山下です。
前回読んだ箇所(69節)の最後を締めくくる表現:
quod cuique temporis ad vivendum datur, eo debet esse contentus.
時間の中で、生きるためにめいめいに与えられた部分に、人は満足しなければならない。
これについて、補足します。temporis は属格です。部分の属格になります。永遠の時の流れという意味になります。
その中で、(神によって)めいめいに与えられた時間というのが寿命と言うことになります。
ここの文脈の趣旨は、各自は己の寿命に満足しなければならないということです。
つづく70節はたいへん印象的な比喩が使われます。
人生を舞台にたとえます。
各自に配役がある。
それを立派に演じて拍手をもらったら、その舞台から速やかに退くべし。
次の舞台までぐずぐず残っていたら喜劇になってしまいます。
今の世の中は、配役の台詞の数を数えてみたり、登場時間の長短を気にしてみたり、劇を演じる本質と無関係な観点から人生をとらえているにすぎないように感じます。
堂々と演じきった者の臨終の言葉には、次の台詞があります。
Plaudite, acta est fabula.
読み方は、「プラウディテ・アクタ・エスト・ファーブラ」となります。
plauditeは第三変化動詞plaudo(拍手する)の命令法・能動相で、「拍手せよ」となります。
actaは「行う、なす」を意味する第三変化動詞agoの完了分詞で、estと組み合わされて、完了の受動相を表します。
主語はfabula(第一変化名詞)で「芝居」を意味します。
「拍手を。お芝居はおしまいだ。」という意味です。
アウグストゥスの臨終の言葉と伝えられます。
Posted by at December 16, 2005 10:09 AM「芝居は終わりだ」というところに、「人生は所詮、虚構」だから、
それが終わったところに「真の人生がある」という意味かなあ、
と思いめぐらしました。
宗教者の戯言ですが(^^ ;)
Posted by: 前川 at December 16, 2005 10:26 AM終わった後のことについては、『国家について』の「スキーピオーの夢」で語られていますね。
これも夢の話ということであるわけですが(笑)。
Posted by: 山下太郎 at December 16, 2005 10:30 AMローマの宗教観の問題ですね(笑)
ラテン語MLにもその辺が専門の方が何人もいらっしゃいましたね。