お山の絵本通信vol.74

──なつかしい絵本と先生のこえ──

『いちごばたけの ちいさなおばあさん』
わたりむつこ/文、中谷千代子/絵、福音館書店1983年

絵本の表紙を見ると、当時の自分のまわりに見えていた情景や、他人との思い出が一度に蘇ることがあります。今回ご紹介する『いちごばたけのちいさなおばあさん』は、私にとってそんな絵本の中の一冊です。

ちょうど小学校一年生の時に、国語の教科書に載っていたのが最初の思い出でした。確か下巻だったので、二学期以降のことだと思います。その教科書の表紙にもまた、おばあさんがいちごに色をつけている絵があって、なぜか愛着をもってそれを眺めていたことを覚えています。表紙がメッシュ地で触るとざらざらしていたことや、いちごのつぶつぶがでこぼことして見えるのが不思議で、赤色と、まだぬりかけの草色の部分とを、交互に指でなぞっていたものでした。

お話のおばあさんは、いちごに色をつけるのを仕事にしています。ある場面では、小さな体でつるはしを振って緑の石を掘り出し、またある場面では、お日さまの光を吸った水を井戸からくみ上げてきては釜の中に開けています。そうしてようやく緑から赤色に変わった水を、今度は千段もある階段を何百回となく上り下りして、いちご畑まで運んでいきます。

けれどもそうしたおばあさんの苦労は、次の日の朝には、すっかり雪に覆われてしまうのでした。

        「なくなっちまった。なくなっちまった……。」

こうしたお話の中の隠喩は、人が先々で出会うさまざまな苦労にも通じているように思います。

当時一年生だった私は、教科書が好きで、新学期にそれをもらった日には、家でもよく興奮していました。とりわけ一番目にあけてみるのが、この国語の教科書でした。

その時のなつかしさも手伝って、いまその『いちごばたけ』の表紙を見ると、おぼろげに蘇ってくるのが、一年生の時に担任をして下さった先生の面影です。梅田先生というお名前で、私はよくその先生に面倒を見ていただいた記憶があります。その後、難なく学校生活にすべり出せたのも、ひとえにこの先生の愛情深いまなざしがあったおかげだと思います。幼稚園、小学校、そして中学校と、節目ごとに一人ずつお世話になった先生がいて下さったことは、私にとってはまことに有り難いことでした。(不思議なことに私の場合はみな年配の女性の方でした)。そのようにどちらかと言えば先生運には恵まれていた私ですが、今その仕事に携わっているのも、この頃からの何らかのご縁なのかもしれません。

さて一年生の頃は、忘れ物がないようにと、週ごとの時間割表が配られていました。その用紙の端には、日記代わりに日々の出来事を書く欄があり、そこで先生と通信することができました。ただ一年生の私がまめにつけるはずもなく、忘れん坊でむら気の多い生徒だったことは想像にかたくありません。その中で偶然よく覚えているエピソードが一つだけあります。

それは、家にあった図鑑を見ながら太陽についての説明を書いたことでした。当然意味も分からずにほとんど丸写しでしたが、分量だけはやたら多くて、収まりきらずに紙の裏まで回りました。すると次の週に、「Ryomaくんは しょうらい ものしりはかせですね」というコメントがつけられていました。

このたった一言の励ましがあるおかげで、私は物事に夢中になることが、いかに楽しいことかを知るようになったのでした。またこれがきっかけで、自称ではなく本物の「物識り博士」になろうとして、意識して本を読むようになったのを覚えています。

一方その先生は、絵が好きでした。教室の後ろの壁には、先生の手描きのクレヨン画で、生徒一人ずつの似顔絵が貼ってありました。私もまねて描こうとしたことがあるのですが、クレヨンは精緻に描くことがなかなか難しい画材です。それを使って、その先生は、子どもたちの表情をよくとらえていました。とりわけその瞳がいつも何かを見ているような感じで、子ども心にも「すごいなあ」と尊敬の念が湧き起こったものです。二年生に上がる時に、その絵をはがして、最後に呼ぶ名前と一緒に渡してくれたのを覚えています。そのような濃やかな愛情と、有形無形の励ましを受けながら、私はいつしか大きくなっていきました。いま思い返すと、『いちごばたけ』への愛着は、その先生に対する思慕と、その時になされたはずの心配や苦労に対する、そこはかとない感謝のせいかもしれません。

さて、『いちごばたけ』の雪に埋もれてしまったいちごを、森の動物たちがすっかり掘り返して食べていきます。そのあとでおばあさんは、たった一粒だけ足元に残されたそれを大事そうに家に持ち帰ります。そして凍ったそれを抱きかかえながら、最後にこう独りごちたのでした。

       「ちっとも だいなしじゃなかったよ。やれ やれ、
       でも なんて くたびれたんだろうねえ、あたしは」

この独白の音色には、「これでやっと苦労がおわった」という安堵よりは、むしろ、これからも毎年のように新しい苦労が続くことを予感しているように感じます。そしてその背中を丸めたおばあさんの姿が、私の心では、ちょうどあの先生のイメージとも重なり合うのでした。

教育の畑においても、『いちごばたけ』のおばあさんのように、熱心になればなるほど、世の中の時間の流れから独り取り残されていくような、強い孤独と寂寥を感じます。そこでなされた努力は、しかし決して無駄にはならず、子どもたちは(あの頃の私がそうであったように)、温かな栄養を確かに受け取っているものと信じます。

絵本もまた、今目の前でそれを聞いている子どもたちの記憶からは、おそらくほとんどの細部は忘れ去られてしまうのでしょう。けれどもそれは、なくなってしまうわけではなく、むしろ記憶の底に埋め込まれていくのだろうと思います。そして思い出せるほんの一握りのエピソードもまた、今では思い出すこともなくむしろ血肉となっていった、たくさんの出来事の上にこそ、垣間見ることができるようになるのかもしれません。

そうした思い出の全体が、力に変わっていくのだろうと、今ではそう信じています。

文章/Ryoma先生