January 05, 2006

「何よりも国語」

司馬遼太郎氏は次のような言葉を残しています。 案外見逃されているポイントだと思います。

国語力は、家庭と学校で養われる。国語力にとっての二つの大きな畑といってよく、あとは読書と交友がある。国語力を養う基本は、いかなる場合でも、「文章語にして語れ」ということである。

水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境(つまり単語のやり取りだけで意志が通じあう環境)では、国語力は育たない。

ふつう、生活用語は四、五百語だといわれる。その気になれば、生涯、四、五百語で、それも単語のやりとりだけですごすことができる。ただ、そういう場合、その人の精神生活は、遠い狩猟・採集の時代とすこしもかわらないのである。

言語によって感動することもなく、言語によって英知を触発されることもなく、言語によって人間以上の超越世界を感じることもなく、言語によって知的高揚を感ずることもなく、言語によって愛を感ずることもない。まして言語によって古今東西の古人と語らうこともない。

ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、何をいっているかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。(「何よりも国語」より)

家の中でテレビを見る家庭は多いと思いますが、能動的に言葉を発したり、家族同士で話を交わす時間を奪っているのではないかと感じます

Posted by at January 5, 2006 09:03 AM
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