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つなぐ手と手──園長日記より

つなぐ手と手

本園では、歩いての送り迎えをしています。保護者の方から、「小学校に行っても、歩くのがへっちゃらで、おかげさまと思っています。」と感謝されることがあります。どんどん車中心の社会になっていくようで、歩くことの意味は年々大きくなっていくといえます。

ところで、「歩くこと」といえば、どうしても「足」に焦点があたりがちですが、私たち引率する側にとっては、足よりも「手」に注意が向かうのです。誰と誰が手をつなぐのか、また、誰が誰とつないであげるのか?

年少児の場合、最初の内は、「お母さんでないと絶対イヤ!」というケースもあります。それが、一学期を終える今頃になると、誰とでも、仲良く手をつなげるようになるのです。

長い距離を歩くこともたいへんですが、誰とでも仲良く手と手をつなげるということ、これはこれで、とてもすごいことなんです!

(山下太郎 2005.7.18)

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2011年9月8日 | コメント/トラックバック(1) |

カテゴリー:園長日記

あせらずじっくりと――園長日記より

小学校に上がると幼稚園時代になかった「成績表」が登場します。小学校以上の学校教育にとかく「成績表」はつきものです。テストがその代表格ですが、白黒つけてほしくないものに白黒がつく、という経験にとまどいを覚える子どもたちは少なくありません。

「できる・できない」の線引きは重要です。しかしそれとの付き合い方はもっと重要です。「なぜできないの?」は禁句です。おだてるのが答えでもありません。子どもは大人が想像する以上にそのあたりの道理がわかっているので、安易なほめ言葉も厳しすぎる言葉も説得的に聞こえないものです。

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2011年8月31日 | コメント/トラックバック(1) |

カテゴリー:園長日記

汗と涙――園長日記より

2009年9月30日(水)

昨日の総合練習も含め、九月の後半は公園でお遊戯をするほか、徒競走やリレーの練習も繰り返し実施しています。

昨日も、年中、年長のこどもたちの中に、悔し涙を流す子どもが複数いました。負けるのが怖くて走る前から泣いた子、転んで悔しくて泣いた子、リレーで負けて泣いた子・・・。実際に涙を見せなくても、心で泣いているケースも多々あることでしょう。

それぞれのクラスでは、勝ち負けの大事さととともに、一生懸命がんばること(=転んでも諦めずに走ること、バトンを落としてもしっかり走ることなど)の大事さをお話ししていますが、実際に間近で友達が涙を見せる姿を見て、自分の中にある「真剣に勝負に挑む気持ち」を目覚めさせているようです。

子どもとして立派だと思うことは、涙を見せる子どもの気持ちを自分のことのように理解し、自分なりの精一杯の表現で「いたわり、励まし合う」姿勢を見せていることです。(涙を見せる子は、だからこそよけいにつらくなって涙が出てくるということでしょうけれども)。

#こどもたちの思いは、お休みの子どもへの気遣いにも及びます。「・・・ちゃんの分もがんばろう」とこどもたちの側から声が出ます。

練習中の「待つ姿勢」は昨日も見事でしたが、今年は特に、こどもたち全体がじつに「まじめ」といいますか、一生懸命の気持ちと思いやりの気持ちがあちこちにみなぎっていて、そうした姿勢が、上で述べた「涙」や「励まし合い」の源にあるように感じます。

そういうと語弊がありますが、大人の競技に出た保護者が、負けて涙を見せるでしょうか(笑)。こどもたちにとって、運動会は日々が真剣勝負の連続です。

一方で、年少児で「負けて涙」という話がないのも、興味深いことです。年中から年長にかけて、そのような気持ちが自然と芽生えてくること、歯を食いしばることの大事さを学ぶ時期なのだと感じます。

とは言いましても、年少児は年少児なりに、運動会の緊迫感を肌で感じています。昨日は、行進ひとつとっても、年中、年長児の堂々とした姿を間近で見て、大きな刺激を得たようです。

そんなこともあり、年少児は年少児として、自分のやりきれない「不安」な気持ちを様々な形で外に出し、表現しようともがくケースが見られます。

これは大人も子どもも変わらないことですが、不安なら不安で精一杯もがくことが次につながります。運動会が無事に終われば、大人同様、こどもたちも精一杯力を出した爽快感を味わい、日々不安なの中で努力を繰り返した日々をかけがえなく大切なものとして受け止めることができるでしょう。

10月後半から、クラスが一段とひとつにまとまり、こどもたちがいっそう輝きを増す時期となります

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2011年8月6日 | コメント/トラックバック(1) |

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一進一退――園長日記より

子どもたちの様子を見ていますと、日々「一進一退」といった部分があります。そのような細かな変化(アップダウン)を見ることができるのは、いわば子どもたちとの距離感が近いせいでもあります。

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2011年7月22日 | コメント/トラックバック(1) |

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励ます言葉――園長日記より

本園の先生は優しいとよくいわれます。「ぜったい怒らはらへん」というお声もいただきます。たしかに「怒る」ことはありません。自分の感情にまかせて子どもに接することは教育ではないからです。しかし、本園の先生は優しいだけではなく、芯に厳しさも兼ね備えています。それでこそ教育だと私たちは考えています。

子どもたちにとって、日頃優しい先生に、ここぞというときに叱られるとき、その言葉に重みとありがたみを感じるものです。昨日の保育日誌から一例を挙げましょう。

年長クラスでは、昨日合同で体操遊びに取り組みました。両クラスの間の扉を開け放ち、踏水会で習った様々なポーズで端から端まで移動することに挑戦していました。

自ずと白熱した競争になります。皆の勢いもどんどん増していきます。両クラスとも元気いっぱい充実した取り組みができたのですが、途中でちょっとしたハプニングがありました。

上靴が脱げたといって「僕はやらへん」とむくれる子が現れたのでした。先日「男はな」と友だちを励ましたKちゃんです。男の子の常、一度へそを曲げるとなかなか元に戻りません。

さて、担任の Sae 先生はそのとき何と言って彼が再び取り組めるように促したでしょうか^^

「先生はKちゃんがやらなくてもかまわない。でも、Kちゃんはそれでいいの?」

この言葉でKちゃんの心に火がついて、Kちゃんは再び力を込めてがんばりました。

こういうとき、先生としてどういう言葉をかけることができるか?重要ですね。「みんなやっているから、あなたもちゃんとやりなさい」という指示が一般的かもしれません。

これだとそのままの命令文で効果が薄いものです。命令文を駆使すると、肝心なときに言葉の強弱でしか言葉の重みを調整することができないので、効き目が薄くなっていくわけです。

やはりポイントは言葉の「中身」です。

私は上の先生の台詞は自分の本音を隠し、問題の本質に光を当てている点で効果的だと思います。がんばってほしいのは先生の本音であっても、「わたしのためにがんばって」という言い方は子どもにとっても、本能的に「それは違う」と直感するものでしょう。

中身をどう工夫するかについては、日頃から自分が子どもになってあれこれ想像することが大事です。自分が子どもであれば大人に何をどういわれたいかをよく考えることがコツです。

お山の先生はたしかに怒ることはありません。しかし、怖いわけでも甘いわけでもなく、ただ、人間として子どもたちを愛し、一人一人の喜怒哀楽をわがことのように受け止める先生がそこにいるだけです。どの先生も、子どもたちの心の成長を支えたいといつも願っている、このことは確かにそうだと私は言えるように思います。

(山下太郎 2010.7.13)

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2011年7月13日 | コメント/トラックバック(1) |

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