先日「心の声」ということで思うところを書きましたが、この言葉をキーワードとして検索すると、過去に何度もこのテーマで文章を書いてきたことに気づきます。

たとえば、昨年度の保護者会でもこのことをテーマにお話をしたようです。>>「声を聞く」

こうしてふりかえると、自分自身、考えることも、お話しすることも、いつもあまりかわり映えしないな、と思えてきます。

逆に言えば、私がピントを合わせ、耳を傾けようとしている子どもたちや保護者の心の動きというものは、時代の変化に連動しない「不変」の部分であることの証左かもしれない、とも思います。

この「不変の」部分に注意していると、時代のノイズが聞こえてこなくなる、と言いたいところですが、なかなかうまくいきません。昨今、教育を取り巻く社会的情勢はめまぐるしく動きますし、様々な「情報化」のおかげで、逆に判断がつきにくくなる恐れもあります。

昔は情報が乏しく集まりにくかったので、自分から貪欲に取りに行く必要があったのでしょう。しかし、今は、情報が災いすることの方が多いように思います(判断を誤らせ、不安にさせる)。むしろ「情報を捨てる」気構えでないとうまくいかないように思います。

これは私の偏見かもしれませんが、今の時代は「正解」を求めるあまり、きょろきょろしたり、せかせかしたり、おろおろしたりする人が多いように感じられます。(1980年以降の「正解を選べ」教育の成果かもしれません)

「自分は自分(この子はこの子)」と心でつぶやくと、目の前の曇りが取れていくように思います。(私の書いたものも含め)人の話はうのみにせず、「話半分」に聞く(=参考程度にする)のがベターですね。

そうして極力ノイズを除去し、つまり、目の曇りを取り去ってから、しっかり自分の顔を見つめ、自分の心の声を聞くと、どこに一歩を踏み出せばよいか、自分で気づきます。

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