January 20, 2005

作文とおしゃべり

火曜日小学生クラスでは冬学期は作文が中心になります。
自分で考えたことを文章にして記述するということは、できるだけ早い時期に始めておくのが良いというのは、わざわざ書くほどのことではないかも知れません。
理由はこれも蛇足のような気もしますが、自分の意見をしっかり持つとか思考力を鍛えるとかいった当然期待されるであろう学習成果に加えて、考えたことを単に「しゃべる」ことと、紙に「書く」ことは随分違うことだ、しかしその「方法」は同じだ、ということを知ってもらうためでもあります。
私自身は思考したことを「書く」ことはわりと上手く出来ていると自分では思っているのですが、筋道だてて論理的に解りやすく「しゃべる」のは苦手で、そういう意味では山の学校に来ている子供たちのほうが圧倒的に「しゃべり上手」なのであります。
しかしながら、その子供たちが書いた作文を読むと、おしゃべりでは素晴らしく展開されていた話の筋があっちに行ったりこっちに行ったりで、なかなか上手いこと行きません。
会話はキャッチボールであり、相手の存在がかならず必要であるのに対して、作文は良くも悪くも「自分の意見を自分だけで書く・主張する」わけなので、一人キャッチボールと言うか、そういうスタンスの違いもあるかも知れません。
しかし、もっと大事なことは、会話では「これは伝えたい」という思いがあるのに、作文ではそれがないということです。だから何を書いたらいいのか解らない、という事態になってしまうんでないか、と思うのです。
読んだ文章がつまらなかったり良くわからなかったりしたら、それを作文にしても良いわけです。「これはつまらない、なんでかというと…」でも良いのです。そこは「おしゃべり」の要領です。しゃべるように書いたらいいのです。そうすればもっと肩の力を抜いて文章が書けます。読んで面白い文章にもなります。自分が書いたものへの自信にもつながると思います。
あとは、できれば「せんせ、聞いて聞いて」ではなくて、「せんせ、これ書いたから読んで読んで」という風に、もちろん他の生徒も含めて、おのおのの作文の輪読会のようなものが出来たら一番良いのですが、どうも恥ずかしいという気持ちのほうが先立つのは致し方ないことかもしれません。

Posted by at January 20, 2005 06:00 PM | TrackBack
Comments

作文は重要ですね。
学校では、読書感想文というのがありますが、
そのほかには、遠足にいったとか、行事の
あとで、作文を書いた記憶がある程度です。

私は、家庭教師の先生に、今の山の学校
のはしりのような、厳しくも、愛情あふれる
ことばの授業を受けておりました。

理学部の院生でしたが、本を読め、といつも
口癖のようにおっしゃいました。その内容を
レポートにかくのです。

先日、本棚を整理していたら、「科学的人間
の形成」と題する本を読んだときの、内容の
まとめと感想を記した原稿用紙が出てきました。

中学2年生の時のものです。私一人しか
相手でないのに、毎回、自分が読んでいる
書物のコピーを配られ、その「要約」も
書くように求められました。

加えて、新聞の社説の字数制限付き要約。

あれやこれや、よく本を読み、よく文章を
書くことをいやがらずに続けたものでした。

一番思い出に残っているのは、コンラート・
ローレンツ、『ソロモンの指輪』でした。
影響を受けて、机の上に水槽を置いて、
アクアリウムを作ったのでした。

Posted by: 山下太郎 at January 21, 2005 04:01 PM
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