古代ローマの詩人ウェルギリウスは、その作品の中で「偉大なことを欲したことが偉大である。」と述べています。Magna voluisse magnum. と。
偉大なことをぼんやり思い浮かべるというのではなく、その実現を心の底から願い、強く願望することは、じつに人間的なことだと思います。
生きる力とは夢を持つ力と言い換えて良いように思います。
そんなことくらい誰でもできる、思うだけではだめだ、と反論されることは承知の上での逆説が上の言葉でしょう。しかし、反論も厳密な意味で行動ではありません。
与えられることに慣れ、ないものはないかに見える現代社会において、行動はおろか、夢そのものを見る力さえ薄らいでいるように感じられます。夢は見るものではなく、見せてもらうもの、与えられるものであるかのように。
しょせん、夢は夢でしかなく、それゆえに夢なのであるわけです。ならば「夢中(=夢の中)」で己の信じる道を駆け抜けていきたいと思う2006年の年の初めです。
本年もよろしくお願い申し上げます。
Posted by at January 1, 2006 10:41 AMこの言葉に関連したラテン語に、
Dimidium facti qui coepit habet.
というのがあります。qui coepit すなわち、
「事を始めた人は」、dimidium facti 「事業の
半分を」 habet 所有している。
ビジョンを描き、行動に移すことができたら、
仕事の半分は終わったも同然であるという
表現です。
ローマの詩人プロペルティウスに次の言葉が
あります。
in magni_s et voluisse sat est.
大きな事にかんしては「志した」ことでさえ十
分なのである。
自分の意識をふりかえると、ほとんどの場合、
何かを欲しても、magna (大事)に関する
強い願望であるケースはまれです。
だから、この言葉をかみしめる理由があるのだ
と思います。