今日は保護者会でした。ご多忙の中、お繰り合わせの上ご来園くださいました皆様に、感謝申し上げます。

年長保護者には「劇」の取り組みについて、大事なお願いをしました。子どもたちのがんばりを支える根っこは、ご家庭での毎日の練習が不可欠です。どんなにひらがなが読めるというお子さんにとっても、台詞の前後関係にまで思いをはせ、自分の台詞の意味を考えることはできません。

「子どもと一緒に取り組む」この機会をおおいに工夫し楽しんでもらえればと思います。たとえば男の子の役をお父さん、女の子の役をお母さんが務め、(お兄さん、お姉さんの助っ人も心強い)、家族みんなで練習ができたら、言うことありません。

いよいよ明日から練習がスタートします。年長保護者の皆さま、どうぞよろしくお願い申し上げます。

次に、全学年対象のお話の中では、野口飛行士の書き初めの言葉、「和の心を大切にして夢を追い求める」を引用しながら、今園で取り組んでいる園としての「挑戦」の中身について述べました。

途中で少しふれた「山の学校」の取り組みも、大きな意味では本園の「挑戦」の一つではありますが、今回お話ししたポイントは、むしろ、日々の保育の取り組みに関するものであり、個々のお子さんが腹の底から「万歳!」とガッツポーズできるような取り組みを今屋外で展開中であることをお話ししました(突っ込んだ話はブログですでに書いています)。

年長の劇「大きな橋」のテーマ(「譲り合い」の気持ちに加え、自分の良さを生かした「貢献」の意義を大事にしたい)とも関わることでありました。

以下はおまけのつぶやきです。

今、これを書きながら、今日扱った問題は、日本の今後の行く末を考える上で大事なテーマだと考えが及びました。

日本人の「譲り合い」、「優しさ」、「和の心」はこれからの世界にとって貴重な意味を持つでしょう。しかし、「優しさ」はそれだけでは現実に対し無力に見えます。

司馬遼太郎氏は言いました。

「近頃、頼りなさそうな、かげろうのような青年が増えてきたような気がします。はたして立派な市民として将来やっていけるだろうか。日本全体の電圧が低下しているのでしょうか。」

一方、別の箇所では、

「日本の経済力はだんだん衰えていきます。これからは親切が必要ですね。日本は親切にする国なんだということ以外に生きていく道はないと、最近よく考えます。」

とも。

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“2010-01-20 保護者会” への2件のフィードバック

  1. 川岸です。ブログの記事を拝見させていただき、コメントをさせていただこうと思い立ちました。私がはじめてプライベイトという立場で先生を訪ねた約13年前、先生は「優しさののゆくえ」という文章を含めて3つの文章を私にくださったことを覚えておられますでしょうか?(今でも大事にファイルにとじております。)
    先生のブログを拝見し、本棚からいただいた文章をファイルしているものをひっぱり出してきて今一度先生がおっしゃっている『「譲り合い」、「優しさ」、「和の心」』を私なりに読み返し、そして考え直してみたいと思います。(今の私には、どうもそのあたりのことを過去に置き去りにしてきた節があるように思えてならないので。。。)

  2. コメントをありがとうございます。懐かしい声が聞こえてうれしいです。書いた文章に補足すると、優しい心のある人は、自分の無力を人一倍感じます。なんとかしたい、でも、なにもできない、と。この認識で終わるのではもったいないと思うのです。そこで勇気が必要です。なにもできない。だから、そこをなんとかしよう、と。インターネットは、「なんとかしよう。なんとかしてみせるぞ」という優しさと勇気を持ち合わせた人に、はかりしれないパワーを与える可能性を持ち合わせています。インターネットについては、技術の面からアプローチする人が多いです。英語も同様です。英語の場合、「話したい、伝えたい」という必死な思いから学び始める人は少なく、たいていは文法から入ります。で、ある程度習熟しても、何のために学ぶのか?自分でもよくわからなかったり。私は、人間を愛し、それゆえ世の中の矛盾を見て見ぬふりができない気持ちはなにより尊いと思っています。その気持ちに力を与える道は、どこにあるのか。自分の中では、幼児教育と並んで、常に脳裏にあるテーマです。もちろん、どちらのテーマもいまだに答えが出ないまま、いまだに手探りの毎日です。

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