『しっかり学ぶ初級ラテン語』のQ&Aです。随時更新します(上が新しいです)。

Q. p.277 例文26 sapientem mors quōminus in ome tempusの部分ですが、sapientemはquōminusの導く名詞節の主語と思うのですが、名詞節ですので主格になるように思うのですが、うまく理解できないでいます。

A. sapientemはdēterretの目的語としての対格になります。この文の主語 morsは「quōminus以下を妨げる(dēterret)」。quōminus以下の省略された主語はsapiensです。

Q. p.231 例文9 actī fātīs の部分ですが、絶対的奪格で理解しようとしてますが、actī が中性単数与格なので、うまく理解できていません。

A. actīは第1・第2変化形容詞 actus,-a,-um の男性・複数・主格です。省略された主語の Trōēs(トロイア人たち)に対する補語となります。「トロイア人たちは翻弄された状態で(actī)」→「トロイア人たちは翻弄されて」。fātīsは手段の奪格です。

Q. 練習問題37の6 ūtāreについて、ヒントに接続法受動態現在とありますが、どの数どの格どの人称かわかりませんでした。ūtar ūtāris ūtātur ūtāmur ūtāminī ūtanturの中にはないようなのですが。。。

A. これは2人称単数の別形になります。そのことが書かれていませんでした(第5刷で加筆)。

Q. 練習問題37の9 後半部ですが、修飾句を落とすと、mūnus dēfūgisse videāminī が骨格と思うのですが、主語は省略されている「あなたがた」のようなのですが、と同時に、mūnusは主格と把握してしまうのですが、主格ではないのでしょうか?

A. mūnusは対格になります。mūnus,-eris n.の単数・対格で dēfūgisseの目的語です。第3変化の中性名詞です(一見第2変化に見えますが)。ラテン語の中性名詞は主格と対格が同じ形になります。

Q. p.315 第3節の例文18 morientia corporaの日本語訳が「死体」になってますが、英語でいえばdead bodyというよりはdying bodyに近いのでしょうか?

A. これは重要なポイントで、仰るとおりです。まだ完全に死に至っていない様子が描かれています。訳を「死にゆく体」に改めます(第5刷で訂正)

Q. 13ページに、「deusのeuは二重母音ではない。なぜなら、deusはdei, deo, deumなどと格変化し、uが別の母音と結びつく。二重母音では、母音同士が離れ離れになることはないため、別個の母音と理解してde-usとする。」という趣旨の記述があります。そして16ページに「tenebrae, -arum f.pl.暗黒」については、te-ne-braeと音節を分ける、と記されています。しかし、tenebraeも格変化があり、tenebrarum, tenebrisという格変化形があるわけですから、語尾の-aeは「離れ離れになる」わけで、二重母音として一つの母音と理解することはできず、te-ne-bra-eと音節を分けるのではないか、と思うのですが、なぜこの場合にはaeを二重母音と理解すべきなのでしょうか。

A. 第2変化名詞deus(神)の変化において、de-は変化しない部分(語幹)で、-usは変化する部分(語尾)となります。すなわち、この語はde-us, de-ī, de-ō, de-um, de-ō / de-ī, de-ōrum, de-īs, de-ōs, de-īsと変化します。同様に第1変化名詞tenebrae(暗黒)において、tenebr-が語幹で、-aeが語尾になります。すなわち、tenebr-ae, tenebr-ārum, tenebr-īs, tenebr-ās, tenebr-īsと変化します。「de-usのeはuと切り離される」というのは、言い換えますと、語幹と語尾の切れ目がeとuの間にある、ということを意味します。一方、tenebr-aeについては、br-と-aeの間に切れ目がある、ということになります。けっして、a- と-e の間に切れ目があるわけではありません。もちろん、この-aeの部分だけを見れば、属格以下で、-ārum, -īs, -ās, -īsという具合に変化しますので、-aeのaがeと切り離されて、なおかつ長母音化して-āとなった上で-sと結びつく例も見受けられますが、これは単語の構成上の分離(=語幹と語尾の区別)を意味するわけではありません。

Q. P.231 例文8
Numquid apud Parthōs Armeniōsque latet? 
まさか、それはパルティア人やアルメニア人のところに隠れているのではあるまいね?

この文中で、主語が「それ」(「彼」でなくて)であることを表わしている部分はありますか? 前後の文脈から「それ」という訳が出てくるのでしょうか? (隠れているのは人なのか、動物なのか? はたまた…?と疑問に思ったものですから。)

A. 文脈なしに引用したので、わかりづらくなりました。「明日」が答えです。この表現を含む元の詩の解説をご覧下さい。
http://www.kitashirakawa.jp/taro/mar2.html

Q. P. 219 例文10 Quae dum in Asiā geruntur,… (これらが小アジアでなされていた間)について。gerunturは直接法/受動態/現在/3人称/複数だと思うのですが、過去形で訳されているのは何故ですか?

A. たしかに、このままではおかしいな?と思うのが自然ですね。この文の現在形は、「歴史的現在」と呼ばれる用法です。p.305の例文1のmittitがその用例です。

Q. P.176 練習問題 23-5 Crēdēbās dormientī haec tibi confectūrōs deōs? Ter.Ad.693 について。dormientī =現在分詞dormiens の男性/単数/与格でtibiにかかる形容詞的用法(寝ているおまえのために)でよろしいですか?deōsは「神々」(男性/複数/対格)で、対格不定法による意味上の主語だとすれば、不定法の動詞はconfectūrūs esse とならないのでしょうか。

A. dormientīについては解釈された通りです。二つ目のご質問については、未来分詞+esseが未来の不定法です。未来分詞は第1・第2変化形容詞 bonusと同じ変化をします。このとき、不定法の意味上の主語となるdeōsと性・数・格を一致させるため、confectūrōs(男性・複数・対格)となります。

Q. P.165 練習問題 22-2 Magnī saepe ducēs, magnī cecidēre tyrannī, et Thēbae steterant altaque Trōja fuit. Prop.2.8.9-10 について。この動詞cecidēreは何故ceciderant ではないのでしょうか。また、形としては動詞cadō の何になるのでしょうか(直接法/能動態/…/…?)。

A. cadō の直説法・能動態・完了、3人称複数の別形です。p.148 の変化表をご覧下さい。なぜ過去完了にならないのか?ですが、次のsteterantがなぜ過去完了か?を考えるとそれがヒントになると思います。etの次に二つの文があります。一つがThēbae steterant で、もう一つがTrōja fuit. です。前者が過去完了、後者が完了です。このように2つの動詞の前後関係が比較されるとき、そして、それらに時間差があるとき、新しい方を完了にすると、それ以前の時間は過去完了で表します。対して、前半のcecidēreは単独で現れ、他の動詞と時間の前後関係を比較する必要がない、ということで過去完了にはしていません。

Q. P.165 例文3 Torquātus fīlium suum quod is contrā imperium in hostem pugnāverat necārī jussit.「トルクアートゥスは、命令に背いて敵に戦闘を仕掛けたという理由から、自分の息子を殺すよう命じた。」について、この最後のnecārī はこの一語でbe killedという意味になるのですか? あるいはesse が省略されているのでしょうか。

A. necō(殺す)の不定法・受動態は、その一語で to be killed に相当します。esseを補う必要はありません。

Q. P.160 練習問題21-4 Sī haec in animō cōgitāre volēs, et mihi et tibi et illīs dempseris molestiam.
「もしあなたが、これらのことを心の中で考えようと望めば、私とあなたと彼らから困り事を取り去ってしまうだろう」について、この訳にある状況がうまくイメージできません。「取り去ってしまうだろう」とは、完了の意味合いでこう訳されているのでしょうか。「困り事を取り去っては困る事情がある?」というのは深読みしすぎですか?

A. この日本語訳だとそのようにイメージするのが自然だと思います。未来完了ということで、「・・・してしまう」(←「しまう」の部分が「完了」のつもり)と訳す癖が出てしまいました。「sī の内容をあなたがやってくれさえすれば、万事めでたく解決するのだが」という内容です。自然な日本語にするなら、「もしあなたが、これらのことを心の中で考えようと望めば、私とあなたと彼らから困り事はなくなるでしょう」あたりでしょうか。

Q. 辞書によってcūjus と cūius の表記がありますが、発音は同じでしょうか?またcuī とquī は同じ発音ですか?

A. cūjusとcūiusはどちらも「クイユス」と発音します。cuīは[kuī](クイー)、quīは [kwī](クゥィー)と発音します。

Q. impius ne audeto placare donis iram deorum (p.68)について。impius の訳し方について次のとおり考えましたが、これでよろしいでしょうか?

  • この文章は、あくまでも二人称単数に対する未来命令文である。
  • “impius”は、命令された“tu”(省略されている)と同格の名詞である(=主格補語)。(“impie”ではないので、命令されている“tu”に対する呼びかけではありえない。)
  • 文意に重点を置いて、二人称に対する命令文であることを、訳にあたって先生はあえて無視なさった。

A. 対象の例文は法律の文なので、audetoは3人称単数が主語とみなします(命令法・能動態・未来)。主語はimpius(不敬な者)と解釈できます。訳は、教科書に書きましたとおり「不敬な者が(impius)、大胆にも神々の怒りを捧げ物で宥めようとしてはならない。」となります。この場合、audeōの意味を「大胆にも<不定法の内容>を行う」と取ります。また、impiusは「形容詞の名詞的用法」と解釈します。

一方、audetoを2人称単数とみなす場合、お考えの通りimpiusは主格補語となります。この場合、「あなたは不敬にも(impius)神々の怒りを捧げ物で宥めることを敢えて行ってならない」と訳せます(この場合、audeōの意味を「敢えて<不定法の内容>を行う」と取ります)。原文の文脈を考慮しない場合、上の二つの訳し方はどちらも正解となります。

Q.テキストp.215の例文2のprincepsは辞書では形容詞となっていますが、意味上はinvenitにかかるので、副詞のようですが、形容詞を副詞的に使っているのでしょうか?

A. はい、その通りです。これは「形容詞の副詞的用法」に相当します。

Q.テキストp.217の例文6の文章(…cui facile est mori)の中のmoriは 形式受動能動詞morior の不定法・現在と考えてよいですか。

A.その通りです。語彙のmorior,-ī の表記がそれを示します。カンマの次の-īは不定法・現在がmorīであることを示します。

Q. テキストp.221の例文15の中の単語opes、opum(富、財産)はいずれも辞書にのっていません。辞書にある形を知りたいのですが。

A. ops,opis f.です。単数・属格が-isで終わるので第3変化名詞ですね。単数では「力、能力」を意味します。opesは複数で「富、財産、兵力、権力」といった意味を持ちます。

Q.p.137で代名詞的形容詞について「ūnusには複数はない」と書かれています。自分の手元の他社のラテン語教本にはūnusの単数形と複数形が載っています。この複数形の表は間違っている、ありえないということでしょうか。

A.「ūnusには基本的に複数の用例はない」と書くべきでした。実は複数の用例はあります。ただし用例が限られます。類書の多くにūnusの単数の表紙か掲げられていないのはそのためです。ūnusが複数で用いられるケースは以下の2通りがあります。
(1) 韻文での特殊な用例。
(2) 「一つの」という本来の意味を離れ、ラテン語のsōlus、英語で訳せばsingleやonlyに相当する意味で使われる場合。

(1) の例として、ウェルギリウスの『アエネーイス』の用例をご紹介します。
me si caelicolae uoluissent ducere uitam,
has mihi seruassent sedes. satis una superque
uidimus excidia et captae superauimus urbi. (Verg.Aen.6.641-643)
もしわしの命が長らえるよう神々が望んだなら、
この館を守ってくれたはずだ。一度でもうたくさんだ。
トロイアの破滅を目にし、占領された都の中で生き延びるのは。

この引用箇所で、ūnaはexcidia(破滅)を修飾します。uidimus(=vīdimus)はvideōの直説法・完了・能動態、一人称複数です。「私たちは見た」という意味ですが、その目的語としてūna…excidia(一つの破滅)があります。このexcidiaは第2変化中性名詞excidiumの複数・対格で、ūnaもこれにあわせ、中性・複数・対格になります。しかし、「一つの破滅」と言いながら、なぜ複数形なのか?という疑問が生まれます。この複数形はpoetic pluralと呼ばれますが、端的に言えば、韻律の都合に合わせて複数になっているということです。

(2) の例として、ローマの喜劇作家プラウトゥスに次の表現があります。
rūrī dum sum ego ūnōs sex diēs. Plaut.Trin.1.2.129 私が田舎にたった六日間いる間に

rūrī(田舎に)は教科書の339ページでふれた「地格」に当たります。dumは英語のwhileに当たる接続詞です。sexは数字の6、diēsは第5変化名詞diēs(p.83参照)の複数対格です。この対格は「広がりの対格」に当たります。教科書331ページの例文41をご参照下さい。この例文において、ūnōsはdiēsを修飾し「たった、ほんの」(英語のonly)という意味を表します。言うまでもなく、「一つの」と訳すことはできません(sexと矛盾します)。つまりūnus本来の意味から離れた用例と言えます。sōlusを用いたsōlōs novem mensēs(たった九ヶ月の間)という表現がキケローにあると羅和辞典に出ています。

Q. p.199の例文9の訳がよくわかりません。「求めても」とありますが、原文に条件を表す接続詞は見当たりません。文法的に未習事項が出ているので、補足説明が必要です。repetāsはrepetōの接続法・能動態・現在、2人称単数です。p.291の観念的条件文をご覧下さい。この用法の主文がFrustrā…repetās adulescentiam.(あなたは無駄に青春時代を再び求めるだろう)で、条件を表す従属文は省かれていると考えられます。Sī repetās adulescentiam(あなたが青春時代を再び求めても)を補うとよいでしょう。このとき全体の訳は、「老年に至ったとき、もしあなたが青春時代を再び求めたとしても、あなたはそれを無駄に求めることになるだろう」となります。

Q. P283,例文9のヒント:metuīはmetuō の直説法・能動態・完了、1人称単数の形だと思うのですが、ここから、「恐れられている」という訳はどのように導出されるのでしょうか?ご教示いただければ幸いです。

A. metuī は直説法・能動態・完了、1人称単数とともに、不定法・受動態・現在の形でもあります。amō を例にとると、不定法の能動態はamāreで、受動態は amārī となります。

Q. P.172、Alea jacta est(賽は投げられた)はあまりにも有名な文言ですが、もし、「投げられた賽があります」と訳しても文法上はOKでしょうか?(カエサルのルビコン川を渡るときの心境とは別に、純粋に文法上の可能性としての質問です。)

A. jacta est.をjacta + estの組み合わせで捕らえますと、jacioの完了・受動態ですが、ご指摘のように、jactaを形容詞とみなすと、「投げられた賽がある」と訳すことは十分可能です。どちらがよいのかは文脈によりますが、文法的にはどちらも可能です。

Q. 47ページまで現在、進んだところです。質問ですが、ページ47の20.suaeはsuusの単数・属格でmiseriaeにかかります。との説明ですが、causaにかかる、suaの単数、属格と考えてよいものでしょうか。

A. はい、そのようになります。miseriaeも単数・属格でcausaにかかる、ということになります。suaeとmiseriaeは「性・数・格」が一致していること、ともに(ご指摘のように)単数・属格としてcausaにかかる、ということになります。

Q. p.211 例文4:memini_が不完全動詞(p.152)であることは理解しますが、命令法・2人称単数であるmemento_はどのように導出されるのでしょうか。ご教示いただければ幸いです。

A. ご質問ごもっともです。二人称単数未来の命令の形で-ento_で終わるのは不規則です。見た目だけでいえば、第二変化動詞の未来、三人称・複数の語尾です。video_ –> vidento_
このような場合、理屈抜きに覚えるほかないと思います。このようなことを教科書には書いていませんでした。次回載せるように致します。

Q. pp 199-200、練習問題27-5(語彙も含め)について。dominor, -ārīは、p 201以降で出てくる「形式受動態動詞」と理解してよろしいでしょうか?

A. はい。ご指摘通り形式受動態動詞です。現状は、未習事項なのにコメントがないままでした。ここは次の版で特記したいと思います。

Q.47ページにある例文21のC.CaeseremのC.はどう読むのでしょうか。

A. C.はGāiusの略語ですが、この文では Caesaremにあわせ、Gāium (ガーイウム)と読みます。

Q. 教科書のP134,練習問題17-5の解答として、P343において、「終着点であった。」と完了で訳してあります。原文では動詞は省略されていますが(おそらくestまたはfuit?)、「文脈から考えて完了的に訳す」、という理解でよろしいでしょうか?

A. その通りです。fuit(sumの完了)を補います。原文でlabor extremus(最大の苦難)とは、主人公アエネーアースが最愛の父アンキーセスを失ったことを意味します。

Q. p.115 「1人称の複数nōsはⅠ人称の単数egoの代わりに用いられることがある」とありますが、具体的な用例を教えて下さい。

A. 詩の中でよく出てきます。ローマを代表する詩人ウェルギリウスは、『牧歌』第4歌の冒頭で、Paulō majōra canāmus.と宣言しています。canāmusは一人称複数の形ですが、この文脈での主語は一人称単数(詩人その人)と考えられるので、「より大きなことを私は歌おう」と訳します。

Q. p.160、練習問題21-4:mihi, tibi, illīsはいずれも与格だと思うのですが、p.344の解答にある「私とあなたと彼らから」という訳がどのようにして導出されるのでしょうか?動詞のdēmōが「人の与格」と「物の対格」をとって「人から物を取り去る」という構文がある、ということでしょうか。

A. はい、その通りです。dēmō(取り去る)は、<与格>から<対格>を「取り去る」という使い方をします。Oxford Latin Dicrionaryに、この練習問題の表現が載っていますが、w.dat.(=with dative)と記されています。

Q. p.138 例文2:arbitriōは「手段の奪格」と解してよろしいでしょうか?

A. はい、その通りです。「他人の思惑によって」と訳すのが直訳で、教科書の「他人の思惑にしたがって」は意訳になります。

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