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ものを大切にする心(園長日記より)

2011-11-26 (土)

四月から、毎週水曜日は「遊びの日」とし、園全体で元気に遊ぶようにして参りました。おかげで、すべてを忘れて遊び切る、貴重な経験を子どもたちも先生も、重ねてきたように思います。その効果は大きく、外で力いっぱい遊ぶほど、部屋の中での活動も生き生きしたものになる、という昔から伝わる教え(よく遊びよく学べ)を再認識しているところです。

しかし、だからこそ子どもたちに伝えたいことが見えてくるものであり、それが表題に書いた「ものを大切にする心」です。これは教育のイロハのイでありますが、観念として伝えるのでなく、実体験に基づいて伝えることが大事です。遊びが充実するほど、子どもたちは想定外の行動にチャレンジしていきます。たとえば園庭のお砂。水と砂をふんだんに使ってさまざまな「見立て」あそびに興じるほど、園庭の砂はどんどん溝を通って流れ落ちていきます。

毎年、年度末には業者にお願いして大量の砂を補充していただいているのですが、雨がふるだけでも、山の砂は流れ落ちるのが自然の理です。砂が下から上に向かうことはありえません。遊びに水をさすのではなく、いろいろな条件の上に楽しい遊びが成り立つことを学ぶのが生きた勉強。各クラスで、「使った砂を大事にしよう」と呼びかけることで、目に見えない副次的効果が生まれました。遊び以外の場面、たとえば靴をそろえる、とか、使ったおもちゃを大事に片付けるとか、水道の締め方を丁寧にするとか、です。年長児は率先して階段に流れ落ちた砂を集めて園庭に戻すようになりました。「おかたづけですよー」と先生が声をかけてからの行動もキビキビするようになり、時間にも余裕が生まれるようになりました。

以上、かけあしで最近の園のとりくみの一端をお知らせいたしました。

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2012年1月14日 | コメント/トラックバック(0) |

カテゴリー:園長日記

「トカゲ」──園長日記より

昨日の保育日誌(年長クラス)に心に残るエピソードが記されていました。

「今日はお外遊びの時に男の子たちが死んだトカゲを持ってみていました。昨日、猫に食べられて、それを草のところに隠していたのですが、それではかわいそうだということで、どうするかを相談していました。

話し合った結果、土の中に埋めようということになり、お砂場の近くの草がたくさん生えて、皆が踏まないところを選び、そこに埋めてあげました。

自分たちで納得して場所を決め、お墓を作ってあげる姿がとても嬉しかったです。また、そのお墓に手を合わせてあげたり、「お空に行ってね」とトカゲに話しかけている子どもたちの優しさも嬉しく思いました。

生き物の大切さを考えることができた一日でした。」

「園長日記」より (2009-05-28)

PS
このエントリーには温かいコメントもいただいています。

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2011年5月25日 | コメント/トラックバック(0) |

カテゴリー:園長日記

お砂場シャベル~~こんなにつかったの!──Ikuko Diary より

お砂場シャベル

これは、子どもたちが使っているデンマーク製のお砂場シャベルです。

実は、4本とも同じ製品なのですが、上3本はこの春に新調したシャベルの見本で長さ約60㎝ほどあります。一番下のシャベルだけ、先が少し短くなっているのがわかるでしょうか。

これはおよそ20年以上前から、園で代々子どもたちが使い続けてきたものの一つで日本製の同じような製品よりはるかに丈夫です。同じく、お砂場の赤や黄色の使い込まれたスコップも本来の角がすでになくなり、何とも言えず丸みを帯びた愛らしい形になっていますが、こうしてみんなで使い込んだお道具をしみじみと目にすると、これは、日々の子どもたちのたゆまぬ仕事の賜なのだ、と心から感心してしまいます。

そして、ほかに子どもたちの仕事は、と言うと・・・

今から50~60年ほど前のことになるでしょうか。

当時の子どもたちは、遊び場として決められた場所ではなく、園内にある山土の土手をスコップでどんどん掘り起こし削っていくことを何より楽しい遊びにしていたそうです。現在、たんぽぽぐみ~木馬前~雲梯,固定鉄棒につづく通路がありますが、実はあの場所は、当時の園児たちがつくってくれた道なのだよ、と先代園長の思い出話を幾度か聞いたことを思い出します。

年々子どもたちが遊びで削り込んでいくうちに通路部分が徐々に広がり、これ以上掘り続けると、上にあるはずの園庭が崩れ落ちてきたら大変だということになり、ブロックを積んで土留めをすることになったそうです。そうして残っているエリアが、現在サツキを植え込んでいる場所なのです。

そしてまた、この先代の話を証明するような出来事もありました。

何年か前に乗ったタクシーの運転手さんが、偶然にも北白川幼稚園のずっと昔の卒園児さんで、その方はすでに大分年輩の男性でした。

「楽しかったことは、みんなで一生懸命スコップで土手を掘っていったことと、園につづく森の中へ遊びにいったことが一番楽しくて、あの頃のことは今でも忘れません」と、遠い昔を懐かしむ眼差しで話されたことがありました。

森の奥は白川砂の採石場へとつづき、採石された跡と思われる天然の大きな滑り台で昔の子どもたちは思いっきり遊んだようでした。実際に、私も小さな頃にそこで遊んだことが一度ありますが、残念ながら今はすでに樹木が大きく成長し跡形はありません。

すり減ったシャベルの形を見ていると、そんなことなどを思い出しましたが、子どもたちは昔も今も変わりはなく、夢中になって遊ぶことから学んでいきます。幼稚園は、幼児期の小さな体,小さな手を使って毎日仲間と夢中になって過ごし遊び込める時間を守り育てる場であること、そして、大人になった時の、形に現されるものではない、かけがえのない小さな頃の思い出を守っている場所でもあるように思います。

(山下育子 2010.5.13)

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2010年8月5日 | コメント/トラックバック(3) |

カテゴリー:Ikuko Diary

この道50年──第8章 遊びこそ勉強

幼児期に遊ぶことの意味

「お宅の幼稚園では、主に、どんなことを教えておられますか?」

毎年、入園申し込みシ-ズンになると、こんな質問を多く受けます。それに対して、

-わたしどもの園では、特に何を教えるということは致しておりません。

-何よりも、遊びを大切にしております。幼児期でなければ得られないいろんなことを遊びを通して学んで頂いております。

-それとともに、この山の上でうんと遊び込んで頂いて、心とからだを強くしながら、幼稚園時代の楽しい思い出をいっぱい作って行って頂くことを、何よりの願いとしております。

このようにお答えしますと、わが意を得たりという顔をなさるお母さんもいらっしゃれば、何となくがっかりとした表情を浮かべられるお母さんもいらっしゃいます。お考えは人さまざまですからこれでいいのですが、早期知的教育を受けさせたいと思われるお母さんには、どうやら物足りなく思われるようです。

たしかに「遊ぶ」といえば、お母さん方には、 「遊んでばかりいて、少しは勉強したらどうなの!」「あの幼稚園は、遊ばせてばっかりいて!」といったふうに、あまり芳しくないイメ-ジで捉えられがちですが、幼児期における遊ぶという行動は、大人の世界でイメ-ジする遊びとはぜんぜん違っておりまして、幼児の発達の上からも、将来への人間作りの基礎という点からも、じつは、たいへん重要な意味を持っております。

遊びがなぜ勉強なのか

では、遊ぶことがなぜそんなに重要なのか、遊びを通して子どもはいったい何を勉強しているのか、そうしたことについて触れてみたいと思います。

例えば、5人の子どもが集まったとします。5人いれば、そこには5つの心が息づいています。5通りの考えがあります。感情もみな違います。家庭環境による育ち方もみな違います。その5人の子どもたちが、あるとき、何かして遊ぼうということになります。そこは、家庭にいるような親の保護や干渉のない、子どもたちだけで展開していく、まったく自由な世界です。ときには、中にリ-ダ-的な子どもがいて、その子の発案にあとの子どもたちが従うという場合もあります。

しかし、そうした子どもが特にいない場合、子どもたちはみんなで相談します。先ず、相談のためにはおたがいに自分も希望を言い、人の希望も聞かねばなりません。自分が言うということは、自分の意見を持ち、その「自分の意見」を、人前で「発表」するということです。

一方、人の希望を聞くためには、人の意見を「理解」しなければなりません。そのためには、人の話を「よく聞く」という姿勢が必要です。みなの希望が出揃ったところで、こんどは、それらの希望を集約し、みんなでどれか一つの遊びに「まとめ」ねばなりません。まとめるためには、ひとりひとりの「協調」の気持ちが大切です。必要とあらば、新たにル-ルを「作る」場面も出てきます。そこで5人の子どもたちは、ふたたび頭を寄せ合います。

こうして、遊びを始める前の段階においても、すでに5人の子どもたちは、「自分の意見を持つ」「それを発表する」「よく聞いて」「理解する」「まとめる」「協調する」「作りだす」といった、いくつかの工程を、くるくると頭を働かせながら、短時間の間の処理をやってのけています。なおその上に、子ども同志の刺激やぶっつかり合いを通して、言葉の分量が増え、「語彙が豊富になる」ということがあります。

生きた智恵としての遊び

こうして見ますと、子どもたちが相談し合ったこれらの経緯の中には、いってみれば、小学校へ行ってからの「国語」の勉強において要求されるものが、つぎつぎに登場しています。

また、大人になってからの社会性は、子ども社会において養われたものが、基盤となっているのですから、5人の子どもが協調しながらまとめ上げて行く経過は、まさしく、生きた「社会」の勉強そのものです。

子どもたちは夢中になって遊びながら、走る,跳ぶ,転がる,投げる。知らず知らずの内に、身体中の筋肉を、骨格を、神経をフルに動かしているうちに、「体育」の勉強をしています。

遊びながら、跳ね回りながら、会話を交わし合いながら、時にはけんかをしながら、時には譲り合いながら、子どもたちは遊びを通じて、生きた「国語」や、「社会」や、「理科」や「体育」や、さまざまの学習,勉強をしているのであります。

単純に、無機質なドリルの紙上で、人との会話もなく、けんかもなく、ただ一つだけの正解を求める“ひとり静かな勉強”とはまったく違います。その場その場の顔ぶれや状況に合わせて、多様な解答の中から一つの正解に導いていく知恵、これこそ、「生きた知恵」であり、「生きた学習」です。

しかも、幼児にとって遊びは楽しいのです。けんかしても、また明日遊びたくなる、これが幼児の常です。この、幼児期の楽しい遊びを通して得た生きた知恵が、小学校へ行ってから役に立つのです。この知恵が、国語や算数や、そのほかいろんな勉強の場面において、単にマニュアル通りの知識をたくさん知った、覚えたというだけでない、応用の効いた、その子ども独自のオリジナルな解答を生みだしてくれるのです。

幼児期に芽生えたオリジナルなものの見方,考え方の芽が、やがて世の中へ出てから枝葉を伸びやかに拡げ、独創的な仕事を生み出す大きな原動力となってくれます。

これからの、21世紀の日本の社会において求められるものは、この物真似でないオリジナル性であります。遊びを通して得る個々のオリジナル性を、これからの日本の将来のため、幼児期から、もっともっと大事に育てるべきではないでしょうか。

わたしどもの園で、遊びを大切にしている意味は、そこにあるのです。

>>第9章

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2010年8月5日 | コメント/トラックバック(2) |

カテゴリー:この道50年

子どもたちの遊び

冬休み 夏休みより ちょっとです   園児の作った俳句

いよいよ冬休みも間近です。夏休みより短いとはいえ、子どもたちにとっては――私たちにとってもかつては――クリスマスやお正月といった楽しい出来事が目白押しです。一方、幼稚園がお休みになると、子どもたちが家で(あるいは外で)どのように時間を過ごすか、結構工夫が必要な部分もあります。

たとえば、テレビやビデオ、オモチャやゲームとのつきあい方ひとつとっても、親の考え方がシビアに問われてくるように思います。冬休みに入る前の今こそ、各家庭の方針を再確認していただくよい時期だろうと思います。

本園では、自ら工夫して楽しみを生み出し、それを他人と分かち合える経験をしていただきたい、という願いをこめて、数年前からカプラを導入し、本年度より放課後には先生方によるカプラ教室を開いて参りました。担当の先生は、その日の方針、子どもたちの作品作りや人間交流の様子を日誌にまとめ、それを翌日担当する先生に引き継ぐ・・・といったことを今日まで継続して参りましたが、その成果はカプラ教室のみならず、今後の保育の現場でも生かされていくものと確信しております。

さて、カプラと並んで本園の注目するのは「ひねもす」です 。ふれあいバザー当日の朝、朝日新聞のトップ紙面でも紹介された「ひねもす龍」は、今年のエコプロダクツ2003に出展され、大反響を巻き起こしました。明日、明後日はTVでもこの龍の話題が取り上げられ、その際には本園の(山の学校での)「ひねもす教室」の取り組みも紹介される予定です。

● 18日 11:00~12:00
KBS京都 田淵岩夫 得だねテレビ
● 19日 15::55-16:50
ABC ワイドABCでーす みよ缶 (竜やドームなど、巨大造形物も放映される予定です。)

「ひねもす」の魅力ついて語り出すときりがないのですが、(1)広告用紙をひたすら巻くだけでも楽しい、(2)設計図どおりに組み立てるだけでも楽しい(マジックハンドなどから始めると大人も素直に「おおっ!」と感動できる、(3)自分で設計図を考え、それに基づいて作品を作ることも楽しい・・・。つまり、それぞれのニーズに合わせたつきあい方が楽しめます。

 これを家族の役割分担に当てはめますと、たとえばお父さんが作品の設計図を考え、子どもは広告用紙を巻いていくお手伝いをし、また小学校の兄姉はお父さんの組み立てを手伝う・・・といった情景も想像できます。年末年始、お子さんと家で留守番する機会の多い?お父さんには、子どもとじっくり一つの作品を作り上げるチャンスも多いのではないでしょうか。

また、おじいさん、おばあさんにとって「ひねもす」は昔遊びに通じる懐かしさを感じさせると思います。お孫さんと一緒に作品作りに取り組まれる姿もきっと素敵な「絵になる」と思います。実際、(株)コトの開発コンセプトを伺いますと、そういった家族同士の助け合い、励まし合いのきっかけづくりはじゅうぶん意図しているとのことです。

 と同時に、私は(株)コトの教育に対する熱い思いもよく存じております(話し出すと止まらない)。製品を開発した一番の動機は、子どもたちにTVやゲームを超えた楽しさ――手作りの苦労を乗り越えてつかみとる楽しさ――を体験させたいという思いに尽きます。スタッフ一同は、某ゲームメーカーのヒット商品を次々に開発してきたメンバーであるだけに、このメッセージの持つ意味は大きいと思います。

 私自身、カプラとともに「自分が子ども時代に出会いたかった遊び」として、この「ひねもす」を積極的にご紹介したい気持ちでいっぱいです。そんなおり、「ひねもす」のデザイン開発に関わった元同僚(京都工芸繊維大学造形工学科 櫛勝彦助教授)に「山の学校」(小学生の部)の「ひねもす教室」の立ち上げについてご相談したところ、是非ご協力しましょう、とのことで、子どもと同じ目線でモノを見ることのできる素晴らしい学生スタッフを2名ご推薦頂いた次第です(今年の夏の話です)。

 「ひねもす龍」は、「山の学校」の子どもたちが、そんな大学生スタッフやコトのメンバーと一緒になって作り上げた壮大な夢の結実なのです(3学期は「大きな家をつくろう!」をテーマにしています)。しかし、これは小学生の子どもたちの話であって、私自身の中では、「ひねもすは幼稚園児にはまだ早いのではないか?」という気持ちも正直言ってありました。

 しかし、先日のバザーの中で、幼稚園の子どもたちが無心に「ひねもす」に取り組んでいる姿を見て驚きを覚えました(中には未就園児のお子さんも混ざっていました)。「無理だろうか?」という不安は消え、「ぜひ、もっと「ひねもす」に親しんでもらう機会を作りたい」という気持ちが日増しに強くなりました。

 そこで、本園園児を対象とし、月曜日の放課後(2時から3時)に幼稚園の課外教室として「ひねもす教室」を開きたいと考えるに至った次第です(前置きが長くなりました)。条件的なことは他の課外教室と同様とし、講師は上で述べた学生スタッフ2名(共に学部4回生)、毎回テーマを決めて「ひねもす」の作品作りを行い、それを通して子どもたちが創造の楽しさを経験することを指導の目的とします(指導内容は、1ヶ月ごと事前にお知らせします)。

 今のところ、1月後半2週間、2月4週間、3月2週間の計10回を予定し、1月から3月は短期間ですので入会金なし(新年度4月からは新規・継続を問わず1ヶ月分必要)、月謝は1月2,000円、2月4,000円、3月2,000円を考えています(なお、月曜日2時から3時の「カプラ教室」は従来通り開設します)。

 具体的なカリキュラムについては、この冬休みにスタッフと検討を重ね、それをふまえて、年明け早々に幼稚園の「ひねもす教室」のご案内を出させて頂く予定です。本日は、そのための資料として、アンケートをさせていただきたく次第です。「ひねもす」にご関心をお持ちの方は、ぜひ下記のアンケートにご協力を宜しくお願いいたします(19日終了式までにお持たせいただければ有り難いです)。

PS 私は「カプラ」や「ひねもす」といった、ある意味で新しい、しかし本園の教育理念にも通じる楽しい遊びの取り組みを積極的に進めていきたいと考えていますが、それと並んで重視したいのが、もっと身近な普段の園での遊びです。

 そこには、竹馬、鉄棒、お相撲といった昔ながらの遊びも含まれますし、ただいま園のお庭はこれらの「レトロな」遊びで活気づいています。3学期には、ご家庭ともその楽しさを分かち合えるように園を挙げて色々とカリキュラムの工夫を重ねていこうと考えていますので、ご案内をお出ししたさいには、ふるってご参加いただければ有り難いと存じます。

――――――――――――「ひねもす」アンケート――――――――――――
クラス(      )
園児氏名(         )
○印をおつけください。ご質問があれば、裏面へどうぞ。
・ お子さんは「ひねもす」で遊ばれたことがありますか? → はい・いいえ
・ 園児が「ひねもす」で遊んでいる様子をまとめたビデオ閲覧を希望されますか?→ はい・いいえ
・ 3学期から園で「ひねもす教室」を始めた場合、参加希望されますか? → はい・いいえ

(平成15年12月16日)

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2010年8月1日 | コメント/トラックバック(0) |

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