June 27, 2004

先週の青春ライブ授業の感想

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お話を伺って感心したことは、高校時代に柳田国男の全集を読破されるなど、大学の勉強の先取りをしておられたこととです。それをせずに受験勉強一辺倒だと、それこそ student apathy に陥るのではないでしょうか。

また、小学校時代に自然の中で思う存分遊び抜いた(ターザンごっこなど)というお話も、その後の勉強の集中力の基礎になったに違いありません。私見ですが、小学校時代には、もっと幼稚園児のように無心になって遊んでいいと思いますし、中学以上は(とくに高校時代は)損得抜きに大学の勉強を先取りし、たとえばプラトン全集を読みあさるなどしてほしい、と思います。

また、自分で文章をかくことの大切さを強調しておられた点にはまったく同感で、ディベートの重要さのご指摘も含め、本当はこういった勉強こそ国語の時間の中心に据えてほしい学習内容ですね。
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山下太郎

Posted by at June 27, 2004 11:12 PM
Comments

福西です。

夢中になって遊んだことが、「集中力の基礎」
になったという点に、ぼくも同感です。

宇梶先生がフロイトの言葉を引用し書かれて
いた山びこ通信の内容を思い出します。
http://www.kitashirakawa.jp/~taro/yama/archives/000405.html
「真剣さは遊びの反対物ではないのである。」
でしたね。

Posted by: Ryoma Fukunishi at June 29, 2004 12:13 PM

>山下先生、亮馬先生

コメントありがとうございます。
遊ぶときのあの「無心」の心持ちが大切なのだと思います。
スチューデント・アパシーは「不自由な自由」「何をすればいいのか分からない」という苦しさに心を奪われてしまう状態だと、あの場で話をしましたが、「無心」のときはいちいちそんなことは考えませんよね。とても大切なことだと思います。

あと、間違いや失敗を恐れずに自分の意見を述べられるようになれば、とあの場で述べました。
「対人恐怖」というのは、自分の意見や振る舞いは間違っているのではないか、馬鹿にされるのではないか、と恐れるあまり、「何を言えばいいのかわからなくなる」のだと思います。

東京のある引きこもり団体が、外国人の援助者に訪問活動などをさせたところ、かなりの程度対人恐怖が緩和されたという報告例があります。
確かに、外国でシンポジウムなどが開かれると、むこうの人々はかなり率先して質問したり意見を述べたりします。「自分の意見は恥ずかしいものではないか」などといちいち考えたりしないからでしょう。

外国人と接するときにある種の解放感に浸ることができるのは、たぶん以上のことが関係しているのだと思います。

ノーベル賞学者の湯川秀樹氏は、研究会などでかなり素朴な疑問を連発し、「アッ、今のは愚問だったかな」と笑っていたそうです。間違いを恐れたり恥じたりせずに自分の意見をぶつけるという態度、これこそが重要なのでしょう。

Posted by: Ukaji Masaru at July 1, 2004 03:50 AM

素朴な疑問を出したり、間違いを恐れないで自分の意見をぶつけるといった言葉のやりとり。ぜひ、中・高校生にたくさん経験してもらいたいと思っています。

Posted by: 山下太郎 at July 1, 2004 09:37 PM
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