September 09, 2005

T君あれこれ

たとえばみなさんは、下のような計算をどう解くでしょうか?

(□-3)×5=10

これもまたT君に驚いたことなのですが、私が( )の外し方を教えようとして、時間がかかってしまったところ、T君は後で私に説明してくれたのでした。

T 「×5は、÷5をすればいいんじゃないの?」
私 「と、いうのは?」
T 「×の反対は÷だから」
私 「ああ、そのやり方を知ってるのか」
T 「(□-3) = 2  としてから、
   ( )の中が2になるような□を考えたら、ね?」
私 「なるほど、次の問題もそれでできるなあ」

逆演算の考え方ができることに感心したのです。移行とか逆演算は、中学生でも「?」の人がいるのに、彼はそれが3年生でしっかりできているのでした。

T君はまた、問題を解いている間に、ひまをみつけて、自分で問題を作ることもします。そちらだけに流れると、基礎をあいまいにしてしまうというデメリットがありますが、うまく時間の中でバランスを取れば、教える側としては願ってもない傾向です。

問題を作るのは、当然それを解いてもらいたいからで、それには、「子ども」が「大人」に問題を出すという、逆転できる喜びがあります。たいていそのときに、大人(特に男の子の場合は父親)にかまってもらった子どもは、その大人への好感情がイメージとして数学の興味の上に灼きついて、数学が好きになっていくようです。少なくとも嫌いにはならないと思います。

遊びのように見える数字の羅列した計算問題には、二種類あって、頭を使ったのとそうでないのとがありますが、できればそのうちの頭を使って作られた問題については、大人の人はできるだけ付き合ってあげてほしいと思います。
(T君がせっせと問題を作っていた時に、「それ、誰に解いてもらうの?」と私が軽くたずねると、T君は健気にも、「自分で解くの」と答えました。私はそれで、私に解いてもらいたかったんだと気付いて、ぐっときたのでした)

なぜこの数字は3ではなくて4にしているのか──それは割り切れるようにするためだとか、+ではなくて×にしているのは──計算しやすいためだとか、出題者は実は意外に頭を使っています。遊びで集中するのと同じような時間を使っています。そして算数に限らず、問題を作って人に出したことを喜びとして覚えている人は、その科目については好感情を抱きます。

私もまた、T君の中にある「数学のいずみ」から湧き出してくるものを、大事に汲み取ってあげられたらと思います。それは義務感に駆られるせいではなくて、自身の経験を追体験するような気持ちになるからだと思います。

Posted by at September 9, 2005 05:06 PM
Comments
Post a comment









Remember personal info?