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	<title>山下太郎のラテン語入門</title>
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	<description>ラテン語の独習を支援するサイトです。ラテン語の格言は毎日更新中。姉妹サイトには文法のウィキ、オンラインの辞書とクイズがあります。</description>
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		<title>Di a nullo videntur, ipsi autem omnia vident.</title>
		<link>http://www.kitashirakawa.jp/taro/2012/02/di-a-nullo-videntur-ipsi-autem-omnia-vident/</link>
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		<pubDate>Fri, 03 Feb 2012 09:43:15 +0000</pubDate>
		<dc:creator>taro</dc:creator>
				<category><![CDATA[ラテン語格言集]]></category>
		<category><![CDATA[ipse]]></category>
		<category><![CDATA[受動相]]></category>
		<category><![CDATA[神]]></category>
		<category><![CDATA[第三変化形容詞]]></category>

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		<description><![CDATA[「ディー・アー・ヌッロー・ウィデントゥル・イプシー・アウテム･オムニア･ウィデント」と読みます。 di は「神」を意味する第2変化名詞 deus の複数主格です。 nullo は「何の・・・も・・・ない」を意味する形容詞、男性･単数・奪格です。ここでは名詞的に用いられ、英語でいえば no one, nobody に相当する意味を表します。 videntur は「見る」を意味する第二変化動詞 video の直説法・受動相・三人称複数です。主語は di です。 受動態の構文で前置詞 a + 奪格は「行為者」を示します。英語なら by +名詞となるところです。 ipsi は代名詞 ipse の男性・複数・主格です。ここでは「神々自身が」という意味になります。 autem は「一方、しかるに」を意味する接続詞です。 omnia は「すべて」を意味する第三変化形容詞 omnis の中性・複数・対格です。vident の目的語です。この文では名詞化されています。 vident は「見る」を意味する video の直接法・能動相・現在、三人称複数です。 「神々は誰にも見られないが、神々自身はすべてを見ている」と訳せます。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>「ディー・アー・ヌッロー・ウィデントゥル・イプシー・アウテム･オムニア･ウィデント」と読みます。<br />
di は「神」を意味する第2変化名詞 deus の複数主格です。<br />
nullo は「何の・・・も・・・ない」を意味する形容詞、男性･単数・奪格です。ここでは名詞的に用いられ、英語でいえば no one, nobody に相当する意味を表します。<br />
videntur は「見る」を意味する第二変化動詞 video の直説法・受動相・三人称複数です。主語は di です。<br />
受動態の構文で前置詞 a + 奪格は「行為者」を示します。英語なら by +名詞となるところです。<br />
ipsi は代名詞 ipse の男性・複数・主格です。ここでは「神々自身が」という意味になります。<br />
autem は「一方、しかるに」を意味する接続詞です。<br />
omnia は「すべて」を意味する第三変化形容詞 omnis の中性・複数・対格です。vident の目的語です。この文では名詞化されています。<br />
vident は「見る」を意味する video の直接法・能動相・現在、三人称複数です。<br />
「神々は誰にも見られないが、神々自身はすべてを見ている」と訳せます。</p>
<p><a class="a2a_dd a2a_target addtoany_share_save" href="http://www.addtoany.com/share_save#url=http%3A%2F%2Fwww.kitashirakawa.jp%2Ftaro%2F2012%2F02%2Fdi-a-nullo-videntur-ipsi-autem-omnia-vident%2F&amp;title=Di%20a%20nullo%20videntur%2C%20ipsi%20autem%20omnia%20vident." id="wpa2a_2"><img src="http://www.kitashirakawa.jp/taro/wp/wp-content/plugins/add-to-any/share_save_171_16.png" width="171" height="16" alt="Share"/></a></p>]]></content:encoded>
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		<title>『ローマ人の名言８８』のご紹介</title>
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		<pubDate>Tue, 31 Jan 2012 11:00:04 +0000</pubDate>
		<dc:creator>taro</dc:creator>
				<category><![CDATA[お知らせ]]></category>
		<category><![CDATA[ローマ人の名言８８]]></category>

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		<description><![CDATA[ラテン語の本を出しました。 ローマ人の名言88山下 太郎 Facebook のファンページは、こちらです。巻末の「表題以外のローマ人の名言　索引つきリスト」の解説を順次紹介・コメント中。 この本に関してTwitterで述べたこと（まとめ） 「ラテン語の勉強で何が一番大事か」と尋ねられることがある。私は「とにかく続けること」と答えたい。大学でラテン語を取る人は、比較的ヤル気があって勉強の得意な人が多いように思う。だから、「続かない」。このような皮肉な結果をたくさん目の当たりにしてきた。「もったいない」というのが正直な感想。 大学ではふつう1週間に1コマの頻度で授業がある。予習は必要。練習問題は１０とか２０とかあって、全部こなさないといけない、と考える。最初のうちは（第三変化名詞にさしかかる前まで）意外に予習もはかどるが、そのペースを中盤以降も守るには倍以上努力がいる。もしそうなら、予習の量を半分にしてもいい（と私は授業でよく言った）。 とにかく最後まで続けること。そのことのほうが、毎回「全部の」問題を予習することより大事である。私は経験を語るのだが、どんなに予習を怠っても最後まで出席できた学生は、最終的にキケローの読解ができるところまで力をつけている（本人にその自覚がないとしても）。 山あり谷あり、それが勉強。でも、真面目な学生に限って、重いギアのまま上り坂も根性で登りきろうとして挫折する。しんどいときは、ギアを軽くするか、自転車から降りて押して登ればいい。その先にはまた下り坂が待っているのだから。 話をラテン語の通信講座（MLも含めて）に当てはめても、同じことが言える。最初の快調なペースも、回を追うごとにだんだん崩れてくる。ヤル気は初回がピークである。内容も途中から急に難しくなる（名詞だと第三変化あたり）。だから、「難しい」と感じたら「提出頻度は変えず、こなす分量を減らすことで対応するのがよい。 逆に、「こなす分量を変えず、提出頻度を下げる」ことで対応しようとすると、結局提出しない癖がついて、必ず挫折する。 「間違うことは人間的なこと」というラテン語の格言がある。適当に間違いや歯抜けの答案があっても、付かず離れずラテン語とつきあうこと。そうしてともかく休まず最後まで続けてみる。 それにはラテン語の勉強そのものを「楽しむこと」。先生が楽しませてくれることもあるが（私は、rosa の複数 rosae を「バラバラ」と言った先生のジョークが今も忘れられない）、ラテン語には自分で楽しみを見つける余白がいっぱいある。たとえば、ラテン語の格言がその一例。一つのフレーズだけであれこれ想像を巡らせて心を遊ばせることができるはずだ。 そんなことが本当にできるのか？と思う人はぜひ「ローマ人の名言８８」を立ち読みしてほしい（これが狙いで書きだしたわけではないので敢えて立ち読みを勧める）。 現代語と違い２０００年の歳月をくぐり抜けて今に届くローマ人の言葉たち。必ずなにかキラっと光る理由がある。いわば、星の数ほど「いいね！」がまとわりついた言葉の数々。どこがどういいのか？ここをこう読めばこんなに面白く読める、というちょっとした発見をつづったのが本書である。 あとがきにも書いたが、たとえば Homo sum. （私は人間である）という言葉。英語だと中学１年生で習う表現。でも、なぜだかしらないが、ラテン語の Homo sum. は多くの人達に愛され、座右の銘とされてきた。英語には悪いが、I&#8217;m a man. ではこうはいかない。 その「なぜだかしらないが」の「なぜ」に今回私は迫った（笑）。だから、正確さではなく、面白さを追求した。ラテン語にチャレンジする多くの人に、挫折せず楽しく学び続けてほしいという気持ちを込めて。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>ラテン語の本を出しました。</p>
<p><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4895001520/tarodiary-22/" target="_top">ローマ人の名言88</a><br />山下 太郎 <br /><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4895001520/tarodiary-22/" target="_top"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/417-3T9stxL._SL160_.jpg" border="0" alt="4895001520" /></a></p>
<p>Facebook のファンページは、<a href="http://www.facebook.com/pages/ローマ人の名言88/317081348331473">こちらです。</a>巻末の「表題以外のローマ人の名言　索引つきリスト」の解説を順次紹介・コメント中。</p>
<p><span id="more-2099"></span><br />
<strong>この本に関してTwitterで述べたこと（まとめ）</strong></p>
<blockquote><p>
「ラテン語の勉強で何が一番大事か」と尋ねられることがある。私は「とにかく続けること」と答えたい。大学でラテン語を取る人は、比較的ヤル気があって勉強の得意な人が多いように思う。だから、「続かない」。このような皮肉な結果をたくさん目の当たりにしてきた。「もったいない」というのが正直な感想。</p>
<p>大学ではふつう1週間に1コマの頻度で授業がある。予習は必要。練習問題は１０とか２０とかあって、全部こなさないといけない、と考える。最初のうちは（第三変化名詞にさしかかる前まで）意外に予習もはかどるが、そのペースを中盤以降も守るには倍以上努力がいる。もしそうなら、予習の量を半分にしてもいい（と私は授業でよく言った）。</p>
<p>とにかく最後まで続けること。そのことのほうが、毎回「全部の」問題を予習することより大事である。私は経験を語るのだが、どんなに予習を怠っても最後まで出席できた学生は、最終的にキケローの読解ができるところまで力をつけている（本人にその自覚がないとしても）。</p>
<p>山あり谷あり、それが勉強。でも、真面目な学生に限って、重いギアのまま上り坂も根性で登りきろうとして挫折する。しんどいときは、ギアを軽くするか、自転車から降りて押して登ればいい。その先にはまた下り坂が待っているのだから。</p>
<p>話をラテン語の通信講座（MLも含めて）に当てはめても、同じことが言える。最初の快調なペースも、回を追うごとにだんだん崩れてくる。ヤル気は初回がピークである。内容も途中から急に難しくなる（名詞だと第三変化あたり）。だから、「難しい」と感じたら「提出頻度は変えず、こなす分量を減らすことで対応するのがよい。</p>
<p>逆に、「こなす分量を変えず、提出頻度を下げる」ことで対応しようとすると、結局提出しない癖がついて、必ず挫折する。</p>
<p>「間違うことは人間的なこと」というラテン語の格言がある。適当に間違いや歯抜けの答案があっても、付かず離れずラテン語とつきあうこと。そうしてともかく休まず最後まで続けてみる。</p>
<p>それにはラテン語の勉強そのものを「楽しむこと」。先生が楽しませてくれることもあるが（私は、rosa の複数 rosae を「バラバラ」と言った先生のジョークが今も忘れられない）、ラテン語には自分で楽しみを見つける余白がいっぱいある。たとえば、ラテン語の格言がその一例。一つのフレーズだけであれこれ想像を巡らせて心を遊ばせることができるはずだ。</p>
<p>そんなことが本当にできるのか？と思う人はぜひ「ローマ人の名言８８」を立ち読みしてほしい（これが狙いで書きだしたわけではないので敢えて立ち読みを勧める）。</p>
<p>現代語と違い２０００年の歳月をくぐり抜けて今に届くローマ人の言葉たち。必ずなにかキラっと光る理由がある。いわば、星の数ほど「いいね！」がまとわりついた言葉の数々。どこがどういいのか？ここをこう読めばこんなに面白く読める、というちょっとした発見をつづったのが本書である。</p>
<p>あとがきにも書いたが、たとえば Homo sum. （私は人間である）という言葉。英語だと中学１年生で習う表現。でも、なぜだかしらないが、ラテン語の Homo sum. は多くの人達に愛され、座右の銘とされてきた。英語には悪いが、I&#8217;m a man. ではこうはいかない。</p>
<p>その「なぜだかしらないが」の「なぜ」に今回私は迫った（笑）。だから、正確さではなく、面白さを追求した。ラテン語にチャレンジする多くの人に、挫折せず楽しく学び続けてほしいという気持ちを込めて。
</p></blockquote>
<p><a class="a2a_dd a2a_target addtoany_share_save" href="http://www.addtoany.com/share_save#url=http%3A%2F%2Fwww.kitashirakawa.jp%2Ftaro%2F2012%2F01%2F%25e3%2580%258e%25e3%2583%25ad%25e3%2583%25bc%25e3%2583%259e%25e4%25ba%25ba%25e3%2581%25ae%25e5%2590%258d%25e8%25a8%2580%25ef%25bc%2598%25ef%25bc%2598%25e3%2580%258f%25e3%2581%25ae%25e3%2581%2594%25e7%25b4%25b9%25e4%25bb%258b%2F&amp;title=%E3%80%8E%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E4%BA%BA%E3%81%AE%E5%90%8D%E8%A8%80%EF%BC%98%EF%BC%98%E3%80%8F%E3%81%AE%E3%81%94%E7%B4%B9%E4%BB%8B" id="wpa2a_4"><img src="http://www.kitashirakawa.jp/taro/wp/wp-content/plugins/add-to-any/share_save_171_16.png" width="171" height="16" alt="Share"/></a></p>]]></content:encoded>
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		<title>Nil desperandum.</title>
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		<pubDate>Wed, 25 Jan 2012 12:21:25 +0000</pubDate>
		<dc:creator>taro</dc:creator>
				<category><![CDATA[ラテン語格言集]]></category>
		<category><![CDATA[ホラーティウス]]></category>
		<category><![CDATA[動形容詞]]></category>

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		<description><![CDATA[「ニール・デースペランドゥム」と読みます。 nil は英語の nothing に当たる言葉で、desperandum と同格です。 desperandum は「絶望する」を意味する第一変化動詞 despero の動形容詞、中性単数主格です。 「何事も絶望すべきではない」、または「絶望すべきものは何もない」と訳せます。 ホラーティウスの『詩集』（1.7.27）に見られる表現です。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>「ニール・デースペランドゥム」と読みます。<br />
nil は英語の nothing に当たる言葉で、desperandum と同格です。<br />
desperandum は「絶望する」を意味する第一変化動詞 despero の動形容詞、中性単数主格です。<br />
「何事も絶望すべきではない」、または「絶望すべきものは何もない」と訳せます。<br />
ホラーティウスの『詩集』（1.7.27）に見られる表現です。</p>
<p><a class="a2a_dd a2a_target addtoany_share_save" href="http://www.addtoany.com/share_save#url=http%3A%2F%2Fwww.kitashirakawa.jp%2Ftaro%2F2012%2F01%2Fnil-desperandum-2%2F&amp;title=Nil%20desperandum." id="wpa2a_6"><img src="http://www.kitashirakawa.jp/taro/wp/wp-content/plugins/add-to-any/share_save_171_16.png" width="171" height="16" alt="Share"/></a></p>]]></content:encoded>
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		<title>Nec scire fas est omnia.</title>
		<link>http://www.kitashirakawa.jp/taro/2012/01/nec-scire-fas-est-omnia/</link>
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		<pubDate>Tue, 24 Jan 2012 12:43:32 +0000</pubDate>
		<dc:creator>taro</dc:creator>
				<category><![CDATA[ラテン語格言集]]></category>
		<category><![CDATA[ホラーティウス]]></category>
		<category><![CDATA[不定法]]></category>
		<category><![CDATA[知る]]></category>
		<category><![CDATA[神]]></category>

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		<description><![CDATA[「ネク・スキーレ・ファース・エスト・オムニア」と読みます。 nec は「・・・でない」を意味する副詞です。 scire は「知る」を意味する第四変化動詞 scio の不定法・能動相・現在です。 fas est の構文で「・・・すること（不定法）は正当である」と訳せます。 fas は、神の御心にかなうこととして許されること、というニュアンスをもちます。 omnia は「すべて」を意味する第三変化形容詞 omnis の中性・複数・対格で、scire の目的語です。 「すべてを知ることは正当ではない」と訳せます。 ホラーティウスの言葉です（『詩集』4.4.22）。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>「ネク・スキーレ・ファース・エスト・オムニア」と読みます。<br />
nec は「・・・でない」を意味する副詞です。<br />
scire は「知る」を意味する第四変化動詞 scio の不定法・能動相・現在です。<br />
fas est の構文で「・・・すること（不定法）は正当である」と訳せます。<br />
fas は、神の御心にかなうこととして許されること、というニュアンスをもちます。<br />
omnia は「すべて」を意味する第三変化形容詞 omnis の中性・複数・対格で、scire の目的語です。<br />
「すべてを知ることは正当ではない」と訳せます。<br />
ホラーティウスの言葉です（『詩集』4.4.22）。</p>
<p><a class="a2a_dd a2a_target addtoany_share_save" href="http://www.addtoany.com/share_save#url=http%3A%2F%2Fwww.kitashirakawa.jp%2Ftaro%2F2012%2F01%2Fnec-scire-fas-est-omnia%2F&amp;title=Nec%20scire%20fas%20est%20omnia." id="wpa2a_8"><img src="http://www.kitashirakawa.jp/taro/wp/wp-content/plugins/add-to-any/share_save_171_16.png" width="171" height="16" alt="Share"/></a></p>]]></content:encoded>
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		<item>
		<title>Nec mora, nec requies.</title>
		<link>http://www.kitashirakawa.jp/taro/2012/01/nec-mora-nec-requies/</link>
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		<pubDate>Mon, 23 Jan 2012 08:22:55 +0000</pubDate>
		<dc:creator>taro</dc:creator>
				<category><![CDATA[ラテン語格言集]]></category>
		<category><![CDATA[ウェルギリウス]]></category>
		<category><![CDATA[第一変化名詞]]></category>
		<category><![CDATA[農耕詩]]></category>

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		<description><![CDATA[「ネク・モラ・ネク・レクィエース」と読みます。 nec A nec B で、A,Bともに否定します。 mora は「遅延、休止」を意味する第一変化名詞、単数主格です。 requies は「休息」を意味する第一変化名詞、単数主格です。 動詞としては、est を補うことができますが、実際には省略されています。 「休止も休息もない」と訳せます。 ウェルギリウスの『農耕詩』に見られる表現です（3.110）。]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>「ネク・モラ・ネク・レクィエース」と読みます。<br />
nec A nec B で、A,Bともに否定します。<br />
mora は「遅延、休止」を意味する第一変化名詞、単数主格です。<br />
requies は「休息」を意味する第一変化名詞、単数主格です。<br />
動詞としては、est を補うことができますが、実際には省略されています。<br />
「休止も休息もない」と訳せます。<br />
ウェルギリウスの『農耕詩』に見られる表現です（3.110）。</p>
<p><a class="a2a_dd a2a_target addtoany_share_save" href="http://www.addtoany.com/share_save#url=http%3A%2F%2Fwww.kitashirakawa.jp%2Ftaro%2F2012%2F01%2Fnec-mora-nec-requies%2F&amp;title=Nec%20mora%2C%20nec%20requies." id="wpa2a_10"><img src="http://www.kitashirakawa.jp/taro/wp/wp-content/plugins/add-to-any/share_save_171_16.png" width="171" height="16" alt="Share"/></a></p>]]></content:encoded>
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