本日は京都大学博物館の竹内啓一先生(こども博物館の昆虫担当)をお招きし、「蟲のはなし」と題してご講演いただきました。

後半の質疑の中で様々なご質問が積極的に出されましたが、一番最後に出されたご質問――母親はどのように虫好きの少年に接したか――は誰も質問されないままであれば、私が手を挙げて質問しようと思っていたことと同じでした。先生はズバリ「母は偉大でした」と要約された上、具体的な事例を挙げて行かれました。

今回保護者限定で実施しようと判断したきっかけは、このことをお伝え頂きたかったからにほかなりません。

幼稚園時代、弁当箱にダンゴムシをいっぱいつめて持ち帰っても母はそれを捨てず飼うことを許してくれた(虫は苦手な母であったが)。子ども時代「勉強しなさい」とは言われなかった。勉強ができたわけではなかった(中学時代偏差値は40)。病弱で学校は休みがち。その代わりせっせと博物館に連れて行ってくれた。それがきっかけで「師匠」と出会い、生涯を掛けて虫を「研究する」人生を決意する。「師匠」の助言で京大の昆虫研究室を目指すことに(猛勉強の末偏差値40→70で洛南高校進学)。母自身がいつも勉強していたので、家で勉強する空気は普通のものとしてあった。(だからやる気にスイッチさえ入れば猛スパートが切れた?)

お返事された内容は大まかに言うとこのようなことだったと記憶します。私は偏差値を40から70に上げた具体的な秘訣が聞きたかったのですが、時間切れとなりました。あっという間に時間が経ち、質問できなかった方も多々おられたと思います。よろしければその内容をお知らせ下さい。まとめて先生にお送りし、お返事を頂きたいと思います(了解済みです)。

日頃の園児を見ていると、様々な「好き!」の花を咲かせています。「好き!」をどこまで許容するとよいか、悩む場面がないわけではありません。

本園創設当初のエピソードを紹介しますと(先代園長から伺いました)、世界的なアリの研究者であった山岡亮平先生は本園園児であった頃、アリばかり見つめ、アリを追いかける幼稚園生活を送っていました。部屋に入る時間になっても部屋に入らなかったそうです。子どもたちがみな部屋に入ってもまだアリをじっと見つめている姿を先代園長(当時は20才のお手伝い職員)が横について見守ったとのこと。

どこまで「特例」を許すか。これは我々教育現場において、咄嗟の判断や臨機応変の対応を求められる難しい問題です。小学校以上だと「みな平等」というルールから、なおさら特例は認められにくい空気があるでしょう。

私はいつも子どもの目を見るようにしています。その真剣な輝きを見つめると自ずと大人として取るべき態度が決まると信じています。その結果が、先代園長が行ったように、クラスの時間割を度外視して見守るといった行為に自然とつながるように感じてはいます。

ご家庭であれば、「片付け」の問題も含め、「したいことをさせたい」気持ちと(家庭という社会における)「ルールに従わせたい」気持ちとのはざまでジレンマを感じざるを得ません。お父さんの協力の有無、きょうだいの有無など家庭によって条件は千差万別ですから、何が正解ということはありませんが、できればご夫婦で話し合い、お二人の対応にぶれがないようにするとよいように思います。上の「特例」に話を戻すと、クラスで山岡少年を待つ担任の先生と父との間で話がきちんと交わされており、「そういうときには少し私が見ますので、あとから遅れてお連れします」といった事前のやりとりがあったはずです。

小学校にあがると、「宿題をきちんとこなす」というテーマと「好きなことをやる」というテーマがぶつかりあいます。大人からすれば、「やることをやったあとで好きなことをする」のが正解だとわかります。しかし、子どもはどうしても「やりたいことを先にする」というパターンに陥りがちです。

この葛藤を日常味わうのは母親です。「ま、いいか。(本人の問題だし介入しないでおこう)」と思うのも一つ。しかし、そう思いながらも「これでいいのか」と悩みながら日が過ぎ、ある日日頃ためた我慢が爆発する(こともあったりなかったり)。一方、「いや、この問題は宿題をやる、やらないの話ではない。この子が将来大人になったとき、責任ある生き方ができるかどうかに関わること。よい習慣をつけさせたい」と考えるのも正しいと思います。

第三者の立場で思うことは、どちらのケースについても、一つ言えることは、母親が子どものそばにいて子どもの人生を気遣っている、という事実です。私が敬愛する田中雅道先生によると、「教育に『これをやればよい』という正解はない。『これをやるとダメ』ということはわかっている。それは『子どもを無視すること』です」と。見守ってもよし。叱ってもよし。どちらに転んでも、いつも母親は子どものそばにいて、その子の未来の人生がよりよくなることを願って行動しています。これはありがたく、尊いことです。

というのも、昨日の竹内先生のお話にあったように、(かつて残酷な実験があり)赤ちゃんが母親のスキンシップを受けずに育つと全員死んでしまうということでした(神聖ローマ帝国の皇帝フリードリヒ2世の実験がこの手の実験の始まりのようです)。私は幼児期の親子の「対話」(本の読み聞かせも叱咤激励も)をスキンシップの延長にとらえたいと思います。

子どもたちは将来大人になってはじめて様々な場面における親の気遣いを自覚し、感謝が心を満たすのです。このたび、竹内先生が伝えて下さったメッセージの根っこはこの事実であると思い、私はそのことをありがたく思っています。

追伸
蛇足ながら今日の写真について。うさぎにはっぱをあげた年長の女の子によると「これでうさぎさんもお買い物まつりにいける」とのことでした。

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