<補足>以下、覚書です。キケローの言葉(De Inventione)。自分の生きている時代は、永遠の時間の流れの中のひとこま。自分の住んでいる地域は、無限の空間の中の一つに過ぎない。それゆえにはかなく、それゆえにかけがえがない。De
Re Publica の最終場面(スキーピオーの夢)では、地上での fama が芥子粒のようなもの、と教えさとしているが、現実の生活に照らして時間と空間を考えれば、sine
fine でなく finis に縛られたこの時、この場所で精一杯生きる(res publica
と信じられるものにたいして)のがベストと思われる。じっさい、DRP の中では、死後の生にいち早くはせ参じたいと願うスキーピオー(孫)にたいし、大スキーピオーいわく、地上の生を勝手に断ち切ることは許されない、と。『国家について』は、限りある生から永遠の生に至る道筋を描いている作品、と読むこともできる。
Dum fata sinunt vivite laeti.
「ドゥム・ファータ・シヌント・ウィーウィテ・ラエティー」と読みます。
dum は接続詞で「・・・する間」、fata は「運命」を意味する第二変化の中性名詞
fatum の複数・主格。
<補足>「一を聞いて十を知る」という言葉があります。Ab uno... をわかりやすく訳すとこうなりますが、ちょっとラテン語を知っている人がこのラテン語を見ると、おや?と思うに違いありません。なぜ
omnia (中性・複数・対格)ではないのか?と。上の引用文にある omnes は男性(女性)・複数・対格です。「すべての」何なのか?というと、じつはトロイア戦争でトロイアを攻めたギリシア軍の不正の数々を指しています。詳しい背景は、「その馬を信じるな」(アエネイス第二巻訳)をご覧下さい(66行目です)。