お山の絵本通信vol.144

──なつかしい絵本と先生のこえ──

『とん ことり』

筒井頼子/文、林明子/絵、福音館書店1986年

主人公のかなえは、「やまの みえる まち」へ引越してきます。絵本の中では、お母さんは家の片付けをしています。みんなのために少しでも早く家の中を快適にしようと、手を休めることはありません。お父さんは会社に出かけています。きっと家族のことを思いながら、少しでも早く新しい職場の環境に慣れようと、張り切っていることでしょう。かなえは家の中で、お手伝いをしたり、絵をかいたり、おはじき遊びをしています。

この物語には「しらない」という言葉が何度も出てきます。「しらない とおり」「しらない ひと」「しらない まち」「しらない いえ」「しらない こたち」。それらの「しらない」には全部「まだ」がつくことを、かなえは十分イメージできません。かなえが所在なく過ごしていることは、かなえの両親にとっても辛いことでしょう。けれどもこればかりは今はどうすることもできません。

 「かなえも すぐに、このまちが すきになるわよ」
 とおくの やまを みて、おかあさんが いいました。

お母さんは、遠くに目をやることと、言葉をかけてやる以外とっさには思いつけなかったのでしょう。心から励ましたい気持ちではあっても、先々のことは、過去のことをたくさん知らないかなえの耳にはぼんやりと響きます。「すぐ」が「いつ」になるかはお母さんにも答えられません。あるいはお母さん自身もかなえと一緒にそう思い込もうとしているのかもしれません。青い山の美しさはこの時点の二人の目にはまだそっと映るだけです。

家にいる時と、かなえが「小さな音」を耳にすることがありました。それは、かなえが疲れて座り込んでしまった時。または、友達の絵を描きながらつまらないと呟いた時。「すみれ、たんぽぽ、てがみ……」とおはじきを数えながらため息をついた時──。それぞれの時に、「とん ことり」と小さな音が耳に入ります。

かなえは、最初はドアにそっと近づき、次には走りより、そして飛んでいきます。すみれ、たんぽぽ、子供の手紙が、それぞれ落ちていました。すると、「だれなんだろう?」という不思議がかなえの心を占め、その分の寂しさがなくなりました。

「不思議さ」は人を内側から支えてくれます。でもそれだけでは、まだ芯のところが寂しいのです。そこで、四度目の「とん ことり」に、かなえは大声を出してドアを開けます。

その時、通りに出て行こうとする「しらない おんなのこ」が目に入ります。かなえの「まだ」知らない遊び相手が。

そこから続く原っぱのシーンには、すみれとたんぽぽと、二匹のモンシロチョウが描かれています。かなえの「まだ」がかなったのでした。

寂しさに対する応答の仕方は、周囲からにる完璧さを求めることではなくて、自分が周囲に耳を澄ませることだということを、考えさせられる一冊でした。

文章/Ryoma先生