お山の絵本通信vol.121

──なつかしい絵本と先生のこえ──

『雑木林を飛ぶオオムラサキ』

海野和男/文・写真、偕成社2005年

一昨年、動物行動学者の日敏隆先生の絵本「カエルの目だま」の絵本をご紹介しましたが、今回ご紹介する本は敢えて絵本ではなく、美しく翅を広げたオオムラサキや他の昆虫に出会いながら、まるで森の体験をしているように思える昆虫写真家がつくられた本です。著者の海野和男さんは日先生の研究室のお弟子さんでもあり、オオムラサキは小さな頃からのあこがれのチョウだったそうです。世界一のタテハチョウのオオムラサキに会いたい! と願いながら大きくなられたそうで、こうして専門の写真家になって子ども達にオオムラサキの生態をわかりやすく教えて下さっています。

冬の間、エノキの木の下で越冬していた幼虫は、春になるともう一度エノキの木を上り、芽吹いた葉をたくさん食べて大きくなります。三度脱皮を繰り返して終齢幼虫からさなぎになるのが6月上旬頃。二週間後には羽化がはじまります。成虫は夏の間にエノキの葉に産卵します。オオムラサキを育てようと思ったら、冬の間にエノキの根元に積もった枯れ葉を一枚ずつ、トランプの神経衰弱のようにめくってみると出会えるかも知れません。ただし、オオムラサキはとても大食漢なので、食草のエノキの葉が豊富にないと上手く育たないようです。いつか、オオムラサキの幼虫を、子ども達と観察しながら育てられたらと願っています。

* * *

以下は、このお山の中に初めて姿を現したオオムラサキについて皆さまにも知っていただきたいエピソードです。昨夏、すべての子ども達がこのオオムラサキを観察できたわけではありませんので、是非お子さまにもお話いただけたらと思います。

街から少し離れたこのお山の中では、春から夏になると、みんながよく知っているナミアゲハ、カラスアゲハ、アオスジアゲハ、キチョウやモンシロチョウなど、他にもいろいろな種類のチョウに出会います。たんぽぽぐみ前のカラタチの葉の上に小さなアゲハの卵を見つけたら暖かな春がやってきたことを思いますし、秋になって雲梯の横の植え込みの中にハギの花が咲くと毎年キチョウの姿が見られます。ここは、以前「ひみつの森」と名付けた雑木林がつづく環境にあるため、一年を通して多くのチョウや他の生き物が行き交う姿が見られる機会にも恵まれています。

園のひみつの庭ではここ数年、“ママの日”にお母さま方と植えたフジバカマが見上げる高さに伸び、10月後半になると、南の国まで旅をする途中のアサギマダラがこのフジバカマの花を数百メートル上空から見つけ、数週間立ち寄ってくれるようにもなりました。昨年は、二度の大型台風の最中にもどこかに姿を潜めながら、雨が上がるとフジバカマを訪れる姿がありました。子ども達はそうしてやってきたアサギマダラが花の蜜を吸う様子を見たり、手に取ってチョウに触れ間近で観察することができました(アサギマダラは他のチョウとは違い鱗粉がないため翅をそっと手でつかむことができます)。

昨年の夏は、カラタチの葉に産みつけられたアゲハの幼虫が孵り、葉を食べて成長する様子を年中クラスが室内で観察したり、ご家庭でも初めてアゲハの幼虫を育ててみられた結果、無事チョウになって飛び立った喜びをお母さまからお聞きすることもありました。子どもとともに身近な生き物を見たり育ててみることで、嬉しいこと、不思議でわからないことなどがいろいろ湧いてきます。

「なぜ、チョウのお母さんは子どもが食べる葉っぱがわかって卵をうむの?」これは園の子どもがチョウの産卵を一緒に観察している時に私の横でふと言った言葉です。また、「なぜ、チョウの種類によって飛んでいる高さが違うのか?」「なぜ、いつもお山の中の同じルートを飛んで移動するのか?」などは、以前から私自身が不思議に思っていることです。チョウは陽の当たっている樹木の葉に沿って飛ぶ「チョウ道」と言う道を持っているようです。いつも竹やぶの中を気持ちよさそうに飛ぶクロアゲハもいます。生き物を観察することによって、答えが書かれていない疑問を持つことはとても大切で、この好奇心がやがて自ら学ぼうとする力を育ててくれます。

さて、タイトルのオオムラサキについてですが、昨年の夏7月2日日曜日の午後のことでした。いただいた團十郎朝顔の苗をひみつの庭に植える作業をしている途中、いったん庭の外へ出てふと門の横にある枕木の埋め込みの辺りに目をやると、今までに見たこともない大きなチョウが見えました。それは、一瞬で国蝶オオムラサキだとわかりました。子ども達とぼろぼろになった大型の図鑑を開くたびに、紫色の大きくて色鮮やかなチョウがいつも目に入り、このオオムラサキにはいつか何処かで出会いたい・・・、と長年密かに思っていましたが、この時こういった形で叶うとは、突然のことに大変戸惑いました。オオムラサキは1957年に日本の国蝶に選ばれましたが、最近では数が減り準絶滅危惧種にも指定されている希少なチョウです。新聞でオオムラサキの生息を伝えていたニュースも脳裏に浮かびます。どうしよう!喜びと驚きが入り交じりました。

 (撮影:「ひみつの庭」入口にて)

大きく広げた翅はおよそ10p以上もあったでしょうか。ただし、左の前翅と後翅が半分ほどちぎれてぼろぼろで左後脚も半分ほどしかありません。体の元気は何とか残っている様子です。頑張って飛び立とうと思うのか、時折、バタバタッと鳥の翅のような大きな羽音を響かせます。翅をはためかせながらもやはり飛び立つことはできずにいます。しかし悲壮感はなく、むしろ悠々と辺りを歩き回るオオムラサキの姿に私の目は釘付けになっていました。体は確実に大きく、普段見られるチョウとはさすがに何かが違います。渡りをするアサギマダラも翅の質や飛び方が独特で、普段見られるチョウとは随分異なりますが、さすがにオオムラサキは大きさ、色、動きなど、どう見てもチョウと言うよりは鳥のような威厳を備えています。

(撮影:「ひみつの庭」にて)  

 
暫く様子を見ていても傷ついた翅では飛び立てないままなので、手でそっと持ち上げ、ひみつの庭の中ほどにある満開のブッドレア(チョウの好きな花)の上に乗せてみました。あらゆるチョウがこの木には集まり花の蜜を吸っている姿がよく見られますが、この大きなチョウはいっこうに口吻をほどいて伸ばす気配が見られません。もしや? とひらめき、すぐに戻って図鑑で調べてみると、やはりそうでした。

――― 樹液をめぐってスズメバチや他の昆虫とたたかうオオムラサキ ―――

(撮影:「ひみつの庭」にて)  

とあります。食べ物は花の蜜ではなく樹液。それならばと、引き出しに残っていた昆虫ゼリーを持って急いで駆け戻りました。オオムラサキはまったくジタバタする様子もなく、ブッドレアの花の上が気に入ったのか、ゆっくり翅を閉じたり広げたりしてくつろいでいます。團十郎朝顔のためのオベリスクを組み立てる作業中だったので、隣には木製の支柱があちこち散乱しているままです。人間を恐れる気配が全く見られないのは、秋にやってくる渡り蝶のアサギマダラと同じような、生き物としての強さを感じます。

(撮影:「ひみつの庭」にて)  

そっと芝生にオオムラサキを下ろし、持ってきた昆虫ゼリーを少し離して置くと、ゆっくりゆっくりとこちらに近づいてきました。森のクヌギやコナラの樹液と同じ甘い蜜の香りがするからでしょう。写真はおもむろに長い口吻を伸ばし、ゼリーの中に差し込んでゆっくりと吸蜜している様子です。

「よかった。事情はわからないけれど、しばらくこの庭でゆっくり休んでくれたらいいから」と、ゆっくりその辺りを歩き回るオオムラサキを横に、途中だったオベリスクの組み立て作業を片付けました。

長年の密かな願いだったオオムラサキとこのような形で出会えたこと、そしてオオムラサキの生態を間近で観察できる機会に恵まれたことに感謝しながら、昆虫ゼリーを芝生に置いたまま、この日は夕陽が射すひみつの庭を後にしたのでした。

「あれだけ翅が痛んでいるオオムラサキはもう飛ぶことは難しいでしょう。あとは自然に任せましょう」

幸いなことに、週が明けた月曜日、やはり子ども達もひみつの庭でオオムラサキと出会い、「翅は破れていたけど、ゆっくり歩いていたよ」と子ども達と先生からあとで聞きました。

鮮やかな紫色はオオムラサキの雄♂の特徴ですが、初夏に羽化した後、元気な間に子孫を残すために雌♀と出会えたのかどうかもわかりません。痛んだ翅は、きっとスズメバチなどの大型のハチと戦ったものと思われます。ただ、珍しいオオムラサキがこのお山で初めて姿を見せてくれたこと、これはなぜなのでしょう? 近年、お山の中は、幼虫の食樹であるエノキが増えて成長してきていることと、“パパの日”の活動を通して雑木林(ひみつの森)に下草をほどよく残したまま手が入り、朽ち木や倒木の処理がなされて空間が広がり、クヌギやエノキの葉が豊富に広がったことが、オオムラサキが初めてこのお山を訪れてくれた理由かも知れないと考えています。幼虫が食べるエノキと成虫の食べ物であるクヌギやコナラの樹液の両方がある雑木林の環境がないと生きていくことができないオオムラサキ。その環境が少しずつよく整ってきたと仮定するとこれほど嬉しいことはありません。

文章/Ikuko先生