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この道50年──第4章 小さな恩人

私と北白川幼稚園との関わりが、腰掛けから始まったことは「保父誕生」でも述べたとおりです。そこでは、父が示した二年間の契約?期間中、父の勧めと励ましによって改めて幼稚園に永久就職を決意したこととなっております。

たしかにその通りなのです。だがその一方において、ひとりの子どもとの出会いが、私の人生を変えるもう一つの大きな要因となっていたことも事実だったのです。

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2010年8月5日 | コメント/トラックバック(1) |

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この道50年──第3章 後ろ向き歩きのきっかけ

私が「後ろ向き歩き」を始めたのは、五〇年前に逆上ります。ということは、創立当初からというわけです。当時は、幼稚園の男の先生というのも異色の存在でしたが、後ろ向き歩きというのも随分変わった目で見られていました。今でこそ、このスタイルも、「後ろ向き歩きは健康にいいそうだ。」などと、少しは市民権を得るようになって好奇の目も薄らいできましたが、最初の頃は、なかなかそうはいきませんでした。もちろん、敢えて人の目を引こうなどというつもりは全くなく、わたしとしては、子どものこころを知るための手段として後ろ向き歩きを始めたのですが、それを始めるについては、多少の事情があったのです。

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2010年8月5日 | コメント/トラックバック(0) |

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この道50年──第7章 一〇周年と五〇周年

通過点の一日

一九〇〇年代最後の年九九年が、当園の創立五〇周年の年度に当たる。創立記念日は二〇〇〇年代初頭の二月一一日という、どちらも切れ目の年である。

五〇周年といえば、どの企業、どの学校においても当然、記念式典、記念パーティー、記念事業、記念誌の発行等々、さまざまな行事が華々しく催される。

しかし、それらのために保護者の皆さんに割いていただく多くの時間と、ご負担いただく多額の費用のことを考えると、私には到底それは出来ない。

それよりもっと大事なことは、私ども幼児教育に携わる者にとっては、幼児との日々の触れ合いにこそ命があり、喜びがある。一日としてそれを疎かにするわけにはいかない。

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2010年8月4日 | コメント/トラックバック(1) |

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この道50年──第1章 『保父』の由来

わたしは、かなり以前に『保父』という本を出したことがありますが、まだ当時は保父という言葉が、一般に使われていませんでしたので、本の題名そのものについて、まず、いろんな質問を受けました。

「これは、『保』護者の『父』親の保父で、父親も教育に参加しろという内容の本ですか?」とか、「『保』土ヶ谷と秩『父』で、地理の本でしょう」などと、質問される方の発想のユニークさを、秘(ひそ)かに楽しませて貰ったものでした。

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2010年8月4日 | コメント/トラックバック(0) |

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この道50年──第2章 保父誕生

私の子どもの頃は、 およそ茫洋混沌(ぼうようこんとん)としていて、この子はいったい何を考えているんだろう、どこを見ているんだろうなどと思うと、両親も恐らく頼りない思いに駆られていたに相違ない。

「いや、子どものころは、妙にこせついたのよりは、これでいいんだ。」と父親あたり、あるいは納得していたのかも知れない。その私が、人並みに物書きを目指したい、などと大それた野望を抱きはじめたのは、中学一年生のときである。宿題で、作文を書かされたことがあった。題は自由である。規定は一〇枚ということだった。

ちょうどその頃は戦時中のことで、私は北白川の山の上の家から大分離れた、一乗寺のうちのいも畑の夜番のために、二坪足らずのいも小屋で寝起きをしていた。その夜宿題のテーマが決まらず、寝つかれぬまま、私は夜半小屋の表へ出た。通りを隔てて、すぐ前に迫っている雑木林の木の間隠れに、月が神秘なまでに冴(さ)え返っていた。その青白い光を浴びながら、そばを流れる清水の清冽な響きを耳にする内に、ふと、同じような場面の三年前の回想に耽り始めていた。

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2010年8月4日 | コメント/トラックバック(2) |

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