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(1988年,「西洋古典論集」5, pp37-58)
この詩は表向きは農耕について説いた詩ですが、同時に自然に働く神の力を人間のよりよい生活に生かすこと,すなわち「労働」の真の意義を教えています.個人が自己中心的な思考の枠を超越し,自らの「愛」(amor)を進んで国家の永続と発展に捧げること,これこそユピテルの意に適うことであるとされます.本稿ではこの分析をふまえ,詩人の示唆する真の誉れの概念の解釈にも踏み込みました.
(1989年,「西洋古典論集」6, pp.29-51)
第2巻エピローグのいわゆる「農耕賛歌」において,詩人は「無名のまま」自然を愛したい,と述べていますが,つづく第3巻の序歌では,「勝利者」(victor)としてカエサルを主人公とする叙事詩を書く抱負を告げ,際だった対照を見せています.表現の対応,対比関係を分析しますと,前者には前作『牧歌』を描く詩人としての立場が反映すること,一方「農耕賛歌」全体においては,ヘシオドスとルクレティウスの作品を創造的に模倣した『農耕詩』の詩人としての自負が読み取れることが確認できます.このとき,続く第3巻序歌において,将来の叙事詩の約束を行うことにより,詩人は作品の中心部分において,自らの詩作の過去,現在,未来の道程を暗示していることになります.
(1991年「西洋古典学研究」39、pp.82-91)
本稿では,第4巻後半の「アリスタエウス物語」の意義を考察しました.牧人アリスタエウスが蜜蜂再生の技術を発見するエピソードは,ルクレティウスの文明観を発展させたウェルギリウスの立場を強く示唆し,一方のオルペウスの悲劇はルクレティウスの愛についての考えを批判的に継承する詩人の立場を伝えている,というのが私の解釈です.ここで,オルペウスの悲劇は表現上『牧歌』を想起させる要素を多く持つこと,さらに,このエピローグ全体が小叙事詩的色合いを呈している事実に注目すると,「アリスタエウス物語」は全体として,詩人の詩作の道程を暗示する機能をあわせ持つと考えられます.このとき,論文(2)において考察した作品の中心部との対応関係も認めることができます.
(1991年,「西洋古典論集」9, pp.51-69)
ウェルギリウスは第2巻において「すべての土地がすべてを生むことはない」と述べています.ここに示唆される「多様性のテーマ」は作品を貫く重要な主題と思われます.この表現は,詩人の生きる現実が労働を必要とする過酷な時代であることを伝える一方で,自然は同じ物を二つとして生み出さないという認識に読者を誘います.たしかに現実世界は「すべての土地がすべてを生み出す」ような黄金時代ではもはやありませんが,他面あらゆる存在にかけがえのない価値が付加されていることにも気づくでしょう.この事実に読者の目を向けようとする詩人の試みをテキストに即して検討しました.
(1994年,「西洋古典論集」11, pp.118-135)
第6巻の歴史叙述に関する箇所では,『イリアス』の詩人の言葉を想起させる形で,(A)「その場に居合わせ万事を知る者」と(B)「ただ噂を聞いているだけで何一つ知らない者」の対比が見られます.また「歴史の全体を視野に入れつつ部分を語る」という叙述法も繰り返し見出せます.一方,これらの箇所では(a)主人公,(b)読者,(c)その他の人物,の3つの要素について,各々の過去,現在,未来が語られる構成も注目されます.この事実は,読者も含めた「すべて」の人間の過去から未来を物語ろうとする詩人の意図を反映していると解されます.なるほど詩人は人間の歴史に関し,その「一部」を語るに過ぎない立場でありますが,普遍的な歴史の「全体」を語ろうとする意思は決して捨ててはいないのです.
The Theme of Golden Age in Lucretius and Virgil
(1994年,「第2回京都シエナシンポジウム記念論集」,pp.136-144)ヘシオドス,ルクレティウス,ウェルギリウスの作品に見られる黄金時代のテーマの扱いを比較・考察しました.とくにヘシオドスの描く五時代説話のモチーフを,ルクレティウスがエピクロス哲学と矛盾しない形で導入していること,またこのルクレティウスの手法を念頭に置いた上で,ウェルギリウスがそれとは異なる独自の解釈を示している点について具体的に論じました.
『農耕詩』では多様性のテーマが重要な意味を持つと考えられます.このテーマとの関連で,愛と死,労働の意義,個人と社会の関係といったテーマが見直されます.第4巻末の「アリスタエウス物語」の解釈も,このような詩人の問いと無関係に成立するのではありません.本稿では,この立場から,『農耕詩』に見られる「独創性」のテーマを検討し,「個」の確立の問題が,作品全体を貫く主題の一つであることを確認しました.
『アエネイス』では,「神話の歴史化」という手法が重要な意味を持ちます.例えば,第8巻では,ローマの過去と現在が観点を変えて描かれますが,読者にとっての現実は,詩の中では未来の出来事として予言されています.本稿では,「ヘルクレス・カクスエピソード」に関して,この手法が効果的に用いられている事実に着目し,詩人がこの箇所で,このエピソードを語る必然性について詩的技法との関連から論じました.
テレンティウス『兄弟』の結末については,賛否両論があります.最終場面で,なぜ「理想的父親」を演じてきた(かにみえる)ミキオが、己の非を認め"recte"(これでよい)と述べ、幕が閉じるのでしょうか.本稿では,随所にちりばめられたモチーフ相互の対応,対比関係の検討を積み上げることにより,作品の構造上,前半部では「頑固親父」デメアの教育観の反省が(彼によって)行われ,後半では父親として同様に欠点をもつミキオの反省が促される形をとる、とみなします.このとき,最終場面で,ミキオが(観客と共に)はじめて自らの非を認めて幕が閉じることになり,作品全体のリング・コンポジション(←ホメロス以来の叙述技法)が見事に完成することを指摘しました.
『農耕詩』の主題は多岐に渡り、互いに矛盾する(かにみえる)表現が多々見られます。第三巻エピローグでは、疫病の蔓延する中、あらゆる人間の祈りも聞き届けられない絶望的状況が描かれます。この点で、他の巻に見られるオプティミスティックなエピソードと矛盾しているのではないか、という指摘がしばしば行われます。例えば、第二巻エピローグ(俗に「農耕賛歌」と呼ばれます)では、敬虔かつ勤勉な農夫の労働が、家族や家畜、国家を支える基礎となることが示されますが、第三巻末では、農夫の美徳--労働と善行--そのものが「一体何の役に立つのか」と問われるのです。本稿では、この作品に見られるルクレティウスの影響を解釈の鍵とし、「矛盾なく」自然現象を原子論によって解きあかそうとしたルクレティウスと、現実の矛盾を矛盾として描こうとしたウェルギリウスの叙述態度の相違に注目します。また、ルクレティウスが疫病で倒れる人間と、その迷信の愚かさを描いたのに対し、ウェルギリウスは、疫病で死にゆく家畜と家畜の死を見とどける人間の悲しみを中心に描いている点で、大きな相違点があります。ウェルギリウスは、あくまでも農耕技術(家畜の飼育も含む)を説く詩人として、この問題を扱っていることがわかります。この点で、労働の困難をユピテルの意志との関連で説明する叙述態度そのものに破綻はなく、第三巻末では、むしろ、人間の労働と技術の限界が示されることにより、ユピテルの与えた際限なき労苦(第一巻の118以下参照)の実例が確認されることになります。
原典は古代ローマにおける現存する最古の伝記文学です.古代ギリシアからローマ時代に至る著名な将軍や王たちの生涯が平明簡潔な文体で描写されています。西欧ではラテン語の読本としても利用され、幅広い読者をもっています。原典からの翻訳としては今回が本邦初訳です。翻訳は上村健二氏と分担し、山下は本文の第13章から25章までの訳と注釈、および、巻末の解説(185-203頁)を受け持ちました。
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