるもの、永遠の記憶、滅びがたい(消し難い)もの、神の状態(存在)、神聖、至福 by 古典ラテン語辞典)」、と書かれていました。
また、「人生を舞台にたとえるなら、ある幕で拍手喝さいを浴びた俳優が、だからといって調子に乗って次の幕にも登場したら、恥ずかしいことでしょう」というお話も大変面白く思われました。
ラテン語文献は、生や死(または愛)について書かれたもの、というのが特徴であり、そこでいわば「一を聞いて十を知る」ような例を示していただいたのだと理解しました。そしてこれを原文で味わえば、深い人生の洞察が、今の人生に付け加わるように感じ、西洋古典のメッセージが、立ち止まって聞こえてくる思いがしました。
Posted by at February 18, 2006 02:07 PM