福西です。今日は高学年の「かず」担当でした。
今日は、生徒3人にマーカーを握ってもらい、
ホワイトボードを回しながら、先生役をしてもら
いました。
議題は、
一、 なぜ、3/8÷3/4=3/8×4/3 になるの?
二、 0/5=0 でも、5/0=?
三、 1-2+3-4+5-6+7-8+9-… は、どんな数?
です。
しかしこの試みは、いきなり脱線。
まず最初の、
分数の割り算は、どうして「ひっくりかえす」の?
という議題ですが、「まだ割り算は習ってへん」
ということでした。すみません…。
ところがそのことが判明するまでに、これを自分
の知識で解こうとした生徒がいます。
分数の割り算は習っていないけれど…
3/8=3÷8 3/4=3÷4
3/8÷3/4
=0.375÷0.75 ←「小数の割り算」(習った)
=0.5 ←小数の答
=1/2 ←分数の答に変換
「できた!」
これはこれで、すごいですね。なぜなら知っていること
を駆使してくれたからです。
他の2つの議題については、何とか議論の恰好が
付きましたが、その後で、私は大事なことを学びました。
それは、「知っていることを絞り出した後は、知らない
ことを聞きやすいムードになっている」
ということです。
「学校で分からへん所ない?」と私が聞いたのは、授業が
残り5分になってからですが、生徒たちが、こちらが思うよ
りも意外とすんなりと、それぞれ不明に思っている所を言っ
てくれたことが、印象的でした。
「あんな先生、教えてほしいことがあるの。約分と通分って、
どう違うの?」
「約分は、どうして最小公倍数でやらないと、いけないんで
すか?」
「それ、私も知りたーい」
2つ目の疑問の意味は、
1 1
--- + --- = が、
4 6
6 3
なぜ --- としてはいけないのか? なぜ---- なのか?
24 12←最小公倍数
ということですが、しかしそれは「約分」ではなくて、「通分」
なのです。このことを質問した生徒は、自分の言おうとして
いることを
3 1 18 4 9 2
--- × --- = --- × --- ? --- × --- ?
4 6 24 24 12 12
と説明してくれましたが、ここで約分と通分が混ざっていることが
私にも分かりました。
このかけ算では「 /24? /12?」と、通分、つまり分母を
揃えることではなく、しなければならないのは、分子分母を消す、
つまり約分の方です。
上のように通分(もどき)のことをすると、答が遠くなってしまい
ますね。
「約分は ×のとき、通分は+のとき」
のものです。
こうしたあやふやな点を、ぎりぎり発見でき、また説明できたのが、
今回の大きな喜びです。この10分間のオーバータイムが最初から
実は「なくてはならない」のだと感じました。
そして、知識伝達型を反省して、議論型の授業を試みたのですが、
結局、知識を全く伝えることをしない授業では、同様に片手落ちだと
いうことに気付いたのでした。
むしろ議論と知識伝達との両方が、両方ともに意義を与えるのです。
議論において、既知の知識を他人に説明することで、より確実にした
生徒は、不確実な知識を内に感じた時、そのままにしておこうとはしな
いものです。それが今回、いつもだったら恥ずかしくて聞こうとしなかった
質問の形となったのだと感じます。
基礎があいまいな議論だけでは、未知の問題に対して頭から湯気が
出た状態のまま終わってしまいます。しかし、その後にさりげなく知識
の吸収というカタルシスがあることで、先の議論は、普通なら受動で
あるところの知識の吸収を、能動にする役割を果たしてくれるのだと
思います。
私にとって6/10の授業は、「知識の伝達」か「議論」かのペラペラの
裏返しではなく、両方を組み合わせたボリュームのある授業が作れ
ないかということを考えていた、大事な出発点のように思われるので、
ここに記しておきます。
ソクラテスも「無知の知」という言葉を残した
とされますね。無知の知は、無知の無知に
まさるということになります。孔子自身は、
「知る」と言うことに関して、「知ることと
知らないことを区別すること、それが知る
ことである」と述べました。生徒が複数
集まると、たくさんの?が集まるので、
自分の知らなかった?に出会える喜び
があると思います。