福西です。
小林:学問が好きになるということは、たいへんなことだと思うけれども。
岡:人は極端になにかをやれば、必ず好きになるという性質をもっています。好きにならぬのがむしろ不思議です。好きでやるのじゃない、ただ試験目当てに勉強するというような仕方は、人本来の道じゃないから、むしろそのほうがむつかしい。
(小林秀雄・岡潔対談『人間の建設』より)
「好きでやるのじゃない」という箇所は、高校数学の場合、公式の暗記にあたるでしょう。またこれは私の場合ですが、「極端にやる」というのは、問題集を何度もすることの前に、公式を自分で導けるようになるまで白紙に挑戦してみることでした。しかしそれをするのは、だいたい試験前の勉強に火がついてきた時期だったので、焦って問題集に終始する方が多かったのですが。しかし、ノド元過ぎれば何とやらで、暗記に頼ったまま放置していた箇所は、結局、大学入試前になってから、もう一度苦手意識を感じざるをえませんでした。反対に、時間を自分で確保して、「そこまで」やってみたら、本立ちて道生ず、というのは真実で、実際にそれなりの恩恵はあったことを思い出します。
基礎となる公式を、天くだりに暗記するのではなくて、公式になるまでの道筋を、先人の知を、主体的にたどっていく作業は、きっと数学を好きになるきっかけが隠されていると思います。
学校でノートに写したことをもう一度家で自分で繰り返すことは、時には、問題集に挑戦するよりも負荷のかかるものです。しかしそれをした後で問題にあたれば、「これは、よく考えてある問題だなあ」と、導出したての定理が出てくるたびに、問題自体も面白くなります。そうした流れが、今後の授業展開のポイントだと考えています。考えることを楽しめるのが、数学の授業の本来だと思います。
Posted by at March 2, 2005 04:02 PM | TrackBack岡潔と小林秀雄の対話は、今読み返すと、
山の学校のPR文のようです、と不遜なこと
を言ってみたくなるほど、この二人の対話の
場に割って入り込みたくなるような強い
衝動を感じます。ああ、やはりそういうこと
なのだ、と。「人間の建設」でしたか、
大学時代に繰り返し読んだ本です。私が
大学時代に講義で話していた内容の
種本だったのかもしれないと今、ふりかえる
とそう思います。