September 14, 2005

「数学は科学の女王にして…」

福西@数の世界です。

秋学期は数学者を紹介しています。

先週は夭折した二人の数学者、ガロアとアーベル。
今週は数学者の Princeps、ガウスでした。

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Johann Carl Friedrich Gauss
(1777-1855)

伝記
ガウスのような天才にもまた憧れや、目標とすべき人物があったことは、後世の人々を励ますかもしれない。彼はアルキメデスとニュートンとを敬愛した。そして彼自身もその同列に加わったのである。

「純粋数学が一番素晴らしく、応用数学はそれに比べると取るに足りない」と言いながらも、実に応用面でも大きな足跡を残している点は、まったくアルキメデスと共通している。彼は非常に器用であり、天文や測地、電磁気学の実験道具を自作して必要に供した。物事の抽象性を追いかける一方で、それを具体的にする力もあったのである。(研究者としては非常に理想的な人である)。自然、研究の裾野は、現実の世界から純粋の世界まで広がっていた。ガウスは当時の数学界では孤高の秀峰だった。

「どうやってそのような素晴らしい発見ができたのか?」と人に問われると、彼は決まってこう答えることにしていた。「それを思い続けることによって。もしそれをした人がいれば、私である必要はない」と。ニュートンもまた同じように言っていたのである。万有引力の発見を、あたかも「リンゴが落ちたから」とちまたで表現される時、彼は弁護した。「それはまったくの逆だ。リンゴが落ちたから重力が生じたのではないように、重力の発見は多大な精神の投入があったからだ」と。

終生語学に興味を持ち、若い頃はギリシア・ラテンの古典学と、数学とのどちらに道をとるかで迷っていたという。19歳のある朝、円周等分の方法(その一例として正十七角形の作図法)を思いついたことを天機に、数学に道をとった。その日より日記をつけ始める。いわゆるガウス日記である。その後24歳の若さで『整数論』を著した。その時の感慨が、整数論をして「数学の女王」とする所以なのかもしれない。

根っからの計算好きで若い頃から神童ぶりを謳われていた。その点ではオイラーに似ているが、決してオイラーのような多産型ではなかった。日記には非常に独創的な研究がぎっしりと詰め込まれているが、その成果については寡黙だった。誰が第一発見者かをめぐる論争から、彼は遠ざかった。それによって研究の時間が食い潰されることを恐れたからである。彼の使っていた印章には、実が二、三なった木の絵と、PAUCA SED MATURA(少ないが熟している)という文字とが刻まれていた。

書簡でのガウスは友人に対して「数学には妨げられざる、切り刻まれざる時間が必要である」と言っていた。天文台長、測地監督といった国に任された実務の合間を縫いながら、彼は数学をし続けた。ガウス日記で一箇所だけ、長々とした数式が次のような一言で中断されている箇所がある。「こんなくらいなら死んだほうがましだ」と。ちょうど楕円関数の研究に没頭しているさなかに、講義の時間に呼び出されたのである。ナポレオン時代のドイツの混迷や、妻の死、パトロンだったブラウンシュヴァイク公の死によって、彼は当時ますます非社交的になっていた。その時の彼には、研究こそが薬だったのだろう。彼は寸暇を惜しみ、死ぬまで数学をしていた。

ガウスは才に恵まれ、寿にも恵まれた。ゲッチンゲンの町を愛し、その町の名誉となることを誇りとし、終生そこにとどまった。彼の墓もまたゲッチンゲンにあり、墓碑には一語、人々の思いを込めて、

MATHEMATICORUM PRINCEPS (数学者の第一人者)

と刻まれている。


ガウスの残した言葉
「数学は科学の女王、数論は数学の女王」
「寡少なれど円熟なり」(PAUCA SED MATURA)
「数学の研究には何よりも妨げられざる、切り刻まれざる時間が必要である」

ガウスの仕事
ガウスはいつでも基本的なところから始め、そこから非常に深い結果がもたらされることを、寡黙にも喜んでいたのではないだろうかと思われる。その対象が深い内容を持っていればいるほど、発見をなかなか世に見せることをしなかった。それは一度完成したものの表面を磨くのに手間取っているというのではなく、自身の研究がいつまでも未完成で、真髄に達していないと感得されていたからであろう。彼は物事の奥深さにとらわれると、ますますそれに対する考察を長くせざるを得なかったのである。中にはこうした彼の研究態度に非難を寄せる人々もあったが、彼の印章はこう代弁するのみである。「Pauca sed matura」と。

参考文献
『近世数学史談』高木貞二
『数学をつくった人びと』E.T.ベル

Posted by at September 14, 2005 11:20 AM
Comments

Pauca sed matura

よい言葉ですね。

Posted by: 山下太郎 at September 14, 2005 06:21 PM

戦後10年し、日本ではじめての数学者会議が開かれました。そこにヴェイユという数学者が招かれて、日本の若い数学者たちに次のようなエールを送っています。

「自分のアイデアをもってはじめるように。ガウスはそうだった。君たちもガウスのようにはじめたまえ。すぐに自分がガウスでないことがわかるだろう。それでもいい。とにかくガウスのようにはじめたまえ。」と。

つまり、「ガウスのように始めろ」とは、「自分のアイデアを持って、それから始めろ」という激励だったようです。

ガウスのことは、青春ライブの『数学をした人たち』で触れるつもりです。

Posted by: Ryoma Fukunishi at September 16, 2005 03:06 AM
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