お山の絵本通信vol.90

──なつかしい絵本と先生のこえ──

『あっ ちょうちょがとんだ』
ふるかわのぶこ/文、なかやまいくみ/絵、ありがえつこ/監修、育色工房2011年

1 子ども達との蝶の思い出

昨年の5月のこと。お庭あそびをしていた子ども達が「せんせい、これが落ちてたの。どうしたらいい?」と、大勢で園長室に走ってきたことがありました。

包んだ手の中には、横たわったアゲハチョウ(春型)の姿がありました。見ると足が6本のうちたった1本しかありません。これでは何処かに止まることもできないでしょう。

「何とかできるといいけど・・」と言いつつ子どもの手からアゲハを受け取り、大きめの虫かごを用意しました。

指にのせて見ましたが、どうしても一本足ではつかまることもできません。

とにかく、まず蜜が吸える花を探しました。ちょうど園の石段横にピンク色のツツジが数個咲いていたので採って虫かごに入れると、早速そっと口吻(こうふん)を伸ばして少しだけ蜜を吸ったようでしたが、あまり元気はありません。ツツジの花とともに、水で溶いた蜂蜜を含ませた綿を入れて様子を観ることにしました。

翌朝になっても蝶に変化はなく横向けに倒れたままでしたが、もしや夜の間に食事をしているかも知れないと思い、毎朝新鮮なツツジの花と蜂蜜を取り替えながら、窓から暖かな太陽の日射しが入る日には、体の芯を温めるために窓辺に暫く置くようにしてみました。

そのまま一週間ほどが過ぎましたが、子ども達もそれとはなくアゲハのことは気になっているようでした。

朝登園した時に、「あのアゲハはどうしてる?」と、そっと安否を尋ねる優しい女の子もいました。

「まだ生きているけどね。元気がなくて蜜も吸えないから、もしかするともうすぐお墓を作らないといけないかも知れないのよ」と言うと、うんうんと頷きながらクラスのお部屋に向かって行きました。

晴天の素晴らしい土曜日は、5月のふれあいサタデーの日でした。この日は大勢のご家族の参加とともに、以前この幼稚園で先生をされていた三人のお母さまとそれぞれの小さなお子さんも遊びに来られました。午後には園長室で賑やかに過ごされ、夕刻帰路につかれた午後4時頃、園長室にはオレンジ色の暖かな夕陽が西の窓から燦々と注ぎ込んでいました。

仕事を終えてしまおうと私が机で作業をしていると、後ろの方から、コトコトと来客かと思われる音がしました。振り返って見ると、なんと虫かごの中でアゲハが飛び回っていたのです。

信じられない思いで近づいてみました。子ども達に助けられてからおよそ10日間ほど経っていたでしょうか・・、虫かごの中でペタンコになったままだったのに・・、どこにそんな力が残っていたのでしょう。あまりに驚いて思わず感嘆の声をあげてしまいました。

5月の素晴らしい陽気のお陰! 小さなお客さん達の元気なエネルギーに触発されたお陰! そして何より、傷ついた蝶を思う園の子ども達の目に見えない優しい心が蝶に伝わったのに違いありません。

土曜日の午後のこと、残念ながらすぐに伝えたい子ども達は近くにはいませんでした。とにかく、一人で虫かごを持って外に出ました。あいにく蝶が好きな花が周りに見つからず、それならばと庭のバラが咲いた場所へ連れて行き、そっとフタを開けると、アゲハはフワッ〜と空高く気持ち良さそうに飛び上がり、クレマチスにとまり、スノーグースにとまり、赤いバラにとまり、そして再び高く飛び上がり、次はお隣りのお宅に咲いた紫色のカンパニュラに一瞬とまり、最後にいっそう高く飛び上がったかと思うとちょうどその時に吹いてきた風に乗って山の学校の屋根を飛び越え、夕陽の輝く西の空に元気に飛び立って行ったのでした。

週が明けて、心配していた子ども達にその話をしたのは言うまでもありません。この1本足の傷ついた蝶が飛んだときの感動を、今でも喜びとともに思い出すことがあります。ただ、大空に飛び立つ瞬間を、子ども達と見守れなかったことは一筋の後悔でもあります。

そしてその後に出会ったこの絵本『あっ ちょうちょがとんだ』は、タイトルを見るなり、傷ついた蝶が飛び立ったときの体験と共鳴するものを感じ、今回の絵本通信で是非ご紹介しようと思いました。


2 あっ ちょうちょがとんだ

この絵本は、のどかな田園風景の中にある幼育園で、長年子ども達の劇として演じられてきた『ちょうちょとその仲間たち』のお話がもとになっています。園はすでに閉園され今はもうありませんが、当時の園児で現在は子育ての傍ら自宅でアトリエを開いておられる女性が絵を描かれ、昨年秋に出来上がった思い出の絵本だそうです。

ぽかぽか温かな春の陽射しの中、一匹の蝶が手足を広げて思いっきり飛び立っている嬉しい表紙。周りにはお山の幼稚園の子ども達も大好きな、アリ、タンポポ、マルムシ(ダンゴムシ)が描かれています。

タンポポの下に倒れていた一匹の蝶をある日大勢のアリ達が見つけ、どうしよう?と思案するところからお話は始まります。

「助けなくても僕たちの冬の食べ物にできるのに・・」という意見のアリもいますが、「もしも自分がこの蝶だったら」・・と考えるアリが出てきます。このまま死んでしまったら空も飛べないし、美味しい蜜を吸うこともできない、もしも、もしも、それが自分だったら・・、という気持ちがみんなの心に膨らみ、何とかして蝶を助けることで気持ちは一致します。

自分達だけで無理なことは、力のあるマルムシ達にお願いをしてみたり、風にたのんで蝶のハネを乾かしてもらったりしながら、みんなで一生懸命力を合わせて蝶を助けようとします。

やがて蝶は元気を取り戻し、優しい春の風とともに無事空に飛び立つことができたのでした。

力を合わせたアリもマルムシもタンポポも、蝶と同じように青い空を飛んでいるような気持ちになるところが印象的で、蝶はお礼の気持ちで何回も何回もみんなの上を飛ぶのでした。

アリやマルムシに「もしもこれが自分だったら」という気持ちを託したこのお話のように、実際には自分のことでなくても、自分のことのように人のことを考えてあげられる能力は私たち人間に備わった尊い心です。

何とかしよう、という正義感や、諦めないでみんなが力を出し合えばきっと大きな力になることを、この絵本は教えてくれています。そして、蝶が空に飛び立ったことは、傷ついて倒れている蝶を見つけ助けようとしたアリの行動から始まり、マルムシやタンポポたちが協力してみんなの思いが一つになって自然の神さまに願いが通じた証なのかも知れません。


3 蝶を想う

蝶について考えた時、きっと誰もがいくつかの思い出や楽しい体験をお持ちではないでしょうか。

卵、幼虫、蛹、成虫と変化して成長する蝶という生き物にはまだまだたくさんの不思議があり、最近ではもしかすると犬や猫などの動物と同じように私たち人間と意識が通い合える生き物であるかも知れない、とさえ感じることがあります。

私の幼稚園の頃には、家の畑で祖父が育てたどのキャベツにも薄緑色のモンシロチョウの幼虫がたくさんいました。そして暖かな春になると畑の端に群をなして咲いている黄色い菜の花の上を、モンシロチョウやキチョウが飛び交う様子を夢のように眺めているのが好きでした。また同じ頃、オオイヌノフグリにやってくる小さなシジミチョウを捕まえ手にしていたところ、すぐ横にいたクモに一瞬の間に蝶を奪われ巣の中へ持っていかれたことを数日悔やんでいたこともありました。

小学生になって、世界の蝶を収集しておられた幼なじみのお父さまから書斎いっぱいに積み上げられた木箱の中の鮮やかな標本を見せてもらったり、一緒に自然豊かな場所に虫あみを持って蝶を探しにいったことなどを思い返すと、昔は今よりももっと身近にたくさんの蝶や昆虫を見ることができたものです。

学生時代には所属していたクラブの仲間から、「君はルリシジミチョウのようだ」と言われ、大きく綺麗な蝶ではなくシジミチョウの種類に例えられたことに気を悪くしたこともありました。ルリシジミチョウは瑠璃色が美しく絶滅危惧種にも指定されていて当時から貴重な種類であったことや、蝶がとても好きだった人がそのように表現してくれたことを今では有り難く思うこともできます。

時が過ぎ、このお山で暮らすようになってから、再び蝶との出会いを園の子ども達と新たに共有できることは私にとって楽しみでもあり、同時にいろんな不思議も広がるばかりです。

カラタチの枝の上をひらひらと舞う一匹のメスのアゲハチョウ、体を曲げて葉に産卵する様子を子ども達と無言で観察したり、園庭で目の前をかすめ飛んでいった珍しい柄の蝶を目で追いながら、「もう一度姿を見せてほしいね」と子ども達と願っていたら、直ぐさま舞い戻ってきて、目の前の手すりに止まったまま動かずにみんなの間近で観察のモデルになってくれたこともありました(ヤマキマダラヒカゲ)。

また、卒園した小学生が大切に育てたクロアゲハを一緒に園庭に放し、空高く飛び立って園舎を越えて見えなくなるまで見送った途端、何とあちらからUターンで大きなトンボと一緒に並行飛行しながらかなりのスピードでこちらに向かって飛んできたこともありました。そしてそのまま二匹は園庭にいる私たちの上を何周か飛びまわった後、クロアゲハは東へ、トンボは南へ、それぞれ違う方向に飛び去って行った一瞬の出来事があり、数名で言葉もないまま見守ったことなども懐かしく思い出されます。

そしてこの一年間にも、珍しい蝶や蛾との出会いがたくさんあり、子ども達とそれらを共有できたことは一つ一つがどれもかけがえのない貴重な体験ばかりでした。今後も私たちを取り巻く自然環境が何とか維持され、美しいもの、未知なもの、神秘的なものに目を見張る子ども達の感性(センス・オブ・ワンダー)がこの先も育めるようにと願うばかりです。

どこかで子ども達と幼虫(蝶でも蛾でも)を発見したら、是非幼虫のいた食べ物の食草を与えながら育ててみられてはいかがでしょうか。体験済みのご家庭もおありでしょうし、「すでに家は虫かごだらけです」と仰るお母さまもおられます。 蝶は葉を食べながら終齢幼虫を経て蛹になり、あと暫くで羽化が見られます(秋の蛹はそのまま越冬します)。幼虫の成長とともにフンの大きさや色がどんどん変化するのを比較するのも興味深いものです。

蛾を飼うときにはケースの下に土を入れてあげます。葉を食べて大きくなり暫くすると大抵は土に潜って蛹になります。蝶も蛾も蛹は触るとピクピクと動くので面白く、そんな様子を観察するのも子ども達は大好きです。

スズメガ科の大きな蛾などは気持ち悪いと思われるかも知れませんが、「まあ、きれい!」と感動されるお母さまもいらっしゃいました。

夜に羽化した蛾を近くで観察すると、蝶にはない立派な触角を持ち(♂)、前2本の手で大きな体とハネを支えて一生懸命にしがみついている様子は蝶よりも愛らしく、その健気な姿には心打たれます。

土中のカブトムシや木の幹の中で育つカミキリムシなどの昆虫は勿論のこと、卵→幼虫→蛹→成虫と体の変化を分かりやすく私たちに見せてくれるアゲハチョウは、レモン、ミカン、サンショウ、カラタチなどの木があるところに産卵しにやってきます。

食べ物の葉を与え観察しながら飼っていた幼虫が羽化し大空に舞う姿を見れば、誰もが感動を覚えるでしょう。大切に守られた命が自然に舞い上がる姿を見守りながら、指先ほどの小さな虫であっても命の大きさは私たちと変わらないものであることをきっと子ども達も感じてくれると思います。

(この本は一般書店には置いてありません。ご希望の方は「http://ikuiro.noor.jp/index.html育色工房」にメールでお問合せ下さい。)

文章/Ikuko先生