水曜日「ことば」担当の宇梶です。
今日は宮沢賢治の「やまなし」を読みました。
「やまなし」は私自身、小学生の頃に教科書で読んだ記憶があります。
高学年ぐらいだったでしょうか。
最近、「青空文庫」でこの文章を見てその頃を思い出し、ふと懐かしい思いに駆られることがありました。
もしかしたら、この後生徒は学校の教科書でまた読むことになるかもしれません。そのときにせよ、あるいは他のときにせよ、この文章を思い出してくれればと思い、テクストに選びました。
でも、生徒のSくんは最初からこちらの予想をいい意味で裏切りました。
二匹の蟹が会話をしているのを見て、Sくんは、
「(この話は、)実はやまなしが弟の蟹に当たっているのをお兄さんの蟹が助ける話だよ」
と言いました。
最近気づいたことなのですが、Sくんは自分の中でいろんなお話を作るのが得意なようです。
もともと子どもはすぐに替え歌を作ったりするのが好きなようですが、Sくんは自分から新たなお話を作るのが好きなようです。
物語を改作してしまったり、新たな物語を作ったりするこのような傾向に私は注目しています。
もしこの流れをうまく引き出すことができれば、Sくんは「小さな作家」になれるかもしれませんから。
もしSくんがお話を紡ぎだすことができれば、これは山の学校の、そしてSくん自身の財産になるのではないでしょうか。
などということをちょっと期待しています。
もっとも、過剰な期待でSくんを押し潰してもいけないので、彼の気持ちを一つ一つ受けとめながら、やりとりしていきたいと思います。
今日はここまでということで失礼します。
Appendix.
以下はちょっとした夢想です。
例えば「小さな作家」となったSくんがつくったお話が、その後山の学校の生徒たちの前で読まれ、それに刺激されて新しい「小さな作家」たちが生まれたら、などということを考えてしまいます。
日本民俗学の祖である柳田國男は、物語の改作や新作のメカニズムをきわめて重視しました。
それはここでの話にも一致すると思います。
子どもたちの創作意欲によって生まれた物語が、後輩たちに受け継がれ、そしてその後輩たちがまた新たな物語を生み出し、それもまた受け継がれていく。
これは実現できればすごい話だと思います。
以上、ちょっとした夢でした。
Posted by at June 3, 2004 01:26 AM福西です。
そうなんです。ぼくが小学生時代にもどって、
イメージするのは、結局「思い出す仕掛け」
で満たされていたことです。
宇梶先生がなさってていることは、懐かしい
と思って読む、その時までの、心の種まき
だと思います。
それを超えて、S君がお話を自分の中で
作るのが好きだという点は、大事にして
いきたいですね。この点は、宇梶先生に
指摘されてはじめて、気付きました。
幼稚園でも、俳句に関しては、今も小さ
な作家たちが生まれてきています。
今では友達同士で触発されていますが、
最初はでも、かつて年長だったお兄ちゃん
たちが残していった俳句を耳にしたわけ
です。それで「自分たちも作っていいんか」
と知って、だれかがその年の最初の俳句
を作るわけです。ここにも、小さな作家の
伝統は保存されていると思います。
宇梶先生が今ことばのクラスで種まき
されていることは、いずれ受け継がれて
いくことになるだろうなと予感します、もし
も「山の学校」が普遍性をもって続いて
いるのであれば。
>もっとも、過剰な期待でSくんを押し潰して
>もいけないので…
そのような引いたりできる宇梶先生と、S君
とが共有する時間全体が、おそらく言葉の
栄養になっているのだと思います。
福西亮馬
Posted by: Ryoma Fukunishi at June 3, 2004 12:20 PM