Archive for the ‘幸福’ tag
Beatus autem esse sine virtute nemo potest.
「ベアートゥス・アウテム・エッセ・シネ・ウィルトゥーテ・ネーモー・ポテスト」と読みます。
beatus は「幸福な」を意味する第一第二変化形容詞、男性単数主格です。
autem は「しかし、さらに、ところで、さて」といった意味を表す接続詞です。
esse は sum (・・・である)の不定法・能動相・現在です。
sine は「・・・なしに」を意味する前置詞です。奪格を支配します。
virtute は「美徳、勇気」を意味する第三変化名詞 virtus の単数奪格です。
nemo は「誰も・・・ない」という意味を表します。この文の主語です。
potest は「・・・できる、可能である」という意味の不規則動詞 possum の直接法・能動相・現在、三人称単数です。
「誰も美徳なしに幸福であることはできない」と訳せます。
キケローの言葉です。
Felicitas multos habet amicos.
「フェーリーキタース・ムルトース・ハベト・アミーコース」と読みます。
felicitas は「幸運、幸福」を意味する第三変化女性名詞、単数主格です。
multos は「多くの」を意味する第一・第二変化形容詞、男性・複数・対格です。
habet は「持つ」を意味する第二変化動詞 habeo の直接法・能動相・現在、三人称単数です。
amicos は「友、友人」を意味する第二変化男性名詞、複数対格です。
「幸運は多くの友を持つ」と訳せます。
habet は donat 「与える」のほうが意味は鮮明になりますが、habet のほうが、主語を擬人化した感じがよく出ていると思います。
Veri amici rari. (真の友はまれ)を想起することができます。
Felix qui nihil debet.
「フェーリークス・クィー・ニヒル・デーベト」と読みます。
felix は「幸福な」を意味する第三変化形容詞、男性・単数・主格です。
qui は関係代名詞、男性・単数・主格です。先行詞は省略されています。qui…debet までが名詞節を作り、この文の主語になっています。
nihil は英語の nothing に相当し、日本語で強いて訳せば「無」となります。中性・単数・対格です。
debet は「負う」を意味する第二変化動詞 debeo の直説法・能動相・現在、三人称単数です。
「無を負う」とは「借りがない、借金がない」という意味です。
「借金のない人は幸福である」と訳せます。
Felix qui potuit rerum cognoscere causas.
「フェーリークス・クィー・ポトゥイット・レールム・コグノスケレ・カウサース」と読みます。
qui 以下の者は、幸福(felix)である、という意味です。est が省略されています。
potuit は、「可能である。」を意味する不規則動詞 possum の完了・3人称・単数形です。
rerum は「事物」を意味する第五変化名詞 res の複数・属格で causas にかかります。
causas は「原因」を意味する第一変化名詞 causa の複数・対格で cognoscere の目的語になっています。
cognoscere は「認識する」という意味の第三変化動詞 cognosco の不定法・能動相の形です。
「事物の原因を認識し得た者は幸いである」と訳せます。
ウェルギリウスの『農耕詩』第二巻のエピローグ(「農耕賛歌」と呼ばれる)に出てくる言葉です(2.490)。
エピクーロス派の詩人ルクレーティウスの幸福観が示唆されています。
関連図書:
牧歌/農耕詩 (西洋古典叢書)
ウェルギリウス 小川 正広 
Finis coronat opus.
「フィーニス・コローナト・オプス」と読みます。
finis は「終わり、結末」を意味する第三変化名詞、単数主格です。
coronat は「花冠で飾る」を意味する第一変化動詞、直接法・能動相・現在、三人称単数です。
opus は「作品、仕事」を意味する第三変化中性名詞、単数・対格です。
「結末が作品を花冠で飾る」と訳せます。
『ラテン語名句小辞典』の解説には「小説であれ映画であれ作品は終わりが肝心である。・・・同様に、人の人生も最後まで生きてみなければ幸福な人生だったのか不幸な人生であったのか分からない」と書かれています。
個人的には「終わりよければすべてよし」という言葉を思い出します。
関連図書:
ラテン語名句小辞典
野津 寛 
Ignis aurum probat. 火は黄金を試す
セネカの言葉です。これには後半があり、「苦難は勇者を試す」と続きます。本物の黄金は炎をものともしないように、勇気ある人間はどんな苦難も雄々しく耐えることができる。困難や不幸は人間の勇気を試す試練であるという主張です。
神の摂理が存在する中、災厄はなぜ善人にも訪れるのか。セネカはこの問いに対し、安穏とした日々は人間をダメにする、神は精神を鍛えるために試練を与えているのだ、と説きました。
それは家庭で父が果たす役目と同じであるとも。「父は子に早朝から勉学を命じ、休日にもダラダラさせない。汗を、時には涙を溢れ出させる。だが母は子を懐に抱き、日陰にとどめようとする。決して悲しまぬよう、決して泣かぬよう、決して苦労せぬように願う」。
父の愛は「可愛い子には旅をさせよ」、母の愛は「可愛い子ゆえ旅をさせたくない」という気持ちと同じです。現実の苦難を説明するさい、父母の愛を例に出すところが斬新です。母性愛に包まれた平和な日々は幸福に見えて脆弱です。セネカいわく、「損なわれたことのない幸福は、どんな打撃にも耐えられない」。国づくりの基礎は人づくり。過保護、過干渉は国をダメにする。セネカの言葉は日本の教育にも警鐘を鳴らすもののように思われます。
Non fert ullum ictum inlaesa felicitas.
「ノーン・フェルト・ウッルム・イクトゥム・インラエサ・フェーリーキタース」と読みます。
fert は「耐える」を意味する不規則動詞 fero の直接法・能動相・現在、三人称単数です。主語は felicitas です。
ullum は英語の anyに対応し、「何か或る」という意味を持ちます。否定文では「いかなる」と訳せます。
ictum は「打撃」を意味する第四変化名詞 ictus の単数対格です。
inlaesa は「損なわれない、傷つかない」という意味の形容詞 inlaesus, -a, -um の女性・単数・主格です。felicitas にかかります。
felicitas は「しあわせ、幸福」を意味する第三変化女性名詞、単数主格です。
「損なわれない幸福はいかなる打撃にも耐えられない」という意味になります。
セネカの「摂理について」(2.6)に見られる表現です。
Non potes esse dives et felix.
「ノーン・ポテス・エッセ・ディーウェス・エト・フェーリークス」と読みます。
potes は「・・・できる」を意味する不規則動詞 possum の直説法・能動相・現在、二人称単数です。
esse は「・・・である」を意味する不規則動詞 sum の不定法・能動相・現在です。
dives は「裕福である」を意味する第三変化形容詞、男性・単数・主格です。
felix は「幸福な」を意味する第三変化形容詞、男性・単数・主格です。
「あなたは裕福であると同時に幸福であることはできない」という意味になります。
セネカ、『倫理書簡集』に見られる表現です。
Nulli est homini perpetuum bonum.
「ヌッリー・エスト・ホミニー・ペルペトゥウム・ボヌム」と読みます。
nulli は「いかなる・・・も・・・ない」を意味する代名詞的形容詞 nullus, -a, -um の男性・単数・与格で homini にかかります。
homini は「人、人間」を意味する第三変化名詞 homo の単数・与格です。
perpetuum は「永遠の、永続する」を意味する第一・第二変化形容詞 perpetuus, -a, -um の中性・単数・主格です。この文の主語です。
bonum は「善、幸福」を意味する第二変化名詞、単数・主格です。
「いかなる人間にも永遠の幸福はない」という意味です。
プラウトゥスの言葉です。