September 18, 2004

かず(高学年)8/26

福西@今度は、かず(高学年)です。
秋学期の最初の3回分を振り返っています。

8/26

画用紙から自由に切り取った20個の四角形の
「大きさ」を評価する方法を考えて、

(1)大きさの「はかり方」は、面積一つではないこと
(2)「平均」の幾何学的なイメージが面積であること

という、資料の整理と平均についてしました。

「何をもって四角形の大きさと言うのか」
という基準(こういうのをノルムと言います)は、
各人各様に定義することができます。

その中で、自然な概念が「面積」なのですが、ほかにも、

四辺の和、
最長の辺、
最短の辺、
対角線(の長い方 or 短い方)…

など、人間の考え付く限り、四角形にはいろいろな場所に定規が
当てられます。「人間は万物の尺度」です。

また、適当に切った紙の四角形なので、一辺が直線でないことも
大きな自由度を持っています。自分がどういう定規の当て方をす
るかで「曲がっている」ことへの扱いが変わってきます。

また、4.24・・・cmを、4とするか5とするかも、計り方にバリエー
ションを与えるでしょう。

これが現実問題であって、それに直面した自分が、
「どこをまっすぐと考えて定規を当てたか」
「どういう値をよしとするか」
という具体的な感覚は、六年生ごろから、ぜひ身につけてほしいと
私は考えます。(私がそういう教育を受けなかった反省によります)

このように、ある問題に、自分で「計り方」を導入することは、
かなり重要なことのはずなのですが、小学校のうちは反対に
「平均なら平均だけ」の計算しか、教えられていない気がします。
簡単に言えば、遊びを一から作りはじめるところまで、遊び込んで
いないように思います。
(そして小学生のうちに遊びをおあずけにされて、中高生で遊ぶ
お膳立てが揃った時には、もう遊ぶ興味を失っている中高生が、
いるとしたら、ここから出てくるように感じます)

ところで数学には、物の見方といったアイデアを、(「計り方」は
まさにそうですが)、式に書いて、人に説明できる強みがあります。

また、その「計り方」を変えると、問題(今は四角形の資料)の
「見え方」が変わるというのが面白い点なのです。

問題をある「計り方」で計れば、何がしかの結論が出てきます。
しかしそれは、面積で計ったのなら、「面積の意味で」、
最大値で計ったのなら、「最大値の意味で」、
言えることであって、それ以外の意味ではないことも、
計った本人が頭に留めておかなければなりません。

「一つの計り方は一つのことだけを計ることができる」

という常識の上に、それぞれの計り方が、それぞれの意味を持ちます。
この常識の土壌をなくせば、すべてが意味を失います。
「平均」もしかり、いつか習う「偏差」もしかりです。

本当に頭を動かさないといけないのは、「計り方を定義する」
ところであって、そこから問題をつかむこと、つまり一から
問題をはじめるという部分にです。

この「頭を動かすこと」を誰かが肩代わりして、たとえば先生が
先に黒板で与えておいて、「さあやってごらん」というのは、もちろん
生徒にすれば手を動かすことの習熟には効率的ですが、それだけに
努力するのは正しくはない。

計算はその意味を考えた後に(あるいは計算した後にそれが
再発見されるがゆえに)しているのだという感覚も、計算に
習熟するうちのどこかの時点で育っていかなければ、と考えます。

「面積」や「平均」を、あたかも一通りしかない物の計り方であるかのように
思わせられて、その代わりに計算ができるようになる。そんなトレードオフ
にならないように教える責任を、小学生がはじめて「面積」や「平均」といった
概念に触れる時に付き合う者としては、背負っているのだと自覚します。

Posted by at September 18, 2004 02:42 PM | TrackBack
Comments
Post a comment









Remember personal info?