英語講読資料

 今日はアインシュタインの文章を2つ紹介します.(1)では筆者の言う holy curiosity(聖なる好奇心)とは何かを読み取ること、(2)では筆者はなぜ最終行で「心の平安が乱される」と告白しているのかを理解することが解釈上のポイントです.

 Do not stop to think about the reason for what you are doing,about why you are questioning. The important thing is not to stop questioning. Curiosity has its own reason for existence. One can not help but be in awe when he contemplates the mysteries of eternity, of life, of the marvelous structure of reality. It is enough if one tries merely to comprehend a little of this mystery,each day.
Never lose a holy curiosity. Try not to become a man of success but rather try to become a man of value. He is considered successful in our day who gets more out of life than he puts in. But a man of value will give more than he receives.

 内容はおよそ次の通り.「あなたのしていることの理由を考えるために立ち止まってはならない.なぜ自分が疑問を抱いているかを考えるために立ち止まってはいけない.大事なことは疑問を持つことを止めないことだ.好奇心はそれ自体で存在意義がある.人は永遠や人生や,驚くべき現実の構造の神秘について熟考すれば,必ず畏怖の念にとらわれる.毎日この神秘のたとえ僅かでも理解しようと努めれば,それで十分である.聖なる好奇心を失うな.成功する人間であるよりは価値ある人間になろうと努めよ.今日では人生に自分が投入した以上の見返りを得る人間が成功者と見なされる.しかし価値ある人間とは,(他人から)受け取るよりも多くのお返しができる人のことを言うのである.」

(2) From the standpoint of daily life, there is one thing we do know: that man is here for the sake of other men---above all for those upon whose smile and well-being our own happiness depends, and also for the countless unknown souls with whose fate we are connected by a bond of sympathy. Many times a day I realize how much my own outer and inner life is built upon the labours of my fellow-men, both living and dead, and how earnestly I must exert myself in order to give in return as much as I have received. My peace of mind is often troubled by the depressing sense that I have borrowed too heavily from the work of other men.

 (1)も(2)も,たしかに難しい英文ですね.「読書百遍」という言葉がありますが、ま、黙ってこの文を2,3回ひとりで読んでみてください.皆さんの心の中にどのような世界が広がりますか。私は(1)を読み、次のような感想を抱きました。((2)については、「幸せの条件」参照。)


 例えば,私たちの大学の近くには比叡山という山があります.ドライブウェイでも,ロープウェイでも頂上に行ける山です.山頂に立つという「結果」だけを考えれば,歩いて登ることは時間の無駄のように見えます.でも歩いて登る登山者は「好きで苦労している」のです.「結果」を考える場合,「山に登って何をするのか」とか,「どういう得があるのか」,「一番速く登る方法は何か」を常に考え、車で一目散に頂上を目指すでしょう.なぜなら、頂上でスタンプを押して戻ってくると、次のもっと高い山に登る資格が得られるからです。

 みなさんの経験した受験勉強もある意味では山登りと同じです.「結果」だけを考えれば,浪人生活ほど無駄なものはないことになるわけです.その証拠に,お金を積んで入れる道があれば,皆喜んで合格証書を買い求めるのではないでしょうか.それが無理だから勉強するという態度は,「ドライブウェイがないから仕方なく山を登らされている」と口にすることに等しい、と思います.私は決して車がよいのか、徒歩がよいのかの議論がしたいわけではありません。問題は、人間の「不安」や「ねたみ」、「あせり」といったネガティブな感情が何に起因するかを考察したいのです。なぜなら、苦労を喜びとしてでなく、苦痛として受け取る者に限って,他人の成功がねたましいのが一般だからです.登山者は、自動車でスイスイ登る者をうらやましく思うでしょうか.皆さんは普通に山登りをしていて、先に登っている人を私たちはうらやましく思ったり、ねたましく思ったりするでしょうか。「自分は自分の道を行けばよい」という言葉の意味は、「自分が今歩いていることに喜びを発見すればそれでいい」ということです.受験に話を戻せば、浪人生が1年(or more)に注いだ努力の全体は,他人にはわからなくても,二度と手に入らない自分だけの財産であると認識せよ、というメッセージに変わるかと思います.

アインシュタインはいいます.「人は永遠や人生や,驚くべき現実の構造の神秘について熟考すれば,必ず畏怖の念にとらわれる.」と.たしかに顕微鏡を覗きミクロの世界にはっと息を飲み,夜空を見上げては星星のメッセージを考えるとき,人は沈黙を強いられます.しかし同時にアインシュタインのいうholy curiosityとは,人生について,永遠について考察することも含みます.上で述べたごとく,自分の生きる道(=運命),自分の人生の値打ちを本当にわかる者のことを,アインシュタインは,a man of valueと呼ぶのだと思います.

 多くの学生は,就職のためにいい大学は出ておかなくてはならないと考えますが、これもa man of successの発想といえます.いい就職とは何のためでしょう?いい結婚のため,それとも昇進による生活の安定のため?それらが保証される必要性は,幸せな老後を待ち望むから当然のこと?では,本当の満足感はいつ得られるのでしょう.一つの山を登り終えたら、急いで次の山のふもとまでかけつけないと、他人に負けてしまうという意識が強すぎると、人生は死ぬまで「他人との競争」のうちに幕を閉じるでしょう。これでは肝心の今が不幸ではないのでしょうか.「今は苦しいが,耐えねばならない,これが人生の厳しさである...」そう考える癖がつくとして、もしこれが本物の信念と呼び得るものなら,その人間は愚痴とは無縁のはずです.先に述べたように、喜んで苦しみに耐える精神と,いやいや苦しみを迎える精神とは同じではありません.例えば、受験生活は必ずしも灰色である必要はなかったのです.工夫次第でいくらでも楽しく学ぶことができるからです.それには,自分の力に応じた,自分なりの勉強方法を考え,それを実行に移し,試行錯誤を繰り返すことが基本になるでしょう.この工夫する姿勢こそ,実社会が諸君に求めるものに他ならないと思います.必ずしも肩書きではなく、困難において,いかに工夫し,難局を克服していけるか,その能力を社会は黙って見ていると私は思うのです.

 30才になり,大学時代の自分を省みると仮定しましょう.苦労に耐え,自己を高めた経験の有無がそのときの自分を支えている中心であることを知るのなら,今の日々の生活の困難こそ感謝すべきものでしょう.我々は「安楽,快適,便利さ」を求めるようで,実のところは,困難や苦労,悩みといったネガティブな要素がなければ生きていけないのではないでしょうか.例えば,小さな子供と一緒に走って一番になっても得意がる者はいないし,また勝負を挑みたいとも思いません.難しいことができたら,もっと難しいことに挑戦したくなるのが人間の本性ではないでしょうか.安全だからと言って,いつまでもタマツキの自転車には乗っていられないのです.あるいは,子どもの頃,親に内緒で遠くまで自転車を走らせた経験は貴重です.大学受験において,偏差値を気にする学生は,この辺りの事情がよくわかっていないと思うのです.判定が悪いという事は,「受けたら駄目!」という意味にのみとる必要はなく、「チャレンジ精神が旺盛!」ととることもできるでしょう.試しに「〜したい」と声に出して言ってみる.はっきりそう言える希望は何であれ,本来手が届く願望と思ってよいと私は思います.本当に無理なこと,例えば月で生活したい,などとは決して言わないからです.我々は常に可能なこと,例えば,お金をためてアメリカに行けたらいいなetc.を口にしている事実に気付くでしょう.ただ,いったん口に出したことは中途半端に妥協せず,とことん実行に移すべきです.他人が何と言おうと,自己の信念を貫くためには相当な覚悟がいる、これだけは確かなようです。

さて,アインシュタインの言葉に戻ります.「毎日この神秘のたとえ僅かでも理解しようと努めれば,それで十分である.」とはどういう意味でしょうか.顕微鏡や望遠鏡に映し出される世界が神秘的であるというのなら,同様に,私たちの直面する日々の生活も驚きの連続です.運命のはからいで,今日の食事にも困らず(困り),大学で勉強もできる(できなくなる).運命のいたずらで,事故にも遭う(遭わない)し,彼(女)とも出会えた(分かれた).アインシュタインは,marvelous structure of realityと同様に,eternity, lifeの神秘について考えるよう忠告しています.それはどうしてか?油断するとついつい,人間はa man of successになってしまうからです.人生は複雑なものです.だから奥深く,安易に答えも見出せず,探検者は困惑します.もとより,困難は喜びの別名でもあります.科学の世界においても,理論の発見が困難であると同時に,多くの満足と喜びを発見者に与えるのと同じです.

このように,人生や運命についても,アインシュタインの目には神秘的で複雑な構造をもつ対象に見えたわけですが,翻って私たちは,自分の人生についてどのように捉えているのでしょうか.「平凡な」とか「たいくつな」といってないでしょうか?確かに月にロケットをとばすことにより,月にうさぎが住んでいないことが証明されても,私たちは依然として夜空に浮かぶ月を見て沈黙します.しかし,アインシュタインの言葉で言えば,a man of successは,「見ても意味のない」月を見ようとしません.文明生活は,能率を尊びますから.「月を見る意味」といった曖昧で,数量化できない問題は,視野に入れない傾向があるのです.(山に登る話でいえば,山頂のスタンプこそ目的であれば,歩いて登る喜び(落ち葉を踏みしめる感触etc)は考慮しないように). アインシュタインのいうa holy curiosityとは,日々見落としがちな私たちの生活の不思議さ,奥行きの深さ,複雑さに目を向けるよう促します.それは,人間が(あえていえば)機械化する(=生きる意味が見えてこない)過程への抵抗,人間性の回復のキー・フレーズになると思います.


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