ラテン語格言集 (2)
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Alea jacta est.
「アーレア・ヤクタ・エスト」と読みます。
alea は女性・単数・主格で、「さいころ」の意味です。
jacta は「投げる」を意味する jacio(ヤキオー)という第3変化動詞の
完了分詞
で、alea と性・数・格が一致しています。
完了分詞 jacta と sum の現在変化の組み合わせを受動相・完了とみなします。「・・・された」と訳せます。
ここでは主語が alea なので sum はest となります。
意味は「さいは投げられた。」です。
日本語で意訳すれば、「人事を尽くして天命を待つ」といったところでしょうか。やるだけのことはやった、という決意と覚悟が感じられるせりふです。
スエトニウスの記したカエサル(ジュリアス・シーザー)の言葉(岩波文庫『ローマ皇帝伝』、國原 吉之助訳)として有名です。
ローマ皇帝伝 上 (岩波文庫 青 440-1)
國原 吉之助
Pallida Mors aequo pulsat pede pauperum tabernas regumque turris.
「パッリダ・モルス・アエクォー・プルサト・ペデ・パウペルム・タベルナース・レグムクェ・トゥッリース」と読みます。
第一・第二変化形容詞
pallidus は「青ざめた」という意味で、「死、死に神」を意味する Mors(女性・単数・主格)にかかります。
この文では性・数・格を一致させることにより、pallida (女性・単数・主格)の形になります。
aequo...pede は、「等しい足どりで」となります。
pes,pedis(第3変化名詞)の単数奪格が、pede です。
第一・第二変化形容詞
aequus は pede と性・数・格が一致しています。
pulsoは「たたく」の意味です。
tabernas(女性名詞 taberna の複数対格:小屋)と turris(第3変化名詞 turris の複数対格:塔)を目的語にします。
pauperum(pauper の複数属格:貧乏な→貧乏人)はtabernas にかかり、regumque (regum は第3変化名詞 rex,-gis の複数属格、-que は英語の and に相当)はturris にかかります。
全体の訳は、
「青ざめた死は、貧者の小屋も、王者のそびえ立つ館も等しい足で蹴りたたく。」
となります。
ローマの詩人
ホラーティウス
の言葉です。
Probitas laudatur et alget.
「プロビタース・ラウダートゥル・エト・アルゲト」と読みます。
第三変化名詞 probitas は辞書では honesty と書いてあります。
第一・第二変化形容詞 probus, -a, -um(よい、すぐれた、立派な、高潔な)の名詞です。
laudatur は、第一変化動詞 laudo の直説法・受動相・現在・3人称・単数の形です。
laudo は「誉める」という意味ですから、ここでは「誉められる」と訳します。
algeo は、to be cold と辞書に記されています。「凍える」という意味です。
不定法の形 algere(アルゲーレ)から、moneo (注意する)などと同じ第2変化の動詞とわかります。
「probitas(正直)はlaudatur され(=賞賛され)、そして(しかし)algetする(=凍える)。」というのが文の構造です。
清廉潔白は賞賛されるが、誰からも省みられないという意味になります。
『論語』の「徳孤ならず。必ず隣り有り」とは逆の意見のようです。
出典はユウェナーリス、『風刺詩』第一番74 です。
サトゥラェ―諷刺詩
Decimus Iunius Iuvenalis 藤井 昇 (訳)
Tempora mutantur, et nos mutamur in illis.
「テンポラ・ムータントゥル・エト・ノース・ムータームル・イン・イッリース」と読みます。
temporaは第三変化名詞 tempus, -oris の複数主格です。
中性なので、複数主格(対格も)はaで終わっています。
単数・属格が-is で終わっていますので、第三変化名詞とわかります。
mutanturは第一変化動詞 muto(意味はto move, change) の直説法・受動相・現在・3人称・複数の形です。
nos は人称代名詞・1人称・複数・主格(英語ではwe)の形です。
これに対応する動詞 mutamur は、直説法・受動相・現在・1人称・複数の形になっています。
意味は、「我々は変えられてしまう」→「我々は変わってしまう」となります。
前置詞 in プラス奪格で、「〜の中で」と訳します。
illisは、
指示代名詞
ille(あれ、あの)の中性・複数・奪格の形です。中性と考えるのは、先行する tempora を指していると考えられるからです。
訳は「時は移ろい、我々も時の移ろいの中で変わってしまう。」となります。
「万物は流転する」(パンタ・レイ)を想起します。これはギリシア語の格言として有名です。
Petite et accipietis, pulsate et aperietur vobis.
「ペティテ・エト・アッキピエーティス・プルサーテ・エト・アペリエートゥル・ウォービース」と読みます。
peto,-ere(第三変化)の
命令法
・能動相・現在・複数・2人称の形がpetiteです。
意味は「求めよ」となります。
pulso,-are(第一変化)の同じ形がpulsateで、意味は「叩け」となります。
accipio,accipere(第三変化)の直説法・能動相・未来・複数・2人称はaccipietis で、「あなたがたは受け取るでしょう」と訳します。
aperietur は、第4変化動詞 aperio の直説法・受動相・未来・単数・3人称で、「開かれるでしょう」。
vobis は
人称代名詞
・2人称・複数・与格(=あなたがたのために)です。
訳は、「求めよ、そうすればあなたがたは(求めたものを)受け取るでしょう。叩け、そうすれば(叩いた扉が)あなたがたのために開かれるでしょう。」
『聖書』の言葉です。
Ede, bibe, lude, post mortem nulla voluptas.
「エデ・ビベ・ルーデ・ポスト・モルテム・ヌッラ・ウォルプタース」と読みます。
ede は動詞 edo(食べる)、bibe はbibo(飲む)、lude はludo(遊ぶ)の各々
命令法
・現在・2人称・単数の形です。
前置詞 post(〜の後で)は対格を支配します。
第三変化名詞 mors,-tis (死)の単数対格は mortem になります。
代名詞的形容詞と呼ばれる nullus(英語でno)の女性・単数・主格の形が nullaで、voluptas(快楽)と性・数・格が一致しています。
est(sum〜である)が省略されています。
訳は、「食べろ、飲め、遊べ、死後に快楽はなし。」となります。
カトゥルスがこのモチーフを使って有名な詩を残しています。いわく、
「ともに生き、ともに愛し合おう」
と。
一見ホラーティウスの「カルペ・ディエム」と似ていますが、考え方の中身は異なっていると思われます。
この言葉は、景気のいいフレーズですね。edo は「食べる」という意味のラテン語で ede はその命令法です。英語に edible (食べられる)という言葉がありますが、その語源です。
Utinam tam facile vera invenire possem quam falsa convincere.
「ウティナム・タム・ファキレ・ウェーラ・インウェニーレ・ポッセム・クァム・ファルサ・コンウィンケレ」と読みます。
ラテン語混じりの直訳は次の通りです。「私は、falsa(偽)をconvincere(証明)するのと同じほど、facile(容易に)vera(真実)をinvenire(発見)することがpossem(私にできる)ならいいのだが。」
utinamは話者の願望を示すことばです。possem はpossum(〜できる)の接続法・未完了過去です。
意味は、「私は偽であることを証明するのと同じほど容易に、真実であることを発見できるならいいと思う。」となります。
キケローの『神々の本性について』(De Natura Deorum)に見られる言葉です。
>>キケロー選集〈11〉哲学(4)
Marcus Tullius Cicero 山下 太郎(管理人です)
Vive memor mortis.
「ウィーウェ・メモル・モルティス」と読みます。
memor, oris は第三変化形容詞で、属格を支配します。「〜を記憶している」の意味です。
この文では mortis が属格形で、memor の目的語になっています。
vive は第三変化動詞 vivo の
命令法
で、「生きよ」という意味になります。
mortis は第三変化名詞 mors (死)の単数属格です。
意味は、「死を忘れずに生きよ」となります。
memento mori(メメントー・モリー)(死を記憶せよ)
と同じような意味です。
Longum est iter per praecepta, breve et efficax per exempla.
「ロングム・エスト・イテル・ペル・プラエケプタ・ブレウェ・エト・エッフィカークス・ペル・エクセンプラ」と読みます。
praecepta, exempla は、ともに第2変化中性名詞、複数対格です。
longum, breve, efficax はそれぞれ iter (中性名詞・単数)にかかる形容詞です。
「教えによる道は長く、実例による道は短く、効果的である」という意味になります。
この例文を、ニフティの古典語会議室で紹介すると、「これはコンピュータのマニュアルにぴったりの表現ですね。操作に精通した人に目の前で教えてもらうとあっという間に分かります。」(#2153)という感想をいただきました。全く同感です。
英語ですと、Practice makes perfect.(習うより慣れよ)に相当するでしょう。
セネカ『書簡集』6.5に見られる言葉です。
倫理書簡集I (セネカ哲学全集)
兼利 琢也 大西 英文
Misce stultitiam consiliis brevem, dulce est desipere in loco.
「ミスケ・ストゥルティティアム・コンシリイース・ブレウェム・ドゥルケ・エスト・デーシペレ・イン・ロコー」と読みます。
misce は動詞 misceo の
命令法
で、「混ぜよ」という意味になります。
第一変化名詞 stultitia (愚かさ)の単数・対格形 stultitiam を第三変化形容詞 brevem (短い)が修飾しています。
consilium は「思慮深さ」、「忠告」の意で、ここでは、複数与格になっています。
dulce(甘い)の主語は、desipere (理性を失う)という不定法です。
不定法が主語なので、中性・単数の形をしています。
in locoは、熟語で、「場合に応じて」の意味です。
ちなみに loco は locus の単数・奪格です。
「僅かの愚かさを思慮に混ぜよ、時に理性を失うことも好ましい。」という意味です。
ホラーティウスの言葉です。
Cogito ergo sum.
「コーギトー・エルゴ・スム」と読みます。
cogito=I think、ergo=therefore, sum=I am.となり、英語では I think therefore I am. と訳されます。
「私は考える。故に私は存在する。」(デカルト)という意味です。
ヘレンケラーは、この言葉に出会って、生きる希望を得たと書いています。(>>
MY LIFE-Expression- 参照
)。
Veni, vidi, vici.
「ウェーニー・ウィーディー・ウィーキー」と読みます。
veni=I came, vidi=I saw, vici=I won.
それぞれ、venio, video, vincoという動詞の
完了
・1人称・単数の形です。
「来た、見た、勝った」と訳せます。(スエトニウスの伝えるユリウス・カエサルの言葉)
ローマ皇帝伝 上 (岩波文庫 青 440-1)
國原 吉之助
Verba volant, scripta manent.
「ウェルバ・ウォラント・スクリプタ・マネント」と読みます。
verba は第二変化中性名詞 verbum (=word) の複数・主格で、「言葉は」という意味になります。
volant は verba(複数)にあわせて語尾が3人称複数の形になっています。「飛ぶ」という意味です。
scripta は scriptum(書かれた文字)の複数・主格です。
scripta は元来第三変化動詞 scribo (書く)の
完了分詞
ですが、一般に「書かれたもの(文字)」という意味をもつ名詞として用いられます。
第二変化動詞 maneo(=とどまる)の現在・複数・3人称の形が manent です。
「言葉は飛び去るが、書かれた文字はとどまる。」という意味になります。
IT 時代において、示唆的な言葉のように思われます。
Exempla docent, non jubent.
「エクセンプラ・ドケント・ノーン・ユベント」と読みます。
全体の構文は、「exempla は教える。命令しない」となります。
exempla が主語、docent, jubent が動詞となります。
第二変化中性名詞 exemplum の複数・主格が exempla です。
動詞の元の形は、それぞれ、doceo, jubeo となります。
親や、教育者にとって耳に痛い言葉です。「口で指示するのではなく、身を持って模範を示せ」とこの格言は教えます。
Video barbam et pallium, philosophum non video.
「ウィデオー・バルバム・エト・パッリウム・ピロソプム・ノーン・ウィデオー」と読みます。
「私はひげ(barba)とマント(pallium)を見ているが、哲学者は見ていない。」という意味です。
。
Barba non facit philosophum.(ひげは哲学者をつくらない)
という言葉を思い出します。
うわべを飾ってもいけない、ということでしょう。「巧言、令色、すくなし仁」(『論語』と遠からず、近からず、といったところです。
Jucunda memoria est praeteritorum malorum.
「ユークンダ・メモリア・エスト・プラエテリトールム・マロールム」と読みます。
jucunda(=楽しい)、memoria(思い出は)。praeteritorum(形容詞;過ぎ去った)、malorumは名詞malum(災い)の複数・属格。
過ぎ去った苦しみの思い出は、喜びに変わる。(キケロー)
ウェルギリウス
の『アエネーイス』において、主人公は部下に向かって
「今の苦しみを思い出して喜べる日も訪れる」
と励まします。
キケローの言葉から、このシーンを思い出します。
Nisi in bonis amicitia esse non potest.
「ニシ・イン・ボニース・アミーキティア・エッセ・ノーン・ポテスト」と読みます。
nisi=except, bonis=good people, amicitia=friendship, esse=to be
善人の間においてのみ、友情は成立する。(キケロー)
直訳は、「善人以外の人間において、友情は存在しえない。」
「友人は、第二の自己である」と述べたキケローらしい言葉です。
友情について (岩波文庫)
Cicero 中務 哲郎
Boni improbis, improbi bonis amici esse non possunt.
「ボニー・インプロビース・インプロビー・ボニース・アミーキー・エッセ・ノーン・ポッスント」と読みます。
主語はboni (bonus の複数主格)と improbi (bonus と反対の意味を持つ言葉→悪人)、動詞は possunt (〜できる)。
possunt + esse (←sum の不定法)で、〜であることができる。
補語はamici (amicus の複数主格)です。→「友人であることができない」(non がありますので否定)
improbis, bonis はともに複数・与格とみなせます。それぞれ「悪人にとって」、「善人にとって」となります。
「善人は悪人にとって、悪人は善人にとって、友人であることができない。」が直訳です。
上の例文と同じく、キケローの『友情論』(De Amicitia)に見られる言葉です。
Verum cur non audimus? quia non dicimus.
「ウェールム・クール・ノーン・アウディームス?クィア・ノーン・ディーキムス」と読みます。
verum は「真実」を意味する第二変化中性名詞、単数・対格です。
dicimus は「言う」を意味する第三変化動詞 dico の現在、一人称・複数です。
verum(真実)を cur(どうして)、non audimus (私たちは聞かないのか)。quia (なぜなら)、non dicimus.(私たちがいわないから)。
dicimus の目的語は、verum と考えられますが、省略されています。
他人による真実の情報提供を期待する以前に、そもそも自分がそうしているだろうか?という内省を促します。
Dum docent discunt.
「ドゥム・ドケント・ディスクント」と読みます。
dum は接続詞で「・・・する間」を意味します。
docent は「教える」を意味する動詞の直説法・能動相・現在、三人称・複数です。
discunt は「学ぶ」を意味する動詞で、同じく直説法・能動相・現在、三人称・複数です。
直訳すると、「彼らは教える間、学んでいる」となります。
Teaching is learning. と同じ意味ですね。
セネカの『道徳書簡集』( 7, sect. 8)の中に見える言葉です。
倫理書簡集I (セネカ哲学全集)
兼利 琢也 大西 英文
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