『アエネイス』第1巻から4巻までの流れ
●第1巻:カルタゴに漂着したアエネアス(トロイアの王子)とその仲間は,ディド(カルタゴの女王)に温かく迎えられます.夫シュカエウスを兄に殺され(このエピソードはシェイクスピアの『ハムレット』を想わせる要素をもちます)、兄の手を逃れてカルタゴの地に新しい都を築いていた彼女は、トロイア人に向かってこう告げます。「私はけっして不幸を知らぬわけではありません。それゆえ、不幸な人に援助の手をさしのべるすべを学んでいます。」と。ディドは歓迎の宴にくつろいだアエネアスに対し、彼の体験したトロイア戦争について、また戦争後の苦難に満ちた冒険について詳しく語るよう求めます。(→『オデュッセイア』第9巻以下において、オデュッセウスはアルキノオス王にこれまでの漂流の一部始終を物語ります。第8巻でアルキノオスの催す宴席で、楽人デモドコスのうたうトロイア戦争に落涙し、「木馬の奸計」にまつわる物語に再び涙を流します。不審に思ったアルキノオスに素性を尋ねられ、名を明かして過去の経験を物語るのです。この「涙のモチーフ」は、『アエネイス』にも見られます。アエネアスはトロイア戦争(己の活躍をそこに認めます)を主題とするユーノーの神殿の絵に涙を流し、その後で、ディドと対面します。)
●第2巻,第3巻は、アエネアスの語る過去の体験談となっています。前者はトロイア戦争最後の一日について、後者はトロイア脱出後、カルタゴに至るまでのエピソードについてです。
●トロイア戦争最後の一日については、下記「木馬の奸計」参照。アエネアスは夢枕にあらわれたヘクトルに亡命を促され、新しい国家建設を励まされます。母ウェヌスの助力もあり、父アンキセスを背負いながら、彼は、妻クレウサ、幼い息子アスカニウス、部下とともにトロイアを脱出します。途中クレウサを見失うが、亡霊となった彼女に、「西の国」を目指すよう指示されます。このようなことが、第2巻にて語られます。
●「木馬の奸計」
ギリシア軍の残した木馬を見てのラオコンの意見はこうです(2.42-49)。「おお哀れな市民よ。これは、なんと大きな狂気か。敵が去ったと思うのか。ギリシア軍の贈り物に策略がないとでもいうのか。オデュッセウスは名だたる策士ではないか。この木馬の中にはギリシア兵が隠れているかもしれぬ。あるいは、我が軍の城塞を打ち破るためにつくられたものかもしれぬ。トロイアの家々を偵察した上、都を高みから攻め落とす計略なのだ。いずれにせよ、何か策略が潜んでいるに違いない。トロイア人よ、あの馬を信じるな(equo
ne credite,
Teucri.)。それが何であれ、私はギリシア軍を恐れる。たとえ贈り物をもってきても。(quidquid
id est, timeo Danaos et dona ferentis.)
●このエピソードを語りながらアエネアスはこうコメントしています。「もしもあのとき神々の運命と我々の心が邪でなかったならば、我々も剣をとってギリシア軍の隠れ場所を襲うよう促されたでしょう。そして今もトロイアは健在で、プリアムスの城は天高くそびえていることでしょう。」
「・・・しかし、私たちは何も知らず、ただ狂気に駆られて盲目のまま木馬を運び続け、ついにこの不幸をもたらす怪物を聖なる城の中に置いたのです。そのときカッサンドラは来るべき運命について口を開きましたが、神の命によりトロイア人の誰一人彼女の言を信じません。あわれ、私たちは最後の一日となることも知らぬまま、トロイア中の神殿を祭りの枝で飾りました。」
●ここに「運命」を知らぬ者たちの悲劇性が描かれますが、同時にこのエピソードを聞くディドの悲劇性(アエネアスに裏切られ、自害する)を暗示しています(1.718では
inscia Dido:「知らないディド」といわれます)
●第3巻
では、クレウサの予言した西の国とはどこか?運命の誤った解釈が行われますが、結局目指す地はクレタ島でなく、イタリアであることを一行は知ります。ヘレノスの予言が裏付ける形をとっています。一行は、途中キュクロプス族の島へも上陸し、オデュッセウスの仲間に会います。目をつぶされたポリュペモスも目の当たりにします。(→2つの神話的出来事、アエネアスの伝説とオデュッセウスのエピソードを結びつける手法がとられています)。アエネアスは、航海途上で父を失い、海難を経てカルタゴに漂着します。時間的には、この段階で第一巻のシーンに接続するわけです。一方、第2巻では妻クレウサが、第3巻では父アンキセスが命を落とす構成になっており、第4巻では、ディドが自害する形になっています。
第4巻
●ディドの懊悩の描写から始まっています。
「だが女王はすでに久しく痛ましい懊悩に苦しめられ、その痛みを血潮とともに養っては、盲目の火の中に飲み込まれていた。英雄の武勇の数々、高貴な生まれの栄光の数々が彼女の心の中に飛来した。アエネアスの顔かたちと語る言葉は彼女の胸に刻まれて動こうとはせず、懊悩はもはや体中に静かな安らぎを与えようとはしなかった。やがてアウロラがポエブスの松明によって大地を照らし、露を含んだ暗闇を天空から払いのけた。このとき、ディドは気も狂わんばかりに、同じ心を分かち持つ妹のアンナに向かって、こう切り出した。「妹アンナよ、私は何という不眠のために不安がつのり、恐怖におののくことだろう。私たちの館に入ってきたあの新しい客人は、一体誰なのか。なんと素晴らしいお顔だち、なんと雄々しい御心と武勇の徳を備えておられる!あの方はきっと神々の血を引くお方に違いありません。これはむなしい盲信(vana
fides)などというものではないのです。怯える態度なら、小心者の動かぬ証拠。ああ、あの方はなんとむごい運命に翻弄されたことでしょう。長い年月、何と悲惨な戦争に耐え抜いてきたと語っておいででしょう。(14)
私のはじめての愛が死によって欺かれてからというもの、心中ひそかに、何人とも婚姻のちぎりによって結ばれぬという確たる不動の決意を守ってきました。もしこの決意さえなければ、また再婚をうとましく思う心さえないのなら、きっとこの人だけは、私が過ちを犯しても悔いることのないお方。・・・」
●これに対する妹の答えは、「国を思え」というものでした。ディドとアエネアスは、ある日、狩に出かけたおり、とあるほこらで結ばれます。ディドはこれを結婚とみなします。また、アエネアスもそれを否定する様子もありません。
●噂が四方に飛びます。事態を憂えたユピテルの介入が行われ「天命を忘れるな」と警告。「第二のトロイア(ローマ)建国」の使命を喚起させます。アエネアスはひそかに船出の準備をしますが、不審に気付いたディドは問いつめます。アエネアスはこたえて曰く、「己の意志によらず、ただ天命によるのみ」と。こうしてアエネアスは部下と共にカルタゴの浜辺を去ったのです。
●ディドの呪い 4.584以下
今や早朝のアウロラが、ティトヌスのサフラン色の寝床を抜け出して、新しい一日の光を大地にあふれさせていた。女王は、望楼より朝の光が輝くのを目にすると、艦隊が等しい帆をはらませ、進み出るのを目の当たりにした。と同時に、海岸と港には船の漕ぎ手が一人もいないことを察知すると、三度四度と美しい胸をうちたたき、金色の髪を振り乱しては、こう叫ぶ。「おおユッピテルよ、あの男は本当にここを出ていくというのか。異国人となってわが王国を笑い物にするというのか。なぜ武器をとり、町中からあの男の後を追いかけないのか。
今すぐ船を港から引っこ抜いて追いかけないのか。行け、早く松明をもってこい、矢を放て、櫂を漕げ。ああ、私は何を言っているのか。今どこにいるのだろう。何という狂気が私の心を動かしたのか。不幸なディドよ、今ごろになって、あの道ならぬ行いを悔いているのか。それなら、あの時こそふさわしかったのだ、おまえが王権をあの男に与えようと欲したときのこと。見よ、この誓約と信義の証を。あの男は祖国の神々を運んで来たとか、老いた父親を両肩におぶって来たとか言われておった。(599)
あのとき、なぜあの男をひっとらえ、体を引きちぎって海にばらまくことができなかったのか。仲間の者を、そうだ、息子アスカニウス自身の体を剣で切り、父親の食事に供すればよかったのだ。だが、まともに戦いを挑んだのでは勝算はなかったかもしれぬ。たとえそうでも、どうせ死ぬ運命だ。何を怖がることがあったのか。松明を陣営の中に投げ込み、炎で船への渡しを焼き払い、息子も父親も一族もろとも抹殺し、その屍の上に我が身を投ずればよかったのだ。(606)
おお太陽よ、その炎の輝きによって地上のすべての営みを見そなわす神よ、また、この私の苦しみを理解し、深く胸に刻みたまうユーノーよ、町の辻々で金切り声でその名を呼ばれるヘカテよ、復讐のディラたちよ、今まさに死なんとするこのエリッサ(=ディド)を守る神々よ、どうかこの願いを聞いてくれ。わが不幸にふさわしいだけの神意をこちらに向け、わが祈りをどうか聞き届けてほしい。口にするも憚られるあの男、奴がかの港まで泳ぎ着き、陸地にたどり着く---それが定めであり、それがユッピテルの求める運命であるのなら、その地こそ彼の終着地点であるだろう。だが、勇猛な民人との戦さに苦しみ、その地を追われ、ユルス(=アスカニウス)を抱く喜びからも遠ざけられるがいい。・・・」
●彼女は憤りのろいます。「わが骨より、誰か復讐者よ、いでよ」と。ディドはアエネアスの贈った剣につっぷして倒れたのでした。