2004年10月06日
考えるヒント
秋になると読みたくなる本ってありますね。小林秀雄。噂通り難しいです。ある
意味、キケローのほうが、数倍易しいと感じるほどに。しかし、どこか懐かしい、
本当のことがかかれている、という安堵感を感じるのは、日本語が母語のせいで
しょうか。「プラトンの国家」と題するエッセイも収められています。
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16:42
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2004年10月05日
傷と治療
Curatio vulneris gravior vulnere saepe fuit.(傷の治療は、しばしば傷そのものより大きな痛みを伴う。)
虫歯は放っておけないし、その治療も痛みが伴うし・・・。会社にせよ、個人に
せよ、問題が何か見つかっても、その現状はもちろん容認できないけれども、そ
の改革プランにはもっと大きな痛みが伴う、ということでしょうか。孔子は、君
子改むるに憚ることなかれ、と教えていますが。
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06:13
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2004年10月04日
変身物語の解説ページ
表題のページを見つけました。ギリシア神話をローマナイズし、後のヨーロッ
パ文学に影響を与えた書と言えます。
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18:48
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新刊書
ポプラ社より、献本を頂きました。
元々ウルトラマン太郎先生というあだ名で回答者を務めていましたが、商標名と
の関連で、本にするにあたり「ウラシマ太郎先生」に変更になりました。自分の
担当した以外の難問にたいし、それぞれの先生が的確に答えておられるなぁと勉
強になります。
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14:47
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栄光と美徳
Gloria virtutem tamquam umbra sequitur.(栄光は影の如く美徳に従う。)
逆に美徳を伴わない栄光は栄光ではない、と思われます。virtus を美徳と訳し
ましたが、元の意味は勇気と呼ぶに近いニュアンスがあります。vir は「男」と
いう意味で、virtus は manliness (男らしさ)という意味を持ちます。よって、
戦場における武勇の徳を元来意味しました。
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14:21
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手を動かすことの前に
「印象と表現」
と題するエッセイ。子どもの教育を巡って思うこと。手を動かす前に、たっ
ぷり「印象」という心の栄養を蓄えてほしい、ということです。
Posted by taro at
14:14
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書写の時間
小学校で書写の時間減少。毛筆で字を書いた時間は普段とは違う心のどこか
をくすぐる気がして、楽しかった思い出があります。何の意味があるのか、よく
わからないけれども長年人々が培ってきた伝統には、言葉で言い尽くせない大切
な勝ちがあるのだと思います。ちなみに、私の幼稚園には「書道教室」があり、
大変人気を博しています。小学校に上がってからも、その先生の指導を仰ぐ子ど
もたちがいっぱいです。私自身は園児に俳句を教えています。英語や数字は教え
ていません。このことについては、いずれまた。
Posted by taro at
09:19
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2004年10月03日
懐かしの資料
テニス関連で
中学時代に読み
ふけった本。当時、手に入れられる本は片端から読みふけりました。「グラ
ンドスラムへの道」、「キング夫人のテニスの技術」など何度読み返したか知れ
ません。懐かしいです。
Posted by taro at
22:39
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2004年10月02日
ラテン語とはなにか
Posted by taro at
07:35
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2004年10月01日
ダンボール祭り
前回の山びこクラブの写真がアップされています。題して、「段ボール祭り」
です。私の小学校時代のメインの遊びがこれでした。
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23:24
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ぼちぼちいこか
お山の絵本
通信最新号。今回は「ぼちぼちいこか」(Tomoko 先生の紹介)です。
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23:22
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2004年09月30日
台風一過
昨晩は激しい雨でした。今朝は7時から電話連絡を回しました。幼稚園は休園で
はないこと、運動会の総合練習は明日に延期することの二点がポイントでした。
ちょうど電話連絡が終わり部屋の外に出ると、西の空に見たこともないほど大き
な虹がかかっていました。朝のお迎えの公園に着くと、子どもたちは西の空を親
と一緒にずっと見つめていました。お山の上からも見えたよ、と言ったのはいい
のですが、幼稚園に着くまで消えないで待っていてくれるかなぁと心配でした。
しかし、9時の時点でも西の空にはまだ消えずに残っていました。その後、風は
強く吹いたのですが、本当に澄んだ秋の青空が広がって、気持ちの良い天気にな
りました。
Posted by taro at
15:41
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2004年09月29日
西洋古典のリンク集
Posted by taro at
19:19
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ホームページにランダム表示
自分のホームページにておすすめ
図書を紹介しているのですが、HTMLで書いてアップロードするやりかただと、お
すすめできる本の数が限られてきます(頻繁に更新するのが面倒なため)。昨日
山の学校に来た Fujita 君に頼み、ランダムに推薦図書のデータを表示するよう
設定してもらいました。データのファイルのみ修正、更新していけばよいので、
管理が楽なのです。まだ登録図書は10未満なので、同じ本ばかり表示されます
が、今後多方面からおすすめの本(西洋古典寄り)を載せていきたいと思ってい
ます。
Posted by taro at
17:26
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ギリシア語入門の解答例
昨日のエントリに関し、下記の情報をメールにて頂戴しました。
宮城徳也先生のホームページ内にありましたよ。
直リンクはここ
です。
http://www.littera.waseda.ac.jp/faculty/tokuyam/02gk.htm
私が記憶していたのは、哲学専攻の方のページでした。灯台もと暗し、といいま
すか、なんと宮城氏が解答例をアップされていたのですね。ギリシア語を自習さ
れる方にとっては朗報だと思います。
Posted by taro at
13:25
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2004年09月26日
Mac でブラウズ
久々に iBook にて自分の作ったページをチェックしてみてビックリ。OSXだとフォ
ントはきれいなのですが、Safari でも IE でも、色合いが目に優しく、裏を返
せばくっきり感が乏しいため、ぼんやりとしか識別できないなと感じました。い
つも、ウィンドウズで作成しているので、この「ぼんやり感」をわざと出すため
にフォントを小さくしたり、色を灰色にしたりちょっと工夫しているわけです
(それがよいかどうか別として)。ただ、その工夫がマックでブラウズしている
人にとっては裏目になってしまう、ということです。私の
園長
日記はデフォルトだと文字化けしますし、表示でシフトJISを選んでみても、
目をこらしても判読できない「ダメ」ページになって映ります。さてどうしても
のか(苦笑。
Posted by taro at
18:02
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2004年09月18日
「かず」のクラス
「山の学校」のウェブロ
グについてですが、「かず」担当の Ryoma 先生によるアップが続々と・・
・。小2のTくんの授業は、端で見ていても将棋を指しているような「真剣勝負
のオーラ」があって、すごいなと感じます。この日は写真をとらせてもらったの
で、あらためて画像を挿絵代わりにはって頂きましょう。
Posted by taro at
15:12
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誉めること
Merentem laudare justitia est.(誉めるに値する者を誉めることが正しい。)
教育のみならず、批評の極意でもあります。批判するのは簡単ですが、誉めるこ
とが難しい・・・。
Posted by taro at
13:53
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敬老参観日
本日、幼稚園では敬老参観を実施しました。前半は保育参観(参加)、後半はお
じいさま、おばあさまを前にして1時間の講演をさせて頂きました。9月に入り、
園の教育についてお話しする機会が何度かありました。哲学の第一歩は自分を見
つめること、という言い方がありますが、そのおかげで自分たちの幼稚園が何を
目指して日々取り組んでいるのか、その目標地点がおぼろげながら見えてきたよ
うに思います。そのあたりをいずれ文章にまとめたい、と思うようになりました。
Posted by taro at
11:59
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2004年09月17日
google adsense
グーグルのアドセンスは、ファイルの内容に応じた広告を掲示します。HPでホラー
ティウスの作品を紹介しているのですが、それぞれの詩でテーマが違うため、い
ろいろな広告が表示されるのが面白いです。なかにアデランスの e-check の広
告が出ているので、どんな詩だったのかな?と思ってみると「なるほど!」と思
いました。該当のファイルは
これです。
Posted by taro at
19:33
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おやまのえにっき
幼稚園の写真便りが更新中です。コメント付きバージョンと、撮った写真の
ほとんどをのせるスライドショーバージョンがあります。緑の中のおやまの幼稚
園ってどんなところなのでしょう?一度、ご覧下さい。子どもたちは、いつどこ
を撮っても絵になりますね。
Posted by taro at
13:34
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鷲と蝿
Aquila non captat muscam.(鷲は蝿を捕まえない。)
小気味よい表現です。自分が鷲なのか、蝿なのか、ということが問題なのではな
いと思われます。孔子の言葉に、「賢者を見れば等しからんことを思い、不賢を
見れば、内に自ら顧みるなり」というのがあり、自分の中の「鷲」を信じて己を
高めようとする努力と、一方では自分自身「蝿」ではないか、という自省とを促
す言葉になっています。
Posted by taro at
09:28
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背中で語る
Exempla docent, non jubent.(模範は教える。命令しない。)
いわゆる「背中で語る」ということですね。exemplum (エクセンプルム)は英
語の example の語源ですが、単なる「例」という意味以上に「手本、模範」と
いう積極的な意味を持つラテン語です。exempla はその複数形です。
Posted by taro at
00:49
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2004年09月16日
プラウトゥス「ロバ物語」について
人間は人間にとってオオカミ、という言葉はプラウトゥスの「ロバ物語」に見つ
かりますが、これを訳したのは誰かな?と調べると、早稲田の宮城徳也氏でした。
私の畏友です。彼のHP(http://www.littera.waseda.ac.jp/faculty/tokuyam/03prf..htm)
を見ると、「子供に理解ある親のふりをする助平親父の滑稽話」と紹介されてい
ます。
Posted by taro at
23:45
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傷と治療
Nec vitia nostra nec remedia tolerare possumus. (人間は己の欠点もその治療も我慢できない。)
たしかに、とうなってしまいます。欠点も直したいし、かといって、その治療・
矯正も面倒だったり、苦痛だったりして、受け入れたくない、と。「欠けている
のはいつも意志だ」(by 小林秀雄)というのがこの文の隠れた主張なのでしょ
う。
Posted by taro at
23:17
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カモミールの語源
本日の
Ikuko
Diaryにカモミールの語源についての言及があります。思わぬ所にギリシア
語、ラテン語に由来する単語があるものだと感じました。
Posted by taro at
20:27
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園長日記
園長日記を毎日更新
中です。ローカルな話題が中心ですが、幼児教育に関心のある方、どうぞ(笑。
Posted by taro at
18:42
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ウィルス対策その後
ウィルスメールに対する対抗策を講じてから、今のところ平穏な日が続いていま
す(2日ほど)。ちょっと半信半疑ですが、Ishigaki さんを始め、ラテン語ML
のメンバーに教えて頂いた対処法が功を奏した、つまり設定がうまくいった、と
思うことにします。コメントスパムも激減しましたが、どういうわけか、本日山
の学校のブログにスパムなコメントがつきました。全文英文なのに。まか不思議。
Posted by taro at
18:36
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人間は人間にとって神
プラウトゥスの homo homini lupus. (人間は人間にとってオオカミである)と
いう言葉がありますが、「ギリシア・ローマ名言集」(柳沼重剛著、岩波文庫)
によるとこれはギリシアのことわざ「人間は人間にとって神である(アントロー
ポス・アントロープー・ダイモニオン)を「まぜっ返した」言葉とされています。
プラウトゥスの言葉は、『ロバ物語』(495)に見られる表現です。
Posted by taro at
10:28
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2004年09月15日
生きる限り希望を持つ
Dum spiro, spero.(生きる限り、希望を持つ。
スピーロー・スペーローと音の響きがきれいです。この言葉に対応する英語の
"While there is life, there is hope. "より言葉数が少ない点もラテン語の特
徴がよく現れています。
Posted by taro at
07:39
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来週の青春ライブ
「山の学校」の藤田先生と打合せをしました。楽しく勉強できるよう工夫された
こととは?今までは「がんばって」勉強したという先生のお話ばかりだったかも
しれません。今度は、工夫して「楽しく」勉強した実例をたっぷりお話し頂きま
す。コンピュータのお話が出てくるかもしれません。来週金曜日の「青春ライブ
授業!」は今から楽しみです。
Posted by taro at
07:14
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2004年08月20日
携帯対応ページ
Posted by taro at
02:55
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デザイン変更
デザインを変更しました。とりあえず目につくところだけですが。
Posted by taroyam at
02:34
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2004年08月18日
愛と涙は・・・
新しいラテン語を格言集に追加。
Amor et lacrima oculis oritur, in pectus cadit.
愛と涙は目から生じ、胸へと落ちる。
(プブリリウス・シュルス)
涙が目から胸へと(はらりと)落ちるように、愛は視覚的な第一印象からスター
トし、やがて(即座に?)心に達する。
以前より、Amor ex oculis oriens in pectus cadit. のバージョンを格言集に
載せていたが、これは上記のラテン語を簡略化した表現。リプレイスしようか迷っ
たが、それぞれ残すことに。
Posted by taro at
18:49
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2004年07月23日
「山の学校ウェブブログ」を Myblog に登録
所謂ブログのポータルサービス。少しずつ更新していく。メールで更新するとカ
テゴリが指定できず、存在するすべてのカテゴリが表示されてしまう。なんとか
ならない?
Posted by taro at
21:10
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2004年07月21日
from Yama weblog
Posted by taro at
20:47
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2004年07月16日
思い出に変わるだろう
Forsan et haec o_lim meminisse juva_bit.
時間は苦悩の最良の癒し手、という表現がギリシア語に(ラテン語にも)あった
ことを思い出す。生きる頼りは、すべてこの希望にかかっているというと言い過
ぎか。
Posted by taro at
20:13
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mulier
Aut amat aut o_dit mulier.
何事も好きかきらいかで判断するということ?
Posted by taro at
20:07
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Troia
Fuimus Tro_e_s, fuit I_lium et ingens glo_ria Teucro_rum.
我々はトロイア人であった、と。Fuimus Tro_e_s. と口にするだけで胸迫るもの
があったはず。この完了時制は切なさを無限に帯びている。fuit I_lium もしか
り。だが、ingens glo_ria という表現は日本的ではない、という気がする。余
分なコメントであるが。
Posted by taro at
19:57
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飲む理由
飲む理由
Multae sunt causae bibendi.
飲む理由はたくさんある。
今日の一言はこれにつきる。無事一学期終了。
Posted by taro at
19:44
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2004年07月15日
bon voyage
Shimomura 君独逸へ。Hosomizu 君はアメリカで学会発表?(日記による)。
「青春ライブ授業」スタッフにとって世界は狭い(笑)?
Posted by taro at
08:21
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2004年07月14日
tacent
Cum tacent, clamant. (彼らが沈黙する間、彼らは叫んでいる)というキケロー
の一文がある。選挙に行かない人たちは、何かを叫んでいるのだろうか。テレン
ティウスに Tacent; satis laundant. (彼らは黙っている。彼らはじゅうぶん
称賛している)というのがある。選挙に行かないと、為政者にはこう解釈される
だろう。
Posted by taro at
22:16
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2004年07月07日
video
video 編集で四苦八苦。テープ不具合による。アフレコで音の長さが狂う。頭で
考えたとおりに事は運ばない。体調回復の兆し。ともかくあと一週間。ゆえに焦
らねばならぬことと、ほっとすべきことと。山びこ通信8月の内容検討。
Posted by taro at
00:46
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2004年07月06日
真に貧しい者
ラテン語の練習問題より。
No_n qui_ parum habet, sed qui_ plu_s cupit pauper est.
parum / plu_s はともに副詞とみなせます。「ほとんど持たない(parum habet)
ところの(qui_)者(先行詞が省略される例)ではなく(No_n)、むしろ(sed)
より多く(plu_s)欲する(cupit)ところの(qui_)者が貧しい(pauper)ので
ある(est)」
言い得て妙。
Posted by taro at
09:49
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2004年07月05日
覚え書き
O fortunati, quorum iam moenia surgunt! (Aen.1.437)
ローマの読者がこれを読むとどう感じたか、という視点でこの作品(「アエネイ
ス」)は読まないといけない。
Posted by taro at
19:29
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a latin phrase
Longum est iter per praecepta, breve et efficax per exempla.
praecepta, exemplaは、ともに第2変化中性名詞、複数対格です。
longum, breve, efficax はそれぞれiter(中性名詞・単数)にかかる形容詞です。
教えによる道は長く、実例による道は短く、効果的である。
英語ですと、Practice makes perfect.(習うより慣れよ)に相当するでしょう
か。
セネカ『書簡集』6.5に見られる言葉です。
質問を受けて。
Posted by taro at
12:54
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2004年07月03日
hodie
昨日から体調崩す。久々の風邪でダウン。締め切りオーバーの仕事いくつか。園
は行事が終わって一息つく。山の学校新学期の構想。Ikuko 先生渾身の
「しぜん」アップ。この日は本当にドラマチックな展開であった。文字通り、
自然が教科書となって子ども達を導いてくれる、という展開。
Posted by taro at
20:04
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2004年06月30日
summer
8月末に青春ライブ授業!スペシャル版で登場するか。英語の勉強から古典語に
転身した話などを交えつつ。
Posted by taro at
19:18
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yama
山の学校のウェブログ、徐々に更新ペースあがる。
語り尽くせぬ思い、感動が日々待ち受けているのだが、言葉にできぬものを言葉
にする時間がなかなか取れない。もどかしさ。でも、keep going on.
Posted by taro at
19:11
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cicero
■ Cicero
Nec ego pacem nolo, sed pacis nomine bellum involutum reformido. (Oratio Philippica VII,VI 19)
平和の名に包まれた戦争を恐れる、と。解釈はいろいろ可能であろう。
Posted by taro at
00:44
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2004年06月29日
latin
楽しく学ぶラテン語について。MLでは第9回、第10回目の課題をお知らせする。
Posted by taro at
23:54
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2004年06月28日
月末
1学期残り1と月を切った。気を引き締めて。大きな行事やイベントはまだまだ
続く。Carpe diem.
Posted by taro at
09:51
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2004年06月24日
url 占い
http://www.yk.rim.or.jp/~hmatsu/office/url.html HP 占いのサイト。
このサイトの持つ性格は、宗教・求道といった言葉で象徴されます。
象徴する言葉の通り、宗教方面の情報をあつかうのに向いています。
このURLの総合的な吉凶は以下の通りです。
穏やかな人生の意味があり吉です。ただ時々小さな凶運がめぐってくるので、気苦労のある運勢です。
自分のHP(http://www.kitashirakawa.jp/~taro/indexj.html)について。瞬間
的に結果が示されるので驚き。
Posted by taro at
23:09
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2004年06月19日
from email
Great spirits have always encountered violent opposition from
mediocre minds.
--
Albert Einstein
Posted by taroyam at
22:59
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本日
本日
台風6号接近、と。風が強まる。今週は梅雨らしくなく、晴天続き。体調はよくない。きのうは、がんの話をきき、今日は歯の話。ふれあいサタデーにつき、弟に感謝。専門的知識をていねいに伝える力量、さすがに現場経験ゆえ。パンフの記事に要訂正箇所あり。
山の学校
http://www.kitashirakawa.jp/~taro/yama/ ウェブログ更新相次ぐ。いろいろ手を変え品を変え。とまれ、青春ライブ授業!3回目無事終了。青春ライブ授業!について、赤子の1歩1歩に等しい。足元おぼつかなくても、誕生、そして成長の歩みは事実。進むべき道が見えてきたような。最終回につき、打ち合わせ。ディベートという形での生徒参加。ソクラテスに還れ、キケロといってもよい。
Posted by taroyam at
20:10
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2004年06月16日
corpore sano
深呼吸とストレッチ。Dum spiro spero. 精神面では目標意識、言い換えれば希望 spes をもつことが大切。目標がなければどこにも着かないのである。
Posted by taro at
01:48
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2004年06月15日
amenbo
アメンボ――水の上のスケーター――という題で Ikuko 先生がレジュメを作成。
今日は暑いが、楽しいクラスになるといい。
Posted by taro at
16:19
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兄弟
教育について、厳しさと優しさの両方が大切と思われる。このさじ加減について、
ローマの時代にも世の親は悩んでいた模様。テレンティウス『兄弟』は、寛大な
父と厳格な父の対比が用意され、印象深いオチを導く。どちらに傾いても悲喜劇
が生まれるということ。
Posted by taro at
15:11
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日曜日
去る日曜日は、さわやかな晴天の下、父親参観を実施。どのクラスも和やかに楽
しいひとときを過ごされた様子であった。10時50分より、「キャッチボール」
という題で、お父様方にお話をさせていただいた。できれば、その内容を近々文
章にまとめたいと思う。
Posted by taro at
15:08
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2004年06月14日
昨日
予想に反して晴天。午前中は父親参観。私語ゼロの世界(驚)。可愛い子には旅
をさせましょうという趣旨の話。どのクラスも適度な緊張感と歓声に包まれてい
た模様。
Posted by taro at
09:22
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2004年06月09日
中学、高校のことばのクラスに期待する
ラテン語と言えば、スタッフとのラテン語学習は心のオアシス。アエネイス、アンミアヌス、新ラテン文法、など。これらスタッフによる中学、高校のことばのクラスこそ、子供たちの言葉を汲み上げる充実した学びの場となるだろう。青春ライブは、ひとつの発表の手本であり、exemplum である。
Posted by taroyam at
23:15
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2004年06月06日
うらないなど
普段より好奇心やチャレンジ精神が旺盛になって、新しい事に次々と手を出したくなる日です。ただし、目的意識をしっかり持って行動しないと、注意力が散漫になって、大きなミスをしてしまう事もあるでしょう。こんな日こそ慎重に行動するようにしましょう。また他人の忠告は素直に聞き入れてください。特に、年配者の意見に従うことは自分のためになります。デスクの整理をするとツキに恵まれ予感です。
目的意識を再チェックすべし、か。いろいろあたらずもとおからず。
Posted by taroyam at
19:10
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(タイトルなし)
53号。変身物語、ガリア戦記、サテュリコン、老年について。
Posted by taroyam at
18:28
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2004年05月30日
青春ライブ授業
私がこういう出会いを実現したいと願った以上の授業でした。本当に
impressive なお話をありがとうございました>細水先生。今度は、子ども達が
express する番ですね。
Posted by taro at
19:29
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2004年05月26日
言葉の教育
言葉の教育
「物言えば唇寒し秋の風」(松尾芭蕉)
何か言葉を口にすると、はからずも他人を傷つけることがある。物を言うことはとかく難しい。ラテン語にも、「言葉と武器は傷つける(Et arma et verba vulnerant.)」という格言がある。だが、この俳句の本来の意味は別のところにある。芭蕉はこの俳句の前で次のように述べている。
「ひとの短を言うことなかれ。おのれの長をとくことなかれ 」。
調子に乗って他人を批判したり、己の自慢をしたりすると、唇が何となく寒々しい感じになる。冒頭の俳句は、警句というよりも、人間の浅はかな一面を鋭くえぐり取った表現のように思う。
「口は災いの元」に相当する英語表現に、Out of the mouth comes evil. というのがある。ヘシオドス も「言葉の慎みより尊い宝はこの世にない」と戒めた。では、災いを避けるために、口を貝のように閉ざせばよいのかというと、無論そういうわけでもない。「文は人なり」という言葉があるが、「言葉は人なり」である。言葉は心の内面を他人に見せる鏡ともなる。心の自由な言葉を失うことは、アイデンティティ・クライシス(identity crisis)を招くだろう。
このことから連想されるのが、ギリシア神話に出てくる妖精エコー(Echo)――カラオケでおなじみのエコー(echo)の語源――にまつわる悲劇である。彼女は、持ち前のおしゃべり好きが災いし、ゼウスの妻ヘラの怒りを買った。その結果、罰として自分の言葉を発することを禁じられた(ただし、相手の話の終わりをそのまま繰り返すことは許された)。
エコーは、森の中をさまよう美青年ナルキッソス(Narcissus)――ナルシスト(narcist)の語源――に恋をしたが、せっかく二人だけで話をするチャンスが訪れたのに、彼女は自分の胸の内を伝えることができず、ナルキッソスに対しては彼の不遜な言葉の最後を繰り返すのみであった。エコーは悲しみのあまり憔悴し、ついには森の奥に潜む声の響きだけの存在(=木霊)となったという。
エコーに許されたのは相手の言葉のオウム返しであったが、彼女の悲劇は、「自分の言葉」を失った者の苦悩を伝えてやまない。言葉を自由に操ることは、かくも人間にとって貴重なものであり、キケローによれば、言葉ほど真の人間性(humanitas)に固有のものはないといわれる。「というのも、互いに言葉を交わし、感じたこと、思ったことを言論によって表現できるという、まさにその一点こそ、われわれ人間が獣にまさる最大の点だからである」と。
むろん、言葉の自由は言葉の放埒ととり違えられてはならないだろう。自由とは喜びであると同時に責任でもある。ゆえに、どの国においても教育の基礎に言語教育を据え、国語力の鍛錬に努めるのである。だが、我が国において、若者の国語力は十分に教育されているだろうか。このことについて、司馬遼太郎氏は次のような警鐘を鳴らしている。
国語力は、家庭と学校で養われる。国語力にとっての二つの大きな畑といってよく、あとは読書と交友がある。国語力を養う基本は、いかなる場合でも、「文章語にして語れ」ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境(つまり単語のやり取りだけで意志が通じあう環境)では、国語力は育たない。ふつう、生活用語は四、五百語だといわれる。その気になれば、生涯、四、五百語で、それも単語のやりとりだけですごすことができる。ただ、そういう場合、その人の精神生活は、遠い狩猟・採集の時代とすこしもかわらないのである。
言語によって感動することもなく、言語によって英知を触発されることもなく、言語によって人間以上の超越世界を感じることもなく、言語によって知的高揚を感ずることもなく、言語によって愛を感ずることもない。まして言語によって古今東西の古人と語らうこともない。ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、何をいっているかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。(「何よりも国語」より)
友達とのおしゃべりには夢中になるが、文章語にして自分の考えを表現することは苦手である、あるいは肝心の国語教育の時間において、先生の示した「正解」を生徒がせっせとノートに書き写すだけで自分の感動や知的高揚を文章に表す機会が与えられないのなら、先に挙げたエコーの悲劇は我々にとって他人のものとは思われない。
Posted by taro at
09:44
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2004年05月22日
a mail
KIT の Koizumi 先生よりメールいただく。Sell 先生退官されたことを知る。
Anni eunt more fluentis aquae. Ishii先生もしかり。採用の時、英語でイン
タビューされ、はったりをきかせてしゃべったことが昨日のことのように。9
年も前の話。Inoue 先生もいらした。一般教育の懐かしい思い出。東1号官F
には独特の文化があった。
Posted by taroyam at
03:01
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2004年05月21日
hodie
終日雨。梅雨のよう。家庭訪問期間故、午後は時間がある。どこに向かってい
るのかという感覚・問題意識が重要。誰もが微力。しかし個々の力はゼロでは
ない。その集合が大きな力(res publica)となる。その向かう方向を問題と
する。
Posted by taroyam at
00:01
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2004年05月19日
Latin
通信講座の受講生の答案提出が偶然重なる。1泊2日でのお返事。MLのお返事も
重なった(予定より遅くなる)。幼稚園は、外遊びにて3学年がそろう。活力数
十倍(笑)。年長児が年下の子の面倒を見るモチーフ好ましい。鉄棒指導もスター
ト。あふれんばかりのパワーを、サーキットにて吸い取るエンディングとなる。
それにしても元気だ。前回りが苦手という意識について。ここに指導者としての
腕の見せ所あり。テニスのコーチ時代の勘を思い出すべし。
Posted by taro at
10:00
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etc
避けるのでなく立ち向かうこと。仕事、勉強の基本。8巻でティベルがアエネアスを励ます。過去の範例によって現代をみる、今を励ます構造。「村田氏」の青春の夢を通し、現代を生きる日本人が勇気を与えられるのは、希望をもつアエネアスの姿を通して力を授かるローマ人と同じ構造。
Posted by taroyam at
01:06
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2004年05月16日
本など
さっそく深夜特急。村田エフェンディ、芭蕉句集など。
Posted by taroyam at
22:08
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2004年05月15日
memo
青春ライブ無事終了。話が前半。後半は、保護者、生徒、講師、主催者で雑談
タイム。お酒なしに、雑談に花が咲くのは、前半の講演の魅力ゆえか。次回も
こうご期待。
Posted by taroyam at
14:28
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2004年05月10日
a new book
「村田エフェンディ滞土録」梨木香歩作。帯の言葉:歴史に忘れ去られた青
春よ、目覚めよ。語れ。国や主義や民族を越えた遙かにかけがえのない友垣への
道筋を。/ 最後の謝辞は過分なお言葉と思う。
Posted by taro at
20:06
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2004年05月09日
memo
もし目的地がなかったら、どこにもたどりつけない。
Posted by taroyam at
21:50
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2004年05月07日
in near future
私塾(受験指導をするところでなく)をリタイアした中高年が開設する、自宅を
利用して。これが増えると思う。
Posted by taro at
22:49
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2004年04月28日
連休
なんとか連休前に一段落か。論集の原稿もまとめるべし。
Posted by taro at
19:53
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2004年04月12日
a new order
ラテン語MLでは新しく「楽しく学ぶラテン語」で勉強会をスタートさせます。メ
ンバーは15名(過去最高)。教科書は、アマゾンだと品切れですが、
http://bookweb2.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=9920731595
ここだとまだ入手可能のようです。
Posted by taro at
13:55
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2004年04月06日
ラテン語メーリングリストでの勉強会
4月になり、心機一転ラテン語を始めようという方は少なくないと思います。是
非、これを機にラテン語文法を勉強して頂けたらと思います。
私は1999年にこのMLをはじめましたが、当初はこんなにたくさんの方がラテ
ン語学習に情熱を持っておられるとは夢にも思いませんでした。
その後、このMLの上で、いくつかのラテン語文法書の勉強会を開いてきましたが、
一方では立ち上げの頃から「ガリア戦記」の読書会もスタートし、文法と講読の
二本柱体制ができました。
とくに有志の方のはじめられた講読コースの質と量の充実は目を見張るものがあ
ります。このMLが今日まで続いているのは、ラテンな会話の楽しさもさることな
がら、この講読コースの存在が大きいと思います。
さて、文法の初級コースですが、先日「楽しく学ぶラテン語」(通称「たのらて」)
のコースが無事終了しました。このコースは、大学書林から出ている同名の教科
書を使って基礎的な文法を学ぼうというものです。
基礎的と言っても、なかなか難しい内容も含まれています。しかし、その分なか
なか面白い教科書に仕上がっています。
この教科書を使っている理由は、その著者がこのラテン語メーリングリストでの
使用を許可して下さっているからです。
ということで、前置きが長くなりましたが、また4月から新しいメンバーを募り、
「楽しく学ぶラテン語」を一から勉強していきたいと思っています。
今回、この勉強会に参加したいとお考えの方は、名乗りを上げて下さい。この教
科書をお持ちの方で(在庫が少ないようです)、最後まで続けるご意志をお持ち
の方(初心者歓迎)、どうぞお気軽にご参加下さい。(参加というのは、指定さ
れた課題を1週間以内にこのMLあてに送信することです)。
第一次募集として、今週末(11日)までに応募された方を対象にスタートした
いと考えています。12日(月)に課題を発表、第一回目の答案提出締め切り日
は17日(土)とします。
--
以上の内容を昨日アップ。対象はラテン語MLのメンバーに限る。
Posted by taro at
22:20
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2004年04月04日
rain
雨が降り、桜が散り始める。始業式、入園式頃には花も少なくなっているだろう。
古文なら「花咲きなむ」といったところ。
そういえば、この「花咲きなむ」という表現と「花咲かなむ」の違いを説明せよ、
といったレベルの問題が高校3年生の古文の試験に出た。この手の比較問題がず
らっと並んでいて、平均点はかなり悪かった。私はどちらも「花が咲くだろう」
と書いたのを思い出す。
Posted by taro at
20:04
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2004年04月03日
感服
MLのラテン語文法講座が無事修了。ものすごい熱意とその持続がないとゴールで
きないはず。今までのべにして何人がゴールインしたか、ちょっと思い出せない
が、一人でも多くの人がラテン語の教科書を最後まで終える感動を味わって頂き
たいと思う。
一方、山の学校の通信講座でも、ゴールまであと1課を残すのみ、という方がい
らっしゃる。新出語の活用変化も書き添えてのアップを丸一年継続されてのゴー
ル目前。すごいというほかない。
Posted by taro at
19:18
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like an arrow
Hora fugit.
静かに、しかし足早に日々が過ぎていく。巷で言われるように、この世界は年度
の変わり目が一番きつい。日頃が肝心であると知りつつ、日頃は目の前のことで
忙殺されていく。
このところ、うぐいすがよく鳴く。その声をしみじみ聞くことが出来るだけ、本
来はこの「場」は静寂に包まれている世界なのだと知る。
子どもたちがいるときにすべき仕事と、いないときにこそ集中できることと、そ
の区別がわかりかけてきた。新年度は、先手必勝で臨むとしよう。 Carpe diem.
Posted by taro at
19:08
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2004年03月31日
renewal
幼稚園の新年度に向けて、ホームページを一新した。
http://www.kitashirakawa.jp/
中身は変わっていないが、見かけはだいぶ変わったと思う。これを御覧になって、
直接見学にこられる方が本日も一家族。すでに内容をよくお読みになってこられ
るので、従来のように長くご説明する必要はない。むしろ、園庭を実際に御覧に
なったり、ご自宅から実際に子どもと一緒に歩いてこられたりetc. あとは、生
の体験を重視される。HPの中身については、当面、Q&Aを充実させていきたい。
私自身が実際に応対し、実際にお答えした経験に根ざしたQ&Aを。また、折に触
れて教育についての考えもまとめていく。自分の覚え書きでもある。
Posted by taro at
18:25
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2004年03月25日
hide's mail
Hide's
Mail を久々に読む。勝負の厳しさを楽しむ知性を感じる。私も同じ考えを
自分の中に認めるが、彼は普段それを顔に出さない。ボールを自由自在にコント
ロールするように、言葉を自由に扱う楽しさ。この楽しさは、苦しみと同居して
いるはずだが、自分の言葉のパッチワークをマスコミに操られる人形になってた
まるか!という気概が感じられて、そこに共感。そこに自由がある。
Posted by taro at
12:04
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2004年03月24日
山の学校終了日
本日をもって、今年度の「山の学校」の授業は終了。「かず」のShu 君、Junpei
君には補講あり。二人が一緒に勉強できる最後の授業となる。学年も学校も違っ
ていたが、本当に仲の良い二人であった。
Posted by taro at
12:03
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2004年03月23日
春休み
久しぶりのアップとなる。この間、終了式、卒園式、謝恩会。山の学校の説明会。
まさしく節目の日々であった。
こうして新年度の準備や旧年度の整理で追われるうち、ホッとしながら新たな緊
張の始まりを感じる。一年無事に終えた安堵ははかりしれないわけだが。
いろいろあったけれども、なんとか一年が回った、という経験は何にも代え難く、
この経験こそが、昨年の今の時点では持ち得なかった財産である。
昨晩、松本紀生さんから電話が入る。連休明け12日に園にて講演していただく
ことに。今度は小学生・中学生がメインとなる。打合せはメールである程度すん
でいるので、話は早い。
TV「情熱大陸」にて全国デビューのご予定。これにNHKの取材も入るわけで
・・・。今後お忙しくされるのか、それとも、今まで通りマイペースを守ってい
かれるのか。おそらく後者であろう。また、来年以降もお山に来て頂けるとよい
と思う。
本日午後、ひねもすスタッフと反省会。3時間を超す。Ogusu 君は4月から東京
へ。別れがたく。幼稚園に yell を送ってくれて、手を振って別れる。
Posted by taro at
23:12
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2004年03月17日
spilt milk
ダビングしたつもりのビデオ20本がふいに。わびて業者に依頼するか、このま
ま続行するか。思案の末、後者で行くことに。なんとか間に合いますように。
それにしても、咳が取れない。一月になる。話し込むと咳き込むのはつらい。が、
明日、明後日は気合いで行く。ビデオも気合いで編集中。
Posted by taro at
23:45
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2004年03月16日
人生の木の葉
人の世の移り変わりは、木の葉のそれと変わりがない。風が木の葉を地上に散ら
すかと思えば、春が来て、蘇った森に新しい葉が芽生えてくる。そのように人間
の世代も、あるものは生じ、あるものは移ろうてゆく。
「イリアス」6.146(松平千秋訳)より。
Posted by taro at
00:17
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2004年03月15日
renewal
http://www.kitashirakawa.jp/~taro/indexj.html について、思い切ってデザイ
ンを一新。リンク切れもたくさん発生するだろうけれど、春の訪れにあわせてす
べて一新。
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18:48
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2004年03月14日
tandem
ラテン語通信講座第一期生の方に、48課の答案を返却。あと1回でゴール。集
中力と熱意、根気には脱帽。
Posted by taro at
20:17
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from Ov.Did.15
Facta fugis, facienda petis.
なされたことを(facta)あなたは逃れ(fugis)、なすべきことを(facienda)
あなたは追求する(petis)。
すべきことの意識(義務感=ローマ建国)に縛られて、自分のしたこと(ディー
ドーを愛したこと?)の責任は取らないアエネアス?ということか。
Posted by taro at
00:41
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若山牧水
Posted by taro at
00:21
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2004年03月13日
「家守綺譚」
「家守綺譚」(梨木香歩)。歴史と文学ということについて考える。
著者曰く、「村田エフェンディの友人の話の話です。村田くんも出てきます。」
とのことで、「村田エフェンディ」ご本人の話も楽しみにしたい。
Posted by taro at
17:35
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2004年03月12日
学ぶことと年齢と
Ego nullam aetatem ad discendum arbitror immaturam.
私は(ego)、学ぶには(ad discendum)、いかなる年代でも(nullam aetatem) 熟
していない(immaturam) ということはないと判断する(arbitror)。
ラテン語を学ぶに早すぎることはない、ということ(笑)。MLでの勉強会も大
詰め。
Posted by taro at
23:51
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2004年03月11日
virus
ウィルスというのも、ラテン語。vi をウィというのはラテン語の発音。vinum
はウィーヌム。ワインのこと。ウィルスは母音の長短を考えると、ウィールスと
なる。
このところ、ウィルスメールが増えた。ウェブログのコメントにも妙なのが。コ
メントが入るとメールの通知も入るので、怪しいのはすぐに削除する。
梨木香歩さんの新刊書。日本語としての美しさを感じる時間。
MLでの「楽しく学ぶラテン語」も大詰め。今までで一番時間がかかったかもし
れないが、その分山頂の眺めもよいだろう。
Posted by taro at
23:52
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2004年03月09日
hodie
年長児の俳句も大詰め。黙想の時間が今までで一番集中できていた。Sちゃんが
初めて発表できた。皆自然と拍手した。
新年度の「山の学校」の案内を作成すべく夜遅くまで。まだ進行中。
Posted by taro at
23:42
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2004年03月07日
科学史に出てくるラテン語の質問
メールで下記の質問を受けました。
“vis motrix”と“vis motiva”の意味と違いが知りたいのです。
研究社の『羅和辞典』では,
“motus”が名詞で“運動”を表わし,
“moveo”が動詞で“動かす”という意味を表わすことはわかったのですが,
それが“motrix”や“motiva”とどうつながっているのかわかりません。
例えば,それが「動いている力」であるとか,「動かす力」であるとか,
そんな意味になるのでしょうか?
どなたか分かる方がいらっしゃいますか?
Posted by taro at
23:17
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simply latin
simply latin
この中に、sit tibi terra levis. も紹介されている。MLのメンバーの方にサイ
トアドレスを教えて頂いた。
Posted by taro at
09:48
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2004年03月06日
岡先生の残された言葉
「岡先生の残された言葉」 山下太郎
私が、岡先生と最後にお会いしたのは、昨年六月の古典学会(於東大)のときのことである。ちょうど「キケロー選集」(岩波書店)の御担当分(『国家について』、『法律について』)が刊行されて間もない頃であった。昼休みに三四郎池のほとりでお話しする機会があったとき、話題は自然とキケローの翻訳のことに及んだ。先生は、今回の翻訳においては徹底した直訳体を試みたと言われ――原文のカンマ、ピリオドに至るまで日本語の句読点に一致させる、等――、キケローの訳は直訳を旨とするのがよいと仰った。
今、大学の授業でキケローの「スキーピオーの夢」(『国家について』第六巻)を学生たちと読んでいる。浅学な私には、先生が仰った言葉の本当の意味は、未だによくわかっていないのかもしれないが、少なくともキケローの原文――そびえ立つアルプスの山のように見える――に直に取り組もうとする真摯な登山者にとって、先生のご労作がこの上なく頼もしい「導き手」であることに疑いはない。
と、ここまで書いてきて、私は先生がかつて口にされたある言葉を思い出した。どういう前後関係だったかは忘れたが、当時学生だった私は、失礼を顧みず、「先生はどうして一般向けの本をお書きにならないのですか。」と問うたことがあった。すると先生は、「私は啓蒙書を書くより論文が書きたい。専門以外の人は、専門家の書いたものを信用する。だから間違いが許されない。それに対し、私は間違ったことを書く可能性があるが、専門家相手なら、間違いだと気づいてもらえる。つまり、議論ができる。」という趣旨のことを語られた。
そのとき周りには、私以外にも数名の学生がいた。先生は続けて仰った、「私たちは、常に世界を見て研究しなければならない。そして百年先の学問に貢献しなければならない。だから、私は君たちのような若い学生に語りたいことがいっぱいあるのだ。」と。
当時、私は西洋古典を学び始めてまだ日が浅く、先生の高邁な論理のつながりがすぐさま理解できなかったが、「世界を視野に入れた研究」であるとか、「百年先の学問」といった普段耳慣れない言葉だけが不思議に心に残った。
だが、いっそう印象に残ったのは、むしろ次の言葉であった。すなわち、先生は続けて言われた、「世界を見るとは、必ずしも英語で論文を書くことを意味するのではない。日本語であっても、論理を重んじる態度が何より大切である。今後、世界のより多くの人が日本語を学び、理解する日が来るに違いない。」と。岡先生が多少なりとも予言めいたことを口にされたのは、このときが最初で最後であった。
その後、数年の月日が流れ、私がこれらの言葉を再び思い出すきっかけとなったのは、先生が演習の授業で、ウェルギリウスの『アエネイス』を取り上げられた時のことであった。この作品の第一巻半ばには、ユッピテルが未来のローマの運命を物語る有名なエピソードがあり、その中に、imperium sine fine という表現がある。私は授業の中で、「限界のない支配権」と訳したところ、先生は、言下に「際限のない支配権」の方がいいと言われた。続けて、「ローマの支配権は、時間的にも空間的にも際限がないという趣旨だ。」と説明された。このとき、私の脳裏には、かつて先生が口にされた「世界」や「百年先」といった言葉が蘇ったのである。
それから、さらに年月が経ち、私は今、学生たちといっしょに「スキーピオーの夢」を読んでいる。宇宙の高みから小さな地球を指さしつつ、真の誉れの何たるかを語る大アーフリカーヌスの言葉は、地上の栄光(gloria)――時間的にも、空間的にも限定されている――のはかなさを指摘してやまない。キケローのラテン語を読めば、岡先生の肉声が、今もありありと聞こえてくるかのようである。はたして、先生がキケローのラテン語を日本語に直されたのか、あるいは、キケローが先生の日本語をラテン語に表したのか。
私はさらに想像を逞しくする。百年先の地球という星においては、世界の人々が、岡先生の日本語を「導き手」とし、キケローの原文に挑戦しているだろう、と。すでにふれたように、将来の日本語の普及と発展を確信しておられた先生にとって、その可能性は自明のことのように思われたに違いない。
もし、この想像が当たっているとすれば、冒頭で触れた「キケローの翻訳は直訳を旨とすべし」という先生の言葉の真意は、やはり、「世界」や「百年先」といったキーワードとともに理解すべきことのように思えてくる。すなわち、先生が今回キケローの原文に限りなく忠実な日本語を用意されたのは、ご自身の訳文が、キケローの「論理」――世界の人々によって理解されうる普遍性を有する――の美しさを永遠に保持することを何より祈念しての措置であったと思われる。
(2001.1.31)
Posted by taro at
22:37
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山の学校ウェブログ
待望の(笑)ウェブログRyoma 先生もコメントを
書き始めた。デザインは二の次で、まずはスタッフでどんどんコメントを書き進
めて行こう。
Posted by taro at
21:01
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de senectute
MLで教わった情報:
朝日新聞首都圏版?の3月6日夕刊に
「老年」が惨め、なのではない
ローマの弁論家、キケロが教える
と題して、中務哲郎氏がコメントしています。
キケローは、葡萄酒の熟成と人生の円熟とを比較。私見:葡萄酒との相違点は、
人間は自分の人生のグランドビジョンを描く力があるということ。それなしに、
ただ年を重ねてよいものか。人生は一度きりである。生きて、生かされて、人は
何を表現するか。表現したと、死ぬときに自覚できるか。
Posted by taro at
20:33
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戦争と平和
cedant arma togae.
キケロー『義務について』1.22.77
arma は togae に cedant するがよい。「武器はトガ(平和時に身につけるロー
マの市民服)に譲るべし」。
『ギリシア・ローマ名言集』
において、<「ペンは剣より強し」という思想の最古の表明>とコメント。昨日のカトゥルスの詩句とともに、接続法のよい例文。
Posted by taro at
01:35
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2004年03月04日
結婚指輪に刻む文字
読者から素敵な質問を頂戴しました。
インターネットでラテン語を検索しているうちに、山下先生のホームページにた
どり着きました。私、今までラテン語には接したことがなかったのですが、ラ
テン語格言集など非常に興味深く拝見させて頂きました。そのなかで少し教えて
頂きたいことがありましたので、思い切って筆を執った次第であります。
カトゥルスの『カルミナ』(『詩集』)第5歌ですが、
vivamus, mea Lesbia, atque amemus, とありますが、
愛しのレスビアの行を省略し、一文とした場合には、
Vivanus, atque amemus. でよろしいのでしょうか?
初歩的な質問で申し訳ありません。 というのも、wedding ringに刻む言葉を
探しているのです。 原文のニュアンスとしても適合しますでしょうか?
責任重大なご質問であります。結論から申しますと、mea Lesbia の言葉はとっ
て差し支えありません。むしろ、ない方が、指輪に彫り刻む文字としてはふさわ
しいでしょう。
mea Lesbia は「私のレスビアよ」という意味ですが、カトゥルスが愛した女性
の本当の名前でなく仮の名前です。
Posted by taro at
11:03
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2004年03月03日
羅和辞典について
以前の学生のレポートより。
前期の授業を通じて、一番、印象に残った言葉は次であります。
Postentissimus est qui se habet in potestate
「自分自身を支配の下に置いている者が一番強大なのだ」
これを私は自己流に「己に克つ」という意味に解釈しました。「己に克つ」は論
語の顔淵篇にある言葉ですが、私はこれを、自分に克つ、つまり挫けようとする
弱い自分を叱咤激励する言葉として処世訓の一つにしています。 私は62歳の時、
ホノルル・マラソン42.195キロに挑戦し、成績は別として完走しました。マラソ
ンコース上をサイレンを鳴らして走る救急車が、20キロ地点を過ぎた位のところ
になると、私の横を通る時は、必らず徐行するどころか一旦停止する。
馬鹿にするな!と口では言わずに、心でにらみつけましたが、今だったら、
Potentissimus est qui se habet in potestate.
というところであります。
しかし、最後にゴールして、小錦のような大男のアメリカの大会委員に抱きかか
えられ祝福されたときは、さすがに胸が熱くなりました。
結局、私は参加者13268名、完走者11854名中、11621位、タイムは8時間6分6秒でありました。
今まで私は、語学辞典の序文というものはあまり真剣に読んだことはないのです
が、このたび田中秀央編「羅和辞典」の「初版まへがき」を読んで厳粛な感動に
心を打たれました。
淡々と編纂の経緯が書いてありますが、昭和10年(1935年)3月、著者が独り
でペンをとりあげられてから、昭和27年(1952年)6月15日、遂に出版にこ
ぎつけられるまでの17年の歳月は、日本の歴史の中で国民の生活がどんなに苦
しい時代であったかを思うとき、この「羅和辞典」はあだやおろそかにはできな
いと思います。
昭和6年(1931年)満州事変が起こってから、昭和12年(1937年)日華事変へと
戦争が拡大するに及び、いわゆる国家総動員法が公布され(昭和13年・1938年)
には、軍事教練が大学での必須科目になったのでした。そして遂に、昭和16年
(1941年)太平洋戦争に突入し、昭和20年(1945年)敗戦。この戦争での死傷者は、
陸海軍人・一般国民を含めて250万人といわれております。
しかも、昭和20年の敗戦から後の食糧不足は深刻で、おそらく田中秀央先生も
食うや食わずの生活だったと思います。
日本経済が立ち直り、やっと生活に明るさが出てきたのは、昭和25年(1950)年
朝鮮戦争が起こり、いわゆる特需景気でインフレが衰亡、工業の復興が進み、食
糧不足も解消へ向かいました。
その2年後の昭和27年(1952年)6月15日にこの「羅和辞典」は日の目を見て
おります。
あの悲惨であった戦中戦後の時代にも、学問への情熱を失わず
「Festina lente」(ゆっくり急げ)の金言を体して出版にこぎつけられたこと
は、私には想像できない程のご苦労であったことと思い、ただただ頭を垂れて心
からの敬意を表する次第であります。
Posted by taro at
09:41
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classes on Saturday?
先生、土曜日に英語の講座を開くことって可能でしょうか?(一般的に社会人[@
特に設計などのエンジニア系の職種]は平日は残業とかが多く勉強をする時間が
ありませんが、土、日なら時間はあると思います。実際に去年の9月〜11月に立
命館大学びわこ草津キャンパスで行われた「びわこ講座(http://www.ritsumei.ac.jp/mn
g/cm/sokan/biwako-koza/biwako.html)」には、多くの社会人の方が講座を受け
に来られていました。[私も講座を受けていた一人でした。])
先生、もし可能であれば、元京都予備校の土曜日クラスみたいな授業(@講義)を
社会人向けにアレンジしてやっていただくということはできないでしょうか?
(無理にとはいいません。)
メールを有り難うございました。土曜日の授業のアイデアはなるほどと思いまし
た。ただ、今のところ、幼稚園のイベント等で土曜もけっこう予定が詰まってい
るのです。英語の通信講座なんてどうでしょうか?和文英訳、英文和訳のチェッ
クならメールで出来ますが。
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01:08
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2004年03月02日
gratias ago
先日の呼びかけに応じてくれている students に感謝。/ 風邪が抜けない。/ ブロッグ
による教育の可能性。/ HPのrenewal 準備進める。卒園式に間に合わせる。/ ビ
デオダビング手早くすませる。/ 山びこ通信用意。→中学3学年それぞれに英語
は1クラス開講する。
Posted by taro at
23:44
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hinemos
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01:55
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2004年02月08日
命令法
例文として、次のものがある。
Abi ad formicam, o piger.
Ab uno disce omnes.
Accipe quam primum: brevis est occasio lucri.
Carpe diem.
Cognosce te ipsum.
Date et dabitur vobis.
Disce gaudere.
Divide et impera.
Dona nobis pacem.
Ede, bibe, lude, post mortem nulla voluptas.
Festina lente.
Medice, cura te ipsum.
Memento mori.
Misce stultitiam consiliis brevem, dulce est desipere in loco.
Noli me tangere.
Ora et labora.
Petite et accipietis, pulsate et aperietur vobis.
Plaudite, acta est fabula.
Saepe admonitionibus utere, rarius castiga.
Si vis amari, ama.
Vere ac libere loquere.
Vive hodie.
Vive memor mortis.
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14:17
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首都大学
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02:29
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2004年02月07日
ギリシアの贈り物
学習塾を経営されている方から質問を受けた。「生徒に「ギリシア人の贈り物は
恐い」ってどういう意味かという質問を受けました。ギリシア神話に関する話な
のでしょうか。」ビンゴである。トロイの木馬。それはトロイアの崩壊につなが
るギリシア軍の贈り物。よって、「怖い」のである。
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16:12
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ヴォーチェ
http://www.ne.jp/asahi/voce/home/index.htm ヴォーチェのページに私のペー
ジへのリンクがあるようだ(京大合唱団のOBがつくるヴォーチェとは違うもののようだが)。
声楽のラテン語発音について、私はまったく知らないが、古典ラテン語の発音・
アクセントの情報も、少しは役に立つのだろうか。なお、ヴォーチェというのは、
ラテン語の vox から派生した言葉なのだろう。ラテン語と音楽とくれば、前川
君のおはこである。→http://web.kyoto-inet.or.jp/people/yutaka70/
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08:12
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2004年02月06日
from Ovid
si nihil infesti durus vidisset Ulixes,
Penelope felix sed sine laude foret.
--
Ovid Trist. 5.5.51
これは、Hectora quis nosset, si felix Troja fuisset?
publica virtuti per mala facta via est. Ovid.Trist.4.3.75 と同じモチーフ
と思われる。
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00:15
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2004年02月05日
The child is
The child is father of the man;
And I could wish my days to be
Bound each to each by natural piety.
幼児教育に携わる者には無視できぬ表現(笑)。natural piety は「生まれなが
ら授かった敬虔さ」?こう訳すと、ローマの pietas と少し違う気もしてくる。
細かな詮索は抜きに、言葉の響きが美しく、伸びやかである。
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23:59
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ubi est?
有田先生の「初級ラテン文法」は品切れの様子。家の中を探しているのだが、い
ずこに?
Posted by taro at
23:54
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植松氏のHP
植松さんのHPを発見。私とあまり年が違わないんだ。KIT の学食で昼食を食
べたと知れば、学生さんたちはビックリしたことと思う。
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00:21
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2004年02月04日
sperata victoria melior quam certa pax
表題を意訳すると、「あぐらをかいてはおしまい」ということで、このことは、
今どの業界でも言えること。リウィウスは、逆のことを述べているが、エラーか
ら学び取る姿勢を持つことに意義がある、と言える場合もある。
「確実な平和は、期待される勝利に勝り、かつ安全である」
(melior tutiorque est certa pax, quam sperata victoria.)
エラーは victoria (勝利)を spero (希求する)する限り、不可避なもので
もある。
Posted by taro at
22:56
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立春
毎年厳寒の中で立春を迎えるが、今年は比較的穏やかな冬の一日が続く。外向け
の仕事も一段落。色々原稿を貯めているので、ぼちぼち仕上げる。大きな原稿
(昨年の学会発表の原稿)は3月が締め切り。Bis das si cito das. をモットー
にしたいが、いかんせん、体は一つしか、ない。幼稚園の劇の練習はまずまず軌
道に乗ってきたと思う。明日は、交通安全教室(年長児)。
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18:08
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2004年02月03日
次女エリニカ
宮城君の印象深いエッセイ。エリニカに行く機会をもたぬまま、藤村さんは
昨年夏に逝去。昨年は、下田さんもお亡くなりになった。
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22:59
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辞書・教科書のページ
Posted by taro at
21:47
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2004年02月02日
神の支配
昨日引用したマルコの福音書の一節は、ウェルギリウスの『農耕詩』のメッセー
ジを思わせる。ウェルギリウスは、直接このように表現しないが、詩の全体を通
じて同じ主旨のことを述べている。
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07:08
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2004年02月01日
ペンは剣より強し
新ネタというべきかどうか微妙(笑)。本当に有名だから。
cedant arma togae.
cicero, 義務について、1,22,77より。
「武器は(arma)トガに(togae)譲るべし(cedant)。」
典型的な接続法の例文として使える。cedo (ケードー)の不定法は cedere (ケー
デレ)となり、第三変化動詞とわかる。cedant は接続法・現在・能動相、三人称
・複数。主語は arma (中性・第二変化名詞、複数・主格)。
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19:37
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Prof.Kimura's HP
木村先生のHPは
今年に入っても更新継続中。どのジャンルのどの教授もお忙しいに違いないが、
このようにご自分で更新される先生が増えると日本の教育の未来も明るいと私は
思う。
Posted by taro at
19:09
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ラテン語入門のページ更新
ラテン語入門のページを更新。
MLでは、「楽しく学ぶラテン語」の再開をアナウンス。この教科書は在庫切れの
ようだ。
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18:13
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Mr.Kanise's English training method
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08:59
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2004年01月31日
de senectute
「老年について」
の文庫版が出た。キケローの作品が文庫版で世に出て行くことはたいへん望
ましいと思う。
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20:46
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classics
Posted by taro at
19:03
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ラテン語教科書
自分のページにはたいしたことを何も書いていないことに気づく。初心者の人に
とって、教科書・辞書の情報は大切。また、これらとのつきあい方、途中で挫折
しそうになったときのアドバイスも大切。徐々に盛り込む。
Posted by taro at
08:40
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2004年01月30日
絵本通信
絵本通信も1月分追加2つ。どちらも
ほのぼのするお話。来月は私の当番。
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22:47
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同志社試験
本日ギリシア語、続いてラテン語の試験。これにて大学でのお勤めは全日程終了。
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06:45
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格言集更新
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01:21
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Hectora quis nosset...
Hectora quis nosset, si felix Troja fuisset?
オウィディウス『悲しみの歌』4.3.75
ヘクトルの名を (Hectora) 誰が (quis) 知っただろう (nosset)、もし (si) ト
ロイアが (Troja) 幸福で (felix) あったなら (fuisset)。
短いが心に響く言葉。
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00:24
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2004年01月29日
ヘレンケラー
「話すことを学んでから私の生活は広がりました。私は今でも、あの36年前の
出来事に驚きと興奮を禁じ得ません。(略)
私が耐えてきた苦痛と失望ははかりしれませんが、外の世界と私自身とを結ぶこ
の言葉という生きた絆(きずな)を保っていける喜びのためなら、十分払うに価
する代価でした。私はますます古今不滅の奇跡、つまり思考のリアリティを感じ
るようになりました。(略)
普通の人たちは言葉の使用に慣れていて、自分がいつからそれを使うようになっ
たのか思い出せません。ところが、私はそれとは違った経験をしたのです。私が
言葉を使いはじめたのは7歳のころですが、その時経験した感情をはっきりと覚
えています。私はまず一語一語を手の感覚で学び、何年かのちにその発音を学び
ました。
私が思うに、たいていの人は発音と同時にその言葉の意味を学んでいくのでしょ
う。けれども私の場合は、言葉が思考のシンボルであるということをある日突然
理解したのです。」(ヘレンケラー、島田恵(訳)『光の中へ』)
ヘレンケラーとデカルトの関連について
Posted by taro at
23:16
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agenda
京大レポートへの返事。その内容のテキスト化とアップ。明日の試験作成。
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23:12
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2004年01月26日
人の世に注ぐ涙
sunt lacrimae rerum et mentem mortalia tangunt.
ウェルギリウス『アエネイス』1.462
「ここにも人の世に注ぐ涙があり、人間の苦しみは人の心を打つ」(岡道男、高
橋宏幸訳)
res を「人の世」と解釈する。mortalia を「人間の苦しみ」とするのは意訳。
ここは岡先生のお仕事と思われるが、真相は定かではない。
「はかなきは人の世の営み、悲運は涙さそいて、胸をうつ」(『ギリシア人・ロー
マ人のことば』(中務哲郎、大西英文著)
大西先生の担当箇所。確かに、このラテン語は意訳したい衝動に駆られる「アエ
ネイス」の急所。
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23:29
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2004年01月25日
IRA
アイルランド共和軍。カトリック系過激派組織。しかし同時にラテン語で「怒り」
を意味する。
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20:46
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ira
Ira furor brevis est.
イーラ・フロル・ブレウィス・エスト
怒りは(ira)短い(brevis)狂気(furor)である (est)。
by Horatius
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20:33
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2004年01月24日
西洋古典文学
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08:23
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ラテン語入門
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07:26
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2004年01月23日
「新ラテン文法」に関して
上村君のページで、ミスの指摘。
http://member.nifty.ne.jp/Kamimura/latin/latin.html
4.練習問題103の7番(275-276ページ):
Ennius “sanctos” appellat poetas, quod quasi deorum aliquo dono
commendati nobis esse videantur.
aliquo dono は「贈り物として」でなく「贈り物によって」が正しい。出典はキ
ケローとのこと。
Posted by taro at
05:44
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2004年01月21日
a latin phrase
Cornu bos capitur, voce ligatur homo.
牛は角によって捕らえられ、人は言葉によって縛られる。
牛は(bos) 角によって(cornu) 捕らえられ(capitur)、人は(homo) 言葉によって
(voce) 縛られる(ligatur)。
第四変化名詞と受動相の例文として。
Posted by taro at
22:23
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It will be very cold tomorrow
明日は寒波襲来とのこと。最高気温が1度の予報。最低はマイナス4度?雪は降
らないそうだが。よりによって、そんな早朝にTVの収録が(朝日放送)。
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17:41
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agenda
提出レポートに目を通し、各自にお返事すること。まとめたものをHPにアップ
する。monumenta として掲載する。
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10:19
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2004年01月20日
ラテン語試験
京大のラテン語試験は昨日無事終了。普段授業に出ている学生がそのまま試験を
受けた恰好(=普段授業に出てこない人は受験していない)。
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12:39
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2004年01月19日
from Terence
Amantes amentes.
愛する者は正気ではない。
これは、テレンティウス『アンドロス島の女』218に出てくる言葉。
Posted by taro at
22:34
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ラテン語入門
Posted by taro at
00:42
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2004年01月18日
個性
Non omnia possumus omnes.
ウェルギリウス『牧歌』8.63
私たちすべての人間に(omnes)すべてのことが(omnia)できるのでは
(possumus)ない(non)。
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00:24
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2004年01月16日
nihili est qui nihil amat.
【98/11/26】(木)の日誌
学生から受け取ったレポートより:
Nihili est qui nihil amat.
(何も愛さない者は無価値である)(プラウトゥス)
愛にはいろいろな種類がある。生まれたときから赤ん坊は、母親に、父親に、そ
して親族の人たちに愛情を持って迎え入れられる。
その後も、子供は、父、母、兄弟、姉妹、また友達の中で、反抗したり、喧嘩し
たりしながらも、ごく特殊なケースを除いて、大きな愛の中で育っていく。そう
しているうちに、小学校へ入るころまでに、愛することを覚えるはずである。
そのうち、ガールフレンド、ボーイフレンドができるかもしれない。読書に親し
み、スポーツに打ち込み、勉強に熱中するかもしれない。これも周囲の大きな愛
に支えられた上でのことである。これほどの愛情に気づかず、周囲の人たちを愛
すことのできない人は無価値である。
高校に入り、大学に入り、友人や恋人ができるかもしれない。あるいは学問にい
そしみ、また、クラブ活動、学生運動に打ち込むかもしれない。しかし、これも
また、隣人愛、友愛、恋愛、学問への愛、また共和制を夢見る革命といった人類
愛のなせるわざである。
愛の中で行動し、思考できる者は幸福である。それも受身ではなく、能動的にで
ある。愛するには、大きな力量が要ることも確かである。つまずいても、転んで
も、周囲の人たちを愛していくこと、これは決してあきらめてはいけない。これ
は博愛である。
その他の場合、たとえば、親子、友人、恋人などの場合、間柄が近いほど、嫌い
に感ずる場合も多いだろう。しかし、自分を大きく持って、全部を包みこんで、
そのネガティブな感情を昇華できたならすばらしい。
何も愛さない者は無価値である。愛すればこそ、太陽は明るくふりそそぎ、野の
花はほほえみかけ、風の音は幸福をもたらすのである。
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22:29
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2004年01月13日
10年一昔
Posted by taro at
20:21
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2004年01月12日
人間とは
マーク・トウェインの言葉:
「人間は顔を赤らめる唯一の動物である。あるいは、そうする必要のある唯一の
動物である。」
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17:12
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2004年01月10日
a newer world
It is not too late to seek a newer world
ロバート・ケネディの言葉。「新しい世界を探求するのに遅すぎることはない」
と。ラテン語学習についても同じことが言えるだろう。
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15:21
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2004年01月09日
at Doshisha
ギリシア語は、23課まで進む。ラテン語は、練習97から99まで。印象に残っ
た例文。Fide, sed cui fidas, vide! (フィデ・セド・クイー・フィーダース、
ウィデー)「信じなさい、だが誰を信じるかについて気をつけよ。」
Ut res adversae nobis fortiter ferendae sunt, sic secundae sapienter.
(ウト・レース・アドウェルサエ・ノービース・フォルティテル・フェレンダエ
・スント・シーク・セクンダエ・サピエンテル)「我々は逆境を雄々しく耐えね
ばならないように、順境に対しては賢明に耐えねばならない。」
順境を耐える、と言う表現が斬新に思われる。順境にあって、人は気を許しがち
であって、安きに流れがちである。その際にも、我々は智恵を用いて精神をコン
トロールしないといけない。バブル期にそうすべきだったように。一方、不況と
言われる今こそ(= res adversae)、我々は勇気を持ってこれに耐えねばなら
ない。
Posted by taro at
23:58
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2004年01月08日
トロイアの木馬
intus, inquam, est equus Troianus.
私は言う(inquam)、内部に(intus)トロイアの(Troianus)木馬(equus)が
いるのだ(est)、と。
Cicero ムーレーナ弁護演説 37.78
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23:19
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2004年01月07日
オセロのように
日本の英語教育は古典語を学ぶ素地を作っている。古典語を学べば、英語を学び
挫折した人こそ、黒い石が瞬時に白石に置き換わっていくのを実感できるだろう。
英文法。hinc illae lacrimae. (ここからあの涙)という言葉があるが、文法
で苦しむ生徒たちは少なくない。が、その気持ちはラテン語・ギリシア語を学ん
できた欧米の生徒たちに共通する心情である。
幸か不幸か、日本では生きた言語である英語に対し、欧米人が dead language
に対して用いてきた学びのメソッドを適用した。が、そのおかげで、私自身学生
に古典語を教える際、おおいに楽をさせてもらっている。半年文法をやれば、い
きなりキケローの文章が読めるのである。
また、ラテン語をネタに雑談を楽しんだり、また、ラテン語を実際に読みながら
切磋琢磨する、そんなラテン語メーリングリストが日本にはあって、そのメンバー
が400人を超えているのである。こんな国は世界でも珍しい。
Posted by taro at
23:03
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2004年01月06日
格言集更新
Posted by taro at
23:26
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酩酊とは
Nihil aliud est ebrietas quam voluntaria insania.
ニヒル・アリウド・エスト・エーブリエタース・クァム・ウォルンターリア・イ
ンサーニア。
酩酊は(ebrietas)自発的な(voluntaria)狂気(insania)以外の(quam)何
物でも(aliud)ない(nihil)。
セネカ『道徳書簡集』83
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23:10
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2004年01月05日
carpe diem
carpe diem. (その日を摘め)という言葉。カタカナでもちらほら耳にする。
原文の訳は次のようなものになる。
神々がどんな死を僕や君にお与えになるのか、レウコノエ、そんなことを尋ねて
はいけない。それを知ることは、神の道に背くことだから。
君はまた、バビュロンの数占いにも手を出してはいけない。死がどのようなもの
であれ、それを進んで受け入れる方がどんなにかいいだろう。
仮にユピテル様が、これから僕らに何度も冬を迎えさせてくれるにせよ、或いは
逆に、立ちはだかる岩をものともせず、テュッレニア海を疲弊させている今年の
冬が最後の冬になるにせよ。
だから君には賢明であってほしい。酒を漉(こ)し、短い人生の中で遠大な希望
を抱くことは慎もう。
なぜなら、僕らがこんなおしゃべりをしている間にも、意地悪な「時」は足早に
逃げていってしまうのだから。
今日一日の花を摘みとることだ。 明日が来るなんて、ちっともあてにはできな
いのだから。
一番最後の所に、「今日一日の花を摘み取れ」というメッセージが用意されてい
る。
Posted by taro at
19:41
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2004年01月04日
西洋文学この百冊
Posted by taro at
22:51
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飲む理由
Multae sunt causae bibendi.
飲むための(bibendi)理由は(causae)たくさん(multae)ある(sunt)。
年も明けて、今日などはお酒を酌み交わす人も多いのでは。
Nunc est bibendum, nunc pede libero
pulsanda tellus.
今こそ(nunc)飲むべし(est bibendum)。今こそ(nunc)自由な(libero)足
で(pede)大地が(tellus)踏まれるべき(pulsanda)。
これはホラーティウスの言葉(『詩集』第一巻37.1)。飲んで踊れ、というのは、
「カラオケ」の勧めではなくて、クレオパトラの死を祝してのこと。
Posted by taro at
22:31
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2004年01月01日
謹賀新年
今年最初の
「今日のラテン語」はこれだった:
Ede, bibe, lude, post mortem nulla voluptas.
食え、飲め、遊べ、死後に快楽なし。
年明けに相応しいせりふだ。Ergo bibamus! (さあ、飲もう!)
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00:58
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2003年12月29日
ラテン語について
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21:18
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2003年12月25日
children's name
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01:06
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2003年12月20日
雪
朝から雪。除雪の合間のショット。
Posted by taroyam at
12:22
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2003年12月19日
寒波到来
外は寒風が吹き荒れている。星が出ているが、明日は雪かもしれない。そうなれ
ば「お招き会」はいっそう印象的なものになるだろう。会の後、卒園アルバム用
の写真を撮ること。ビデオも仕上げないといけない。ひねもすのアンケートは予
想以上の結果(良い意味で?)。20名近い参加希望者がいるようだ。
Posted by taro at
23:21
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2003年12月17日
フィンランドのラテン語放送
サイトが変わった?
「フィンランド放送局が放送しているラテン語のニュースのサイトがありました
ね。たまに音声を聴いて楽しんでいたのですが、最近、サイトの構成が変わった
らしく、今までのアドレスではつながらなくなってしまいました。」
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00:46
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2003年12月15日
お気に入りのラテン語
補講3日目。授業終了後、Morisawa さんのカメラで記念撮影。黒板に、みな思
い思い、お気に入りのラテン語を書いた上で。
私は、Post nubila Phoebus. (雨雲の向こうには太陽)を書いた。divina
studia とか、quod semper movetur, aeternum est. といった DRP から引用し
た者、carpe diem. / hora fugit. / festina lente. といった定番を書いた人、
などなど。
Posted by taro at
23:08
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2003年12月13日
漢字の成り立ち
昨日のラテン語の授業でのこと。漢字の成り立ちに話題が移った。「暗い」とい
う漢字はどうしてこのような形をしているのだろうか?と。
また、「音」という漢字はなぜ「日」と関係しているのだろうか。
Posted by taro at
20:36
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日記:2003/12/13
携帯で日記が書ける。画像も貼れる。
Posted by taroyam at
19:58
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Doshisha
練習89と91を扱う。Dii a nullo videntur, ipsi autem omnia vident. / Amore,
more, ore, re junguntur amicitiae. / Studia litterarum adulescentiam
acuunt, senectutem oblectant, secundas res ornant, adversis perfugium ac
solacium praebent./
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10:36
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2003年12月11日
a latin class here
昨晩は山の学校のラテン語クラス(ラテン語初歩)。1度に三課進む。巻末の第
一変化、第二変化動詞をすべて抜き出しノートに単語帳を作ってこられた。3,
5は数が多いので、次回は第四のみ抜き出してくる、とのこと。この勉強法はじ
つに効果的。短期間で文法の枠組みを理解すると同時に、語彙の力をつけていく
には。あわせて、岩波文庫の柳沼先生の古典語アンソロジー(タイトルは?)を
ご紹介。すでに購入済み。これを使い、既知の知識でどの例文が読めるかトライ。
毎回、楽しみが増える。教育学において、エラスムスのラテン語は重要とのこと。
また、マシュー・アーノルドの論文にはギリシア語がばんばん出てくると。コピー
持参しますとのこと。
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07:06
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2003年12月10日
next week
To those who were absent today:「山下です。来週月、水も補講を続けます。次回は、278ページの26節から次の
ページ27節の...ne occidit quidem umquam. までを予定しています。」
Posted by taro at
19:22
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mobile
sanyo ならハードキーにてカレンダー呼び出し可。待ち受けカレンダーから日を
選択できるか?
Posted by taro at
00:59
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学年末試験
Kobayashi, Kawai 両君も筆記試験をするぞ。一緒に試験を「受けた」仲間故、
hora fugit. の感あり。ところで他の先生はレポートなのだろうか。筆記試験科
目一覧がこの紙一枚に収まるとは。授業について言えば、補講を2,3回しないと終わらない。
で、補講をいつどこでするか?それが問題。しかしまぁ、今年の受講生は皆熱心
である。15名ほど残っているし。去年はラストの時間に学生が記念写真を撮ろ
うと提案したっけ。一人は携帯で写真を撮らせてくれ、と。今日が公的にはラス
トの授業となる。
Posted by taro at
00:20
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2003年12月08日
RP 6.21ff.
res humana ---> res caelestia / res privata---> res publica
次回は、24: homines enim populariter...より。
Posted by taro at
21:58
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last but one
残すところあと1回。テキストの残り(2回分くらい)をどうするか、妙案がな
い。来週になると、集中講義が入るようで全員参加は難しい。ラテン語をやめず
に続けてほしい。MLなど独学の道も示す必要がある。
Posted by taro at
19:12
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2003年12月07日
a test entry from email
Posted by taro at
23:53
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