遅れましたがなぐもです。秋晴れの気持ちの良い日が続いていますね。
このあいだのKくんの授業では、福沢諭吉の『学問のすゝめ』第二編の端書を読みました。
「今日読むのは学問のすゝめ」と言ったら、すぐに「福沢諭吉!」と元気な声が返ってきました。
慣れない旧かな正字体の漢字にところどころつまづきながらですが、ずいぶん上手に音読できました。この本の初版刊行直後は明治時代、それも文字の読めない人がまだ多かった時代です。つまり、この本は多くの人が誰か文字の読めるひとが音読したものを「音声として」聴いたのだと考えられるのです。Kくんが音読しているのを傍で聴いていて、非常に雄弁に聞こえるのはきっとそのせいなのでしょう。
そのなかには「文字を読むことのみを知て物事の道理を弁へざる者はこれを学者と云ふ可らず」という一文がありました。そのあとには「所謂論語よみの論語しらずとは即是なり」と続きます。
文字の一言一句を正確に読解するだけでなく、それを実際に社会的行為として行動にあらわすこと―これは簡単そうで実は相当に困難なことです。正確に読解するということだけにとどまることは、いわば単に片言隻句に拘泥しているだけとも言い得るのです。
僕自身にも警句としながら、また来週の授業の内容を考えていきたいと思います。
追伸
高校生のことばは冬学期から古典をやることになりましたが、読む量が結構多いので受講生がもう2-3人いるとやりやすいなアなんて思っています(もちろんマンツーマン希望も歓迎)。「古典文法があやしい」とか「学校で読む古典のはつまんない」とか思っている高校生諸君、是非!